第二節 インチキ占い

 往来の隅に「張氏占卜」の幟を掲げ、薄汚い髯をしごきながら大声を張り上げる者が一人。

「さあさあ、占いはどうだ? 手相に顔相、明日の天気から死に場所まで、このちょう看星かんせいが何でも占ってやるぞ。おっとそこな娘! ちょっと待て」

 老人は今しがた目の前を横切った女を筮竹ぜいちくで差しながら呼び止める。女が訝し気に頸を傾げるのへ、何を言うでもなく勝手に占いを始めた。筮竹の束から一本を筮筒に残し、残りの四十九本を天地の二策に分け、さらに地策から人策を選び取る。その結果をしかつめらしい表情で見つめるや、くわっと目を見開いた。

「見えた! 貴様の今日の肌着は薄桃色じゃ! 見事的中かどうか、さあその裙を捲って見せてみよ!」

「くたばれこのくそジジイ!」

 地面に飛び伏せて裙の中を覗こうとした張看星の顔面を、女は容赦なく爪先で蹴飛ばした。ぶげーっ、と鼻血を噴いてぶっ飛ぶ張看星。女はぷりぷりと怒りも顕わに立ち去り、珍事を目撃した往来の人々は皆指さして無様な張看星を笑ったのだった。

「へっ、へっ! 何をじろじろ見ておるんじゃ。わしは見せ者ではないぞ。まったく、財布をどこぞへ落っことさなければわしもこんな目に遭わずに済んだものを」

 ずるずると這いずって元の幟の側、椅子に腰かけ筮竹をかき集める。その間ずっとぶつぶつ呟きっぱなしだ。

「あ、あのぉー」

「なんじゃあ、わしは今酒盛りで忙しいんじゃ!」

 椅子の下の行李からひさごを取り出し、栓を開けて中身を喉へ流し込む。ごくごく、ぷっはぁ~。

「あの、占ってほしくて」

「おうおう、占いなんぞどこでもやっておろうが。何もわしのところへ来なくともよかろうが」

「でも幟が」

「幟ぃぃぃ? わしがおのぼりさんだとでも言いたいのかあぁん?」

「そ、そうじゃなくって、おじいちゃんは占い師さんなんでしょう?」

「そんな一文にもならぬ下らぬ生業など、ついさっき辞めてしもうたわ」

「えぇ、そんなぁ……」

 声は急速にしぼんでいく。張看星はちらりと視線を向けてどんな相手か見てみようとしたが、しかし横目の先には行き交う人々ばかりで誰も立っていない。はてそれではこの声はどこから聞こえてくるのかと思ってみれば、視線を少し下げた先、筮竹を並べた台からひょっこりと除く丫頭あとうが見えた。

「うぅ~ん?」

 どん、と両手を台に突き、びくっと仰け反ったその姿を台越しに見下ろす。次いで、ほほぅこれはと自然に声が漏れた。

 まずぱっちりとした目と視線が合った。黒々とした瞳に長い睫毛。白い肌は産毛がきらきらと陽光を受けて輝き、柔らかそうなふっくらとした頬が愛くるしい。まだ五、六歳程度と見えたが、桃色の唇が早くも色気を含んでいる。将来の美貌がすでに片鱗を表した愛らしい女の子がそこにいた。

「ほほーっ! これはこれは、お前はずいぶんと良い顔相をしておるではないか。いずれは皇后に並ぶ地位を得るじゃろうな! どれ、ちょっと手相を――」

 さっと手を伸ばして手を掴もうとする。突然のことに女の子はびくっと体を縮ませて半歩退いた。が、それで張看星の手から逃れられるはずもない。はっしと手首を掴まれた。少女の整った顔が瞬時に歪み、恐怖の色を浮かべる。張看星はそれに構わず掴んだ腕を引っ張ろうとした。

「おい、やめろっ!」

 そこへ横から割り入って、ぱしっと張看星の腕を打ち据えた者がいた。別段痛くもなんともなかったのだが、張看星は思わぬ横やりにぱっと手を放して引っ込めた。

「おうおう、なんじゃこの李――じゃなかった張看星の占いを邪魔する奴は」

 視線を転じれば、身なりの良い少年――と言っても、少女と一つ二つしか変わらない程度には幼い――が、目つきも鋭く張看星を睨みつけている。

小環しょうかんに気安く触るんじゃない。悪い大人から守ってやれって言われているんだ。お前、いきなり小環を捕まえて何をするつもりだった? きっと悪い奴なんだろう!」

 伸ばした指先を張看星の眉間に突きつける。その手首でチャラと音が鳴る。よくよく見れば少年の服は見るからに質が良く、刺繍も精緻なら身に着けた装飾品も煌びやかだ。今しがた鳴ったのも金鎖の飾りだ。値打ち物と一目でわかる。

「おおーっと! 今度はなんと覇者の風格ではないか! その傲慢ぶり、尊大な風格! 貴様は将来長くこの国の実権を握るであろうな!」

 ところが張看星は少年の詰問など気にも留めずに呵々大笑するばかり。少年は初めきょとんとしていたが、ややあってから侮られているのではと思い始めた。

「やいやい、このインチキ占い師め。適当なことを言わないで、小環の頼みを聞いてやれよ。どうせ何にもわからないんだろう」

 子供のくせに、なかなかどうして態度は大きい。自分よりも幾周りも年上の相手にこの居丈高さ、将来大物になるのもあながち間違いではなさそうだ。

「小僧めが、わしをインチキ呼ばわりするか。よぅし、それでは占ってやろうではないか。何を占ってほしいのじゃ?」

 すると少年はしたり顔で鼻を鳴らす。

「そら見ろ。占い師なら小環が何を占ってほしいのか、そこから当ててみればいい」

 底意地悪い子供だが、言っていることの筋は通っている。張看星はむっと呻いて黙り込んでしまった。眉間にしわを寄せ、妖怪の如き奇怪な表情で少女を覗き込む。なにやらその表情から汲み取ろうとしたようだが、あまりにも恐ろしげな様子に少女は小さく息を呑んでまた一歩後退するばかり。少年は張看星が考えあぐねているのへ得意げに鼻を鳴らした。

「やっぱりインチキなんじゃないか。小環、ほら行こう」

「え、でも……」

 手を引かれながらも少女が躊躇したその瞬間、張看星はさっと筮竹を手に取り、またたく間に天地人へと振り分けた。指折り数えて黙考すること数秒、くわっと目を見開き西を指す。

「お主の求めるものはあちらにあるぞ! さあ急げ、またどこへとも消えてしまう前にな!」

「ありがとう、おじいさん!」

 ぱっと喜色満面となった少女は実に花開くの形容が相応しい。少年の手を振り払い、嵌めていた玉の指輪を一つ台に置くと、一目散に張看星の示した方角へと走り去る。驚いたのは取り残された少年だ。キッと張看星を睨みつけた。

「インチキ野郎! 適当なことを言いやがって!」

 失せ物にしろ良縁にしろ、結局は場所だ。何を占えば良いかわからないなら、適当に方角を示せば良い。少年は幼いながらもそんな張看星のペテンを即座に見抜いたのだ。張看星はへへんと少年を見下す視線を投げつつ、これみよがしに少女の置いていった指輪を取って懐へ入れた。

「何を信じるも信じないも、あの女子おなごが決めたのじゃ。お前がつべこべいうことではないわい。それより追わんで良いのか?」

「くたばれくそジジイ!」

 唾を飛ばして罵り、少年は踵を返して少女の後を追った。張看星はニヤニヤとしながらその後ろ姿を見送っていた。

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