無念しめじ

 ようやく夏風邪から回復した、その夜の事だ。

 ワンルームのどこからか低く、何かを呟く声で目が覚めた。すわ盗人かと跳ね起きかけ、いや相手を刺激するのはよくないと思いとどまる。

 身を固くしながら念仏のような響きに耳を澄ますと、俺が微睡まどろみから戻った後も延々と続くそれは、ひとつの言葉をただ繰り返しているのだと知れた。

  

「無念じゃ。無念じゃ。無念じゃ。……」


 どうしてか、唐突に浮かんだ記憶がある。

 今日、冷蔵庫を開けたところ、半分ほど使ったしめじの残りが見つかった。いつ買ったかも記憶にない、恐るべき代物である。

 口に入れる気はまったくしなかったので、躊躇なく生ゴミ用のゴミ箱に捨てた。

 

 起き上がって灯りを点けると、光に驚いたように声は止んだ。

 台所に向かい、ゴミ箱の蓋を取る。「悪かったな」と囁いて瞑目し、しばし手を合わせた。

 それからまた電気を消して床に就く。

 声のする事は二度となかった。

 自己主張するならもう少し早くにしてくれと、そう思ったのは秘密である。

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