File:6 それは私と小鳥たちは言った


 維新大学。


 正門の前に立ち、三人は無言で立ちすくんでいた。

 野村と竹輔が口を開けて固まり、蕗二は引きつった口の端を指で擦り、唸った。

 広い。広すぎる。遊園地の敷地くらいあるぞこれ。

 義務教育である高校生までは、教員が表面だけだとしても生徒との交流関係を把握している。だが、大学は全く異なる。教員や教授に聞いたところで高山に繋がる人物まで辿り着ける気がしない。

 と言うことは、手当たり次第だ。自分で決めたことだが、この中から探さなければならないかと思うと、気が遠くなりそうだ。

「どーするー? やめとくー?」

「い、行くに決まってんだろ!」

 半分自分に言い聞かせるように声を上げ、蕗二は敷地内に足を踏み入れる。門を抜けると、一面芝生の庭に出る。建物と建物の間の距離が遠い。こりゃ学生は移動だけで必死だろうな、と遠い目で眺める。

 眉間の深い皺を摘む蕗二の後ろで、竹輔が通りがかりの女子大生を呼び止めた。

「失礼致します。私、警視庁の坂下と申しますが、高山秀則という生徒をご存知ですか?」

 竹輔の警察手帳を見て、女性たちは目を丸くする。しばらく考えるように首を傾げていたがふと、丸眼鏡の女性が声を上げた。

「あー! 水戸さんの!」

 指を立て、ほらと隣のカチューシャの女性を指差した。瞬間、同じように声を上げて見せた。

「え、あー! そうだ、水戸さんの彼氏ですよね!?」

 竹輔が思わず驚いた顔で蕗二を見る。蕗二は腰元で小さく拳を作ると、竹輔は口元を引き締め頷いた。

些細ささいな事でも構いませんので、ご存知でしたらご協力願いたいのですが」

 途端、女性たちの表情が曇った。

「高山はちょっと……」

 口元に手を当て、視線をさ迷わせる。

 黙ったまま先を促す竹輔に観念したのか、小さな声で呟いた。

「ほら、≪マーク付き≫だし……あと、瞳と二股だったみたい……」

「え、待って、私香織って聞いたけど」

 互いに驚愕の声を上げた。野村は興味なさげに二人を眺め、竹輔は冷や汗をハンカチで拭った。

「えーっと……その御二人以外に交際の噂などは、あったりしますか?」

「ないと思うけど……どう?」

 眼鏡の女性に問われ、カチューシャの女性が首を横に振った。

「ううん、それ以外は知らない」

「その、瞳さんと香織さんは今どちらに?」

「瞳は、鈴木瞳っていって、今たぶん図書室だと思う。居なかったら考古学の研究室ね」

「香織はサークル行くって言ってたから、第三校舎の剣道部いったら会えますよ。あ、香織の苗字は稲瀬いなせです」

「ありがとうございます。ついでに図書室と、第三校舎がどこか教えてもらってもいいですか?」

 眼鏡の女性が答え、頷きながらメモを取る竹輔を横目に、蕗二はカチューシャの女性の前に進み出る。

「最後に一つだけ。他に水戸さんと親しいご友人は、いらっしゃいますか?」

 カチューシャの女性は首を横に振ったが、何か思い出したのか小さく声を上げた。

「だったら市谷さんだと思いますよ? よく一緒に居るし。たぶん学生寮に居ると思います」

「ご協力感謝いたします」

 頭を下げ、聞き込みの終わった竹輔と目配せをし合う。

 女性たちと別れ、先に図書館へと向かう。

 迷うかと思ったが、一番手前の校舎に入ってすぐに図書室は見つかった。

 扉をくぐると、まるで時を止めたかのように静かで、深く呼吸をすれば、古い紙の匂いにどこか懐かしさのようなものを沸き立たせる。

 ゆっくりと視線をめぐらせると、手前に貸し出しカウンターがあり、その前にテーブルが六個、二列に並んでいる。その奥、天井まで届く棚が二列。奥まで広く続いているようだ。人はまばらに居るが、多くはない。目に見える範囲には、目的の女性は居ないようだ。蕗二は竹輔と野村に左右に分かれて探すように指示し、自分は真ん中を進む。

