File:5 焦燥のタイムリーエラー



 蕗二を立ち上がらせたのは、端末が低くうなる音だった。

 小刻みに震える液晶端末には、今度こそ竹輔からの着信を知らせる表示がされていた。

 思考を切り替えるように頬を叩いて立ち上がる。浪速なにわ公園を目指し、歩を進めながら端末の通話ボタンをタップした。

「よお竹、何か分かったか」

『今すぐ警察署にかくまってもらってください』

 間髪入れずに竹輔の鋭い声が鼓膜を打った。

「刑事がかくまわれてどうすんだよ」

 そう答えた瞬間、竹輔が声を張り上げた。

『蕗二さんに調べろと言われた方々、四人も亡くなってるなんて聞いてませんよ! 冗談じゃないですよ! こっちは大阪府警の捜査資料覗いてるんですからね!』

 慌てて端末を遠ざける。キーンと甲高い耳鳴りを収めるように首を振る。たまらず額を押さえ、重いため息を吐きだした。

「すまん竹、だましたのは悪かった。あとで説教はたっぷり聞くから、結果を教えてくれ。奈須なすから連絡があって、あいつ追われてるっぽいんだ」

 つい数十分前に葵と走った道を引き返しながら、恐ろしいほど沈黙する端末に脇の下に冷汗をかいていると、電話の向こうで小さな溜息が吐き出された。

『分かりました、野村さんに代わります』

 謝罪の言葉を口にする。それが届いたかわからないが、聞き慣れた女性の声に代わった。

『やっほ、三輪っち。ぱっと説明するねぇ? 二葉さんの死因は一酸化炭素中毒じゃなくて、凍死だよぉ?』

「はぁ?」

 驚きのあまり足を止めそうになる。

「凍死って、ここは雪山じゃねーぞ」

『凍死ってそもそも、低体温症が原因で死んだ場合を凍死って言うんだけど、体温が35度を下回る、つまり20度くらいのプールに長時間浸かってたり、お酒飲んでたり、汗とかで体が濡れてる中でクーラーの下で寝たりしたら、真夏でも凍死は起きるよ。それに、凍死の死体は一酸化炭素中毒の死体とそっくりなの。解剖してないし、調査票の雑さから見ても、見逃した可能性はあるしー?』

「……クーラーなかっただろあの部屋。冷凍庫にでも閉じ込めたのか?」

 狭い食材部屋を思い出す。確かに二葉は完全に酒に酔っていた。だが、あの部屋には換気扇はあったものの、クーラーなどの冷房の類はなかったはずだ。蕗二の問いかけを予想していたように、野村はすぐさま口を開いた。

『藤っちに調べてもらったら、二葉さんのお店が三輪っちの同窓会開く直前にお肉を仕入れてて、その問屋さん、お肉の運搬うんぱんにドライアイスを使うみたい。お肉の量と運搬時間を考えても、二葉さんを凍死させる量はなるはずだよ』

 野村の興奮したような早口を聞きながら、次々と疑問だった場所にぴったりと嵌っていく解決のピースに、蕗二は驚きと感嘆を混ぜた溜息を吐いた。

「じゃあ、後ろから一発ぶん殴って気絶させた二葉に、ドライアイスを乗せて凍死させた」

『そう。だから、これは事故死じゃなくて殺人って言いきっていいと思うよ。しかも犯人、すごい計画的っぽいねぇ? だって、凍死がバレないように練炭を置いて一酸化炭素中毒に見せかけたり、ドライアイスが跡形もなくなる時間も計算されてるし、凍死と一酸化炭素の所見が似てることも知ってたってことだし……』

 考え込んでいるのか、野村の唸り声を聞きながら、蕗二は眉間の皺を深くしていた。

 これで一つ確定した。

 犯人は、この犯行を計画していたと言う事だ。

 店にドライアイスがある事を把握したうえ、偽装工作まで行った。行きずりの犯行では到底できるわけがない。さらに、確認はできなかったが、店にあったあの栩木とちぎのサイン入りバットを使い、小松と山梨を撲殺して、指紋がついていることを良いことに、蕗二は犯人に仕立てられかけた。

