贖罪

 体力の限界を迎えた征次郎を休ませ、一同は広いリビングに戻る。

 ソファやダイニングの椅子など、各々の場所に座っていた。


「あんなに喋るジジイ、久しぶりだ」


 一人立ったまま、窓の外を見るともなく眺めているハジメ。


「大丈夫なの? おじいさんの体」


 その近くダイニングの椅子に座った武士が、声を掛ける。


「ああ。ここ一年くらいあんな感じだけど、いつまで待ってもくたばりゃしねえ」

「そんな言い方して。心配なんだろ」

「なわけあるか。あんな偏屈ジジイ」


 即答するハジメに、かえって武士は感じるものがあった。

 きっと複雑だろう、祖父への感情。

 ハジメをヤクザの世界に引き込んだのは、おそらく征次郎で間違いない。

 憎く思っているだろうし、でも認めてもらいたいとも思っている。

 ネットでやり取りしていた〈ワンワン〉は、性格は全く違うのにどこか自分と似ていた。


「お前、案外平気なんだな」


 ハジメは窓のサッシに寄り掛かり武士の方を向く。


「なにが?」

「不死身の体。もう戻らないって言われたんだぜ」

「うん…」

「ジジイのあの言い方……たぶん、お前に〈英雄〉をやらせようとしてるぜ」

「きっと、そうなんだろうね」


 武士は、自分でも不思議なくらいに落ち着いていた。

 もちろん、恐ろしいことに巻き込まれたという恐怖感はある。

 けれど、武士の感情は葵たちの生い立ちを聞いたときがピークだった。

 まるで漫画や小説のような、けれど現実だったら非人道的で決して許されてはいけない壮絶な半生を送ってきた彼女たち。

 聞いてしまった以上、そのことを「自分に関わりのないことだ」と割り切ってしまうには、武士はあまりにも青かった。


 そして人を殺したことがあるというハジメ。

 当然、人殺しなんて絶対に受け入れることができない。

 例え相手が悪人だったとしても、ハジメには今すぐにでも自首してくれ、と言いたかった。

 けれどこれまでの話を聞き、直也ではないが「そんな簡単な話ではない」ということだけは分かった。


 そして、九龍直也。

 総理大臣の隠し子なんて立場、武士には想像もできない。

 武士も普通の高校生と同じように、政治に興味などなかった。

 けれど、最近ニュースなどで見る政府の発表が、きな臭い言葉が多い事もなんとなく感じていた。

 海外への国防軍派遣、新兵器開発への予算取り。

 新聞やテレビでは反対する報道が多かったが、ネットでは鬼島に総理に賛同する意見も根強く、その内容はどちら側も筋が通っているように思え、武士には何が正しくて何が間違っているのか分からなかった。


