第八節 強盗の正体
ふと気が付けば、地面に寝転がっていた。薄雲がかかった夜空が目の前に広がり、ちかちかと星が瞬いている。
べろっ、と生暖かいものが触れる。視線を横に向ければ、栗毛の馬がこちらを見下ろしている。それでようやく辛悟は思い出した。
(そうか、東巌子から逃げて、そのまま俺は馬上で眠ってしまったのか)
連日東巌子に追い回され、精神の方は既に参っていた。そこへ今度は強盗の疑いをかけられわけも分からぬまま斬られかけた。心身ともに疲れ果てた辛悟はそのまま馬上で気絶するかのように眠ってしまったのだ。
馬の顎を撫でながら身を起こす。すぐ近くに李白も大の字になって寝転がっているのを見つけた。おい起きろ、と適当に脇腹へ蹴りを入れてやると呻きながらも起き上った。
「わ、わしは誰じゃ?」
「姓を無能、名を害悪と言う」
「誰もお主の事は聞いておらん」
「寝かすぞこの野郎」
ちょうど膝の高さまで持ち上がっていた李白の頭を蹴り飛ばす辛悟。吹っ飛んだ李白はそのまま後ろ方向にゴロゴロと転がり、やがてゴツンと後頭部を打ち付けた。痛てて、とさほど効いていない様子で李白が背後を見やると、そこに在ったのは高い塀と門扉であった。扁額は朽ち果て、門扉は傷んで一部が欠け、塀も薄汚れて蔦が這っている。打ち捨てられて久しい家屋であることは一目でわかる。が、その中からは人の話し声が聞こえ、門扉の間からは光も漏れていた。
「おっ! なんとこの馬、わしらを東巌子めから引き離したばかりか、今夜の宿まで探してくれたのか。賢い馬ではないか、後で酒をくれてやろう」
馬に酒を飲ませるな、と言い差した辛悟をそのままに、李白は諸手を掲げるやバァンと門扉に打ち付けた。すると元々弱っていた門扉は簡単に蝶番が圧し折れ、そのままドォンと倒れてしまった。もうもうと巻き上がる土煙。
「な、何者だっ!」
土煙の向こうから、
「なぁに、怪しいものではない。ちょぉぉっと面倒な目に遭って、今宵の宿を探しておる憐れな放浪人じゃ。見ればお主らもこの場に一宿借りておるのじゃろう? わしも仲間に入れてはくれんかね?」
辛悟が馬の手綱を曳いて門をくぐると、土煙も風に吹かれて晴れて行く。そこへ新たに数人が駆けてきて、李白とその腕に捕らわれた仲間を見つけてあっと声を上げた。
「お前は朝方の!」
その一言でようやく辛悟も思い出した。彼らの顔をどこかで見たと思っていたが、例の宿場町で李白とひと悶着やった壬龍鏢局の者たちだ。
「貴様、まだ懲りずに俺たちへ喧嘩を売るのか!」
駆けつけたのは三人、その各々が腰に刷いた剣を抜く。
「おいおい辛悟、友達は選べとあれほど言うたろうが。いきなり剣を突きつけるとはなんたることじゃ」
「どちらかと言えばお前の知り合いだよな?」
「おーっと! 美味そうな酒ではないか!」
まったく人の話を聞いていない李白は、腕に捕らえていた二人を放り出すや地を蹴り、剣を構えた三人の頭上をひらりと飛び越えて駆けて行く。一瞬の出来事に呆気に取られた三人は、一瞬遅れてから「待て」と叫びながら後を追う。
この屋敷は
「ほれ、酒を酌み交わせばみな友じゃ。呑めや呑め!」
振り向き、一歩を踏み出し、左右の剣を振り下ろされた腕ごと肩で受ける。その衝撃で剣は持ち手を離れてカランと床に転がる。真ん中の剣は交差した腕で柄を押し留め、そのまま手にした杯と瓶子を傾ければ見上げた口腔に酒が流れ込む。真ん中の男がむせ込みながら飛び退くと、今度は左右に同じく酒を注ぎ込む。三人ともが揃ってその場で咳き込むことになった。
