File:2 不機嫌インコのさえずり


 蕗二ふきじの声に、驚いた猫のような反応が返ってきた。

 こちらを見る少年は、間違いなく芳乃ほうのれんだった。いつも、と言ってもまだ二回ほどしか顔を合わせていないが、学ラン姿と落ち着き払った顔を見慣れているため、私服姿に垂れ目を限界まで見開いた顔は、彼の大人になりきっていない少年らしさを際立たせた。

 しかし、それは蕗二を認識した途端、見慣れた不機嫌な顔に戻った。

「刑事さんって知らなかったら、通報したくなりそうな人相の悪さですね」

「うるせぇな、つらは生まれつきだ」

「それに、その格好ダサいですよ」

 改めて自分を見下ろす。上下ともスポーツジャージに、使い古したバットケースを背負っている。この格好では刑事と言っても、信じてもらえないだろう。

「彼女に会うわけでもなんでもねぇんだ、休みの日なんてこんなもんだろ」

 蕗二の台詞に、芳乃がまばたいた。

「休み、ですか? 刑事って休みあるんですね」

「一応公務員だからな、事件がなきゃあ土日祝は休みだよ」

 律儀に答えたが、芳乃はすでに興味をなくしているようで返事はおろか、クレーンゲームのボックスに視線を戻している。

 蕗二は頭を掻きむしり、何か文句を言ってやろうかと口を開いたが、それより先に芳乃が口を開く。

鬱陶うっとうしいので、どっか行ってもらっていいですか」

 芳乃の視線は、ボックスの中に向けられたままだ。

 その視線を追うと、透明なガラスの向こうには、枕ほどの大きさのカラフルな動物のぬいぐるみが、乱雑に並んでいた。

 いつの間にか取り出した小銭こぜにを、芳乃は躊躇ためらうことなくボタン横の穴に落とし、ほぼ同時に光った半球のボタンを指で押した。すみで沈黙していたアームがぎこちなく横に動き出す。

 芳乃が光るボタンから指を離すとアームが止まり、不安定に揺れた。

 先ほどまで光っていたボタンの隣、違うボタンが光る。芳乃はそれを押すとアームが奥へと下がっていく。

 と、芳乃の指がボタンから離れた。

 アームが止まると同時に、転がるぬいぐるみの中、一番地味な白黒ぶち柄がらの犬めがけ降りると、頭をつかみ上げた。

 細いアームからぬいぐるみは落ちる気配はない。

 蕗二は感嘆かんたんの声を上げる。

「上手いな。けっこうやりこんでるだろ」

「悪いですか?」

「……なんでそんな可愛くねぇんだ?」

「逆に聞きますけど、なんで刑事さんに愛想あいそう振りまかないといけないんですか?」

「お前、友達いねぇだろ?」

「いますよ、それくらい」

 鈍い音を立ててぬいぐるみが穴に落ちた。

 芳乃は腰を折り、ぬいぐるみを取り出し口から拾い上げると、蕗二の脇を通り過ぎ、壁にかかっていたビニール袋を取って押しこんだ。そのまま蕗二に背を向け、ゲームセンターを出て行く。

 その後ろを、蕗二は何食わぬ顔でついて行く。

 薄暗かったゲームスペースから出ると、晴れた空が眩しい。迷い込んだ洞窟どうくつから抜け出したかのような、安心感に大きく息をつく。

 芳乃は蕗二に構う事なく歩き出している。

 三歩ほど離れ、黒い後頭部を視界に納めたまま、辺りを見回す。


 蕗二は東京が初めてではない。

 刑事である父の関係で小学校の三年間と、警察になりたての頃、所轄しょかつに配属された三年だけ東京に住んでいた。が、小学生の時はほとんど記憶にないし、管轄していた地域周辺以外ほとんど知らない。再び東京で勤める事になったからには、土地勘を把握していた方が有利だ。事件の時に地図を開く時間を短縮でき、初動捜査で素早く行動できる。時々液晶端末の地図を確認し、風景を頭に焼き付けていく。


 駅に近づくにつれ、人のにぎわいも出てきた。

 見たことのある居酒屋チェーン店が目につき始める。だが、風景はあまり代わり映えしない。似たような背の建物が道の両端に行儀ぎょうぎよく立ち並んでいるせいか、壁のように見える。大阪の方がガサガザしてるな。蕗二は慣れた街を思い返す。が、すっかり遠い記憶になりつつあることに気がつく。故郷に戻りたいわけではないが、ふと寂しさが湧き上がった。