 だけど、もし、九色刃の予言などというものが本当だったら。

 鬼島総理大臣の方針のまま進めば、この国はもう一度戦争になるという。


 戦争。


 そんなもの、武士には教科書の中や、テレビや新聞の向こうの世界の話でしかなかった。戦争映画と同じだった。


 だけど、戦争映画に出てくる人たちのように、例えば爆弾で自分の家族が死ぬ。

 自分がピストルで敵を撃つ。

 心の中でハジメを責めたような人殺しに自分がなる。

 自分の友達が人殺しになる、殺される…。


 そんなこと、考えられなかった。

 考えられなかったが、自分の父親がこの国をそんな方向に進めているのなら、それを止めたいという直也の気持ちは、少しだけ分かる気がした。


「武士?」


 ハジメが頭の中でぐるぐると考え込んでいた武士の顔を覗き込む。


「はえっ?」

「大丈夫か? やっぱ逃げたいよな。だよな」

「いや、ハジメ違うんだ。そうじゃなくて……ちゃんと考えたい」

「考える?」

「巻き込まれた。嫌だ。っていうだけじゃ駄目だと思うんだ。ちゃんと考えてから、自分の気持ちを決めたい」

「自分の気持ちって、決めるもんなのか」

「え?」

「気持ちって勝手になるもんじゃねえの? そんなコントロールなんて効くのか?」

「わかんないけど……そうしたいって、思うよ」

「そうか。……お前はつえーな」


 ハジメは武士の肩をポンと叩く。

 きっと武士は、人殺しである自分の事も素直な感情では拒絶したいだろう、とハジメは思う。

 けれど自分という人間の背景を聞いて、その感情のままで拒絶するのではなく、一度受け止めようと決めたんだろう。

 それは許されたわけでは決してないのだろうけれど。

 ハジメは武士の顔を見て、自分を許していない彼が、自分を受け止めてくれたことを嬉しく思った。


「御堂」


 直也がハジメに声をかける。


「当主が言ってくれた通り、今晩は泊めてくれるか。俺たちはともかく、彼女達が限界だ。ずっと逃避行の毎日だったようだし、敵の襲撃の恐れもある」


 葵と翠は、二人肩を寄せ合ってソファに沈み込んでいた。

 特に葵が無表情のままで床の一点を見つめ続けている。

 翠はその肩を抱きながら、しかし掛ける言葉を見つけられずにいた。


「ここのセキュリティは大丈夫なんだろう?」

「問題ねーよ。このビルは、最新のセキュリティシステムでガッチガチだ。下の階には武闘派の組員達が何十人も詰めてる。軍隊が攻めてきても耐えられるぜ」

「本当か? 本当に国防軍の大隊が攻めてきても耐えられるのか?」


 勢いで言っただけであろうハジメの言葉尻を、直也は真顔で取る。


「んだよ。ここ、渋谷のど真ん中だぜ……」

「……」

「そこまですんのかよ、お前の親父は」

「おそらくしないだろう。今はまだな」


 ハジメは自分たちが敵対しようとしている存在の大きさに、背筋が冷たくなった。


「とにかくよ。侵入者が現れたらすぐに分かっからよ。その辺のホテルなんかよりはよっぽど安心だ。部屋も余りまくってるから、皆泊まって行け」

「あ、じゃあ、僕は帰るよ」


 武士は立ち上がる。


「お父さんたちも心配してるだろうし」

「おい、武士」

「何を言ってるんだ田中君。君が一番危ないんだ。帰すわけにはいかない」


 直也が武士の腕を掴んだ。


「えっ、でも……」

「御堂。剣道場で襲撃されたとき、田中が撃たれても生きていたのは、見られたな?」


 直也が鋭い視線をハジメに送る。


「ああ」

「翠さん。もう一度確認するが、君の操った樹木の枝は、敵を殺してはいないんだな?」


 今度はソファの上の翠に問い質す。

 翠も小さく頷いた。


「今にして思えば、殺っとけばよかったね」


 葵の頭を抱えながら、物騒な言葉を呟く。


「どういうことですか……?」


 武士は頭ひとつ分背の高い、直也を見上げた。


「君が不死になったことを、敵は知った可能性がある。親父が九色刃の力を手に入れようとしてるなら、君自身もこれからは敵のターゲットになるということだ」

「…」


 武士はごくん、と唾を飲み込む。

 自分の気持ちになど関わらず、とっくに逃れられない輪の中にいたことを、武士は初めて実感した。


「……なら、せめて電話を……」


 武士は携帯電話を取り出すが、直也はそれも押さえる。


「それも駄目だ」

「どうして」

「盗聴されて、居場所が特定される恐れがある。今更だが、電源も切ってくれ」

「そんな……」


 武士は助けを求めるようにハジメを見るが、ハジメも首を横に振った。


「武士、九龍の言う事は正しい。とにかく今晩はもうここで休んで行け。明日、ジジイも交えて今後の方針を話し合おう」


 そう言われては、武士は従うことしか出来なかった。


 武士たちは、同じフロアの隣のマンションの居室に案内された。

 征次郎がいた居室と同じ間取りのようで、それぞれに個室をあてがう余裕があった。