 警察はまんまと犯人に誘導されている。

 怒りにこめかみの血管を浮かせていると、端末の向こうで何か話し声が聞こえた。野村の間延びした声の後、耳通りの良い竹輔の声に代わる。

『坂下です、僕からも報告します。リストに上がっていた、蕗二さんの同級生の皆さんには、≪ブルーマーク≫の判定が降りたことはありません』

「一人もか?」

『はい、一人も』

「じゃあ、残った奈須と椋村と五百森は、犯人じゃないのか……」

 10年来とはいえ、元は仲間だ、できれば疑いたくはない。

 胸を撫で下ろしていると、竹輔が恐る恐ると言った声音こわねで話しかけてくる。

『蕗二さん、大丈夫ですか?』

「あ? 何が?」

『いえ、だって。調べろって言われた方で、生き残っていらっしゃる方は二人だけですよ?』

「は? お前こそ何言ってるんだ? 奈須君久なすきみひさ椋村淳司むくむらじゅんじ五百森修いおもりおさむの三人だよ」

椋村淳司むくむらじゅんじさんは、亡くなられてますよ』

 横っ面を叩かれた時と同じ衝撃に呆然とする。

「そんなはず……い、いつ亡くなった!?」

『五年前です』

 クラクションを鳴らされ、肩を跳ねさせる。

 横断歩道の真ん中で立ち止まっていたらしい。慌てて信号を渡り切る。そこで足が止まってしまった。立ち止まったことで呼吸が上がる。たまらず膝に手をつけば、かすかに震えていた。手の甲にぽたぽたと冷たい汗がしたたり落ちる様子を、狂ったようにただ見つめる。

 椋村むくむらが五年も前に亡くなってる?

 いや、まさかそんなはずはない。だって椋村おとといとは一昨日おととい会った。

 久々に会ったが、顔には見覚えだってあった。全員椋村を認識していたし、間違いないはずなのに。

 じゃあ、あれはいったい誰だ?

『やあ、警部補殿』

 軽快な声に鼓膜を叩かれ、膝から手を離した。

『見ない間に太ったかね? それとも新陳代謝が良すぎて汗だくになるのかな?』

「……うるせぇ、健康的って言え。つか覗くな」

 防犯カメラを探して、視線を彷徨わせていると、鼻笑いが聞こえた。

『私は汗をかくのが嫌いでね、スポーツは涼しい部屋で観戦するのが乙と言うものだ。さて、休憩がてら端末を操作してもらいたいんだが、GPSをONにしたまえ。リアルタイムで追跡したい。それとも私が操作してあげようか?』

 片岡のいつもながら場違いで鼻につく楽しげな声に、イラっと来るものの感謝する。おかげで動揺は収まり、震えは完全に止まっている。顎の濡らしていた汗をぬぐい、舌打ち交じりに声を荒げた。

「ざけんな。俺の端末に入ってきやがったら、あとでグーパンチしてやる」

 端末から耳を離し、設定画面を展開する。位置情報設定をタップし、オンにしてから画面を閉じ、端末の上部にGPSが作動したことを示すマークを確認する。ついでに時刻を確認すれば、出発から10分近く立とうとしていた。

「おら、設定したぞ。これでいいか」

 再び走り始めると、端末の向こうが騒がしくなる。ひと際大きな雑音とともに竹輔の声がした。

『状況を教えてください』

「奈須と浪速なにわ公園で合流する。何か伝えることがあるって言ってた。それから、誰かに追われてるみたいだ。奈須が犯人なのか、違うのか……どちらにしろ、犯人と接触する可能性が高い」

 見上げた空はつるべ落とし、暗闇がすぐそこに近づいてきている気配がある。駆ける速度を上げれば、竹輔の緊張した声がした。

『今、片岡さんに周辺の防犯カメラをチェックしてもらいました。奈須さんは東口から公園内に入ったようです』

「ってことは、ちょうど一番近い場所か……」

 50メートル先に青々とした木々と白いトタン製の壁が見えてきた。

 端末の画面を切り替え、通信アプリを起動する。奈須の名前をタップし、電話をかけてみる。電源が切れているか、端末が破壊されていれば繋がるだろう。しかし、電話は一瞬も繋がらなかった。

 白いトタン壁を伝うように走れば、公園の出入り口にたどり着く。黄色いアーチ形の鉄製車止めの前で立ち止まり、額に浮かんだ汗を肩でぬぐう。

 浪速公園は野球グラウンドが設置されているほど中規模の公園で、多くの木々が植えられていて茂みも多い。隠れるにはうってつけの場所でもあった。しかし、捜索になると厄介極まりない。

「今から、公園内の捜索に入る」

 そう伝えれば、竹輔からすぐさま応答があった。

『蕗二さんの姿、確認取れています。公園西口の遊具がある付近と野球グラウンドのある南口では、人の出入りが激しいですが、これと言った不審な動きをする方はいません。また奈須さんの姿も見えません』

