第30話 草佩主との殺し合い


「〈宿返し〉の術式はほぼ完成している。あとは発動できるようにこの場の陰陽を整えるだけだ」


 未妙が片手を上げて、人差し指と中指を伸ばす。


「陰陽術を行える状態のうちに、発動手前の状態まで持っていきたい。準備をするから離れてくれ」

「わかった」


 未妙から数メートルほど距離を置く。

 その時、背筋に寒気が走った。

 俺は反射的にあたりを見渡してしまう。

 肌がひりつき、血が騒ぐのを感じる。


「草佩主(くさはぬし)か?」

「そうだ。鬼は神が怖いから、すぐに感じとれるだろう?」


 未妙は「頼んだぞ」と言って、目をつぶる。

 俺は浅く息を吐いて、あえて自分の不安をあおる。恐怖と怒りを入り混じらせて、鬼になろうとする。

 だめだ。

 できない。

 儀鬼はもちろん、鬼人にも変わらない。

 今まで吹いていた風が急に止み、別の方向から突風が吹いてきた。


「無理だ! 変わらない! 鬼になれない!」


 未妙が舌打ちをする。

 同時に髪の毛が銀色に変化し、肌が赤く染めあげられる。


「私がやりあっている間にどうにかしろ! 長くはもたないからな!」


 風の吹いてきた方向に向かって、未妙が片手を突き出す。

 細長い葉が風の勢いに乗って、大量に飛んできた。


「炎。盾。円」


 未妙が炎の盾を作る。

 自分の目の前にやってくる草を焼き尽くす。

 俺は体を小さく丸めて、未妙の後ろに隠れる。

 情けなかったが、あの草が刺されば、鬼になる間もなく死にかけてしまいそうだった。

 未妙の表情は険しい。万全の状態ではないせいか、すでに顔を歪ませている。

 嫌な寒気。

 未妙が一歩下がり、俺を後ろに蹴り飛ばす。

 俺は痛みと共に、地面を転げまわったあと、慌てて立ち上がった。

 草佩主(くさはぬし)。

 未妙の目の前に草佩主(くさはぬし)が立っていた。

 炎の盾で防いでいる間に、俺たちとの距離を詰めていたのだ。


「炎。広。包」


 炎の盾が大きくなり、草佩主(くさはぬし)を呑みこむ。

 未妙は草の生えたほうの腕にも炎をまとわりつかせると、盾の中に腕を突き刺した。


「炎。炎。炎」


 火力が一気に増して、巨大な火柱が生まれる。

 俺は火の勢いに後ずさりながら、炎の向こう側を確かめようとする。

 腕。

 草佩主(くさはぬし)の腕が炎の中から伸びてきた。

 未妙の首を掴み、一気に押し飛ばす。

 全ての腕が繋がっているのか、その腕は二メートル近くあった。

 草佩主(くさはぬし)が炎から出てくる。

 その体には傷一つなく、なんのダメージも受けていないようだった。

 未妙は草佩主(くさはぬし)の腕を掴んで、手のひらから炎を生み出す。

 草佩主(くさはぬし)は未妙の火など気にしていないかのように、その腕をゆっくりと持ちあげていく。

 未妙の足が地面を離れる。


「くそっ!」


 俺はそばに寄ろうとするが、近づけない。

 刃のような草が舞っていて、未妙を助けようとすれば、一瞬で切り刻まれるのは明らかだった。

 圧倒的な力の差。

 俺は近づくことさえできず、未妙さえあしらわれている。

 あれが神。

 あれが立ち向かおうとしていた相手。

 無理だ。勝てるわけがない。

 絶望感が押し寄せてくる。

 神は神であって、人間が近づいていい存在じゃなかったんだ。

 俺は地面に膝をついてしまう。

 体の震えが止まらない。うまく呼吸できず、息苦しい。

 未妙は両手両足を使って、草佩主(くさはぬし)の腕から逃れようとしている。

 炎を使って、その腕を燃やそうとしている。

 草佩主(くさはぬし)は捕まえた得物を見せびらかすかのように、未妙を高々と持ち上げている。


「くそっ! くそっ! くそっ!」


 俺はやけになって地面を殴りつける。草佩主(くさはぬし)を睨みつけて、怒りと憎悪をかき集める。

 変わらない。

 爪もとがらないし、角も生えてこない。


「なんでだよ! なんでだよ! なんでだよ!」


 手の甲から血がにじみ出てくるのに、姿かたちは変わらない。


「なあ! 未妙! どうすればいいんだよ!」


 俺は叫ぶ。

 もちろん未妙は答えられない。

 腕から逃れようと、必死で暴れている。

 草佩主(くさはぬし)の足元には、いつの間にか、大量の草が生えていた。

 焼けた地面しかなかったはずなのに、緑色が広がり始める。

 やばい。

 そう感じた瞬間、草佩主(くさはぬし)の足元から草が舞い上がった。

 一つの巨大な濁流となって、未妙に襲いかかる。

 草の大蛇。

 一瞬の間さえなく、未妙が大蛇の中に呑み込まれる。


「未妙っ!」


 俺は何も考えずに声を上げる。

 大蛇は空中で反転すると、背中のあたりから未妙を吐きだした。行儀よさげな動きで、草佩主(くさはぬし)の足もとにうずくまる

 未妙は体に炎をまとわりつかせたまま、地面に落下した。

 受け身さえ取れなかったのか、鈍い音が伝わってくる。

 俺は近づこうとするが、それよりも早く、未妙が俺に向かって手のひらを突き出してきた。


「大丈夫だ。まだいける」


 未妙は聞こえるか聞こえないかのような声でそう言うと、ふらふらと立ち上がった。

 炎が消える。未妙の姿が鮮明に見える。

 体中にびっしりと切り傷が入り、薄い血がにじみ出ている。

 いくつかの鋭い草は燃やすことさえできなかったのか、肌に突き刺さったままだった。

 草の大蛇は頭を持ち上げて、未妙に狙いを定める。

 草佩主(くさはぬし)は口元から甲高い音を出すと、その腕を未妙に向けて突き出した。

 同時に、大蛇が未妙に飛びかかる。


「未妙!」


 俺は前に出た。

 儀鬼になれないのならば、俺の使い道はほとんどない。

 だったら、この一撃だけでも盾になる。

 そうすれば、ほんのわずかかもしれないが、未妙に時間を与えられる。

 そう思った。

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