第九節 玄鉄器の行方
江湖三侠が活躍した時代はすでに二十年前のことだ。しかしながら未だにその名声は伝説と化して広まっている。彼らは引退を宣言するまで皆が認める江湖最強の座に君臨していた。
「いかに過去のこととは言え、最強と謳われた奴らから武器を盗むなんぞできるものか。そもそもあいつらが江湖に名を馳せるほどになったのは玄鉄器あってこそなんだからな。それこそ玄鉄器に対抗できる代物がなければ不可能であろうよ」
飛鼠の言葉には苦々しさが滲み出ている。過去に江湖三侠と何らかのいざこざがあったに違いない。
「加えて白衣聖人は引退して以降、どこへ行ったか消息不明だ。紫衫天人はどうやらもう手放したと言うし、紅袍賢人は息子がどこぞへ持ち出したと言いやがる。どいつもこいつも、天下の宝を蔑ろにしやがって」
「紅袍賢人の息子? それは李白のことか」
思わず口にした壬克秀へ、飛鼠はもちろんのこと、宗主と侍女も驚いたように視線を向けた。
「壬鏢頭、その者をご存じなのですか。紅袍賢人の息子は、その名を李白と申すのですか」
「一度だけ会ったことがあります。実にふざけた野郎でしたが……そういえば、黒身の剣を持っていたぞ。そうかあれが!」
壬克秀は思い出す。李家で張飛鉾を振るう袁夫人を退けようとしたとき、李白の振るった黒剣は白龍杖でも折れなかった張飛鉾を一刀両断にしていた。あれこそ宝剣と呼ばずしてなんであろうか。
瞬間、壬克秀の脳裡に閃くものがあった。
「宗主様、我ら壬龍鏢局を麾下に加えていただきたい。この私めが李白から玄鉄の剣を奪い取って参りましょう」
壬龍鏢局としてはこのところ力をつけてきている彼らと手を結んでおきたい。そして壬克秀には李白に対し個人的恨みもある。奴を見つけ出し剣を奪い取れば、李白への意趣返しと同時に宗主への献上品が手に入る。まさに一石二鳥ではないか。
壬克秀は李白と面識がある。ゆえに宗主は間違いなくこの提案を呑むと踏んでいた。人探しをするにはその容貌を知る必要がある。その優位性が自分にはある――そう信じていた。
だが予想外にそれを遮ったのはあの侍女だった。
「あの李白が玄鉄器を所持しているなど、そんなはずはありません。あんな鳥の糞みたいな頭脳しかない
「確かにそんな雰囲気の人ではあったね。しかし確かにあの人は剣を一振り提げていたよ。あれがもしかするとそうだったのかもね」
(この二人、李白を知っているのか!?)
壬克秀はギクリとしたが表情は変えない。ここで動揺を見せるわけにはいかない。何とかうまく取り入らなければせっかくの機会が台無しだ。
「そちらの娘御と宗主様の仰る李白が、私の知る紅袍賢人の子息たる李白と同一人物とは限りますまい。やはり私が参りましょう」
「まあ、口達者ですこと」
侍女が唇の端を下げて非難する。侍女ごときになんと言われようと構うものか。こちらは先代総鏢頭を李家によって無理やり引退させられ窮地に陥っている。強力な後ろ盾を得なければ危ういのだ。なりふり構っていられない。
宗主はふむと数秒考えこんだが、すぐにうんと頷き顔を上げる。
「よろしい。壬鏢頭、あなたの申し出を受けましょう。あなた方を我ら
気が急いてすでに膝を折りかけた壬克秀、宗主の言葉が続くので中腰の姿勢のまま止まる羽目になる。
「目付け役として、この
宗主がその名を呼びながら示したのはなんとあの生意気な侍女だ。この女を連れて行き、しかもその命には従えと来た。壬克秀としては小娘に見張られ口出しをされるなど面白くないことだ。おまけに当の阿遥ときたら明らかに嫌悪感を露わにしてこちらを蔑み見ているではないか。咄嗟に「断る」と返しそうになるのを何とか呑み込み、膝を突いて頭を垂れる。
「謹んでお受けいたす!」
さて話がまとまりひと段落といったところで、何やら慌ただしく駆ける足音が近づいてきた。一同が扉に視線を向けると、バンと勢いよく扉を押し開け武装した男たちが数人駆け込んできた。あまりに急いだので息を切らし、すぐには言葉が出てこない。
「何事ですか。宗主様の御前ですよ!」
阿遥が一括してようやく男たちは膝を突いて拝礼する。先頭の男がようやく息を整えて叫ぶように言った。
「申し上げます! 石牢が破られ奴隷たちが集団で脱走したばかりか、武器を執って暴れております。目下採掘場は大混乱に陥っており、我々だけではもはや収拾が付けられませぬ。「
なんだと、と声を荒げたのは飛鼠。壬克秀には何の事やらわからない。しかし宗主と阿遥は大して驚いた様子もなく、片や「へぇ」と感嘆の声を漏らし、片や頭を押さえて
「どうする? ご指名だそうだが」
「否やがあろうはずもありません。愚図どもめ、何のための見張り役なのよ……」
阿遥は男たちを引き連れ先導するように歩き出す。壬克秀は密かに驚いた。ただ高慢なだけの侍女かと思いきや、彼女こそが「権謀術策」の呼び名で知られる舵主の一人だったのだ。「これは面白そうだな」などと軽口を叩き、飛鼠も後に続く。宗主はちらりと壬克秀へ視線を向けた。
「では私が壬殿をお送りしましょう。さあ、こちらへ」
その視線が一瞬、ちらりと壬克秀の肩越しに奥へと向けられる。陽光に照らされた池の向こう側、岩の間隙へ。ちらりと何かが動いたのをしかし宗主は気に留めることもなく、そのまま壬克秀を引き連れ謁見の間を去ったのだった。
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