出生の秘密
「……人体実験?」
驚いていたのは、直也やハジメも同様だった。
「あたしたちは……」
翠は自らの口で語り始める。
「それぞれ、命蒼刃と碧双刃の為に生を受けた」
―樹々の王たる緑刃。一対の波斯国の刀は、その刃と同様に双子の女子にてその役目を果たさん。二は一となりて無限の力を得る。二が二のままでは、その役目中途にて終わるだろう―
すべての植物を意のままに操る、驚異的な性能を持つ碧双刃の管理者と使い手は、予言により指定されていた。
双子である。
十七年前。
その年、刃朗衆の里のある夫婦間に双子の懐妊が確認された。
長く双子が生まれることがなく、管理者のいなかった碧双刃と契約させるべく、刃朗衆のトップ達は動いた。
予言通りであれば、ただの双子ではなく『二を一に』にしなければならなかった。
そのため、支援組織の管理する特殊な病院で、かねてから研究されてきた悪魔の実験は行われた。
受胎より日の浅いうちに、双子の胎児のうち片方の成長を促進させる。
そして、もう片方の胎児を成長促進させた胎児の中に埋め込んだのだ。
胎児型奇形腫という疾患がある。
成人の体内から胎児の形をした腫瘍が見つかるものだ。
母親の胎内で双子の相手を取り込んでしまい、そのまま成長してしまうことが要因とされており、極めて稀な症例だ。
これを、翠は人為的に施術されてしまった。
実験は成功し、彼女の双子の姉妹は胎児のまま彼女の腹部に宿ることになった。
誕生後の手術で胎児には血管が繋がれ、生命活動が確認される。
九色刃により魂の存在も確認されると、管理者となる為の儀式が行われた。
どの九色刃でも同じだが、〈管理者〉となる為の儀式は、対象者の大量の生血が必要となる。
一度の儀式で終わらせる為には致死量を遥かに超える血液が必要となるため、断続的に長い年月をかけての儀式となった。
期間が長くなるほど大量の血が必要な為に、身体の成長に影響の出ない範囲での血液の採取では、儀式は大抵五年を超えた。
「五年……ですか」
直也が目を見開いて、征次郎の言葉に反問する。
「ああ。生活に支障のない範囲での採血量では、ゆうに四~五年はかかる。それを九色刃の刀身に垂らしていく。輸血のようなものだ。血とともに、管理者候補の人間の魂の情報を、九色刃に移していく。ヨーロッパの錬金術師どもに伝わっていた儀式だ」
征次郎は、語り続ける。
翠の場合、五歳を過ぎた時から儀式は開始された。
腹部に管を刺し、胎児型奇形腫から血液が採取され碧双刃に捧げられる。
肉体的にはともかく、翠の精神的な苦痛は筆舌に尽くしがたいものがった。
自分と胎児型奇形腫の立場は、手術時の施術者の指先ひとつで、たまたま決まったのなのだ。
自分が彼女の立場なら、きっと宿主を妬み恨むだろう。
儀式の度に、翠は底知れぬ罪悪感に苛まされ、儀式のあった日の夜は決まって悪夢に悩まされた。
自分の腹を破り、赤ん坊の姿の妹が這い出してくる悪夢を。
翠が十五歳のとき儀式は終わった。
翠の体内に、脳もなく知性もなく、ただ魂のみがエネルギーとして使われるだけの〈管理者〉が誕生する。
そして翠は、自らの心臓を碧双刃で突き刺して契約を行い〈使い手〉となった。
九色刃の中で唯一、少なくとも外面上は一人で管理者と使い手を兼ねる存在となったのだ。
命蒼刃の管理者も、予言により女児が指定されていた。
生まれる年、月日まで指定されており、刃朗衆でその日に自然分娩で誕生した葵は、翠と同様に、生後すぐに刃朗衆の戦闘要員としての訓練が開始された。
命蒼刃は、〈使い手〉を不死にするという性質上、内外の人間問わず狙われやすい存在だった。
誰も、死ぬことのない体という誘惑には弱いものだ。
もちろん九色刃の存在は外部には秘密であったが、内部の人間にその誘惑に負けてしまう者が現れることが、危惧されていた。
そこで、葵は訓練や管理者となる為の儀式、そして任務上で必要のある人間を除いて、人の接触や交流を禁止された。
そしてそれは、彼女の親も同様だった。
親や他人との交流を制限され、ただ戦闘技術や任務の遂行義務だけを教え込まれた葵は、ひどく情緒不安定な性格に成長してしまった。
戒律を守らなければならない。
仲間を守らなければならない。
しかし、仲間を信用してはならない。