「いつまでついてくるんですか」

 平坦へいたんな声。横断歩道で立ち止まった芳乃が、肩越しに蕗二をにらみつけてくる。

「さあ? 俺の勝手だろ」

にわとりの刷り込みじゃあるまいし」

「誰がニワトリだ!」

「ニワトリじゃないなら、ついて来ないでください」

 信号が青に変わり、芳乃は歩き出した。蕗二は一瞬引き返そうか悩んだが、芳乃が向かっているのは、元々蕗二が向かう予定だった駅の方角だ。

 仕方なく、十歩ほど距離をとって歩き出す。

 しばらくして、目的だった代々木よよぎ駅と書かれた建物が目に入る。当然だが、芳乃はそこを通り過ぎた。蕗二は駅の看板の下で立ち止まり、小さくなっていく後ろ姿を見つめる。蕗二は芳乃の住所を思い出す。記憶が間違っていなければ芳乃の向かう先は自宅だろう。

 芳乃は蕗二がこれまで一度も遭遇したことがないタイプだ。

 一見すれば大人しそうで没個性的だが、口を開けば生意気で、年相応の学生と同じくゲームをしたりする。そんな彼が冷たい眼で鋭く犯人を追い詰める姿を、一体誰が想像できるだろうか。本当に同一人物かと疑いたくなるほどだ。ゆえに得体が知れない。その性格と行動が噛み合っていない不安定さに、なぜか好奇心が湧いてしまう。

 足はすでに動き出していた。看板を通り越して、人波にのまれては浮かぶ芳乃の黒い後頭部を追いかけた。

 尾行は捜査において基本中の基本だ。が、実は向き不向きがあり、蕗二は尾行には向いていない。なぜなら背が高すぎて、頭一つ飛び出してしまうからだ。そのせいか、ちらりと振り返った芳乃は、すぐに蕗二を見つけたらしい。不快そうに眉を寄せると、歩く速度が速めた。だが、足の長さを埋められず、蕗二を引き剥がすまでには至らない。

 芳乃は不意に立ち止まると、蕗二に向き直った。

「なんなんですか! ついて来ないでください」

 珍しく声を荒げる芳乃に、蕗二はまばたく。撫でていた猫に突然威嚇いかくされたような気分だ。

「……なんでそんな機嫌悪いんだ?」

「疲れてるんです、ほっといてもらえませんか」

「なんだよ、学生が疲れることあんのか?」

「そうでしたね。刑事さんみたいな、体力だけがとりえの脳みそ筋肉の人に言っても分からないでしょうね。すいませんでした」

「んだとクソガキ!」

「違うんですか?」

「よーし、つら貸せ。一発ぶん殴ってやる」

 拳を握り構える蕗二に、芳乃は会って何度目かになる大げさな溜息をついてみせた。

 諦めたのか、気だるげに上着のポケットに手を突っ込むと、脇を通り過ぎていく車に視線を投げ、独り言のように小さく口を動かした。

「≪矯正きょうせいプログラム≫に行ってきたんですよ」

 聞き逃しそうな呟きに、蕗二は息を飲んだ。

 芳乃の耳元、髪の間から控えめに青く光ってみせる、サージカルステンレス製のフープピアス。


 犯罪者予備軍である証、通称≪ブルーマーク≫。


 それが付くと、犯罪者予備軍を犯罪者にしない為の≪矯正プログラム≫に参加する義務が発生する。

 ≪矯正プログラム≫は指定日に近くの警察署で受けなければならない。このプログラムを受け、犯罪を起こすことなく、さらにテストで15年間判定に引っかからなければ≪ブルーマーク≫は外される事になっている。ただ、受講時間は3時間と自動車免許の違反運転者講習より長いとの噂だ。

 これを拒否した場合は罰金をせられるか、最悪禁固きんこになる。

 じゃあ≪ブルーマーク≫を勝手に外せば良い、って訳でもない。

 もし、自力で外せばピアスに埋め込まれた生体チップが即座に作動し、身柄が確保される。そして、≪レッドマーク≫になる。≪レッドマーク≫は≪ブルーマーク≫と違い、制約がさらに厳しいうえ、完全監視対象だ。

