第五節 石ころより軽い

 生活は一変した。

 石壁に囲まれた世界。昼も夜もわからない。少年少女たちは三つの組に分けられ、交代で坑道での作業に従事させられた。作業中は足枷で繋がれ自由には動けない。命じられるのは石壁を掘り進め、削り出した岩石を運ぶこと。一体何を求めての採掘作業なのかは一切伝えられない。比較的長く働かされているという者でもそれは知らなかった。

「もっと年上の人はいないの?」

 石牢で休息しつつ、羅珠は周囲を見渡して問うた。下は五歳程度の子供までいたが、上はせいぜい十五歳程度の者しかいない。

 問われた少年は肩を竦めて頭を振った。

「体が大きくなって背も伸びると、皆どこかへ連れて行かれるんだ。誰も戻ってこないからどこへ行くのかもわからない」

 羅珠はぞっと背筋を凍らせ、思わず口にしそうになった言葉を飲み込んだ。それはきっと、ここにいる誰もが心に思い浮かべながらも胸の内に秘めていることに違いあるまい。言葉にすればそれが実現してしまう、そのような漠然とした不安を抱えているのだ。遊郭に売られるなり、別の場所で奴隷にされるなり、あるいは口減らしに殺されるなり、いずれに転んでもそこに救いはない。考えれば考えるほど心を蝕むだけだ。

 あるとき、三人が脱走を試みた。監視役の目を盗んで枷を壊し、坑道の先へと逃げ込んだ。しかし一日も経たずに彼らは戻ってきた。三人とも腕と脚の筋を断たれ、歩くことすらできない。牢の正面に放置され三日を泣き叫び続け、傷口からの出血でやがて衰弱死した。羅珠らはその最期の瞬間を見せつけられたのだ。それは見せしめだった。監視どもが何も言わずとも、脱走を企てれば誰もがそうなるのだと皆が理解した。

 そもそもこの坑道はどれほどの深さなのだろう。そもそもここはどこなのだろう。自らの居場所もわからないままでは逃げる算段など立てられない。

(私はいつまでこんなことを続けるのだろう)

 手の平に血豆を作りながら採掘作業に従事する。それが潰れて血を流すたび、いつか必ずここを逃げ出そうと心に決めるのだが、そのいつかはいつまで経ってもやってくる様子がない。知らず知らず、羅珠はただ生き延びることだけを考えるようになった。未来など考えるだけ無駄だ。時の流れとも切り離された空間で、羅珠はただひたすらに同じ日々を繰り返した。

 転機は突如として訪れた。岩壁を削っていると、突如轟音が響き渡り、坑道の奥から悲鳴とも怒声ともつかぬ声が響いた。羅珠たちはもちろん、近くにいた誰もが手を止めてそちらへ視線を送った。枷で繋がれたままでは動けない。監視役たちが走っていくのと入れ違いに奥の方から伝言が波のように伝わってきた。

「天井が落盤して、十数人が生き埋めになった」

 羅珠たちは暫くしてから石牢へと送り返された。まだ一回の作業時間を満たしてはいなかったが、あのような事故が起こっては無理もない。年上の男児たちだけがまた連れ出されて行き、随分長いこと帰ってこなかった。きっと事故現場の後処理をさせられていたのだろう。戻ってきた彼らは土と砂埃にまみれていた。

「五人が死んで、七人が怪我をした」

 羅珠の隣に腰を降ろすなり、章逸しょういつは訊いてもいないのに開口一番そう言った。羅珠は聞こえなかった振りをした。彼は羅珠と同じ石牢の住人だったが、何かと羅珠に話しかけてくるのだ。羅珠としても話し相手がいるのは孤独を感じずに済むためありがたいのだが、彼はどうにも相手の機微を察することを知らないようだった。

「監視役たちが騒いでいたよ。俺たちの何人かが死んだことより、落ちてきた石ころに喜んでいた。俺たちはその石を拾い集めて運ばされたんだ。生き埋めになった奴らの掘り出しはその後さ」

「石?」

 羅珠たちは目的も知らされないまま穴を掘らされ続けてきた。監視役たちが喜色を浮かべたというなら、その石とやらが採掘作業の目的なのだろうか。

 章逸は羅珠が応えてくれたのに気を良くしたのか、にやっと口元を綻ばせる。

「何かの鉱石だろうな、あれは。でも鉄でも鉛でもないみたいだった。その証拠に、ほら」

 章逸は他の誰にも見えないように体で隠しながら、服の内側から何かを取り出して見せた。それは小さな黒石だった。章逸は命じられて拾い集めたうちの一つをこっそり持ち出したのだ。見つかればただでは済まないだろう。羅珠もはっとして周囲を見渡す。幸い、少年少女たちも監視役たちもこちらに気を留めている者は一人もいない。

「やめてよ、私まで巻き込むつもり?」

「巻き込まれたいか巻き込まれたくないか、それはこれを見てから決めなよ」

 少年は手の内に石を隠し持つと、ゆっくりと足首の枷に擦り付けた。ギギギ、と鈍い音。羅珠は気が気ではない。こいつ、監視役に見つかるのが怖くないのか? それとも頭が悪いのか?

 しかし章逸が手を退けて枷を見せると仰天した。枷には深々と溝ができていた。先ほどはこんなものはなかった。鉄の枷だ、簡単には傷つかない。それなのに章逸が手にした石は簡単にこれほど深い溝を刻みつけてしまったのか。

「これはただの鉱石じゃない。金石を断つ利刀、その原料になるようなとても稀少な石なんだ。奴らが岩の中から掘り出そうとしていたのは、これなんだ」

 羅珠は愕然とした。この穴倉で暮らした日々、辛い日常はこんなチンケな石ころのために費やされていたのか。自分たちの命はこんな石ころにも劣るのか。――この世には知らずにいた方が幸福になれる事実がある。それを羅珠は身に染みて知った。

「こんなもののために、私たちは……ッ!」

 羅珠の表情が歪むのへ、章逸はその心を知ってか知らずか、脈絡もなく予想外のことを口にした。

「今夜僕と一緒に、ここを抜け出そう」

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