命を渡して
ガタン、と階下の入り口の方から、音が聞こえる。
「誰だ?」
ハジメは振り返り、道場の入り口を見つめる。
半分開いたままのドアに手が掛けられ、こちらの様子を探るように、ゆっくりと開いた。
暁学園の制服と違う、セーラー服の美少女が、長い髪を乱しながら立っていた。
制服のあちこちは汚れており、頭と右腕、そして短いスカートからすらりと伸びた美しい脚からは、血が滲んでいる。
少女は、荒い息を吐きながら、武士たち三人を睨みつけていた。
「え、なに?」
武士は突然の闖入者に驚きの声を上げる。
しかし、その少女の体が傷だらけのなことに気づくと、
「君、大丈夫? 血が……!」
慌てて少女に駆け寄ろうとする。
しかしその腕を掴んで、ハジメは武士を止めた。
「え、ハジメ?」
「まだ近づくな」
ハジメは少女を睨みながら言い放つ。
武士を押さえた方と反対の手は、肩から下げたカバンの中に入れていた。
「どうしたの君。怪我しているみたいだけど、どこの学校の子?」
直也が前に出て、ゆっくりと声を掛けながら少女に近づく。
直也の左手には、先ほどの日本刀が鞘に入ったまま握られている。
「……九龍……直也?」
血だらけの少女―葵は、息を乱しながら胴着姿の直也の顔を見て聞いた。
「ああ、九龍は俺だけど。君はいったい」
「時間がないの。あいつら、こんなところまで襲ってきて……」
葵は、フラリと歩を進め、直也に近づく。
「あいつら? どうしたんだ、一体何を言って」
「すぐに、追っ手がくる……だから」
いつのまに持っていたのか、葵は手にしていた蒼い短刀を抜き放って、構える。
「英雄、九龍直也! 私に……命を渡して!」
葵は体ごと直也に突っ込み、短刀を鋭く突き出した!
直也は咄嗟に左手の日本刀を鞘に納まったまま振って、短刀の一撃を弾く。
葵は体勢を崩すが、すぐに距離をとって立て直し、間を空けずに直也の首筋を狙って切りつけた。
鋭い一閃を直也は飛び下がって避け、間合いを取って日本刀の柄に右手をかける。
しかし刀を抜きはしないまま、葵に向かって叫んだ。
「なんだ、君は! なんで俺を狙うんだ!」
「時間がないの、九龍直也!」
葵は短刀の切っ先を直也に向け、顔の前で構える。
「すぐに邪魔が入る! 説明している暇はないの!」
床を蹴って、葵は直也に迫る。
鋭い短刀の突きが迫るが、直也は右手を閃かせる。
抜き放たれた刀は、突き出された短刀を強く打ち払った。
葵は短刀を手放しはしなかったが、大きく姿勢を崩し、床を転がって構え直す。
「な、なにが……」
武士は突然のことに動揺し、二人を見ているしかなかった。
ハジメは武士を庇うように腕を前に出し、反対の手は変わらずにカバンの中に突っ込んだまま、二人の動きを注視続ける。
「理由を話せ! どうして俺を狙う!」
「時間がないって言ってるでしょう!」
葵は混乱していた。
仲間の諜報部に接触した翌朝。近場のビジネスホテルで学園に向かう準備をしているとき、葵は襲撃にあった。
日があるうちの襲撃などこれまでほぼなかった為に、葵は油断しており、少なからず傷を負ってしまった。
制服には着替えていたが、英雄の写真とメモが入ったカバンを手放してしまい、敵に目的を知られた可能性が高かった。
その後も追っ手を避けながらの移動で、ようやく暁学園にたどり着いた時には既に日が落ちていた。
学園の前で張ったが、直也の下校は確認できない。
しびれを切らして学園に忍び込んでみると、既に学園のあちらこちらから、敵も侵入している気配を感じた。
メモと写真を確認した後、すぐに処分しなかった初歩的なミスを、葵は悔いる。
このままでは、敵に先を越されてしまう。
力を与える前に。九龍直也の魂を手に入れる前に、万が一暗殺されでもしたら、もう取り返しがつかない。
土壇場で任務の失敗の可能性が高くなって、長い逃避行で神経を磨り減らした葵の判断力は低下していた。
とにかく早く、一刻も早く、この命蒼刃で九龍直也の命を奪わなければならない。
「おとなしくして! 私のことを信じて!」
「突然そんなことを言われて、信じられるわけないだろう! いいから説明をしろ!」