「風呂も台所も冷蔵庫の中も、自由に使え。部屋にはそれぞれ布団もある。元々ジジイのSPたちが泊まり込む用の家なんだ」


 ボロボロになった夏服のままだった武士には、ハジメが着替えを貸す。

 葵と翠の着替えが無かったが、それは後でハジメの母親になにか頼むつもりだった。


「あたしと葵ちゃんは、同じ部屋でいいよ」


 翠はそういうと、そうそうに最初にハジメに案内された部屋に葵を連れて入った。


「俺も泊めてもらえるのかい? 御堂」


 からかうような口調で言う直也に、ハジメは口の端を引きつらせた。


「本当なら願い下げだけどな。ジジイにも言われたし……テメエは人質だ。鬼島に対するな」

「俺に人質の価値なんかないよ。それに、まだ俺を疑っているのか。君は」

「信用できるか。敵の親玉の子どもを」


 直也は自分を睨みつけるハジメに、ふっと息を吐くように笑った。


「恵まれてるな。君は」

「なっ……!」


 それなりに事情ある家庭のようだが、まだ親は子どもを守るものと思えるのか。

 直也は心の中で、ハジメをそう嘲笑ったのだ。


「じゃあ、俺は一人で部屋を使わせてもらうよ。部屋、余ってるんだろう? おやすみ」


 言い捨てると、直也もすぐに部屋に引っ込んだ。


「ったく、なんだあの野郎。……武士はどうする? 俺の部屋はジジイの家の方なんだ。俺の部屋に来るか?」


 残された武士をハジメは誘うが、武士は静かに首を振った。


「いろいろ聞きたいこと、山ほどあるけど……今夜は一人で考えるよ」

「そうか。冷蔵庫、食い物たくさん入ってるはずだから、ちゃんと喰えよ」

「わかった。みんなにも言っておく」


 ハジメの方こそ武士に話したい事は山ほどあったが、かろうじて飲み込んだ。

 武士は、玄関を出て隣の居室へと戻っていった。


 ドアの外から、それぞれの部屋に冷蔵庫の食べ物について伝えた武士は、自分は冷凍食品の焼きおにぎりを電子レンジで温め、部屋に戻って貪り食べる。

 我ながらこんな時によく食べれると思ったが、腹が空いたのは仕方が無かった。

 なんなら風呂にも入ってしまおうかと思ったが、風呂場で女の子二人に鉢合わせするのも気まずかった。


 クローゼットから敷き布団だけを引きずり出し、床に敷くとハジメから借りたジャージに着替える。

 切り裂かれ血のこびり付いた制服を見て、改めて自分の身に起こったことの異常さを痛感した。


 やることもないので、早々に電気を消し布団に横たわる。

 いつもなら、部活の後で自宅に帰ると疲労のあまりすぐ眠ってしまうのだが。

 途中で抜けたとはいえ稽古が終わった後、そしてあれだけのことがあった後、何故か肉体的な疲労感はほとんどなかった。


 あるいはこれも、命蒼刃とやらの力なのだろうか?

「魂が記憶する健全な状態に肉体を戻す」と言っていた。

 もし体の疲労まで命蒼刃が回復してしまうのなら、今後自分は、ずっと疲れることがないのだろうか?

 代わりに彼女の魂を消費し続けて?

 頭がぼんやりと、痺れるような感覚がした。


 肉体はともかく、今日は考えることが多すぎて精神的に疲れた。

 しかし脳も肉体の一部のはずだ。

 命蒼刃は脳は回復はしてくれないのだろうか?

 分からないことだらけだった。

 フィクションの世界なら、都合の悪い細かい設定は無視してしまえばいい。

 だけど自分の身に起きてしまえば、どんな些細な矛盾点も気になった。


 そんなことをぐるぐると考えているうちに、ぼんやりと意識が薄れてくる。

 ゆっくりと睡魔が訪れてきてくれた。

 よかった。少なくとも、普通には眠れるようだ。寝る必要がないなんて、それはそれで辛そうだもんな…。

 武士は目を瞑り、眠りに落ちた。




 見知らぬ少女が泣いていた。

 慌てて駆け寄って声をかける。

 どうしたの?

 大丈夫?

 少女が顔を上げる。

 少女はもう泣いてはいなかった。

 美しい少女だった。

 ガラス細工のような繊細な顔立ち、透き通るような肌。

 だが、さらりと美しい黒髪が風に流れると、少女は泣くよりひどい顔をしていた。

 もうなんの希望も抱いていない、一切の輝きを失った瞳。

 ごめんなさい。

 え、なに?

 ごめんなさい。

 どうして謝るの?

 取り返しのつかないことをした。

 そんなことないよ。取り返せるよ。僕が手伝ってあげる。

 あなたには無理。

 どうして?

 そんなことをさせられない。

 そんなことって、どんなこと?

 大丈夫。どうすればいいかなんてわかってる。

 なにを言ってるの?

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 わたしなんて、いなくなればいいから。

 わたしなんて、いなくなればいいから。


 そういう少女の顔は、いつしか自分の母親の顔になっていた。


 ジリリリリリリリ!