葵が八歳を過ぎ〈管理者〉の契約儀式を終える頃。
葵は失語症に陥ったことがあった。
彼女の戦闘技術の師匠であった人物は、葵がストレスにより神経障害にまで追い詰められていることを危惧し、友人を与えることにした。
葵と同じく、生まれた時から九色刃の為だけに、九色刃の部品の一部となる為に育てられてきた同世代の少女、翠だった。
二人は、自然と惹き合う存在となった。
体内の胎児型奇形腫の影響か外見は実年齢よりもかなり幼く見えるとはいえ、葵よりも一歳年上の翠は、葵を実の妹のように可愛がった。
葵の方も、極めて自然に翠を「翠姉」と呼ぶようになった。
戒律を守れ。
仲間を守れ。
しかし、仲間を信用するな。
そう教えてきた葵の師匠だったが、唯一翠のことは信頼し、協力し合ってよいと教えた。
それは心の支えが存在しなかった葵の精神の為、絶対の味方の存在が必要だったということもある。
だがそれ以上に重要だったのは、基本的に九色刃は一人の人間が重複契約ができない為、翠が命蒼刃の「不死」の力を狙うといった心配がなかったことだ。
刃朗衆の大人たちの思惑の中で、こうして葵と翠は育った。
碧双刃の力を扱えるようになってからの翠は、任務の為、度々里の外へと出ることも多く、長期の任務では東京などの大都市や海外に滞在することも多かった。
その間、葵は一人里に残り、来るべき英雄との契約の為の訓練に明け暮れていた。
潜入任務の訓練の為、町に出ることもあったが、基本的には里での暮らしが多かった。
学校へなど行ったこともない。
そんな普通の生活など、彼女にとってはテレビの向こう側の幻でしかなかった。
普通の生活など、彼女にとってフィクションでしかなかった。
薄暗い、広い和室の空気はピンと張りつめているようだった。
翠が淡々と、自分たちの出自を語り終える。葵は身じろぎもせず、背筋を伸ばした美しい姿勢で正面を見据えていた。
ぱたり。ぱたり。
「……武士?」
ハジメがギョッとした顔で、武士を見る。
武士の膝元に、目から雫が幾つも落ちていた。
「な……んで……」
武士は自分が不幸だとは思っていなかった。
しかし、父親との確執や母親の不在など、他人と比べて寂しい思いをしているとどこかで考えていた。
葵たちの半生に比べたら、どこが寂しいというのか。どこが不幸だというのか。
「なんで……刃朗衆、っていう人たちは、そんな酷いことを……」
「日本の為だ」
征次郎が葵と翠を見つめながら答える。
「ひいては、極東の平和の為だ。戦争中、我々は大変な兵器を作ってしまった。人の魂を道具とし、超自然の力を行使する術を手に入れてしまった。我々はこれを、悪用されることなく、管理していかなければならなかった」
「そんなもの……壊してしまえば良かったじゃないですか!」
武士は立ち上がり声を荒げた。
葵と翠は武士を見上げ、その突然の剣幕に驚いたハジメも
「ちょ、武士」
組長の前だ、今は落ち着け、とでもいうように手のひらを武士に向ける。
しかし武士は落ち着かなかった。
「そんな戦争の道具を守る為に、女の子ふたりの人生を無茶苦茶にするなんて!許されることじゃありませんよ!」
拳を強く握り締めながら、武士は叫ぶ。
「君の言うことはもっともだ」
征次郎は、自分に向って声を荒げる武士に気分を害することもなく、落ち着いた声で誠実に答える。
そして、老いて横たわっていた体をゆっくりと起こした。
「ちょ、じい……組長!」
慌てて征次郎の体を支えるハジメ。
「構わん。確かに、九色刃を破壊してしまうことはできた。兄も、開発者たちも、先の戦争が終結したとき、そのように考えていたようだ」
「だったら……」
「しかし白霊刃は予言していたのだ。九色の力無くして、更なる戦争の災禍を防ぐこと叶わぬ、と」
「更なる戦争……?」
「このままでは、再び大きな戦争に日本は巻き込まれる。それを防ぐ為には、九色刃の力が必要だと予言されたのだ」
「また、予言ですか」
「君が不審に思うのは分かる。しかし予言の力は本物だ。当時、日本の敗北による太平洋戦争の終結もその状況も、正確に予言されていた。もっとも兄や開発者たちは、それを信じることができずに他の九色刃を開発し続けていたようだったがね。九色刃の開発にも、大勢の人間が犠牲となっていた。その者達も皆、戦争を終わらせること、愛する者を守ることを願っていた。その願いの為にも、再び日本を、世界を戦争の災禍に落とさぬ為、九色刃の力は正しく行使されなければならない。その為に戦後、我々は刃朗衆を組織したのだ」