 棚の間を縫うように進むと、ふと一人の女性が目に付いた。

 凛とした立ち姿の女性だった。雰囲気は東に似ているが、ページをめくる指先が繊細な動きを見せる。

「失礼致します、鈴木瞳さんでしょうか」

 音を立てて閉じられた本には、太古の植物と書かれていた。それが棚に丁寧に戻される。鈴木はゆっくりと蕗二と向かい合うと、色の濃い唇が弧を描いてみせた。

「はい、そうですが?」

 蕗二は警察手帳を軽く開いてみせる。

「私、警視庁の三輪と申しますが……」

「もしかして、秀則ひでのりについて?」

 続きそうだった常套句じょうとうくを遮った彼女は首を傾ける。癖のある黒い髪先が肩で揺れた。

「彼、死んだんですってね?」

「ええ。事件性があるので、生前関わりがあった方にお話を伺っております」

「私、やっぱり疑われるのね?」

 静かに溜息をつく鈴木に、「捜査なので」と蕗二がいうと、小さく笑った。

「それなら仕方ないわね」

「ご協力感謝します。早速ですが、五日前はどちらに?」

「最後の授業を受けて、友達と飲みに行ったから……夜中ね。友達に聞いてみて、お店は五反田駅の居酒屋チェーン店よ」

 蕗二はポケットからメモを取り出し、走り書く。

「ねぇ刑事さん。秀則について、何処までご存知?」

 鈴木のどこか色のついた声に顔を上げると、棚に肩を寄りかからせた鈴木が微笑んでいた。

「いえ、まだ何も」

「嘘ね?」

 一瞬眉を寄せ掛け、すぐに顔を取りつくろうが少し遅かったようだ。鈴木は「まあ怖い顔」とくすくすと笑った。

「秀則は何股か、かけてたんでしょ?」

「……ご存知だったんですね」

「ええ。彼≪マーク付き≫独特の、ちょっと危険な雰囲気がぴったりで、火遊びしてそうだから。でも、わざわざ指摘することもないかなって?」

「なぜ?」

 思わず問うと、鈴木は艶やかに微笑んだ。

「私が一番愛されてたから」

 色香をまとった絶対の自信に満ちた笑み。

「男って、結構分かりやすいのよ? 女の勘ね」

 悪戯っぽく笑った鈴木は、ふと目を伏せた。頬に手をそえ、深く息を吐く。

「ほんと、誰に殺されたのかしら……」










 図書室から大きな食堂館を突っ切り、第三校舎の二階に足を踏み入れる。見るからに重そうな扉をスライドすると、大きな掛け声が鼓膜を叩いた。

 道場のような、畳の部屋ではかまに身を包んだ男女が、よく通る掛け声と共に竹刀を振っている。風を切り竹刀同士が激しく打ち合う音が響く。

 蕗二は、扉の横で休憩していた男性に声をかける。

「失礼致します。稲瀬さんはいらっしゃいますか?」

「え、ああ、居ますよ」

 男が声を張り上げて名前を呼ぶと、奥で激しく打ち合いをしていた二人が動きを止めた。右側の人物が駆け寄ってくる。座ったままの男が蕗二たちを指差すと、頭を覆っていた面を取る。

