第16話 神との再開
行くべきか。行かないべきか。
未妙と別れたあと、俺は家に戻って考えていた。
俺が足手まといなのは本当で、未妙を邪魔してしまうのも事実なのだろう。
優しさなどではなく、未妙は客観的な目線でそう言っていたはずだ。
それに加えて、俺も思ってしまう。
せっかく救ってもらった命なんだぞ。
わざわざ危険な場所に行って、無駄に使う必要なんてあるのか?
もっと大切にするべきだし、俺には俺のやるべきことがあるはずだ。
もっともな意見で、両手を上げて賛成したい言葉だ。
でも。
未妙は命の恩人だ。
一度ではなく二度までも、俺と唯の命を救ってくれたのだ。
もし明日電話しても、誰も出なかったら。
河野町に行って、未妙の死体を見つけてしまったら。
それでも俺は両手を上げて賛成した自分を許せるのか?
時計の針が動く音。
目覚まし時計が八時を指している。
俺は体を起して、ベットから立ち上がった。
小学生のころから使っている勉強机に、16型のテレビと一回り大きいテレビラック。
その横にある本棚はほとんど漫画で埋まっているし、開けっぱなしクローゼットの中はいまだに冬服が放置されている。
床の上には読みかけの漫画と、引き裂いてしまったタオルケット。
十年以上前から俺の部屋として使い、もっとも落ち着いていられる場所だ。
ここで俺がごろごろしている時、未妙は必死になって自らのなすべきことをなそうとしているのだ。
命の恩人が危険に立ち向かっていて、俺は部屋でバラエティ番組を見ている?
「馬鹿か。そんなんやっていられるか」
俺は部屋着を脱ぎ捨てて、クローゼットから動きやすい黒のジャージを引っ張り出して、外行きの格好になった。
河野町までの道のりはすでに調べていて、自転車で三十分ほどかかることもチェック済みだった。
部屋を出て、階段を下りて、リビングをうかがう。
母さんはキッチンで父さんのために夕ご飯を温め直しているはずだ。
「ちょっと映画を借りてくる」
俺は声をかけて、家を出ようとする。
「待ちなさい」
母さんは鋭い口調でそう言うと、ゆっくりと近づいてきた。
強い眼光に、固く閉じられた口。家事がしやすいように、髪は無造作に束ねられている。体は細くて、俺よりも引き締まっている
暇があるとランニングに行ってしまうアスリートな人で、その行動が示している通り、意志は強く、自分に厳しく、直感も鋭いと、なかなか厄介な性格をしているのだ。
「どこ行くの?」
「映画を借りてくるって言ったろ?」
「なんの? 空也が好きなアクション映画は最近出ていないわよ」
俺は言葉に詰まる。そこまで考えていなかった。
「あんたは本当に嘘が下手ね。最低でも二つ三つの質問には答えられるようになるまで練っておきなさいよ」
母さんは嘆かわしいとでも言うように、ため息を吐いた。
「え? そっち? 嘘を吐いたことじゃなくて、嘘が下手なことでショックを受けるの?」
「どうせ嘘を吐くのなら、ちゃんとやりなさいってことよ」
そう言って、俺の姿を見る。
「で、なにすんの? その恰好じゃ女じゃないだろうけど。喧嘩? やめなさいよ。あんたは父さんと同じで弱いんだから」
「違うよ。友達のところに行くだけだよ」
「ふうん。まあ、いいや。相手に迷惑をかけるのはよしなさいよ。うちの評判が傷つくから。酒とかタバコとかわかりやすい非行には走らないでよ。親として恥ずかしいから」
「自分の評判ばっかりか!」
「嘘に決まっているじゃない。私は空也のことを信頼している。あんたは自分の中に軸を持っている。それがぶれなきゃ大丈夫だと思っているわ」
母さんが真顔で言う。
俺は恥ずかしくなって、顔をそらしてしまう。
「ちょっと友達と会って話してくるだけだから。別にたいしたことじゃねえよ」
「知っている。だから嘘なんて吐く必要ないわよ」
「わかった。次からはちゃんと言います。ごめんなさい」
俺は軽く頭を下げる。
母さんはそんな俺をじっと見ながら言った。
「こんなところで油を売っている暇なんてあるの? 友達を待たせているんじゃない?」
「それを『待ちなさい』って言った母さんが言う? え、あ、いいや。すみません。行ってきます」
俺はもう一度頭を下げてから、玄関に向かう。
母さんが目だけで「そこにツッコミを入れている暇はあるの?」と冷静に切り返しているのがわかったからだ。
母は何よりも強し。
うちや唯のお母さんを見ていると、そう思ってしまう。
*
「どこなんだ。ちくしょう」
俺は文句を言いながら、住宅街の中を歩いていく。
未妙の『世界』を盗み見た時、河野町という単語以外にも、なんとか神社と描かれているのを見ていた。
河野町と神社。
その二つさえあれば、なんとかなると思っていたが甘かった。
河野町には神社が五つあり、どれも似たような場所に建っていたのだ。
それに加えて、自転車もパンクしてしまい、途中のコンビニに置いてくるしかなかった。鬼人の脚力は強すぎて、タイヤが耐え切れなかったのだ。
俺はスマホを取り出して、現在位置を中心に置いて、地図を見る。
未妙が見ていた地図をがんばって思い出し、似たような場所がなかったかと考える。
時刻はすでに八時半を過ぎていて、いつ未妙と神が戦い始めていてもおかしくない状況だった。
神様にお祈りするわけにもいかねえし。どうすっかな。
未妙に電話でもしてみるか?
いや、でも、もし未妙が奇襲をかけるみたいな状況だったら、絶対にまずいよな。
そもそも出てくれるとは思えないし。
そんなことを考えながら歩いていると、きんと鋭い音がした。
ねっとりとした空気が体にへばりついてくる。
俺は慌てて辺りを見渡した。
特に変哲もない住宅が立ち並び、一定の間隔で外灯が光を放っている。
一瞬前とどこも変わっていないし、特に危険なものも見当たらない。
俺は前後左右に数メートルほど動いてみる。
違和感は変わらない。
境界線を越えたせいで、まずいことになった、なんてことではなさそうだった。
結界が張られた?
未妙からそんな言葉は一度も聞いていないし、そもそもそんな物が存在するのかも知らなかったが、今の状況にはよく似合う気がした。
よし。ひとまず結界が張られたと考えることにしよう。そうなると俺は戦いの場に近づいているってことになる。
歩く速度を緩めて、路地を一本ずつ確かめていく。
さすがに未妙と神が戦っているのに気付かないなんてことはないだろうが、あの時の俺と唯のような人がいたら、と考えていた。
鼓動が少しずつ早くなっていく。
体が熱を帯び、手のひらに汗をかく。
落ち着け。びびるな。興奮もするな。
夜の静けさが耳障りで、自分の呼吸が騒音みたいに聞こえる。
なんでこんなに静かなんだ? 夜といっても、深夜二時三時を過ぎているわけじゃない。
生活している音みたいのがテレビとか、家の中を歩き回る音とか、しゃべり声とか、なにかしらの音が漏れてくるもんじゃないのか?
俺はもう一度あたりを見まわす。
おかしい。誰ひとりとして起きていないみたいだ。
心臓がずきりと痛み、寒気が走る。
恐怖が体の内側から湧き上がってくる。
この場所は、俺が想像しているよりもずっと危険な場所なのかもしれない。
俺は動くことができず、その場に立ち止まる。
未妙を探そうという気持ちと逃げ出したいという気持ちがぶつかり合う。
その時、空が輝いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます