襲撃

 肩口に受けた銃創から銃弾が押し出され、ころんと床に転がる。

 次いで、胸に突き刺さったままだった短刀も中から押し出されるように抜け落ち、血が噴き出すこともなく、傷痕は塞がっていった。


「そういうことだったのか」


 武士の体が超常的な力で癒されていく様子を目の当たりにし、直也は思わず呟く。


「その力は、命を奪うことで、与えられるのか」

「どういうことだ?」


 思わず洩れた直也の言葉に、ハジメが問い質す。

 直也は慌てて口をつぐんだ。


「なに……これ、ど、どうなってんの?」


 もっとも動揺しているのは武士だった。

 朦朧としていた頭が、急にクリアになってきて、自分の体が普通なら考えられない状態になっていると気づく。


「命蒼刃の力よ」


 短刀が蒼い光を発し始めてから、少しだけ顔を歪めていた葵が、抜け落ちた短刀を拾い上げ呟いた。


 短刀の発光現象が止まると、真っ青だった武士の顔色もすっかり良くなり、その体には傷ひとつ残っていなかった。

 もっとも、切り裂かれた制服などはもちろんそのままだ。

 発光が収まって普通の表情に戻っていた葵は、青い鞘を取り出し手にしていた命蒼刃を納めた。

 直也も放り出していた日本刀の鞘を拾い上げて、刀を納める。


 奇妙な沈黙が場を支配した。


「御堂。君も物騒なものをしまえ」


 右手に銃をぶら下げたままのハジメに、直也は言う。

 その直也を、ハジメは笑うように口の端を歪めながら睨みつけた。


「いいのかよ、刀納めてよ。俺はいつだってお前を撃てるんだぜ」

「君はそんなことしないよ。ただの監視だろう? やろうと思えばこの三ヶ月、いくらでもその機会はあったはずだ」

「いくらも隙を見せなかったくせに、よく言うぜ」

「……ハジメ?」


 呼び声に、座り込んだままの武士が自分が手にしているものを見ていることに気付き、ハジメは慌てて銃をカバンにしまった。


「今の、なに?」


 武士はハジメを見つめたまま問い質す。


「モ、モデルガン……」

「撃たれた。僕、たった今それで撃たれた」

「……どうもすみませんでした」


 ハジメは素直に頭を下げた。


「謝って欲しいんじゃなくてさ」

「……」

「説明、してほしいんだけど……ハジメのピストルのこともそうなんだけどさ。僕の体、どうなっちゃったの?」

「それは、俺も聞きてえんだ」


 ハジメは直也を見つめた。直也は視線に気付くと、顔を背ける。


「何か知ってますよねえ? 九龍ぅ先輩ぃ?」

「……」


 直也は無言だった。

 ハジメがなおも口を開こうとすると、葵が先に口を開いた。


「君は、名前は?」

「僕? 僕は田中武士」

「……」

「本名だっつーの」


 不審そうな葵に、ハジメが横槍を入れる。


「……そう。田中君。ごめんなさい。私は君を巻き込んでしまった」

「う、うん……」

「私を、庇おうとしてくれたんだね。あのままだったら、私は九龍直也に斬られていたから」

「……」

「ありがとう。でも余計なお世話だった」


「なんだと、テメエ!」

「御堂、黙っていろ」


 血色ばむハジメを、直也が制する。


「任務を失敗するなら、斬られて死んだ方がマシだった」

「……」

「なんだよ、任務って」


 すぐに言葉を返せない武士に代わって、ハジメが葵を問い詰めていた。


「私の任務は、」

「話していいのか?」


 直也が口を挟む。


「無関係の彼をこんな体にした以上、説明しない訳にはいかないでしょう?」

「それは、その通りだけどね……」

「だとよ。九龍、黙ってろよ」


 ハジメは、先程直也に言われた台詞をそのまま言い返した。


「私の任務はこの特殊兵器、九色刃のひとつ〈命蒼刃〉の力を、予言された英雄・九龍直也に渡すこと」

「はあ? なんのファンタジー漫画だ、そりゃ」

「彼女は〈刃郎衆〉だよ。旧清心会系御堂組の息子なら、名前ぐらい聞いたことがあるんじゃないのか」

「詳しかねえけど……マジだったのかよ」

「え……何、全然わかんないよ、僕」


 怪しげな会話を交わす直也とハジメに、戸惑う武士。


「田中君。〈命蒼刃〉の力は、その刃で命を絶った人間の魂を吸い取って、管理者……つまり私の魂と繋げる力。そして、残された体は不死になるの」


 葵は武士の顔を見て、真顔でにわかには信じられない言葉を話す。

 ふざけている様子はない。


「魂……フシ?」

「つまりあなたはもう、殺しても死なない体になった」

「なに、それ……漫画かゲームじゃないんだから……」

「実際にあなたは私に刺され、刀で斬られ、そのうえ銃で撃たれても死ななかった」

「冗談、でしょ」

「本来、この力は九龍直也に与えられるはずだった。そして不死身となった彼は、間違った方向に進もうとしている世界と戦う英雄になるはずだった」

「……それが」

「そう、間違ってあなたに与えられた」


 再び、場を沈黙が支配した。

 突然告げられた突拍子もない話。嘘だと言いたかったが、武士は実際に致命傷を負った自分の体が、今は切り裂かれた服以外になんの痕跡も残していないことを確認してしまう。


「なに……それ……嫌だよ……僕は、世界と戦うって、なんだよ……」

「武士」

「ハジメ! なんだよこれ! こんなの嫌だよ!」


 武士はハジメの腕を掴んで、叫ぶ。

 武士の爪が痛いほどハジメの腕に食い込んだが、ハジメはそれを黙って受け止めていた。


「僕は……僕はもう平凡に……! 強くなんてなれなくていい、普通に生きていければもういいって、そう決めたのに……!」

「武士、落ち着け!」

「これが落ち着いていられるもんか!」

「武士! 落ち着いてくれ頼む!」


 ハジメは、しがみついてくる武士の肩を大きく揺さぶる。


「田中君。落ち着くんだ。君は大丈夫だ」

「九龍先輩! 僕は!」


 直也は低く抑えた声で、パニックに陥っている武士に話しかける。


「これは事故だ。誰も君に、俺の代わりに戦えなんて言わない」

「えっ…」


(戦えなんて言わない)


 直也の言葉が静かに武士に刺さる。

 武士は叫ぶことを止めた。


「九龍、お前」


 ハジメは何か言いかけるが、今混乱している武士の前ではなにも言えなかった。


「……葵さん、っていったね、君」

「はい」


 直也は暗い顔でふさぎこんだままの葵に声をかける、


「その命蒼刃の力、解除はできないのか?」

「そんな方法はない」

「『ない』のか?『知らない』だけじゃないのか?」

「私は命蒼刃の管理者だ。私が知らないということは、ないっていうことなんだ」

「それは違う。九色刃は君が作ったわけじゃない。可能性はあるはずだ」

「……やりなおせる、可能性がある……?」

「そうだ」


 よく考えれば直也の言葉になんの根拠もないはずだった。

 しかしその力強い声に、絶望に翳っていた葵の瞳が、僅かながら意志の光を取り戻していく。


「でも、作った人間は六十年以上前に死んでいる」

「刃朗衆のトップならどうだ?」

「組織はもうバラバラになっている。行方は分からない」

「生き残っている末端から辿っていけばいい。たとえば……御堂組とか」


 直也はハジメを見た。


「御堂。お祖父さんはご健在かい?」

「どこまで知ってるんだテメエは。てか、そこまで知ってるテメエは何者なんだ」

「知らずに監視してたのか? 御堂、君は使い走りなのか」

「うるせえ」

「……聞いたことある名前だと思っていたら、そう、御堂組の子供なの、あなた」


 直也とハジメの会話を聞いていた葵が、ハジメをじっと見つめた。そしてもう一人、ハジメの顔を覗き込む人物がいる。


「ハジメ?」

「た、武士……」

「ハジメの家が暴力団だってのは、聞いてたけど……なに? 九龍先輩と……この葵さんと、なにか関係があるの?」

「いや、関係、つーか……」


 ハジメが言い淀んだ、そのときだった。


 剣道場の一角を灯していた明かりが、唐突に消える。


「っ!」


 葵と直也とハジメは、ほぼ同時に息を飲んだ。

 窓から差す月明かり以外、明かりがなくなる。


「しまった……!」


 葵は命蒼刃を太もものホルターに納めながら、すばやく立ち上がった。

 直也は刀の柄に再び手を掛け、ハジメはカバンから再び銃を抜く。


「なに、停電?」


 武士が声を上げたその瞬間。

 窓ガラスが何枚も割れる音、出入り口の引き戸が蹴り倒される音、それらが同時に響いた。

 突然の暗闇で武士には認識できなかったが、出入り口と四カ所あった窓から、屈強なスーツ姿の男たちが一斉に突入してくる。


「わっ」


 武士の小さな悲鳴が響く間もなく、葵と直也は動き出していた。

 突然の暗闇を意に介す様子もなく、葵と直也はそれぞれ近かった窓から突入してきた男たちに突っ込んでいく。


 男達はそれぞれ特殊警棒やスタンガン、ナイフで武装していた。

 葵が向かった先の男は、手にしたスタンガンをオンにし、バチバチと閃光を放つそれを殴りつけるように突き出す。

 葵はしゃがみ込んでそれを避けると、同時に足払いをかける。

 男は跳躍して足払いを避けるが、そのまま半回転した葵は回し蹴りを着地際の男のみぞおちに叩き込んだ。

 体をくの字に折る男に顔面に、続けざまに肘を打ちつけ昏倒させる。


 直也が突っ込んだ先の男は、特殊警棒を手にしていた。

 男はコンパクトな振りで、鋭い打撃を繰り出す。

 しかし、間合いで遥かに勝る直也の日本刀が一閃すると、警棒が弾き飛ばされた。

 続けて直也は刃を返して、得物を失った男の肩口をめがけ強烈な峰打ち。

 男は鎖骨を砕かれた衝撃に意識を失い倒れこんだ。


 ハジメは、武士の側を動かなかった。

 銃を構え、襲撃者を狙う。

 近い窓から侵入してきた一人の持つ大型のコンバット・ナイフが月明かりを反射し、敵に明確な殺意があることを確認すると、ハジメは暗闇の中で正確に敵の気配を捉え発砲する。


 ダンッ! ダンッ!

 二連射。

 ナイフの男は体を弾けさせ、その場に倒れた。


「ハジメっ!?」


 暗闇に目の慣れない武士は、発砲の音に驚愕の声を上げる。


「なっ……!」


 残る男達が、ハジメが銃を所持していることに驚き動きを止めた。

 侵入者たちは互いに目配せすると、手にしていた警棒等の武器を捨て、懐から素早く銃を抜く。


「ちっ!」


 ハジメは別の男に銃を向ける。

 撃たれる前に撃とうとしたその瞬間。


「なにやってるの! ハジメ!」


 武士はハジメの腕にしがみついてきた。


「武士! なにすんだ!」

「銃なんて撃ったら人が……!」


 武士がハジメの発砲を止めてしまった隙に、襲撃者達の銃が火を噴いた。

 小型のサプレッサーを付けていた男達の銃は、バスッバスッという鈍い音を上げる。

 同時にハジメに覆い被さる形になっていた武士の体がビクン! と跳ねる。

 正確に放たれた銃弾は、すべて武士の体に命中した。


「がっ!」


 肺に当たったのか、武士は口から血を吐き出しハジメにもたれ掛かる。


「武士っ!」


 武士が吐き出した血を浴びたハジメは、武士の体を支えながらも片手で銃を連射し、男達のうち一人を撃ち倒した。


 直也と葵は別の男たちと相対している。

 襲撃者達の数は多く、全員が手練のようだった。

 しかも、ハジメの発砲で余裕のなくなった男たちは全員銃を抜いている。


 男達の構える銃の射線から外れ、懐に飛び込もうと。

 葵が動いたその瞬間、太もものホルターに納めた命蒼刃が、再び発光を始めた。


「く……!」


 葵の動きが一瞬鈍る。

 その隙を見逃さず放たれた敵の銃弾が、葵の肩口をかすめた。


「あうっ!」


 葵は肩を押さえて倒れ込む。

 男は即座に葵を組み伏せて、銃口をその頭に押し付けた。


「全員動くなっ!」


 直也とハジメは、葵を人質に取られ動きを止めた。


「なに……? ……どうしたの」


 武士がもたれ掛かったハジメから、ゆっくりと体を起こす。

 その体から銃弾が数発、転がり落ちた。


「な……!」


 何発もの弾丸を撃ち込まれ、絶命したと思われていた武士が立ち上がり、男達は驚愕する。

 先程と同様に、武士の体は命蒼刃の発光現象とともに急速に回復していた。


 そして、命蒼刃の力は発動すると葵にも何らかの影響があるようで、葵はその隙を突かれていたのだ。 


「武士、お前なにやってんだよ」


 ハジメは飽きれたような声を出す。


「だって、ハジメが人を」

「多分、お前のせいだぞ」


 ハジメの視線を追った武士は、暗がりの中で命蒼刃の光に照らされ、葵が屈強な男に組み敷かれて銃を突きつけられる姿を認識した。


「あ、葵さん……」

「動くな。全員武器を捨てろ」


 襲撃者の内の一人が強圧的な声で命じる。

 直也とハジメは目配せするが、


「ううっ……!」


 葵が男に強く床に押さえつけられ、苦痛の声を上げる。

 どうしようもなかった。


「早くしろ」


 命蒼刃の光が消え、再び剣道場は薄暗がりに沈んだ。


「私のことは、いいから……逃げて……」

「黙っていろ」

「あうっ!」