 日に焼けた健康そうな女性が蕗二たちを見上げる。

「こんにちわ」

「こんにちわ、稲瀬香織さんですね。お忙しいところ失礼します、私警視庁の三輪と申しますが、高山秀則についてお話をお伺いしたいのですがよろしいですか?」

 蕗二の言葉に稲瀬は目尻を鋭く吊り上げると面を小脇に抱え、道場から出ていた。慌てて後を追うが、彼女は扉のすぐ脇に立っていた。野村が扉を閉め切ると、稲瀬は口を開く。

「アイツ死んだんでしょ? いい気味よね死んで当然よ」

 蕗二は思わず言葉を失う。殺気をはらんだ眼は本気だ。袴に高く結い上げられた長い髪と、額を覆う手ぬぐいも相俟あいまって、いくさに赴く侍のようだ。

「あたしが殺してやりたかったくらいよ」

「高山とは、仲が良くなかったんですか?」

 竹輔がゆっくりと問うと、握り締められた拳が白んだ。

「アイツ、何人とも付き合ってたの。それを悪びれもせずに、のうのうと!」

 ふと、彼女の顔がくしゃりと歪んだ。ぽろぽろと大粒の涙を零すと面を床に落とし、顔を覆って崩れた。蕗二はすかさず肩を支えると、さらに声を上げ泣いた。

「あたし、アイツに、いっぱいあげちゃった……なのに、なのに酷い! 愛してるって、言ってくれたのに……全部、全部、うそだったなんて!」

 肩を震わせ、泣き続ける彼女の背を擦りながら、蕗二はなるべく優しく声をかける。

「辛いことをお伺いしました……」

 彼女は鼻を啜り上げながら、頭を振る。ぱさぱさと髪が音を立てる。

「もういいの、私が悪いの……≪マーク付き≫だって、知ってたのに、こうなるって、どこかで分かってたのに……」

 呟かれる稲瀬の言葉に、野村がうつむき髪で耳を隠すのが見えた。






 大学の外へと出た三人は、車の行き交う道路を見つめ、誰ともなく溜息をついた。竹輔が額をハンカチで押さえ、蕗二も眉間をみながらうめく。

「高山の奴、だいぶ恨まれてますね」

「そりゃあ……三股もかけりゃ、当然だろうな」

 ほじくったら余罪も出てくるんじゃないかと、疑いたくなるほどだ。

 蕗二が深く溜息をつくと突然、隣で甲高い怒声が上がった。目を剥いて視線を向けると、野村が子供のように地団駄を踏んでいた。

「もおー、超むかつくー!! 高山のやつなんで≪レッドマーク≫じゃないわけ!? 女たらしと一緒の分類にされたくないんだけど! ホントマジあり得ない!」

 取り乱す野村を竹輔がなだめる様子を見ながら、蕗二は腕を組み唸った。

 高山が≪ブルーマーク≫になった理由は、そういう性癖が理由だろう。放っておけば、もしかしたら婦女暴行などの犯罪が起こっていたかもしれない。

 制裁だ。

 頭の奥で、その言葉が浮かんだ。

 犯人は恨んで殺したんじゃない。これは、制裁なんだ。

 なら、やはり水戸乃ノ花が犯人なのだろうか……?











 維新大学の前、二車線道路を挟んだ向かいに建つ学生寮は八階建てのアパートだった。

 外装もセキュリティーも整えられていて、白を基調としたエントランスもとても学生寮とは思えないデザインだ。

 管理人に市谷の部屋を教えてもらい、三階の一番手前の部屋のインターホンを押す。間延びした電子音が鳴る。反応はない。蕗二がもう一度ボタンに指を置いたところで勢いよくドアが開いた。が、途中でドアチェーンが限界を迎え、鈍い音を立ててドアが止まる。ドアの隙間から、明るい茶髪が覗いた。短い髪のせいで一瞬青年と見間違う。露になった両耳の青い光が蕗二たちを威嚇した。

「失礼致します。市谷さんですね」

 前髪から覗く視線が蕗二に突き刺さる。蕗二は胸元から手帳を取り出した。

「警視庁の三輪と、こちらが部下の坂下、野村です」

「もしかして、乃ノ花のことですか?」

 蕗二が頷きで答えると市谷はドアを閉めてしまった。蕗二は咄嗟とっさにドアノブを掴み引くと同時に内側から勢いよくドアが開き、したたかに額を打ち付けた。硬い物同士がぶつかる音鈍い音と、反動で仰け反った蕗二を、慌てて竹輔が支える。

 額を押さえ、涙でかすむ視界で捉えた市谷は驚いた顔で蕗二を見つめていた。

「刑事さん、私がそんな子供みたいなことすると思いましたか?」

 呆れたように溜息をついた市谷は大きくドアを開くと、中へ向けて腕を伸ばした。

「ここだと人目があるので、良かったら中にどうぞ」

 勧められ、玄関に入ると足元に動く気配があり、視線を下げる。

 真っ白な毛に、薄茶色い差し毛が入った鼻の低い犬だ。まん丸の黒い眼で蕗二たちを見ている。

「可愛いな、なんていう犬ですか」

「シーズーです。モモって呼んであげてください」

 桃色の首輪から犬は雌なのだろう。蕗二は屈んで舌を甘く打ちながら犬を呼ぶ。 少し尾を振った犬は近寄ったかと思うと、蕗二を見向きもせず首輪に付いた銀のストラップを揺らしながら、立ったままだった竹輔の足元に擦り寄った。その後ろで野村が小さい悲鳴を上げ慌てて後ずさった。

「わ、ワタシ、犬、ダメ! そそそ外に居るから!」

 脱兎のごとく外に出ると音を立ててドアが閉まった。蕗二は内心焦る。市谷は異性で、さらに≪ブルーマーク≫だ。野村がいないと警戒されるかもしれない。が、ふと思い出す。野村は生きているもの、体温があるものには触れられない。なら強制させるのは酷だろう。