「……何の真似だ?」
地響きのような声音で、奥に座っていた鏢頭が凄む。が、李白は気圧された様子など微塵も見せずににやりと笑んだ。
「わしはただ美味い酒を呑み、一時の休息を得たいだけじゃ。しかし愚か者が勝負をしたいと申し出るなら、応じてやらんこともない」
「誰が愚か者だと?」
鏢頭が問うや、李白はかっと青眼を見開き指先を突きつけ叫んだ。
「んなもん、貴様らに決まっておるわ、この人殺しの盗人風情が!」
正房にいた残る二人も立ち上がって側に置いていた槍を取る。
「誰が盗人だと!?」
「貴様ら以外の誰がこの場におるか、えぇ? 貴様らが本物の鏢師でないことはとっくの昔にわかっておったわ。あのような所業が無ければ見逃してやったものを、大それたことをやりおって。それが身の破滅を呼び込むと気づいておらぬ貴様らは愚か者じゃ、大バカ者じゃ!」
男たちは瞬間、互いに視線を交錯させた。ふふん、と鼻を鳴らす李白。
「なぜ偽りがばれたのか疑問らしいな? 確かに貴様らが掲げておった壬龍鏢局の旗は本物よ。壬龍鏢局は
鏢局はその仕事の内容から武芸こそが全てと思われがちだが、実際には各地の有力者と誼を結んで事前に道程の安全を確保するのが大事である。故に壬龍鏢局も咸陽北部のこの地域にも手を広げようとしたが、そこは既に紅衣鏢局の縄張りであった。故に彼らはうかつにこの地区を通行することができず、迂回路を取るか、あるいは紅衣鏢局に見返りを渡して便宜を図ってもらうしかなかった。その場合でも壬龍鏢局の旗は掲げず、紅衣鏢局の者として振る舞うのが規則であったのだ。
しかし今この場にいる彼らは紅衣鏢局を示す紅の手巾を身に帯びることもなく、人通りのある場所でさえ憚ることなく「壬龍鏢局」の名を連呼した。これこそ、彼らが真の壬龍鏢師ではない事を示す証拠である。
「……俺たちが鏢師でないとして、旅商を襲ったことの証拠にはならんぞ」
「証拠ならあるさ!」
返答は院子から。誰もが振り返った直後、院子の中央に木箱が一つ放り出された。バァン、と土煙を上げる木箱。そこへ戟を構えていた一人の首根っこを捕まえた辛悟が現れる。ちなみにもう一人はいつの間にやら反対側の房壁にもたれかかって気絶していた。
「この木箱の隅を見てみろ。焼き印が押してあるのがわかるか? 俺たちはこれと同じ物をあの場所に散らばっていた木片に見た。それがどうしてここにあるのか? それはお前たちが奪い取ったからだ。これが証拠だ。――いいやそもそも、俺たちは貴様らが旅商を襲っただなんて、まだ一言も言ってないんだよこのド阿呆どもが!」
李白が偽鏢師たちを人殺しと罵った時点で、辛悟も彼らの正体に気づいたのだ。即座に戟を持った一人を捕らえ、彼らの荷馬車がある場所へと案内させた。そして焼き印が押された木箱と、宿場町で会った時には空であったはずの木箱がいずれも満杯になっているのを発見したのだ。それで木箱の一つを院子に投げ出し、彼らの悪行を暴く加勢をしたと言うわけだ。
ちなみに、もう一人の戟を持った男は栗毛の馬によって倒されていた。後脚の強烈な蹴りを喰らった彼は、憐れ肋骨を圧し折られてぐうの音も発せずに房の壁に叩きつけられ息絶えたのであった。
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