「わかった、引き続き見張っててくれ」

『了解』

 通話の切れた端末をズボンの後ろポケットにしまう。気合を入れなおすように大きく息を吐けば、大きな音を立てて茂みが動いた。猫ではない。茂みを睨みつけていると、ガタイの大きな男が怯えた小動物のようにそっと頭を覗かせる。

「奈須!」

 声を上げると、奈須は泣き出す寸前の幼い子供のように大きく顔を歪めた。

「三輪! ああ、来てくれたんかぁ、ほんま良かった!」

 奈須が両手を突き出して駆け寄ってくる。二歩下がって距離を開け、奈須の両手を一瞥いちべつして何も持っていないことを確認し、迷子の子供が母親に抱きつくような熱烈なハグを受け入れる。

「分かった分かった、怖かったな。で? 怪我はないんか」

 抱きついて離れない奈須を引き剥がし、ざっと体を確認する。血の色が見て取れない事に小さく安堵のため息を吐いて……奈須を勢いよく突き飛ばした。

 呆然とこちらを見る奈須に罪悪感を覚える。が、視界の端に迫るものは、もう目の前にあった。

 それが車だと認識した時には、蕗二の体がボンネットの上に乗り上げていた。

 衝突の勢いに負け、体が横に回転する。背中でフロントガラスに細かなひびの入る音を聞いた。体の回転は止まらず、車の屋根まで乗り上げる。蕗二は顎を引いて腕で頭を覆う。車体が途切れ、空中に体が投げ出された。アスファルトに肩から着地し、衝撃を殺すように体を転がし、二回転して反動で立ち上がる。顔を上げた時には、車は急ハンドルを切り、タイヤが滑る耳障りな音とともに車道に戻っていた。

 赤いテールランプを睨む間もなく、聞こえた呻き声にはっと息を飲む。

 まさかと振り返れば倒れた奈須の姿。体を丸め、苦痛に歯を食いしばって、冷汗をかいている。

「奈須! しっかりしろ!」

 意識を飛ばすなと声をかけつつ、首筋に指を当てれば、はっきりと脈を触ることができる。荒く激しいが呼吸もある。だが、左脛から出血していた。突き飛ばしてね上げられるのは回避したが、足をタイヤにかれたのだろう。ズボンの外側から確認できないが、折れた骨が皮膚を突き破ったのかもしれない、赤黒い血がじわりじわりと広がり始めている。

 ベルトの前を開放し、顎を上げて気道確保する。左足の傍らに屈み、慎重に足を上げて膝の上に乗せた。とりあえず最低限の応急処置を済ませ、救助を呼ぼうとポケットを探す。だが端末がどこにもない。アスファルトを見回すと端末が転がっていた。慌てて拾い上げるが、画面は全面に細かいひびが入り、電子盤がところどころ剥き出しになっている。先ほど車に轢かれてしまったらしい。奈須のポケットと言うポケットを探り端末を探すが、IDカード以外なにも持っていなさそうだ。苛立ちのまま、鋭い舌打ちをする。

 最悪だ、奈須の助けは通行人を捕まえるか近くの施設に駆け込めばどうにかなるが、竹輔たちとの連絡手段が途絶えてしまった……いや待て。

 素早く辺りを見回す。公園の入り口、木に紛れるようにポールが立っている。その先端に防犯カメラらしいものが見える。片岡がカメラをハッキングしていると言っていた。竹輔たちにさっきの状況は見えていただろうか。一縷いちるの望みをかけて、まっすぐカメラを見つめ、右目の端を二回叩く。それからある一定の間隔で瞬きを繰り返す。竹輔と昔相棒として組んでいた時代、遊びの延長でモールス信号を教えてもらったのだ。最期に終了の合図として、もう一度右目の端を叩いた。

 そっと上げていた奈須の足を下ろし、頭元に歩み寄って肩を叩く。痛みに閉じられていた瞼が上がり、野球チーム時代の彼を思い出す、強い視線とかち合った。

「絶対死ぬな、俺は犯人を追う。また後で会おうな?」

 奈須の肩を励ますようにもう一度叩いて立ち上がる。騒ぎを聞きつけて、人が集まって来ていた。何人か端末を耳に押し当てているところを見て、一番近くの人に声をかける。

「すみません、彼を頼みます」

 止めようとする周りを振り切って走り出す。遠くで救急車のサイレンの音がする。

 本当は、病院まで奈須と連れ添いたかった。できるなら応援だって頼みたい。

 だが、車にねられた時に一瞬、運転席の人物と目が合ったのだ。

 そして、犯人の顔ははっきりと見た。

 だからこそ、一刻を争う。

 蕗二の眼はまっすぐ前を向いたまま、闇夜に沈む街へと駆け込んだ。









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