 弾丸に裂かれて血を流している葵の肩を、押さえつけている男が膝で押し潰し、葵は苦痛の声を漏らす。

 ハジメは銃のトリガーに掛かっていた指を一度放していたが、再びゆっくりとトリガーに戻す。


「……ハジメ」


 暗がりの中で見えるはずのないハジメの指の動きがわかったのか、銃を持つハジメの腕を武士がそっと掴んだ。

 驚いたハジメは武士を見る。

 武士はゆっくりと首を振った。


(優しいのも度が過ぎるんだ、お前は)


 ハジメは葵を押さえている男が引き金を引くよりも早く、撃ち殺せる自信があった。

 しかし、男はかなり姿勢を低くし、組み伏せた葵に密着している。

 流れ弾が葵に当たり万一死なせてしまったら、武士を元の体に戻せなくなる可能性があった。

 ハジメは自分が巻き込んでしまったようなこの事態から、少なくとも武士だけは逃がしたかった。


「三秒だけ待つ。武器を捨てなければ撃つ」


 男は冷徹に言い放つ。


「3、2、1」


 男の静かな短いカウントダウンに、直也が刀を捨てようとし、ハジメが一か八か男を撃とうと意を決したその瞬間。


 割れたガラス窓の外に、鮮やかな緑色の光がチカッと光った。

 直後。


 ガガガガッ!!


 窓からほとんど窓枠と同じ太さの樹の枝が、サッシを捻じ曲げながら突っ込んで伸びてきた。


「ぐはぁっ!」


そして、葵の上に乗っていた男を吹っ飛ばし壁に叩きつける。男はそのまま極太の樹の枝と壁に挟まれ意識を失った。


「………は?」


 武士は思わず間抜けな声を上げ、あんぐりと口を開ける。

もっとも、とっさに状況を理解できないのは武士だけでなく、その場の全員が同じだった。


「……樹の枝……まさか」


 葵ひとりを除いて。


 剣道場に飛び込んできた樹の枝の影から、背の低い人影が飛び出す。

 人影は両手に大きく刃が湾曲した剣を持ち、それを板間の床に叩きつけた。


「かませっ!『碧双刃』!」


 少女の叫ぶ声とともに、緑色の強力な光が二本の曲刀から発せられる。

 床一面に、突きさされた曲刀を中心に緑の光が稲妻のように這い広がった。


 直後、剣道場の床板が襲撃者たちの足元で割れ、そこから樹木がまるで生きている触手のように男たちを絡めとる。


「うわあっっ!」

「なっ、なんだっ!?」


 床から生えた樹木は、絡めとった男たちをそのまま猛烈な勢いで押し上げ成長し続ける。

 襲撃者たちは全員、天井に叩きつけられて、そのまま動かなくなった。


 人影は床に突き刺した曲刀を抜き、柄を中心にヒュンヒュンと回してから、まるで西部劇のガンマンが二丁拳銃をホルスターに納めるように、腰につけた銀の金具に曲刀を収めた。


 緑の発光現象は止み、代わりに窓からの月明かりが背の低い人影の顔を照らす。

 葵の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


「……生きてた……生きてた、生きてた! 翠姉ぇっっ!」

「葵ちゃん! 男に押し倒されるなんて、お姉ちゃん許さないよっ!」


 ゴスロリ衣装の少女は軽やかに微笑んだ。

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