第4話 唯への想い

 俺は唯を見る。

 顔色は真っ白で、口からは血の混じった泡がもれている。

 わずかに上下している気配はあるが、それも少しずつ弱くなっている。

 なんで俺は唯を誘ってしまったんだろう?

 なんで俺はこの道を通ってしまったんだろう?

 なんで俺は唯と離れてしまったんだろう?

 手と手が触れられる距離にいれば、相手を抱き締められる距離にいれば、俺は唯を守れた。

 唯を守り、彼女の盾となり、唯の命は救えた。

 なのに唯は倒れていて、俺は阿呆みたいに座っている。

 なんで俺は唯を守れなかったんだろう。

 家族のように大切で、気兼ねのない友達で、いつも俺のことを気にしてくれていた人を、どうして失ってしまうのだろう。


「俺は……唯のことが……好きだったんだ……」


 誰に言うでもなく、俺はつぶやく。


「昔からの幼なじみで、家族のように大切で、誰よりも傷ついてほしくない相手だったんだ。

 生まれた時からずっと好きだった。はいはいする前から恋をしていた。

 だから……だから、失いたくなくて……この距離を壊したくなくて……好きじゃないふりをしていたんだ。俺は唯のことを愛していた」


 痛い。

 心臓がえぐられるように痛い。

 肺がきしみ、視界が白くかすんでいく。

 涙が目の中から溢れ出てくる。


「せめて好きと言えばよかった。びびっている暇なんてなかったんだ。

 好きと言って、振られて、気まずくなって、ファミレスに誘えなくなっていればよかったんだ。

 そうすれば、そうすれば、少なくとも唯は死なずにすんだ」

 俺は自分の膝を叩く。自分の拳で何度も叩く。


 守れなかった。

 助けられなかった。

 自分だけが助かってしまった。

 その痛みが体の内側を蝕んでいく。


「ひとつだけ……方法がないわけじゃない」


 鬼がつぶやく。

 俺は首を曲げて、焦点の合わない目で鬼を見る。

 鬼はいつの間にか俺のすぐそばに立っていた。

「彼女は死ぬ。救えない。だが寿命を延ばすことはできる」

 苦しげな口調。その表情は険しく、そう言いながらも、自分がそう言ったことを後悔しているようだった。


「それは、どういう意味なんだ? 救えるってことじゃないのか? 死なないで済むんだろ? だったら生きれるってことだろ!」

 俺は鬼に向き直って、相手の顔をじっと見つめる。

「言葉通りの意味だ。彼女はここでは死なない。だが、すぐに死ぬ。

 一週間たったら、彼女は私に殺される」

「わけがわかんねえよ! ちゃんと言ってくれ! なんで助けた相手を殺すんだよ!」


 俺は鬼に手をのばす。

 じっと肌の焼ける音。


 鬼は俺の手を振り払うと、「さわるな。火傷するぞ」と言った。

「話をする時間はないだろう? 彼女はじきに死ぬ。その前に決めろ」

「決めろって……なにをどうすればいいんだ……」


 身体の内側が急に冷たくなる。

 今、俺は唯にとって大事なことを、唯の声も聞かずに決めようとしている。

 そのことが怖くてたまらなくなる。


「彼女がここで死ねば、全て終わる。だが彼女が生き残れば、他に死人がでるかもしれない。その上、彼女も苦しむことになる。私は勧めない。このまま眠らせた方がいい」

「だったら教えるなよ」

「私もそう思う。だが言わずにはいられなかったんだ」


 鬼は目をふせる。その表情は悲しげで、俺は言葉をつまらせてしまう。

「一週間後に唯は死ぬ。あんたの手で殺される。他に死人が出るかもしれない。唯が苦しむことになる」

「ああ。そうだ」

「だとしても、だとしても、唯は一週間は生きられるんだよな? あんたが殺しに来るまでは、生きていられるんだろ? だったら選ぶしかねえよ。俺は唯に一瞬でも長く生きてもらいたい。頼む。あんたが言う方法で、唯を助けてくれ」


 俺はその場に手をついて頭を下げた。

 

「本当に、いいんだな?」

「はい。お願いします」

 

 頭を下げたまま、俺は言う。


「わかった。ならば私を使って、彼女の陰陽を揺るがそう」

 

 鬼はうなづくと唯のそばに寄っていった。

 血だまりの中に波紋が広がり、すぐに消える。


「残念だ。君のような子が巻き込まれるなんて」


 鬼はそう言うと、膝をついて唯の手をとった。

 ゆっくりと自分の口元に近づけていき、そっと手の甲を噛む。

 唯の体がびくりと揺れて、弓ぞりになる。


「あ、あ、ああ、あああ」


 唯のものとは思えない暗く低い音が口から漏れてくる。

 俺は歯を食いしばる。

 自分がしたことが何なのかを見極めたくて、唯の姿をじっと見つめる。

 唯の口から声がもれ続ける。

 体をそらしたまま、苦しげな表情をする。


「あ、あ、あ」

 数分近くその状態が続いていたが、段々と声が細くなっていき、ついにはそっと消え去った。

「終わりだ」


 鬼は立ち上がって、俺を見る。

 立ちくらみにでもなったのか、こめかみに手をやって、体をふらつかせている。


「これで彼女は大丈夫だ。今だけに限定すればなんの問題もない」


 鬼がどうぞとででも言うように、唯に手を向ける。


「ゆいっ!」


 俺は四つん這いになって、唯に近づく。

 一目みて、唯が変わっていることがわかった。

 顔は赤みがさし、胸元がゆっくりと動いている。

 表情も穏やかで、つきものが落ちたかのようだった。

 俺はその頬にそっと手の甲を触れさせた。

 唯の体温が伝わってくる。肌の柔らかさがじわりと感じとれる。


「ゆい。ゆい。ゆい」


 胸が痛くなり、目頭が熱くなる。

 人が生きていること。唯が生きていること。

 それが嬉しかった。

 それだけで十分に思えた。


「よかった。よかった。よかった」


 俺はつぶやく。唯が生きているという事実が体を暖かくしてくれる


「一週間だ。それ以上は彼女の体が保たない。

 それまでの間、彼女の命を支えてやれ」


 鬼が言う。

 俺は顔を上げて、お礼を言おうとした。

 そこには誰もいなかった。

 ただ血だまりの上で、波紋が広がっているだけだった。

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