 まるで学校の非常ベルのような音がマンションに鳴り響いた。

 目を覚ました武士は、知らない部屋で寝ている自分に、一瞬状況を忘れて戸惑う。

 バタンとドアが開き、直也が顔を出した。


「田中! 無事か?」

「は、はい……なんの音です?」

「わからん」


 直也は武士の無事を確認すると、続いて葵達の部屋に向かう。

 すると、直也が部屋をノックする前にドアが開き、ゴスロリ衣装のままの翠が飛び出して来た。


「無事か!?」


 直也が声を掛けると、翠が青い顔をして叫んだ。


「葵ちゃんがいないの!」

「なんだと……」

「どうしよう……こんなことにならないよう、あたし、ずっと手を握ってたのに、いつのまにか眠ってて……」

「まさか……」


 玄関が乱暴に開く音がして、ジャージ姿のハジメが駆け込んでくる。


「どうした!? 大丈夫か!」


 武士も部屋を出て来て、四人が廊下に揃った。


「葵さんがいなくなった」


 直也がハジメに短く告げる。



「んだと……敵か?」

「ちがう! それなら絶対に、あたしが気付く」


 確かにあの襲撃者の一味の仕業なら、翠だけを見逃す理由はなかった。

 だとすれば。


「どうしよう、あの子…」


 翠と直也が顔を見合わせる。

 ハジメは走り出し、リビングにある玄関インターホンの受話器を取り上げると、タッチパネルを操作した。


「……セキュリティ! この非常ベルはなんだ! 状況は!」


 ビルのセキュリティー・ルームに繋ぎ、状況を確認する。


「んだと……すぐに回復させろ! モニターには何も写ってねえのか! ……すぐ調べろ! 動ける連中、叩き起こしとけ!……ああ、この音はもう止めろ!」


 ハジメは受話器に向かって叫ぶと、叩き付けるようにフックに戻した。

 非常ベルの音も止まる。


「どうした」


 駆け寄る直也たちに、ハジメは状況を説明する。


「あの女、このビル出て行きやがった。ご丁寧にこの階と繋がってるエレベーターのパネル、蹴り壊してからな」


 翠が片手で口を押さえ、息を飲む。


「どういうこと……?」


 状況が飲み込めない武士が声を上げる。

 直也は武士の肩に手を置き、冷静な口調で告げた。


「彼女はおそらく、死ぬつもりだ。契約の解除の為に」


「死っ……」


 武士はその言葉を受け止めきれず、翠の顔を見る。

 翠は瞳に悔しそうな光を浮かべながら頷いた。


「英雄との契約は、あの子にとって全てだった。それに失敗してしまった以上、正しい相手に力を渡すためには、自分が死んで、魂を刃から解放するしかない…」


 翠は片手で握り締めた刀を持ち上げる。

 それは、葵が残していったあの青く光る短刀だった。


「そんな……自殺する、ってこと? そんなのって……」

「あなたのせいよ!」


 動揺する武士に、翠は怒鳴った。

 その瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「あなたがあんなことを言うから! 命蒼刃の力を得たあなたが、英雄を否定するようなことを言うから!」

「そんな……僕は……」


 確かに武士は征次郎との話の時に、刃朗衆のやり方を否定した。

 そして葵は武士の言葉を聞いて、自分が契約してしまった相手が、英雄の資格を持たない男だと確信してしまったのだ。

 だからこそ、この国を救う為には、自らの義務を果たす為には、自分の命とともに契約を失わせるしかないと考えてしまった。


「……そんなの……絶対に違う」

「なにが違うって言うの!?」


 翠は手を伸ばし、武士の胸ぐらを掴む。

 武士の顔を腕力で引きつけた。


「あなたが巻き込まれただけだってのは、わかってる! あなたには何の責任も無い! だけどお願い、助けて! あの子を助けて! あたしの大切な妹なんだよ!」


 翠は泣きながら縋るように、命蒼刃を武士の体に押し付ける。


「どういうこと……」

「あなたの魂は、これを介して葵ちゃんと繋がってる。集中すれば、葵ちゃんの居場所を感じれるはずなんだ!」


 差し出された命蒼刃を、武士は受け取る。


 ドクンッ


 自分の体全体が脈打つような感覚に襲われた。

 握った手に感じる短刀の柄の感触。

 ひんやりと冷たく、清廉な気配が伝わってくる。

 車の中で思わず見とれた、葵の美しい姿が脳裏に浮かんだ。

 人と接することを禁じられ、孤独のうちに戦いの中で幸福を犠牲にしてきた少女。


 死なせたくなかった。


「……やってみる」


 武士は両手で命蒼刃を握り締めて、目を閉じる。

 短刀が薄く青い光を放ち始めた。

 武士は命蒼刃を握った時に感じた清廉な気配を辿るように、気持ちを集中させる。

 しかし、その気配は頼りなく、薄く、すぐに消えてしまう。


 武士は頭を壁にガンっと叩きつけた。


「武士!?」


 頭からだらりと血が流れ落ちる。

 ハジメが驚き手を伸ばすが、それを翠が止めた。


「待って」


 命蒼刃が放つ青い光が強くなる。

 すぐに武士の頭の血は止まり、乾いていく。

 命蒼刃から繋がる気配が、強くなった。

 流れ込んでくる力が強くなる。

 感じる。

 力が、魂が流れてくる方向を感じる。


「ハジメ、エレベーターは使えないの?」


 武士はハジメの方に振り返る。


「あ、ああ、しばらくは…」

「非常階段は?」

「わかるのか? あの女の場所!?」

「ぼんやり、方向ぐらいは……階段はどこ!」

「こっちだ。ついてこい」


 ハジメと一緒に武士が駆け出す。

 翠と直也も後を追った。


(葵ちゃん、お願い……早まらないで!)


