第9話 フンボルトペンギンの策略
——ネオ東京国際空港
一人の男が国際警察専用の小型ジェット機から降り立った。黒いコートを羽織って、サングラスをかけている。頭髪には白髪が混じり、白い髭と皺の刻まれた顔は経験豊かな男の貫禄を漂わせている。
「待たせたな、マリリン」
男は金髪の女性に話しかけた。
国際警察捜査官のマリリンが男を待ち構えていた。
長いウェーブのかかった金髪を背中にたなびかせている。顔立ちがはっきりとしており、その瞳はしっかりと男を見ている。
「待ちかねたわん」
マリリンが右手を差し出す。
男が右手を伸ばしマリリンと握手をした。
「また、いい男とか見つけたりしているのか」
「見つけたわん」
二人の手が離れた。
男がマリリンの肩をぽんぽんと叩いた。
「あまり男を泣かせるなよ」
「ケンイチは泣くような男じゃないわん」
「でも、じきに別れなきゃいけないんだろ」
「そうなのよん……」
マリリンは少し寂しそうに空を見上げた。
エンジン音が聞こえた。
ちょうど飛行機が飛び立ったところだった。
第九話 フンボルトペンギンの策略
—一—
——東北東大学、海洋技術研究所附属水族館、早朝のフンボルトペンギン水槽
飼育員も水槽に出てこないで警備員も巡回していない時間帯に、姉妹フンボルトペンギンのおマツとおタケが柵の近くの地面を起用に足とフリッパー(翼)で掘っている。足を激しく動かして土を飛ばし、フリッパーを振り回して形を整えている。おマツとおタケは穴掘り好きである。サボテンの陰で隠れていて見つけにくい場所を少しずつ掘り進めている。だいぶ大きな穴が空いていて、一匹くらいだったらもう完全に体が隠れるくらいだ。
ペンギンハウスからぺたぺたともう一匹フンボルトペンギンが出てきた。
若い雌のフンボルトペンギン、おペンである。胸の黒い縞はまだはっきりとしておらず、全体的に灰色に見える羽毛は幼いペンギンの特徴である。
『おもしろそうなの』
興味津々といった顔でおペンはおマツに話しかける。
しっぽがふりふりと動いている。
『いっしょに掘らない?』
振り返ったおマツがおペンを誘う。
『ペン吉お兄ちゃんも、こうやって穴を掘って柵を下から脱出したのよ』
おタケもフリッパーをぱたぱたとさせておペンを誘う。
『あたしもやるの』
おペンは穴にぴょんと飛び込んだ。
後ろ向きに足を使って土を蹴り出す。フリッパーを使って土をならす。
『そうそう、その調子よ』
おマツがくちばしを上下に振って頷いた。
——午前十時、警備員室
十時の立体映像ニュースが流れていた。
『港に続く海岸道路は車十台が関係する事故で渋滞しています。通過には三十分以上かかります。時間に余裕を持って運転しましょう。本日も安全運転でお願いいたします……』
平日の休館日なので一般の来館者はいない。警備員室では長身の八平(はちへい)が、フンボルトペンギン水槽監視システムのコンソールに細長い指を走らせてシステムの状態を確認していた。画面に表示された各種センサの多くは状態エラーを示す黄色い斜線表示をされている。
「こいつぁ本格的にあかんやつかな」
八平は小さく独り言を画面に向かってつぶやく。
電子音が鳴った。
また一つノード不良が追加された。
八平は首を左右に振る。
「また、小野寺さんにお願いせにゃあかんなぁ」
八平はフンボルトペンギン水槽監視用有機ニューラルネットワークシステムの警報を切った。
そのとき、すでに有機ニューラルネットワークは山下圭吾が持ち込んだウイルスに侵されて機能不全を起こしていた。
水族館の入門ゲートの真ん中にある小さな門番小屋で、警備員の熊五郎は小さな椅子にどっかりと腰を下ろして、大きな握り飯をぱくぱくと食べながら門番をしている。入門ゲートの門番小屋は道の真ん中にあって、中に入ろうとする車と外に出ようとする車の両方を監視できる位置にある。小さな小屋と比較して熊五郎の体格が大きいのですこし窮屈そうに見える。休館日なので車が入ってくることは滅多になく警備はすこし暇だった。
エンジンの音が聞こえた。
中型のトラックがゲートの前に止まる。
窓が開いて男が入門を要請した。
熊五郎は小屋の窓から身を乗り出してトラックの運転席を見た。運転席の男は少し小柄で、助手席には欧米系に見える長身の外国人が座っていた。いずれも青色の作業服を着ている。見た感じはいつも資材運搬をしている業者の作業服のようだった。
「話を聞いていないが」
「急な資材の搬入で」
背の低い男は申し訳なさそうにIDカードを差し出した。この水族館はけっこう古いので古風なIDカードシステムがまだ現役である。
熊五郎はカードリーダにIDカードを通した。
リーダが認識してゲートが開いた。
熊五郎はカードを運転手に返し、トラックを通した。
トラックが門番小屋の脇を通るのを見送る。
助手席に座った長身の男の横顔が見えた。彫りが深く色の白い特徴的な顔だった。
「どこかで見たことがあるんだがなぁ」