 さらに、もし犯罪に手を染めず、一般人と同じように穏やかに過ごしていても、≪レッドマーク≫が外されることは絶対にない。

 一生レッテルは貼り付けられるのだ。

 だから、誰も≪ブルーマーク≫を外さない。まったく良くできた制度だ。


 青い光を見つめていると、胸の奥底で疑問が浮かんできた。湧いたというよりも、仕舞っていた物を引き出した感覚。気がつけば、ぽつりと口の端から零れ落ちていた。

「なあ、お前って、ずっと心が視えるのか?」

 芳乃ほうのはゆっくりと黒い眼だけを動かす。さっきまで浮かべていた疲れた表情さえも浮かんでいない、無機質な表情でこちらを見る。

「もう、知ってるんじゃないんですか?」

「いや、流石にそこまでは……」

 菊田に喫煙ルームで手渡されたUSBメモリーには目を通した。中身は住所どころか、家族構成や≪ブルーマーク≫の判定結果まで事細かに記されていた。菊田の口ぶりから、ごく一部の人間しか知らないようなものも書かれているのだろう。

 【班長】としても読むべきだろう。だが、どうしても気が進まず、連絡先と住所だけを端末に登録して引き出しの奥にしまっている。秘密を覗き見するような罪悪感だろうか。だから、蕗二は直接本人たちから聞きたいと思ったのだ。

 蕗二の言葉に芳乃は胸の前で腕を組んだ。

「話したくない、って言ったらどうするんですか?」

「言うまでついて行く」

 芳乃の表情が不快感で歪んだ。覇気はきのない垂れた目尻が感情を持って吊り上がるのを見て、なんだか安心する。あおるつもりで蕗二はわざと口の端を持ち上げてみせる。

「教えてくれたら帰ってやるよ。どうする?」

 無言の睨み合いが続いたが、芳乃はふいにきびすを返した。

 ついて来い、と言う事か。そう思ったが、数メートル歩いたところで建物に吸い込まれた。驚いて駆けよれば、コンビニエンスストアだった。特徴的な音楽とともに店内へ足を踏み入れると、芳乃は店の奥にいた。隣に並べば、目の前の棚にはパンが並んでいる。芳乃は棚の隅々まで視線を走らせたあと、たっぷりの白い砂糖を纏った狐色の丸い菓子パンを手に取った。

おごってくれたら考えます」

 あんドーナツと書かれたそれを押しつけられた蕗二は、手の中でもてあそぶ。

 思い出したかのように蕗二の腹の虫が鳴いた。それに従い、パンコーナーと向かい合った棚に腕を伸ばす。デミグラスソースがたっぷりとかかったハンバーグ弁当に梅とおかかと昆布のおにぎりを片手に収め、さらに緑茶のペットボトルを掴む。

「飲み物は? いらねぇの?」

 振り返ると、芳乃は悪戯が失敗した子供のように立ち尽くしていた。

 もう一度同じ質問をすると、芳乃は口をもぐりと動かし、カフェオレのペットボトルを指差した。蕗二はそれも手に取ると、銀色のマネーカードでまとめて会計を済まし、コンビニに併設されたイートインスペースに向かう。

 ちょっとしたカフェのような窓際にカウンター席と、2人掛けの正方形の机と丸椅子が設置されているのだが、あまりにこじんまりとしすぎているせいか誰もいなかった。

 カウンター席に腰を落ち着かせた蕗二は、さっそく昆布のおにぎりからフィルムを剥がして噛りつく。大人しく隣に座った芳乃は、見るからに甘そうなあんドーナツを味わうように咀嚼そしゃくし始めた。あまりにもゆっくりで、蕗二がおにぎりを一つ食べ終えても、三分の一しか減っていない。しばらくかかりそうな食事から視線をはずし、おかかのおにぎりも頬張りながらガラス越しの外を眺める。休日でも忙しく動く人々を観察しつつ、ペットボトルの蓋を開け、唇に当てたところでおにぎりが口の中に押し込んだままだったことに気がつく。