日本よりも早く降伏したドイツにいた
その中途で日本も降伏したが、帰途において開発者の主要メンバーだった征次郎の兄は、事故に遭い死去する。
遺書と九色刃、そしてその予言を受け取った征次郎は、戦後の混乱のさなか、占領軍にその存在を知られることなく、九色刃を守りその力を使い、予言された戦争の芽を潰すことを目的とする集団〈刃朗衆〉を作りあげた。
その後、征次郎は御堂組という任侠一家を興す。
刃朗衆をサポートし、裏の世界から日本政府との中継ぎをすることが目的だった。
むしろ刃朗衆本体よりも重要な組織だった為、征次郎自らがそのトップに立つことになった。
かくて、戦後その政権を担い続けてきた民自党と御堂組は裏で繋がり、時の政権に予言を与え、あるいは九色刃の超常能力で工作活動を行い、日本を守り続けてきた。
しかし、そのバランスが崩れる事態が発生してしまった。
九龍直也の父、元国防軍の司令官である鬼島大紀による政界再編で、御堂組と通じていた民自党の主流派が、政権中枢から追い出されてしまったのである。
鬼島は、九色刃の存在を知った。
そして、その力を手に入れようと画策している。力をつけている諸外国に対抗するため、軍事力も辞さないと考えている鬼島に九色刃を渡してしまえは、その末路は明らかだった。
それだけは、何としても防がなければならなかった。
例え、幼い少女たちの人生を犠牲にしたとしても。
征次郎は苦しそうに咳き込んだ。
ハジメが背中を擦る。
若い武士の言葉に、征次郎は命を削るようにして、誠実に答えたのだ。
武士はその場に再び正座する。重い言葉を受け取った武士だったが、すぐには言葉が出てこなかった。
「僕は……」
それでも武士は、言葉を絞り出す。
「僕には、よく分かりません。でも、それでも、刃朗衆の人たちのやり方は、間違っているように思えます」
初めはヤクザの組長を前にビクビクしていた武士だったが、今は征次郎の眼光を正面から受け止めて、ハッキリと自分の考えを伝えた。
その武士の肩を、近くに座っていた直也が掴む。
「田中、そんな簡単な話じゃないんだ。確かに犠牲はない方がいい。しかし大きな力には責任が伴う。より大きな犠牲を防ぐためには、力を持った人が戦うしかないんだ」
諭すように話す直也を、武士は曇りのない瞳で見据える。
「そんなの、葵さんや翠さんが犠牲になる理由になるんですか。先輩、初めて会った時に言ったじゃないですか。目的の為に人を殺していいなんてやり方、認めないって。二人は、普通の、幸せなはずの人生を殺されたみたいなものじゃないですか」
「それは……」
一年前の春。
屋上で直也は父の手の者に対して、確かにそう言った。
武士はすべて、憶えていたのだ。
「大きな犠牲を防ぐためなら仕方がないなんて考え方、今の総理大臣と一緒じゃないんですか」
武士のストレートな言葉に、直也は反論する言葉を失う。
「そこまでだ、武士君」
直也を問い詰めるような口調になっていた武士を、征次郎は止めた。
ハッとした武士は慌てて直也に頭を下げる。
「すみません! 僕……きっと先輩はこんなこと、とっくに悩んでいて……」
自分が行き過ぎた発言をしてしまったことは、直也の表情を見てすぐに分かった。
武士は畳に額を擦りつけるように、頭を下げ続けた。
「いや、いいんだ。顔を上げてくれ」
直也は武士の肩をポンポンと叩く。
「なにも知らない……平和ボケした素人に……」
葵の幽かな呟きが耳に入ってきた翠は、その横顔を見た。
葵は武士を見ていなく無表情だったが、明らかに今の呟きは武士に向けられた言葉だった。
翠には、フォローすべき言葉が見つからない。
「組長さん、すみません。出過ぎたことを言いました」
「いや、今はそれで良い。そういう風に考えていてよい」
詫びる武士を、征次郎は見据える。
「しかし、これからもその考えを持ち続けることは辛いぞ。命蒼刃の力を得た君は」
「当主、そのことなのですが」
直也が、征次郎の言葉を遮るように身を乗り出す。葵も顔を上げて征次郎に縋るような視線を送る。
「なんだね」
「九色刃について、当主以上に詳しい方はいますか?」
「いや。行方不明になっている刃朗衆のトップも、私と同等の知識だろう」
「そうですか……」
直也は一瞬視線を落とすが、意を決したように顔を上げた。
「当主、命蒼刃の契約を解除する方法をご存知ありませんか? 見ての通り田中は、ごくごく一般人です。力量的にも、性格的にも、〈英雄〉に課せられた使命を追わせることはできません」
「……」
「父殺しの咎は、俺が背負います。その覚悟はとっくに出来ているんです。命蒼刃の解除の方法を、教えて下さい」
葵は正座の姿勢から、両手を前についてほとんど四つん這いのような姿勢で身を乗り出している。
征次郎は二人の顔を眺めた後、静かに口を開いた。
「命蒼刃の破壊は、駄目だ。予言の遂行ができなくなる。それがなくとも、管理者と使い手の魂に致命的なダメージを与えるだろう」
「……それ以外には?」
痛いような沈黙。誰かのゴクリ、と唾を飲む音が聞こえるようだった。
「藍染ノ刃、という九色刃がある」
征次郎の言葉がその沈黙を裂く。
「秘密にされてきた九色刃だ。能力は〈魂の解放〉」
一同は征次郎の顔を凝視している。次に出てくる言葉をお預けを喰らう犬のように待ち続ける。
「敵味方の魂を解放させ交流させることにより、そもそもの戦争の原因となる人間同士の憎しみ、無理解、わだかまりを消し去ることを目的とする九色刃だ。それを使い、葵さんと繋がった武士君の魂を解放すれば、契約の解除はなされよう」
「本当ですか!?」
葵の厳しかった顔が氷が解けるように和らぐ。
思わず隣に座る翠の服の袖を掴んで喜びを分かち合おうとしたが、翠の表情は厳しいままだった。
「翠姉……?」
直也の表情も硬いままだった。
「それはつまり……」
征次郎の次の言葉を促す。
「そう、そのような刃が残っておれば、そもそも君たちの出番はなかったのだ」
「どういう、ことですか……」
葵が真っ青に戻った顔色で、問う。
「藍染ノ刃は、すでに失われておる。大戦後、開発者達がドイツから帰還する途中で、事故により破壊されてしまったそうだ」
何度目であろうか、彼らの間を沈黙が支配するのは。
葵は真っ青な顔で、その薄い唇と膝の上で握りしめた拳を震わせている。
悲壮な彼女を見かねた翠が、その拳を小さい掌で握った。
「葵ちゃん……」
「他に方法はないんですか?」
直也が絞り出すような声を漏らす。征次郎は静かに首を振った。
「九色刃の力の要は、輸魂の秘法。使い手の魂を管理者に移す業だ。契約の解除の為には、どんな方法であれ武士君の魂を葵さんから戻さねばならん……ゴホッ」
征次郎は咳き込む。
そのまま前に倒れこみそうになる祖父を、ハジメは支えた。
「じ……組長、今日はもう話し過ぎなんじゃねー……ないですか」
思わず素の喋り口調が出そうになる。
本気で祖父を心配しているのだろう。
しかし征次郎は、自分を支える孫の手を引き離した。
「大丈夫だ。……その魂を操る術だが、既に失われておるのだ。
再び咳き込む征次郎。
「ゴホッ……術などの力に依らず……魂を解放する方法など……肉体の死しか方法はない……ゴホッ……」
苦しそうに咳き込む征次郎は、そのまま座っていることができなくなった。
ハジメは祖父を横たわらせ、咳をして苦しくないように体を横に向ける。
「九龍、今日はもう限界だ。もともと、そんなに長く話せる体じゃねーんだ」
「……わかった」
ハジメの言葉に、直也は未練はあったが、老いた病人に無理強いすることもできず仕方なく頷いた。
「すまんな……今日は皆、泊ってゆけ。今後のことは明日、話そう」
それだけ言うと、征次郎はまた苦しそうに咳き込んだ。
ハジメが背中を擦ろうとするが、征次郎は手だけでそれを拒否し、武士たちを案内するように促した。
ハジメは祖父の咳が落ち着くと立ち上がり、武士たちを部屋の外へと促す。
武士たちも立ち上がり、静かにリビングへと歩き出した。
翠はへたり込んだままの葵の肩を抱き、ゆっくり立ち上がらせて歩かせる。
翠は葵を支えていたが、その表情を見ることは怖かった。
葵が今、何を考えているのかが、怖かった。
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