一瞬、熊五郎は首をひねったが、お弁当の握り飯がまだ食べかけだったことに気づいて、また握り飯をぱくぱくと食べ始めた。
陽気な鼻歌を歌いながら、水族館の敷地を園田町子が歩いている。今日は休館日だが、水族館の中庭のチューリップの花に水をやりにきたのだ。
手にじょうろを持っている。
ふと前方を見ると、フンボルトペンギン水槽の方へトラックがごろごろと走っていくのが見えた。
「あら〜。今日もお仕事大変ねえ」
そう言ってから園田町子は首を傾げた。
「あら? 山下さん行方不明なのに資材の搬入なんて、あるのかしら?」
一瞬、疑問を感じたが、そのまま園田町子は中庭の方へと歩いていった。
トラックはフンボルトペンギン舎の裏手にある資材搬入口の前で止まった。運転席と助手席から素早く男が二人下りた。
「タケシ、荷台をあけてくださーい」
長身の欧米風の男が小柄な男に話しかけた。
「了解だ、トーマス」
小柄な男が頷く。
タケシと呼ばれた男はトラックの荷台の両開きの扉をあけた。
「エミリー待たせたな」
「待ちくたびれたわよ」
ショートカットの金髪をした女性が太いホースのような物を抱えて飛び降りる。
「急ぐわよ」
トーマスは搬入口の扉にIDカードをかざしロックを手早く解除した。
三人は先端が人の頭が入るくらいの太さがあるホースを抱えたままフンボルトペンギン舎へ突入した。休館日の廊下をホースを引きずりながら走る。
警備員がフンボルトペンギン水槽監視システムの警報を切っているため、アラームが鳴ることがない。また、万が一、警報がはいっていたとしてもウイルスに侵されたニューラルネットワークはセンサの情報を処理することができない見込みとふんでいた。
三人を制止するものは何も無いはずだった。
三人は水槽の前に到着した。
エミリーが手早くホースを水槽の中に投げ込む。
するとあれよあれよと言う間にペンギンが次々にホースに吸い込まれていった。超強力フンボルトペンギン吸引機だった。
ペンギンたちが逃げまどった。
「もっとホースを前に出してペンギンを吸い込むのでーす」
長身のトーマスがタケシとエミリーに身振りでもっと奥にホースを動かせと指示をする。
タケシが前に出た。足がフンボルトペンギン水槽近くのマットを踏んだ。
マットは圧力検知による古典的警報で有機ニューラルネットワーク制御とは独立していた。しかも制御装置は旧式のシリコン製ノイマンプロセッサによって構成されていたため、ウイルスの空気感染とは無縁でシステムは正常に作動していた。
けたたましいアラームが鳴った。
「急ぐのでーす!」
トーマスが叫ぶ。
フンボルトペンギン吸引機の勢いが増した。
仲間たちが吸い込まれてゆく中、おマツとおタケ、そしておペンはサボテンの下にある穴の近くにいた。
おマツがおペンに言い聞かせる。
『いいこと、おペン、穴の下でじっとしていなさい。絶対に外に出てはだめよ』
『お姉ちゃんたちは?』
ぶるぶると震えながらおペンはおマツとおタケは首を振った。そして、掘っていた穴の中におペンを蹴り飛ばすようにして押し入れた。
『あなたは生き残るのよ』
『お姉ちゃん!』
おマツとおタケは石を蹴って穴のふたをした。そしてその上に自分たちの身体を横たえた。
警備員室でアラームが鳴った。
「誤報か?」
警備員の八平は首をひねる。
半透明のコンソールには何も表示されていない。
壁の赤い表示灯が点滅している。
「いや、ちがう。これは質量検知マットからの信号だ。一応念のため見ておこう」
八平は立ち上がった。
扉を出てフンボルトペンギン水槽の方へ廊下を走る。
急いで廊下を曲がろうとした瞬間、大きくて長い物につまずいて転んだ。
「な、なんだこれは」
それは太いホースのような物体で、引きずられるようにして動いていた。先端が現れる。漏斗が広がったような形状をしていた。まるで掃除機のホースが巻き取られるかのように先端がすごい勢いで後退してゆく。
あわてて立ち上がり、ホースの先端を追いかける。
通用口から外に出た。
中型のトラックがあって、ちょうどホースの先端が荷台の扉の中へ巻き取られたところだった。荷台の扉が自動で閉まる。
トラックが動き出す。
「まて!」
その叫びはむなしくトラックの後ろで反射した。
トラックはそのまま敷地を駆け抜け、水族館の閉じたままのゲートに突入した。
警備員の熊五郎はトラックがつっこんでくるのを見た。おにぎりを放り投げる。小屋から出ようとした。しかし身体が扉につっかえて出られない。
トラックがゲートに衝突した。
ゲートが壊れた。
そのままトラックはゲートを突破して、港に続く海岸道路の方向へ走り去った。
—二—
山下圭吾は行くあてもなく砂浜を歩いていた。
今頃、水族館ではフンボルトペンギンたちが根こそぎさらわれているはずだった。
それを知っていて、なお、何もすることができなかった。
無力感があった。
得体がしれず、魂が凍りそうで、果てのない寂寞感が心の内にあった。奈落に落ち込むような深い孤独があった。悲しい孤独感にひしひしと胸をしめつけられた。