 蕗二は動揺を収めるように深呼吸し、立ち上がって呆気にとられている市谷に頭を下げる。

「部下が失礼致しました」

「いいですよ、気にしません」

 奥へと案内される。開けっ放しのドアを潜り抜けると1LKのシンプルな部屋が広がっていた。あまり物はなく整っていたが、足の高い机の上には女性ファッション雑誌やティッシュの箱、犬の食べ物らしきクッキーの入った袋とボーダー動物病院とかかれた薬袋が無造作に置かれていた。

「ちょっと散らかってるので、少し待っていただけますか。あ、あと……」

 市谷は、胸ほどしかない冷蔵庫の扉を開けると、何かを詰める動作をする。様子をうかがっていると、市谷は手に持っていたものを蕗二に差し出した。

「これ、どうぞ?」

 透明なビニール袋に氷が詰められていた。礼を言い、鈍く痛む額に押し付ける。

 片づけを始めた市谷の背に、思わず胸を撫で下ろす。市谷は蕗二たちを特別警戒しているわけでもなさそうだ。机の上のものをまとめ三段式カラーボックスの一番上に積み上げ、固く絞ったキッチンタオルで大雑把に机の上を拭く様子から、そういう性格なのかもしれない。

「お待たせしました、どうぞ」

 促され、蕗二と竹輔が席に着くと、今度は机を挟んだ正面のキッチンで作業を始める。その足元では先ほどの犬が何か期待をこめた目で市谷を見上げていた。

「モモちゃん、何か病気なんですか?」

 薬袋を指差した竹輔が問うと、市谷が眉尻を下げ、はにかんだ。

「そうなんです。その子垂れ耳なので、外耳炎になっちゃって……。寂しくて実家から連れて来たのはいいんですけどね」

「それは、大変ですね」

「大変ですけど、可愛いんで」

 市谷は器用に三つのコップを持つと、蕗二と竹輔、自分の前に置いた。透明感のある茶色い液体が並々と注がれている。椅子に腰を落ち着かせた市谷は、コップの半分ほどあおると蕗二たちを見据えた。

「乃ノ花は犯人じゃありません」

 唐突な言葉に竹輔が目を剥いた。蕗二はすかさず言葉を紡ぐ。

「市谷さん、貴方は彼女……水戸さんがお付き合いしていた男性について、ご存知なのですか?」

 市谷は首を振って否定した。

「乃ノ花が男性とお付き合いしてる事は知っていますが、関わりがなかったのでまったく。ただ、噂は耳にしていました。あまりいい男性ではないと……」

 市谷がふと力を抜き、目を伏せた。

「乃ノ花はいい子なんです……ほら、≪私みたいな≫奴にも話しかけちゃう子だから」

 短い髪を耳に撫でかける。青い光は恐がるようにすぐに髪に埋もれてしまった。

「刑事さんは、乃ノ花ともう話したんですか?」

「あ、いえ。捜査している班が違うので、私たちは直接話していません」

 市谷が顔を上げた。意思の強い目が、真っ直ぐ蕗二を見つめる。

「会ってあげてください。あの子は人を殺すような子じゃないって、分かると思うんです。お願いします」

 深く頭を下げた、市谷の旋毛つむじを見下ろしながら、蕗二は言葉を忘れた。








 学生寮を出て、近くのパーキングに停めていた白いセダンに乗り込み、蕗二はエンジンボタンを押しこんだ。

 最近知ったのだが、警察用の自動運転システムADS車は犯人を追う際の緊急時に備え、特別に手動運転へと切り替えることができるらしい。特に今、目的場所がないため、蕗二は手動運転に切り替え、車を走らせる。

「結局、収穫っぽい収穫はなかったな」

「そうですね。強いて言うなら、鈴木さんの裏取アリバイくらいですかね?」

「とりあえず、本部に戻って……」

 突然ナビを映していた画面が黒くなり、CALLINGと白い文字が表示された。 全員口を閉ざし、蕗二は車を道の端に緊急停車する。竹輔が画面を指先で叩くと、フロントガラスに映像が投影された。

「お疲れ様です、菊田係ちょ」

 画面が繋がった瞬間、本来の相手じゃないことに気がつき眉をしかめた。

『そんなに驚いてくれるな。私じゃ不満かな?』

 映像の向こうで片岡が口の端を吊り上げ笑うとカメラが引かれ、片岡の後ろに菊田と芳乃がこちらを覗き込んでいるのが見えた。

『お疲れ。首尾はどうだ、蕗二君』

「正直、あまり手ごたえありません」

『そうか。なら今車を出せるな?』

 菊田の低い声に蕗二が顔を引き締め頷くと、菊田は目つきを鋭くした。

『薬物のバイヤーを発見した。片岡君が場所を指示する、至急向かいなさい』







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