 なんとなく息苦しいとは思っていたが、まさか通行人の観察に夢中になって忘れるとは。刑事の職業病だろう。いや違う、ただの寝不足だ。

 眉間をつまみ、深く刻まれてしまっている皺を伸ばすように、指先で広げる。

「疲れてるんですか?」

 芳乃の声に視線を向けると、ひらりと手を振られる。

「今はてません。普通に聞いただけです」

 やっと半分に減ったあんドーナツに噛りついた芳乃から放たれた単語に意識が向く。

 口の中に残るおにぎりを慌てて喉奥に流し込む。

「視てない? ずっと視えてるわけじゃないのか?」

「いえ、ずっと視えてます」

「はあ? どういう事だよ」

「人によって、視え方が違うってことです」

 芳乃が体ごとこちらを向いた。

 そこで気がつく、芳乃は目が合っているようでこちらを見ていない。焦点しょうてんをわずかにそらし、直視ちょくしを避けているのだ。

「こうして視線をそらしていれば、視ない人もいます。逆にいくら目をらしても、鬱陶うっとうしいくらい視える人もいます」

 蕗二は芳乃に向かい合うように座り直す。

「なあ、一回聞いてみたかったんだけど、どんな感じに視えるんだ?」

 読むと言えば、空気を読むなんて言葉があるが、あんな曖昧あいまいではない。芳乃はまるで犯行を見たような的確さで語っている。

「あえて言うなら……そうですね、動画に近いかもしれません。人によっては音声があったりなかったり、カラフルだったりモノクロだったり、途切れ途切れや流しっぱなしの人もいます。刑事さんはうるさいし、だだ漏れですけど」

 嫌味っぽく言葉尻を強めた芳乃に、蕗二はこめかみを押さえる。

「心がうるさいって言われても、どうすりゃいい?」

「あなたは考えると余計うるさいです」

「分かった、じゃあ次な。ほらあれ、息止めるあれは? なんでやるんだ?」

 鼻をつまんで見せれば、芳乃は真似するように鼻を触る。

「頭がえるって言うんですか、よりはっきりと視えるんです」

 言葉を探すようにあんドーナツをかじり、ゆっくりと噛み締めていた芳乃が、ふと手元に視線を落とした。

「本当は、ぼくもよくわからない……」

 語尾が空気に混じってかすれる。小さく揺れる視線はまるで迷子の子供のようだ。しかし、瞬き一つで掻き消えてしまった。

「まあ、だいたい皆さん、だだれで分かりやすくて面白いですよ」

 どこか他人事のように、あっけらかんと口だけで笑った芳乃は残りのあんドーナツを口に放り込み、やはりゆっくりと咀嚼そしゃくする。


 人の心を視る。今更だが、かなりすごい能力だ。

 刑事をやっているおかげで、ある程度なら嘘を見抜くことはできるが、芳乃のように完全に読むことはできない。

 もし自分に心を読む力があったら、どうなんだろうか……。


 ふと、引っ張られるように芳乃と目が合った。

 底なしの穴のように真っ黒な眼がこちらを見ている。感情と呼べるもの全てが抜け落ち、表情すら浮かんでいない芳乃に、蕗二は一瞬にして得体の知れない生物を見ているような気分にさせられる。


 心をている。のぞかれている。

 

知ってしまうと、否応なしに恐怖を感じる。動揺してはいけないと思えば思うほど、深みにまっていく気がした。

 突然、芳乃が動く。

 蕗二も反射的に身体が動いていた。

 自動ドアに飛び込む勢いで外へと駆け出した背へと腕を伸ばし、後ろえりを掴み止めた。蕗二を振り払おうと上げられた腕をひねり上げ、背中にまとめて固定する。

「痛い! 痛いって離せよ!」

 犯人でもない一般人にはやりすぎだが、ゆるめるわけにはいかない。

 暴れる芳乃の腕を強めに捻ると、り小さくうめき、やっと動きが止まった。

「びびったのは悪かった、けど聞け。このさいだから言っとくけど、お前のそれ、本当にすごいからな。使い方によっちゃあ」

「あなたが思っているほど、この眼は便利なんかじゃない!」

 声を張り上げた芳乃の肩から突然力が抜ける。うなだれ、晒された襟足えりあしに思わずつかんでいた腕をゆるめた。だが、芳乃はうつむいたまま動かない。

「読めなきゃどれだけ……」

 低く呟かれた小さな声は、確かに震えていた。

「おい、それって」

 蕗二の声は、突如とつじょ上がった男の悲鳴にき消された。



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