波打ち際に大きな岩があった。そこに崩れるように座った。
波が砂浜に押し寄せてきて、ひいていった。
圭吾は空を見上げた。
雲のかたまりがあった。
その形は圭吾の目にフンボルトペンギンのように映った。
子供の頃、フンボルトペンギンの絵を描いて校長先生にほめられたことを思い出した。美術部で一生懸命フンボルトペンギンのスケッチをしたことを思い出した。
圭吾は下を向いた。
ため息をついた。
砂を踏む音がした。
圭吾は横を向く。
長身の男がいた。黒いコートを着て黒い山高帽子をかぶっていた。立派な口ひげが生えており、顔には経験を感じさせる皺が刻まれていた。
「ちょっと隣で休ませてくれないかね」
そう言って男は圭吾の座っている岩に座った。
カモメが空で旋回した。そして、鳴いて、また海の方へ飛んでいった。
男は圭吾を見た。
「水族館への行き方をご存じないかな」
「それなら、この砂浜をまっすぐ西に行けばつきます。私はそこで……」
そこまで言ってから圭吾は言葉を濁した。
「そこで?」
男の目が圭吾を見た。
圭吾は視線をずらした。
「私はそこで、フンボルトペンギンの飼育員を」
圭吾の言葉が一瞬、止まった。
そしてためらいがちに言葉をつなげた。
「フンボルトペンギンの飼育員を……していました」
男は圭吾の横顔を伺うようにして見てから、空を見上げた。
「少し話をしよう。ペンギンの話だ」
男は水平線の遠くを見つめた。
そして語り出した。
昔々、ペンギンたちは南の島で幸せに暮らしていた。そこへ、人間たちがやってきた。人間たちはペンギンたちを食べたり、ペンギンたちの卵を食べたりした。ペンギンたちは人間の住まないような場所に逃げた。けれど、人間たちが持ち込んだ肉食動物は、そんなペンギンたちの貴重な卵や雛を食べ、ペンギンたちの数は激減した。また、人間がつくった防波堤で島と本土が繋がったことで本土の肉食動物が自由に島に入るようにもなってしまった。さらに、海の魚も人間たちとの取り合いになって、底引き網で一網打尽に魚を捕ってしまう人間たちにペンギンたちは負けるように数を減らしていった。また、心無い人間がペンギンの糞を嫌い、わざとペンギンの卵を壊したりもした。追い討ちをかけたのは人間が起こした戦争のせいで大量の原油が海に放出され油まみれにされたことだった。ペンギンたちは臭い油で息をすることができずに死んだ。
それだけではなかった。
数が減ったペンギンたちが貴重だということで、剥製にしてコレクションする人間たちも現れた。ペンギンの密猟が始まって、高値で取引されるようになった。
「私は、それら全てを自分の目で見てきた。目で見るまでそんなひどいことが起こっていることは信じられなかった。しかし、それらは全て事実だった。剥製にされたペンギン。ペットにされた末、虐待され、水族館に保護されたペンギン。それらを私は見た」
男はいったん息をついた。
波が砂浜に打ち寄せる音がしている。
男が立った。圭吾の方を向いた。
圭吾は男を見上げる。
男の視線は、まっすぐに圭吾の目を見た。
「君は、フンボルトペンギンの飼育員『だった』のか?」
圭吾は思い出す。
水族館でペン之介とおキクのお見合いをした。卵が生まれた。ペン太郎が孵化した。ただ、ひたすらに、フンボルトペンギンのために働いていた。フンボルトペンギンの幸せが自分の幸せだった。
今の自分は違う。
フンボルトペンギンの卵と引き替えにお金をもらった。
フンボルトペンギンを悪者に引き渡した。
この仕事はフンボルトペンギンの飼育員の仕事ではない。
やりきれなかった。
やるせなかった。
惨めだった。身が細るほどつらかった。虚しく言いようがなく切なかった。息ができないくらい苦しかった。
圭吾はうつむき、そしてもう一度顔を上げた。
男の目があった。
男は口を開いた。
「君は、フンボルトペンギンを愛しているかね?」
同じ問いを過去に聞いていた。
小学校の写生大会の時に校長先生に問われた。そのときは「はい」と答えた。
就職するときに水族館長に問われた。そのときは「はい」と答えた。
山下圭吾は膝から崩れ落ちるようにして両手を砂浜についた。
過去の自分は素直だった。
過去の自分は愚直だった。
過去の自分は純粋だった。
フンボルトペンギンのことを思い、フンボルトペンギンのために働き、フンボルトペンギンとともに悲しみ、フンボルトペンギンとともに喜んだ。嬉しいときも悲しいときもフンボルトペンギンとともにいた。
いまの自分は違う。
いまの自分にはその答えを口にだす権利はないかもしれない。いまの自分がその答えを口に出しても誰にも信用してもらえないかもしれない。それでもなお、それだから、その言葉を口に出さないと、どこまでも落ちていってしまうかもしれない。手遅れかもしれないけれど言いたかった。昔の自分に戻りたかった。もう一度、フンボルトペンギンのために働きたかった。
だから、圭吾は答えた。
——君は、フンボルトペンギンを愛しているかね?
