第8話 野生の鬼の限界

 甲高い響きが耳の奥でこだまする。

 衝撃音。

 廊下側から、机が飛んできて、唯に直撃する。

 面食らった唯は防ぐ間もなく吹き飛ばされる。


「悪かった。私の考えが甘かった」


 背後からの声。

 俺は振り返って、相手を見る。

 鬼がいた。

 赤い肌に、銀色の髪。

 あの夜に出会った鬼が立っていた。

 

「彼女の陰陽が流行質とは考えていなかった。一般人ならば、もう数日の猶予があったんだが」

「なにを、言っているんだ?」

「気にするな。自戒だ」


 鬼は教室を横切り、唯と俺の間に割って入る。


「お前の出番はない。休め」


 唯を見たまま、鬼は言う。俺はその腕を掴んで、声を出す。


「頼む。唯を助けてくれ」

「無理だ。元から決まっていたことだ」


 鬼は悲しげに首を振ると、俺の手をはねのけた。

 一歩前に出て、唯に顔を向ける。


「苦しいのはわかっている。痛いのも知っている。

 私が終わらせてやるから、安心しろ」

 

 唯は立ち上がって、鬼を睨みつける。

 俺を見ていた時のような揺らぎはなく、一心に鬼を見つめている。


「クウヤ――クウヤ――クウヤっ!」


 唯が跳ねる。

 一瞬で距離を詰めて、鬼に向かって腕を振りあげる。

 鬼は横にそれて、唯の腕をかわし、ひざで脇腹を狙う。

 唯はもう一方の腕で防ごうとするが、耐え切れない。

 たたらを踏んで、後ずさりする。

 鬼はすでに一歩踏み出し、拳を振るっていた。

 体重をかけた一撃。

 綺麗なストレートが唯の顔面に入る。


「ゆいっ!」


 俺は前に出て、つい叫んでしまう。

 唯を傷つけたくないと思い、二人の割って入ろうとする。


「死にたいのか! 離れろ!」


 鬼が俺の動きに気付いて、声を荒げる。


「クゥヤッ!」


 唯が嬉しげな声を出す。そばにあった机を殴って、俺に向かって飛ばしてくる。


「馬鹿がっ!」


 鬼は後ろにひくと、かかとで俺の腹を蹴った。

 体が浮き、吹き飛ばされる。床の上に落ちて、何度も転がる。

 息がつまり、おさまりかけていた痛みと吐き気がぶり返す。


「っ!」


 さらに鈍痛。

 唯が投げてきた机が当たったらしい。

 机がぶつかり合う激しい音がする。

 俺は顔を上げて、二人を見る。

 バランスを崩した鬼に、唯の腕が振り下ろされている。

 指を組んだ唯の拳が鬼の背中を殴りつける。


「くっ!」


 鬼は床に這いつくばるが、そのまま横転し、すぐに立ち上がる。

 近づいてくる唯に向かって、ハイキックを振り放つ。

 唯は腕を上げるが、遅い。

 勢いを殺しきれず、体勢を崩す。

 そこに追撃。

 鬼がもう一方の脚を振りあげて、回し蹴りを撃つ。

 唯の胸元に直撃。

 壁まで吹き飛び、動きが止まる。


「いま、いま、今なら、唯を捕まえられるだろう? 頼む。捕まえてくれ」


 俺は痛みをこらえて、声を出す。鬼の注意を引くために片手で床を叩きながら、唯を指差す。


「鬼は鬼だ。人間には戻れん。一度崩れた陰陽は犠牲がないかぎり元通りにならない」


 鬼は悲しげに俺を見たあと、腰を深く下ろした。 腕を引いて、拳を作る。

 全身に描かれた文様が浮き上がり、淡い光を帯びていく。


「絶対に近づくなよ。死人は一人でも少ないほうがいい」


 鬼の体から蒸気があがり、教室の室温が上がる。


「クウヤ――クウヤ――クウヤ――」


 唯が俺の名前を呼びながら、鬼を見る。

 腕を下げて、鬼に跳びかかろうと構えを取る。


「恨むなら、私を恨め」


 鬼はそう言って、勢いよく跳躍した。

 同時に、体中が炎に包まれる。

 唯は一瞬ひるみながらも、前に飛びだした。

 鬼をねじ伏せようと、腕を上げて、振り下ろす。


「炎・伝・連!」


 鬼は唯の懐に入り込み、その拳を突き出した。

 体中の炎が手に流れていき、唯へと伝わっていく。

 唯が燃え上がる。

 火が燃え移り、体中に広がっていく。


「ンンッ! ンンッ! ンンッ! ンンッ! ンンッ!」


 唯が声を上げる。

 両手を振りまわし、体を壁にぶつけて、火を消そうとする。


「無駄だ。そう簡単に消える炎じゃない」


 鬼が言う。身にまとっていた炎は消えて、文様だけが淡く輝いている。


「お前も近づこうとするな。触れたら無傷では済まないぞ」

「そんなこと、言われなくても、わかっているよ」


 唯が燃えている。

 なのに俺は動けなかった。

 いま苦しんでいる唯が本物の鬼のように見えてしまったのだ。

 炎を消そうと暴れまわり、壁や机に当たり散らす姿は、唯らしさが微塵も残っておらず、別の何者かのようだった。


「ンンンンンッ!」


 鬼となった唯が跳ぶ。

 炎を消すことをあきらめたのか、鬼を倒そうと距離を詰める。

 鬼は咄嗟に構えをとると、脚を振りあげた。

 カウンター。

 二人の勢いが合わさって、鬼の脚が唯の顔面に突き刺さる。

 唯は微かに背中をのけぞらせると、その場で停止した。

 体が揺れて、崩れ落ちる。

 同時に炎が消えて、教室の中の熱さがやわらいだ。


「野生の鬼は儀鬼には勝てん。それは陰陽師どもに言わせるまでもなく必然なんだ」


 鬼が申し訳なさそうに言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る