第5話 語れなかった言葉

 俺が唯と話せたのは、それから三日後だった。

 まるで鬼が去るのを待っていたかのように、

 警察がやってきて、唯と会えないようにしてしまったのだ。

 最初は俺が唯を殺したと思われていて、唯が無傷だとわかると、

 二人でいたずらを仕掛けたと疑われた。

 俺と唯は同じ病院ではあったが、まったく関係のない病室に入院させられて、それぞれ検査を受けさせられた。

 その間、警官は俺や唯から話を聞きだそうとしていたが、

 唯は記憶がなくて何も言えず、俺も覚えていないと言い通した。

 もし真面目に鬼の話でもしたら、頭がおかしいと思われると思ったのだ。

 唯と話せないことに、もどかしさを感じなかったわけではない。 

 一週間後に死が迫っているかもしれないのに、三日間も束縛されるなんて、

 ふざけるんじゃねえよと思った。

 でも俺は警官に立ち向かえるほどの力はなかったし、抵抗すればするほど唯に会えるのが遅くなるのは確実だった。

 

 だから俺はその間、考えているしかなかった。

 唯に話すべきなのか。話さないべきなのか。

 化け物――話そう。鬼が命を救ってくれたこと――話そう。

 でも一週間後の死はどうすればいい?

 あと一週間で殺されることを知って、唯はどうすればいい? 恐怖に怯えながら、生きるとしたら、そこになんの意味がある?

 なにも知らず、なにも気にせず、普通の日々を過ごせたほうが、唯のためになるんじゃないのか?

 俺だって明日になったら、死ぬかもになるかもしれないんだ。わかりもしない将来を話して、誰が喜ぶって言うんだ。

 でも、本当にそうだろうか?

 自分の死が間近に迫っていれば、生き方は違ってくる。

 お別れを言う機会だってできるし、自分がやりたかったことをやれる。

 死を前にすれば、今ある日常のほとんどが無意味になる。

 お前は死が迫っている唯に対して、試験勉強や部活動をさせたいって言うのか?

 どうでもいい毎日を過ごして、唐突に殺される。

 その瞬間の唯の表情を、お前は見たいって言うのか?

 わけもわからないまま、唯が死んでしまってもいいって言うのか?

 違う! そんなことは考えていない。

 でも、唯は苦しませたくない。

 唯は最後まで幸せに生きてほしい。 

 どうすればいい。

 どうすればいい。

 俺は息をするように考え続けた。だけど、答えは出なかった。

 あの鬼に立ち向かう方法も考えたし、家族も巻き込んで、治療できないかとも思った。

 なにが正しくて、なにが間違っているのか。俺は病院を出てもわからなかった。

 そんな答えの出ない気持ちを抱えたまま、俺は唯と再会した。

 

「なんだかすごい久しぶりな気がするな」


 俺は言う。

 誰もいない放課後、俺と唯は二人っきりで教室の中にいた。

 俺も唯ももちろん学生服で、唯は冬用のスカートをはいている。

 血まみれになったワイシャツや夏用のスカートはクリーニングだけではどうにもならないらしく、新しく購入するんだと母さんが話していた。

 あの騒ぎのあと、うちの母さんと杏奈さんは四六時中連絡を取り合い、

 唯を心配したり、俺の頼りなさを嘆いたりしていたらしい。

 唯は窓際の自分の席に座り、俺はその前の席に座っている。

 俺たちはクラスメイトであり、唯はそのことを「宝くじ並の奇跡だね」と喜んでくれていたのだ。


「そうだね。空也に勉強を教えていたのがずっと昔の出来事みたい」


 唯はそう言うと大きく伸びをした。表情は疲れていたが、思いのほか元気そうだった。

 今日は朝からずっとクラスメイトや友だちからの質問攻めにあっていた。

 そのせいで唯とゆっくり話すタイミングがなかったのだ。

 もちろん朝やお昼休みに、電話やラインなりで連絡を取り合うことはできたが、それもしなかった。

 最初に話す時は顔を合わせながら。

 そこだけは譲りたくなかったし、唯もそう思っている気がしていた。

 唯は伸びを終えると、机の上で頬杖をつき、上目遣いで俺を見てきた。


「ねえ、空也。教えてほしいことがあるんだけど……」


 唯が言う。

 俺は何気なさを意識しながら、「なんだよ?」と返事する。


「あの時になにが起こったのか。空也は知っているんでしょ?」


 まさかの直球。

 俺は思わず、「え? どういうこと?」と目をそらしてしまう。


「下手くそ。何年の付き合いだと思っているの。空也の顔色ぐらい簡単に読めるって」


 唯は俺を指差すと、静かな微笑みを浮かべた。

 透明で柔らかい儚げな表情。

 胸の内側がぎゅっと苦しくなる。


「なんで隠しているのかはわからないし、なにを知ってるのかもわからないよ。でも教えて。私はあの時に何があったのかを知りたいの」


 唯が言う。

 その表情は頑なで気持ちが決まっている――ふりをしているだけだった。

 本当は今にも泣きそうなほど怖いくせに。

 なに下手な演技をしているんだよ。

 唯が俺の顔色を読めるように、俺も唯の顔色を読めるのだ。


「わかった。話す」


 俺は言う。

 唯のやせ我慢にこたえるためにも、俺は事実を話さなくてはいけないと思った。


「例え、唯が信じられないとしても、俺はひとつも嘘をついていないからな」

「知ってる。私は空也が言うことを全て信じるよ」


 唯がじっと俺を見つめたあと、大きくうなづいた。

 俺を信じてくれている目つき。

 思わず、唯が安心する出まかせを口にしたくなる。

 今この場で唯の笑顔が見られる。

 それこそが一番大事なことなんじゃないかと思えてしまう。

 俺はゆっくりと深呼吸をして、その日和りたくなる自分の気持ちを抑えつけてから、口を開いた。

 ファミレス、見慣れた帰り道。

 突然の非日常。

 化け物の襲撃。なすすべのない状況。

 鬼の乱入と撃退。

 唯の傷と治療。

 俺はあの時の感情を思い出さないように、淡々と事実だけを話していく。

 その間、唯は一度も口を挟まなかった。真剣な表情でうなづき、自分が傷ついた ところでは納得したような顔をし、俺が殴られたところで顔をしかめた。

 三十分近くの間、俺は話し続け、パトカーがやってきたところで口を閉じた。

 太陽が傾きだしたのか、オレンジ色の光が俺と唯の間に差しこんできていた。

「信じられるとはとても思えないけど、これが真実なんだ」

 俺はそう言って話し終える。

 唯の寿命。

 そのことを口にできなかった痛みが胸をきしませている。



「大丈夫。空也の言葉だもん。確かにびっくりはしているけど、ちゃんと信じるよ」

「よかった。腕のいい精神科医を紹介されるかもって、びくびくしてた」

「そんなことを言うわけないでしょ」

「だよな。俺も唯を信じていた」


 俺は腕で額を拭って、あからさまに安堵した顔つきをした。

 テニス部が練習試合でもしているのか、校庭から「負けるなー」という無責任な声が聞こえてきた。


「それで空也の話は終わり?」


「ああ。全て終わりだよ。最後に、って言う夢を見ました、という言葉もない」


 俺は言う。

 唯は俺の下らない言葉にも反応せず、じっと見つめてくる。

 本当に?

 唯が無言でそう聞いているのは明らかだった。


「ねえ。私もひとつだけ言っていい?」

「ああ。もちろん」

「実は私、ずっと気を失っていたわけじゃなかったんだ」


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