「はい」
「ならば、そのように行動しなさい」
山下圭吾は頷いた。
—三—
——東北東大学、工学部応用物理学科、佐藤研究室の定例研究会
今日の議題は『フンボルトペンギンはピコブラックホール(PB)から取り出せるか』である。
ロの字に並んだ机には正面に小野寺真由助教、正面から見て左側に増川美保とマカロンクッションの上のフンボルトペンギンこと小林大樹がいて、右側には多田健一がいる。
本来ならば正面の席には整髪剤の匂いをぷんぷんとさせる佐藤教授がでっぷりと肥えたお腹をぷにぷにとさせながら鎮座ましましているところであるが姿が見えない。
「佐藤先生は金髪美人に会っていることが奥様にばれて欠席です。かわりにこんな物を預かっています」
小野寺真由はコーヒーのソーサー程度の小さな黒い円盤状物体に、リュックの背負い紐のようなものがついた物体を取り出した。
「ピコブラックホールを用いた水中粘着重力波爆弾だそうです。なんでもペンギンの背中に小判鮫みたいに背負わせて泳がせて、船底にぴたっとつけると重力を反転させて船をひっくり返せるそうですが……何に使うのやら」
小野寺真由助教が細い眼鏡に左手を当ててかけ直しながら説明した。
一同は首を傾げる。
「ま、本題に入りましょう」
今日の発題は小野寺真由助教である。小林大樹の身体を元に戻すための具体的な方法について議論が始まった。細かい理論や数式などがずらずらと並んで論理が組み立てられた後、結論部分に差し掛かる。
「つまり、フンボルトペンギンの精神と小林君の身体をPBの事象の地平線から取り戻すためにはどうしても無限大のエネルギーが必要なのよ。どうしようもないわ。つまり現実問題、PBからはフンボルトペンギンの精神も小林君の身体も取り出せないってことね」
小野寺真由は肩をすくめた。
多田健一が手を挙げて発言する。
「反物質リアクタを使えば、事実上無限大のエネルギーが取り出せるはずですが」
小野寺真由は首を振る。
「あんな、不安定なものどうやって使うって言うのよ。爆発させた多田君に言われても説得力が無いわ」
美保と大樹は視線を左右に振りながら、空中で行き交う言葉を追いかけている。しかし内容についてはよくわからなかった。
——電子音
小野寺真由が携帯端末を操作する。
「あら、フンボルトペンギン水槽の質量センサマットが反応しているわ」
引き続きアラームが鳴った。
携帯端末の画面に水族館の警備員が映る。八平だった。
『小野寺さん、やられました。フンボルトペンギン水槽がおそわれて、フンボルトペンギンが丸ごとトラックで盗まれました』
立ち上がると小野寺真由は多田健一に指示した。
「多田君、すぐに車を出して」
小野寺真由助教、多田健一、増川美保とフンボルトペンギンこと小林大樹は即座に車で水族館に到着した。
警備員の八平と熊五郎とともに、足早に現場検証する。
フンボルトペンギン水槽は空っぽだった。
『一匹もいないペン』
小林大樹がつぶやく。
サボテンの下にある石が動いた。
のそのそと下から幼いペンギンが姿を現す。
『お兄ちゃん!』
おペンである。
大樹の姿を見ておペンは叫んだ。
『お兄ちゃん、みんなを助けて! みんな、なんか変な機械にすいこまれちゃったの』
ペンリンガルで同時通訳がなされる。即座に全員が現状を理解した。
「犯人たちは港に続く海岸道路に向かいました。おそらく港から船で逃げるつもりでしょう。行き先が特定できればよいのですが」
太った熊五郎が頬の汗を手ぬぐいで拭いながら説明する。
八平は渋い顔をした。
「海岸線は今ちょうど事故が起こって渋滞している。何とか先回りできれば追いつける」
多田健一が手を挙げた。
「俺が運転します。港に行くならば、山越えのラリーコースが早いです。俺はその道の経験者です」
多田健一の車の後部座席に小野寺真由助教と増川美保、増川美保の膝にフンボルトペンギンこと小林大樹が乗り込んだ。警備員の八平と熊五郎は警察への連絡と水族館の警備のために残った。
車のエンジンが始動し発進しようとしたとき、助手席の窓が叩かれた。
男が一人道に立っていた。
「あなたは?」
窓ガラスを開けながら多田健一が質問する。
「山下圭吾です。犯人を知っています。行く場所を知っています。彼らは港からモータボートで逃げるつもりです」
多田健一は一瞬で判断した。
「細かいことは後で聞く。今は犯人たちを追いかけるのが先決だ。助手席に乗って」
助手席に山下圭吾が乗り込んだ。
車が発進した。
経路は市街から山道に入り、ラリーコースを経由して港に抜ける道が選ばれた。半透明のナビゲーションシステムがフロントガラスの下側に表示されている。ラリーコースは公道ではないため、ナビには表示されていない。通常港に抜ける道は海岸通りのみだ。海岸通りはまだ渋滞している。
市街から山に向かう交差点の信号でいったん車が止まる。
山下圭吾はぽつりぽつりと説明を始めた。