葵の鋭い突きを躱し続ける直也。
直也は葵を傷つけないように避けていたが、葵の動きもかなり速く機敏で、信じられないことに直也は追い詰められつつあった。
(何者だ……あの女)
ハジメは、怪物的な運動能力を持つ直也が、恐らく手加減しているにしても、自分と同じ年くらいの少女に追い詰められつつあることが信じられなかった。
二人は、道場の明かりが消えた方に移動していた。
「あのナイフ……?」
ハジメは、葵の持つ短刀が暗がりの中で薄く青い光を放っていることに気付いた。
「武士、ここを動くなよ」
「えっ」
ハジメは呟くと、武士のそばを離れ、二人に近づき始める。
「ちょっと……ハジメ?」
直也は武士の声に、ハジメが近づいてきていることを察した。
(まずい)
直也は御堂ハジメを警戒していた。
突然自分を狙ってきたこの少女。
そしてカバンに手を入れたまま近づいてくるハジメ。
それぞれどういう思惑があってかは分からないが、直也はこのままではまずいと感じていた。
「ハアッ!」
葵が突っ込んでくる。
その切っ先をギリギリで直也は避けるが、葵は避けられることを想定していて、床を蹴って急転換すると、直也に体当たりを食らわせた。
体勢を大きく崩す直也。
その隙に葵は短刀を構え直し、再び突っ込む。
ハジメは、葵の動きを止めようと駆け出した。
二人の動きが視界に飛び込んできた直也に、余裕はなくなる。
チャキッ……と日本刀の刃筋を立てた。
武士に、聞こえるはずもない直也の刀を握り直す音が聞こえる。
直也から、殺気が発せられるのを感じた。
「駄目だ!」
武士は弾けるように駆け出した。
先に動いていた筈のハジメよりも早く、武士は直也と葵の間に割って入っていた。
「なっ……!」
それは、ビルの屋上で自殺しようとした男を止めたときと同様に、信じられないほどのスピードだった。
直也の日本刀が、下からなぎ払われる。
葵の短刀が突き出される。
武士は心臓を葵の〈命蒼刃〉に突き刺され、背中を直也の日本刀に切り裂かれた。
鮮血が、背中を切り裂いた直也と、駆け寄ったハジメに降り掛かる。
葵、直也、ハジメに囲まれるような形で、武士は崩れ落ちた。
板間に、武士を中心に血だまりが広がっていく。
「え……」
倒れこむ武士に引っ張られる形で、命蒼刃を放してしまった葵。
自分の両手を見つめて、固まってしまった。
「た、田中……?」
直也にも、いったい何が起こったのかすぐには判断がつかなかった。
「武士ーっっ!」
ハジメは絶叫した。
思わず武士の体を掴んで起こそうとする。直也がそれを制した。
「御堂、下手に触るな! 傷が開いて出血がひどくなる!」
「九龍っ! てめえ、なんで武士を切りやがった!」
「お前こそ、どうして田中を止めておかなかったんだ!」
「くっ……」
直也にもハジメにも予想がつかない事態だった。
交錯しようとした直也と葵。
武士が立っていた場所は、それなりに離れていたはずだった。
少なくとも、葵を止めようと近寄っていたハジメより遠かったことは間違いない。
直也が葵を無傷で済ませることを諦め、迫る刃を葵の体ごと切払おうとした瞬間。
既に駆け出していたハジメよりも早く、武士は二人の間に飛び込んできた。
葵を、今まで会ったこともない不審なこの少女を守るために、武士は飛び込んできたのだ。
「御堂、とにかく今は止血をしよう」
直也は道着の上を脱ぐと、切り裂かれている武士の背中を抑える。
白い道着は、みるみる赤く染まっていく。
「更衣室にサラシがあっただろう、俺が圧迫止血をするから、今のうちに……」
直也はハジメに指示を出すが、ハジメはゆっくりと立ち上がり、下げているカバンの中に手を入れた。
「……手遅れに決まってるだろ……心臓刺されてんだよ……ワケわかんねえ、この女によおっ!」
ハジメはカバンから手を引き抜く。
その手にはグロッグと呼ばれる拳銃が握られていた。
血まみれで倒れ伏す武士の前で、膝を付き呆然と固まったままの葵の頭に、銃を突き付ける。
「御堂やめろ! 今そんなことをしている場合じゃないだろ!」
