第15話 そして世界は動き出す
「すまん。ちょっと立ち止まってくれ」
未妙が言い、ポケットからスマホのようなものを取り出した。
「それって学校の時でも取り出していたけど、何なんだ?」
俺は未妙のそばに立ち止まって、聞く。
「この業界では誰もが持っている端末『世界』だ」
「端末?」
「そうだ。オリジナルのOS『マルコポーロ』が搭載されていて、もちろん通話もネットもできるし、独自のアプリも配信されている」
「めちゃくちゃ最先端だな」
「この業界にもアップル社みたいのがいるんだ。東西問わず、我々のような類はたいてい使っている。アプリの中で陰陽師が重宝しているのは、『千式』というアプリだな」
「千式?」
「そうだ。陰陽術は日本に渡来してからだけでも千年以上の歴史があり、その流派も無数にある。しかも厄介なことに一つの流派を学ぶことが最上ではない。同じ事象を起こす術式が流派ごとにあり、その術式を行う術者と場所、つまり内なる気と外なる気によって、術式を使い分ける必要がある」
「女子の服選びと同じだな。ワンピースはどこどこがいいけど、カーディガンはどこどこがいい。でも夏に使える小物はどこどこが一番なんだけど、ぺけぺけちゃんにはどこどこのが似合うよね、てきな」
俺は唯の言葉を思い出しながら言う。
未妙は怪訝そうな顔で俺を見たあと、「お前がわかってくれた気になったら、なんでもいい」と言った。
「その選定を手伝ってくれるのが、『千式』だ。自分の陰陽を設定しておけば、範囲は狭いが周囲の陰陽を感知し、最適解を導き出してくれる」
「よくわからないけど、便利さは伝わってくる」
「だろう? 学校で行ったのは〈混沌〉と呼ばれる術で、陰陽の撹乱を行う。周囲の陰陽をたえまなく乱し続けることで、その場にいる人の陰陽にも影響を与える。陰陽が乱れると人は不安定な状態となり、状況を把握する力が大きく低下する。信じられないことをなかったことにし、信じれることをねつ造するわけだ」
「それで記憶が変わったと?」
「そうだ。摩訶不思議な事象が世界で無数に目撃されながらも、TV番組やネットの話題にしかならないのもそのためだ。陰陽術を使わなくても、陰陽があまりにも違う事象が起きると、問題は立ち消えしてしまうんだ」
未妙は「まれに覚えている人間もいるが、その場合は周りから変人扱いされるのがオチだ」と付け加えた。
「おしゃべりと遊びは終わりだ」
未妙が言い、『世界』をポケットに入れた。
「終わりってどういうことだよ?」
「神が門番に引っ掛かった」
反射的に体が震える。あの時の恐怖が戻ってきた。
「これから私は神狩りの準備に入る。やつをおびき出し、仕留めて、強制的に和魂(にきたま)の状態にする」
「何時から?」
「今日の九時ごろだか……なぜお前がそれを聞く?」
「俺にも出来ることがあるんじゃないのか?」
「お前……」
未妙はじっと俺を見つめると、くすりと笑った。
「魑魅魍魎の世界にわざわざ首を突っ込もうとするとは、なかなか愉快なやつだな」
「愉快ってなんだよ。なんか手伝えることぐらいあるだろ?」
「そう怒るな。愚か者だとは思ったが、馬鹿にするつもりはなかったんだ」
未妙はそう言うと、口元をゆるめながらも、軽く頭を下げてきた。
「だが安心しろ。お前にやることはない。鬼人ごときでは足手まといだからな。せっかく拾った命をむざむざ捨てるな」
「そこまで言うのかよ」
俺は辞書を引き千切ってしまった時のことを思い出しながら言う。
「神は強い。万全に準備をして、計画通りになったとしても、勝ち負けは五分五分だ。そんな場所に素人を連れていくわけにはいかん」
未妙が言う。
「そっか。りょうかいした」
俺はうなづく。
「お前には申し訳ないが、悪くない時間だった。おかげ普通の生活を久しぶりに楽しめた」
「普通?」
「そうだ。この世界の関係者は全員狂人だからな。お前と話せて楽しかった」
未妙は俺の目を見て、小さく笑う。
同年代の女子たちと何も変わらない笑みを浮かべる。
その笑顔があまりにも自然で、俺は胸が痛むのを感じた。
「お前はあっち、私はこっちだ」
未妙がいつもの表情で道を指差す。何かを言う間もくれないで、背を向けて、歩き出す。
俺は気持ちの整理がつかないまま、その背中に目を向ける。
数歩ほど進んだところで、未妙が急に振りかえってきた。
「誤解がないように、最後に言っておこう」
そう言って、俺の顔を見る。
「お前はお前、彼女は彼女と言っていたが、別に嫌いわけじゃない。情が移るのが嫌だっただけだ」
ほんの少しだけ視線をそらして、ためらいがちな表情をする。
「果村空也――さん? 変だな。空也。お前は北村唯を幸せにしろ。
お前には戻れる世界があり、守るべき人がいる。それがお前が感じている以上に幸せなことなんだ」
未妙は「柄じゃないな」とつぶやくと、背を向けて、そのまま手を振ってきた。
「さようならだ。果村空也。鬼人問題で何かあったら電話しろ。でも私が死んでいても、文句は言うなよ。こちらの世界は生死の狭間が極端に近いからな」
いつも通りの歩調で歩いていき、道の向こうに消える。
俺は未妙が歩いていった道を見ながら、つぶやいた。
「河野町の神社か。どうすっかな」
未妙は意識していなかったかもしれないが、鬼人の目は人の目よりも数倍優れている。
あの『世界』とかいうスマホに映っていた地図。
そこに描かれていた地名を覚えてしまっていたのだ。
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