フンボルトペンギンの飼育員になったこと、FXで大きな借金を負ったこと、フンボルトペンギンの卵を引き渡したこと、フンボルトペンギン誘拐の手引きをしたことを説明した。
「今更ですけど、やり直したいんです」
信号が青に変わった。
——加速
車は山道へ向かった。
多田健一はリズムに乗っていた。
「フラット、シックスライト、オーバクレスト」
記憶にあるナビゲータの言葉を口ずさむ。
「ロングファイブレフト、オーバー80、キープミドル」
何度も通ったコースだ。健一の身体は感覚的に覚えている。
車は右に左にステップを踏むようにラリーコースを曲がる。平均時速は90キロメートルを保持している。曲率半径の小さいコーナを含むことを考えればかなり速い。
左右の樹木が流れるように後ろへ飛んでゆく。
曲がる度に座っている人間とペンギンの身体は右と左へ急激な慣性力を感じる。
山道は峠にさしかかった。
木が少なくなり視界が開けた。
右側の斜面の木々の間から海岸通りが見えた。
渋滞する車の中にトラックがいた。
ちょうど海岸通から港への出口付近で、車が次々に渋滞から解放されるようにして交差点へ出て行くところだった。
「あれだな」
健一がちらりと山下圭吾に視線を送る。
「はい」
「よし」
健一の目が木々の隙間から差し込む光線を反射してきらりと光る。
右に曲がる側道があった。
健一はハンドルを切った。
ちょうどトラックが曲がった道に合流する。
ほかの車はいない。
視界にトラックが入った。
トラックが加速した。
「気づかれたか?」
多田健一がつぶやく。
前方に埠頭があった。
モータボートが一隻停泊していた。
「あそこです!」
山下圭吾が叫んだ。
トラックが止まる。
健一の車もすぐ後ろに止まった。
近くに水路があって海まで続いていた。
小野寺真由、多田健一、山下圭吾、増川美保、そしてフンボルトペンギンこと小林大気は地面に立った。
停車したトラックを囲むように近づく。
トラックの扉が開いた。
長身のトーマスに続いて、小柄なタケシが外に出た。
「そこまでよ。もう警察には連絡してあるわ」
小野寺真由の言葉にも、二人は余裕の表情である。
タケシがにやりと笑う。
「そいつは、どうかな」
手を作業着のポケットに入れる。
そして、黒光りする物体を取り出した。
「我々は銃をもってまーす。おとなしくしていないと発砲しまーす」
トーマスが「おや」と意外そうな顔をした。
「ヤマシタさんじゃないでーすか。そうですか。道理でこんなに早く追っ手が来るわけですか。とは言えこんな非力な人たちが追いかけてくるなんて拍子抜けでーす」
トーマスは拳銃を構えた。
「動いてはいけませーん。動いたらあなたたちは死ぬことになりまーす」
「俺がっ」
前ににじり寄ろうとする多田健一を小野寺真由が押さえる。
「だめよ多田君。ここは待つのよ。じきに警察が来るわ」
トーマスが笑った。
「そんなに待ちませーん。我々はとっととおさらばさせていただきまーす」
トラックの荷台が開く。
金髪ショートカットの女性、エミリーが現れた。
フンボルトペンギンは台車のついた木枠の檻に閉じこめられていた。ばたばたと暴れている。トラックの荷台に備え付けられている昇降台が動いて、檻が地面に下される。
中には、ペン之介が見えた、ペン太郎、ペン二郎、ペン三郎、おマツ、そしておタケもいた。
木枠の檻に入ったペンギンたちがモータボートに引きずられてゆく。
『ペン』
小林大樹はそれを見ていることしかできない。
気配を感じて大樹は右上を見た。小野寺真由助教が大樹に視線を送っていた。助教は後ろ手で例の水中粘着重力波爆弾を持っていた。犯人たちに見えないようにそっと地面に落とされる。小野寺真由助教の手が、左のほうを指し示している。
大樹はちらりと横目で左を見た。
そこには水路があった。水路は海まで通じていた。
ペンギンの入った木枠の檻が、エミリーとタケシの手でモーターボートに乗せられた。
銃を持ったトーマスが最後に乗る。
「では、さよならでーす」
トーマスが勝ち誇ったように笑う。
モーターボートが発進した。
「小林君、今よ。背負って。接触後10秒で爆発するわ」
『ペン』
大樹は素早く水中粘着重力波爆弾の紐をフリッパーにかけて背負い、水路に飛び込んだ。
水路を潜った。まっすぐ海に向かって泳いだ。
フンボルトペンギンの水中速度は時速30キロメートルに達する。
モータボートの音を聞いた。ボートが重いため加速度が不十分なので、まだフンボルトペンギンの速度の方が勝っている。どんどん距離が縮まる。
船底へ到達した。
背中の水中粘着重力波爆弾を船底に押し付けた。かちりとスイッチの入る音がした。
紐を振りほどく。
反転。
カウントダウンが開始される。
10、9、8……
水路に戻った。
飛び出る。着地。
元の場所に戻った。
2、1、0。
——轟音