「何、すぐだよ……このいかれた女の頭吹っ飛ばして、武士の仇を取るだけだ」
直也の制止をハジメは聞きそうになかった。
あまりの怒りの為か銃口がカタカタと震えて狙いが定まらなかったが、ハジメは両手で構え直し、いまだ動く気配のない葵の頭に、銃口を直接押しつける。
チャキッ……
ハジメの首筋に、直也の構える日本刀の切っ先が突きつけられていた。
「九龍、てめえ」
「やめろ。その女は殺すな」
「武士を押さえてろよ! 血が止まんねえだろが!」
「手遅れだと言ったのは君だ」
直也の刀が僅かにハジメの首筋に触れ、皮膚に赤い線が走る。
この男は本気だ。
ハジメの背筋に冷たいものが走る。
引き金を引いた瞬間、ハジメの首と胴は離れているだろう。
いや、引き金を引くことすらできないかも知れない。
相手は殺気に反応する天才だ。
「もう一度言う。その女は殺すな。銃を下ろせ御堂」
「へっ、そうかよ……結局はそっち側の」
ハジメはゆっくりと銃を下ろした。
直也の緊張がほんの一瞬緩む。
「……内輪揉めかよ!」
その僅かな一瞬をハジメは逃さなかった。
手にした拳銃の銃身で刀身を弾き飛ばす。
殺気を読めるのはハジメも同様だった。
転がるように直也から距離を取り、銃を構え直す。
直也は即座に間合いを詰めようとしたが、武士の血で足元を滑らせバランスを崩し、刀の間合いまでは踏む込むことができない。
銃と刀を構えて二人は対峙する。
銃を持つハジメの方が圧倒的に優位のはずだったが、直也はあと一歩で刀が届く間合いにいた。
あの驚異の反応速度で初弾を躱されたら、切り捨てられるのはハジメの方だ。
「……なんで」
葵は、倒れている武士の前で硬直したまま、ぼそりと低い声で呟く。
「なんで、こんな子に……邪魔されなきゃいけないの……」
思わず洩れたその呟きは、ハジメの逆鱗に触れた。
「てめえがっ」
ハジメは銃の狙いを直也から葵に移す。
「待っ……」
直也が止める間もなく、
ダンッッ!
引き金が引かれた。
直也は止めることが出来なかった。
しかし、その銃弾は葵に届くこともなかった。
信じがたい光景だった。
背中を切り裂かれ、心臓に短刀を突き刺されたままの武士が体を起こして。
葵を庇ってその身に銃弾を受けていた。
肩に銃弾を受けた武士は、再び倒れ血の海に沈む。
「……た……武士……?」
今度こそ、ハジメは何が起こったのか理解できなかった。
「……まさか」
直也も唖然と武士を見ていたが、ハジメとは微妙に異なり、何かを恐れているような顔だった。
それまで無表情だった葵も、再び自分を守った武士に驚きの表情を浮かべている。
「ハ、ハジメ……?……駄目だよ、女の子を撃つなんて……」
か細い武士の声が響いた。
我に返ったハジメが倒れている武士に駆け寄る。
「武士! 大丈夫なのか!? お前、どうして…」
「だい、じょうぶなワケ……ないじゃん……刺されて……撃たれて……」
武士は真っ青な顔でハジメを見ている。
「って言ったって、お前」
そもそも、心臓を短刀で刺されて立ち上がれる人間なんていない。
心臓は、全身に血を送り込むポンプだ。
それに刃物を突き刺されれば、心筋は裂け、まともな収縮が出来なくなる。
体に血液を送ることができなくなり、数分のうちに、脳が死ぬ。
「ねえ……君……」
しかし武士は僅かに首を動かし、葵を見ていた。
「名前、なんていうの……?……」
「……葵」
素直に葵は自分の名前を告げた。
機密事項だったが、任務に失敗した今となってはどうでもいいことだ。
「葵さん……ね……」
「武士、お前なんで」
「だって……自分が守って死んだ人の名前くらい、知っておきたいじゃんか……」
「死なないわ。あなたは」
武士の胸に突き刺さったままの短刀から、青い光が放たれ始めた。
「なっ……」
立て続けに起こる異常な現象に、ハジメは言葉を失うしかない。
発光とともに、武士の体から流れ続けていた血が止まり、傷が塞がっていく。
「あなたにはもう、失う命がないから」
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