 翠は祈るような気持ちだった。

 4人は玄関を飛び出して、エレベーターホールを通り過ぎた突き当たりの鉄扉ドアを開け、十五階から一気に階段を駆け下りた。


 御堂組のビルは、渋谷の駅から少しだけ西の円山町にあった。

 地上に降りた武士は、微かな魂の気配を辿って、駅の方向へと走り出す。

 少し走ると、四人は直ぐにネオンの明るい町並みの中へと飛び込んだ。


 若者の街渋谷も、夜中の三時を過ぎればさすがに人も少なくなっていた。

 とはいえ、酒に酔った者や、目的も無くたむろい、座り込んで話をしている者たちが所々で固まっている。

 その間を抜け、武士を先頭に四人は走り抜ける。


 風が生暖かく、水の匂いがする。もうすぐ雨が降るのかも知れなかった。

 武士が立ち止まったのは、センター街のど真ん中だった。


「こんなとこに……本当に、葵ちゃんが……?」


 翠は立ち止まった武士の背中に声をかける。


「わからない……でも確かに、このあたりに感じるんだ」

「どこだ?」


 直也が問いかけるが、武士は首を振る。


「このあたりなのはわかるんです。だけど、気配が薄くなってきて……。ハジメ、銃は持って来てる?」

「な……おま、何言って」

「僕のことを撃って!」

「はあ?」

「心臓とか! 大きい傷負えば、それだけ流れてくる力も強くなると思うから」

「バカ言うな。あの女がもう死んでたらどうすんだ! お前、復活できなくて無駄死にだぞ」

「不吉なこと言わないで!」


 翠が悲鳴のような声をあげる。


「事実だろうが!」


 ハジメも怒鳴り返す。

 周囲の人間が、何事かと武士たちに目を向けていた。


「だけど、他に方法が!」

「もたもたしてる暇はない、手分けして探すぞ!」


 直也は言うと、路地に走り出す。


「てめえが仕切るな! ……いいか武士、絶対馬鹿なこと考えるなよ」


 ハジメも反対方向へ駆け出した。

 残った翠が武士を見つめる。


「さっきは酷いことを言ってごめん」

「あ、いや……」

「だけど、お願い。もうあなたしか、頼る人がいないんだ」


 翠はそれだけ言うと、駆け出した。

 言われるまでもない。

 自分なんかのせいで誰かが死ぬなんて、耐えられない。


 武士は手近な建物の影に隠れると、手にしていた命蒼刃を抜き、自分の胸に突き刺した。


 ***


 雑居ビルの屋上から。

 葵はセーラー服を風にたなびかせながら、渋谷の街を見下ろしていた。

 夜中の、もう明け方も近い時間だというのに、自分とさして年も変わらない若者達が、輪になって笑い合っている姿が見える。


 別の場所では若い男女が、抱き合い、何かを囁きあっている。

 生まれた場所が違えば、自分もあの中にいることもあったのだろうか?

 葵は屋上の柵に額を押し付ける。


 ザザッ…


 魂に触れられる。

 命蒼刃の回復の力が使われる感覚が、また葵を襲った。

 苦痛な訳ではない。

 気持ち悪いわけでもない。


 ただ、障る。


 例えるなら、体の内部のひどく敏感な部分に金属の棒が触れる。

 熱いわけでも冷たいわけでもない金属の棒は、しかし無視できないほどに障る感覚だった。

 これが英雄の魂だったら、違ったのだろうか。


 葵はあの少年の大人しそうな顔を思い浮かべる。

 きっと、何不自由無く平凡な家庭に生まれ育って来たのだろう。

 親に愛され、友達に囲まれて。

 そんな人間に、世界を守る為に戦い続けて来た自分たちを理解できるわけがない。

 戦うことができる人間とは、思えない。

 仲間とともに命をかけて守り続けて来た力を、あんな優しいだけの男に渡してしまった。


 過ちを冒してしまった。

 罪は、償われなければならない。

 葵は、柵を握る手に力を込めた。


 バタン、と背後で音がした。

 振り返ると、命蒼刃を握り締めた武士が階段から続くドアを開けて、立っていた。

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