船底でエネルギーを解放したピコブラックホールは強力な重力波エネルギーを放出し、局所的に重力を反転させた。船の真下半径2メートルの海水が空に向かって落下する。モータボートの上下が反転した。
モータボートに乗っていたフンボルトペンギンの木枠の檻が宙を舞った。
そして落ちた。
自由落下の加速により高速で水面に衝突する。高速でぶつかった水面は普通の壁と同じだ。その衝突によって生じる力積は木枠の檻の接合を崩壊するに十分だった。ばらばらと檻は破壊された。
フンボルトペンギンたちは海中で自由になった。
つぎつぎとフンボルトペンギンたちは陸を目指して泳ぎ始めた。
岸壁では、山下圭吾、増川美保がペンギンたちを迎え入れ、岸壁に飛び上がれないペンギンには手を貸していた。
「気をつけなさい。犯人たちが埠頭に上がったわ」
小野寺真由が注意を促した。
三人組の犯人たちはびしょ濡れになりながらも、埠頭に立っていた。
そして、一歩一歩近づいてくる。
小野寺真由たちは、フンボルトペンギンたちをかばうようにして三人組との間に立った。
再び、10メートルほど距離をとって三人組と対峙する。
トーマスは銃を構えた。
「あなたたちのペンギンを渡してもらいまーす」
小野寺真由は首を振る。
「もう、あなたたちの船はひっくり返って沈んだわ。無駄なことはやめなさい」
「別に、船でなくても逃げる方法はありまーす。それよりあなたたち、これが目に入らないでーすか?」
トーマスが、すっ、と横にずれた。
後ろに隠れていたエミリーとタケシが現れる。
エミリーの抱えているフンボルトペンギンに、タケシが銃口を当てていた。
美しい雌のペンギン、おマツだった。
若干お腹が土で汚れているようだったが、普段から手入れされている羽毛のつややかさは少しも薄れていない。
足をじたばたとさせて抵抗しているが、エミリーの手の中で逃げることができていない。
「フンボルトペンギンたちをよこさないと、このフンボルトペンギンが死にまーす」
「ペンギン質なんておかしいよ。卑怯だよ。そんなのってないよ」
増川美保が叫ぶ。
「悪者に卑怯もくそもありませーん」
「自分で悪者と言ってるぞ」
健一がつぶやく。
「そうね」
「そうみたい」
『そうペン』
三人が同意した。
『ムァーオ』
おマツが悲しそうな鳴き声をあげた。
『おマツ!』
フンボルトペンギンの叫び声を小林大樹は聞いた。
振り返った。
おマツの父親、ペン之介がおマツに近づこうと、ぺたぺた走り出していた。
ペン之介はトーマスの方へ走ってゆく。
大樹は制止しようと追いかけた。
目の前にペン之介の背中を見た。
——発砲音
静寂
トーマスの銃口から硝煙が漂った。
大樹の足は止まっていた。
そして見た。
まるでスローモーション映像のように、ゆっくりと、ペン之介の体が大樹の方へ倒れた。
大樹は見た。
ペン之介の胸から鮮血がほとばしっていた。
「そのペンギンがいるところ以上、前に来たら撃ちまーす」
トーマスの声は聞いていなかった。
ごぼり、とペン之介のくちばしから血がこぼれた。
胸は弱弱しく上下している。
ペン之介の目が大樹の目を見た。
大樹はフリッパーでペン之介の胸を押さえた。
押さえても抑えても、フリッパーの隙間から血がこぼれ落ちた。
ペン之介が小さな声でささやいた。
『お前を人間と見込んで頼みがある。こいつはあの世まで持っていくつもりだったんだがな。俺は、卵を見捨てたんだ』
くちばしがかたかたと鳴った。
『たかがカタクチイワシに釣られて大切な卵から気を逸らしたなんてな、あいつには言えなかった。俺は』
ペン之介の目の光がだんだんと虚ろになってゆく。
『俺は自分の子を見捨てたんだ。そして、自分で、自分の卵を割ったんだ。お父さん、なんて言ってもらえる柄じゃねえってわかっちゃいるがな』
ペン之介がわずかにフリッパーを動かして、大樹のフリッパーに触れる。
『ペン吉の代わりに、いちど「お父さん」といっちゃあくれないか』
『お父さん』
『ありがとよ』
大樹のフリッパーの中でペン之介のくちばしが、がくりと横に倒れた。
『ムァーオ!』
大樹はくちばしを空に上げて、大きな声で叫んだ。
きっ、とトーマスの方へ向き直って睨みつける。
トーマスは余裕の表情だった。
黒光りする拳銃が大樹に向いていた。
「そのペンギンみたいになりたいでーすか?」
「ペンギンになるのはおまえたちだ」
整髪剤の匂いがした。
低い声が聞こえた。
そこにいる全員が匂いと声の方向を見た。
バーコード状の髪の毛をしっかりと整髪剤で固め、大きくでっぷりと肥えたお腹を抱えたスーツの男がそこにいた。黒いサングラスをかけているが、まぎれもない佐藤教授である。右手でブランダーバスにどことなく似てラッパ状に広がる銃を握りしめ、銃口をトーマスの方向へ向けていた。
佐藤教授の隣には、長くウェーブした金髪をたなびかせた国際警察のマリリンが左手を腰に当てて立っている。佐藤教授と同じようなサングラスをかけ、ラッパ銃を右手で構えている。
マリリンの隣には見知らぬ男が黒いコートを羽織り、サングラスをかけている。口元にはしっかりとした髭が生えており体格はがっしりとしていた。ラッパ銃は銃口を下に向けて軽く握っている。
佐藤教授たちが持っている銃は、通常の銃とは言い難い形状をしていた。その銃口は通常のラッパ銃とは異なり先端の直径は人間の頭ほどもあった。
「そんな変な銃でなにをするつもりでーすか」
せせら笑うトーマスに、佐藤教授が無言で銃口をわずかにずらすと引き金を引いた。
佐藤教授の動作にマリリンも追随する。
大樹は自分の方向へ佐藤教授とマリリンの銃口が向いたのを見た。
ぽん、と間の抜けた発砲音がした。
空間が歪んでいた。風景が反転した虚像が見えた。
歪みが近づいてきた。
直径1メートルほどある漆黒のボールのような空間の歪みが、佐藤教授とマリリンが構えた銃から発生して真っ直ぐと小林大樹とペン之介の方向へ向かった。
——亜空間ピコブラックホール指向性ソリトン弾
空間を高速で伝搬する制御されたピコブラックホールである。ソリトンという名前が示す通り、内部状態が安定に保持されたまま伝搬する。進行方向に対して垂直側からは観測できないため黒く見え、進行方向からはピコブラックホールが観測され重力レンズ効果で空間がゆがんで見える。物体と衝突すると特異的な反応を生じさせる。
ピコブラックホールの先端が、大樹と大樹が抱いているペン之介に接触した。
——轟音
亜空間ピコブラックホール指向性ソリトン弾はそのエネルギーを解放した。
垂直方向への光柱と、それと交差する水平方向への光柱が発生した。
まばゆいばかりの白い光が全員の視界を奪った。
視界が回復する。
そこには、ペン之介と人間に戻った小林大樹と一匹のフンボルトペンギンがいた。
心と体が一致したペン吉だ。
ペン吉は目をぱちくりとさせて、目の前のペン之介を見た。
『と、父さん!』
ペン之介の傷はすっかり治っていた。
『ペン吉!』
ペン之介はペン吉をフリッパーで抱きしめた。
小林大樹はその光景を横目で見つつも、手を握ったり開いたりして自分の体を確かめている。着ている服は実験当時の作業着のままだった。
トーマスら三人組は口が開いた驚愕の表情を浮かべた。
「な、何が起きた?」
「あのペンギンは重傷だったはずでーす」
「なんであそこに人間が?」
佐藤教授は笑った。
「知識が無いな者は現象を見ても本質が理解できない。一人の人間が元に戻り、一匹のフンボルトペンギンの傷が癒え、一匹のフンボルトペンギンの精神が戻ったのだ」
佐藤教授がトーマスの方向へ体の向きを変える。
「裁きの鉄槌を受けるがよい」
佐藤教授、マリリン、そしてコートの男の銃口がトーマスら三人に向けられる。
「く、させるか」
トーマスら三人は対抗して銃を構えた。
銃を構えるために、フンボルトペンギンのおマツが解放された。
ぺたぺたとおマツは駆けて逃げ、大樹たちがいる場所で止まった。
トーマスたちと佐藤教授たちが対峙している。
一瞬の静寂。
二組の引き金が同時に引かれた。
佐藤教授たちの銃口から亜空間ピコブラックホール指向性ソリトン弾が発生した。
ピコブラックホールは周囲の物質を巻き込みながら成長する。ソリトン弾は一瞬にしてトーマスたちの放った拳銃の弾丸を飲み込んだ。そしてそのまま、トーマスたちの場所に到達する。
——コンタクト
局所的なピコブラックホール再構成が起こった。情報の転写が行われた。因果律の相関性による形態変換が発生した。
爆発音
衝撃波
すさまじい量の光束が生じた。
——ホワイトアウト
一瞬の間
視界が回復した。
トーマスたちの姿は三匹のフンボルトペンギンへと変わっていた。
大樹たちの後ろに控えていたフンボルトペンギンの軍団が、トーマスたちにぺたぺたと突撃する。
トーマスたちはフンボルトペンギンたちに身柄を確保された。
—四—
埠頭に急拵えのお白州(裁判所)がもうけられた。
筵が敷かれ、フンボルトペンギンと化したトーマスとエミリーとタケシが荒縄で胴体をぐるぐるに巻かれて立たされている。逃げられないようにペン太郎、ペン二郎、ペン三郎がしっかりと脇を固めている。
『それでは裁きを始める。ペン形、その方の訴えを述べよ』
正面に居直って立っているペン岡越前守(ぺんおかえちぜんのかみ)が厳かに開廷を告げた。
裁判はペンリンガルを介して、日本語とフンボルトペンギン語に同時通訳されている。傍聴席にはフンボルトペンギンの一群と、人間たちが控えている。
ペン岡越前にフリッパーで指されたペン形が、すっと前に出た。
厳つい顔でペン形はくちばしを大きく開けて陳述を始める。
『彼らは、我々の仲間を誘拐した上で、我々全員を根こそぎ誘拐しようとしました。我々自身が証ペンギンであります。彼らには、フンボルトペンギンの平和に対する罪、フンボルトペンギン道に対する罪、があります。厳正な処分、極刑を要求するものであります』
傍聴ペンギンたちが『そうだそうだ』と騒ぎ立てた。
『静粛にせよ』
ペン岡越前がペンギンたちを鎮める。
『弁護側のペン平は何か言うことはないか?』
ペン平はフリッパーを左右に広げた。
『本人たちの言い分を聞くべきです』
『発言を認める。トーマスといったか。汝の言い分を述べよ』
縛られたフンボルトペンギンの一匹——トーマスは放心状態だった。
ぶつぶつと小さな声でつぶやいた。
『……ありえませーん。その星の技術レベル以上の機械を提供することはオーダコーダ条約違反でーす。……我々は宇宙人なのに……こんなはずじゃなかったでーす』
ペン平がくちばしを開いた。
『彼らは自分たちが宇宙人だと訳の分からないことを言っています。精神が正常でない可能性があります。精神鑑定を望みます』
即座に小野寺真由助教が持っていた携帯端末の端子がトーマスたちの頭に接触させられ、超小型脳波計による精神鑑定がなされた。その結果、トーマスたちの精神状態は人間の正常域にもフンボルトペンギンの正常域にも収まっていないことが判明した。
ペン平がフリッパーを、びし、と前に突き出した。
『皆さん、どうでしょう? 彼らの精神は正常ではありません。責任能力が無かったということです。従って刑罰の対象にはできません』
傍聴席がどよめく。
『意義あり!』
ペン形がフリッパーを広げる。
『ヤマシタ飼育員の証言を求めます』
山下圭吾が証言台に立った。
「私は、トーマスに脅迫されていました。フンボルトペンギンの卵を引き渡すように要求されました。フンボルトペンギンを引き渡すように要求されました。私には借金があり、要求を断ることができませんでした。そして、監視用の有機ニューラルネットワークにウイルスを注入するように強制されたのです。フンボルトペンギンを根こそぎ誘拐することが目的でした」
山下圭吾は服のポケットから携帯端末を取り出した。
携帯端末からフンボルトペンギンの誘拐のためにウイルスの注入を要求するトーマスの音声が流れ出した。
ペン形がずい、と前に出る。
『これが証拠です。トーマスらには計画性がありました。責任能力が無かったと言うことはできません』
ペン平はうつむいた。
——一瞬の間
『あい、わかったぁ!』
ペン岡越前がフリッパーを打ち鳴らした。
『トーマス、エミリー、タケシ、その方三人は計画性ある犯行を行いうるに責任能力のあることを認める。従いてその方三人にフンボルトペンギンの平和に対する罪を認める。しかるにその方三人は元来フンボルトペンギンならざる者なるに、フンボルトペンギン道に対する罪を認めるにあたわず』
ペン岡越前が、きっ、とトーマスたち三人を見た。
『トーマスら三人をチロエ島への島流しの刑に処する』
おお、とフンボルトペンギンたちが声を上げた。
『でもチロエ島ってどこだよ』
『わしゃ知らん』
一同は一様に首を傾げた。
警察が到着したが犯人たちが見あたらないことに首をひねった。しかし、マリリンが犯人たちが逃げたと説明してその後は国際警察あずかりということになった。山下圭吾は事情聴取のために警察に連れて行かれた。
警察が帰った後、マリリンは手早くトーマスたち三人の犯人が変容したフンボルトペンギン三匹を国際警察の仲間に引き渡した。犯人たちをチロエ島に移送する相談をするということで、マリリンと佐藤教授は車に乗ってその場を去っていった。
去っていく車を、小野寺真由、多田健一、増川美保、そして人間に戻った小林大樹が見送った。
日はすでに傾いており、だんだんと赤い色に空間が染まっていく時間帯だった。
埠頭の地面に三人の長い影ができている。
「終わったわね」
「はい」
「そうですね」
小野寺真由のつぶやきに多田健一と小林大樹が答えた。
地面に映る三本の影に、もう一本影が加わった。
「あれ?」
増川美保が横を見る。
黒いコートを着たサングラスの男が埠頭に残っていて、こちらに歩いてくる。
コートが風にたなびいている。
男が増川美保の方へ歩いてきた。
美保がサングラスの男を見つめた。
その顔立ちに見覚えがあった。
「あ、あの」
男はサングラスを取った。
「あ……」
増川美保の記憶にある顔だった。
小さい頃に幼稚園の送り迎えをしてくれた顔だった。
ペンギンの写真をメールで送ってくれた時に一緒に添付してあった写真の顔だった。
髪の毛の白髪が増え、口髭がたっぷりになっているが、その瞳は美保が小さい頃と変わらずに澄んでいて優しげだった。
男が増川美保の前に立つ。
そして言った。
「美保、遅くなってすまない。今、帰った」
増川美保の眼が見開かれる。
「お父さん!」
二人は抱き合った。
長い二つの影が一つになった。
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