3-6.呪術 vs コドク

 結婚会場に辿り着いた頃には、日が暮れかけていた。パトカーとの追いかけっこで、相当な道草を食ってしまったのだ。


 そこは式場と言うにはふさわしく、豪邸であった。門の鍵はかかっておらず、奥に押すとギイイと古めかしい音を立てて開く。


 ドラキュラが住んでいそうな洋風建築で、家というよりお城に近い。軽く見積もっても《億》は行きそうな大豪邸だ。固定資産税も高いんだろうなぁ……。


 チャイムも鳴らさず、ぶっきらぼうにドアを開ける。ここも鍵はかかっていない。土足、ならぬ裸足のままで、玄関に踏み込む。


「おい、真依を返して貰うぞ」

 大声をあげてみる。

 電灯はついておらず、人はいないように思われたが。


『残念ですが、お兄さんには返せませんねぇ。真依ちゃんは僕のお嫁さんなんですから』

 あの男の声。

 しかし振り向いても誰もいない。廊下には油絵が等間隔に展示されている。


『先に自己紹介をしておきましょう。僕の名前は夜那やな博己ひろき。呪術師です』


「呪術師だと? まさかおまえが俺たちをおかしくさせたのか」

 長い廊下を駆け抜け、シャンデリアのぶら下がった大きな広間へ辿り着く。ここにも夜那と名乗った男の姿は見当たらない。


『だとしたら、どうします? すべては真依ちゃんを手に入れるため。真依ちゃんの清らかな唇を奪うためなら、呪いでも何でも使いますよ。僕は』

 憎き男の声だけが、部屋全体に響き渡る。


「おのれ!! 絶対に許さないからな。見つけ出してその息の根を止めてやる!!」

 シャンデリアに向かって叫ぶ。誰もいない空間で、部屋全体が俺を嘲笑っているかのように、嫌な空気が震える。


 気がつけば、部屋に白いもやが立ちこめているではないか。火事か? と思ったが違う感じだ。

 空気は、線香のような香りを発している。

 思わず、吸い込んでしまう。


「ふぁっ!?」

 白い霧が鼻腔を通った瞬間、喉が灼けるように熱くなる。

 痛い。呼吸するのが苦しい。


『通常、この手の闇払いにはインセンスやホワイトセージを焚くんですがね。いやまぁ、相手が蠱毒こどくなんで、蚊取り線香を代用させてもらいました。効果がありそうで何よりです』


 言われてみれば、この臭いはたしかに蚊取り線香だ。目を凝らしてみれば、部屋のあちこちに渦巻き状の線香が置かれ、もくもくと白い煙を発している。


「ぐっ……」

 史上最強と思われた虫人間に、こんな弱点があったなんて。というか俺はまだ自分がかっこいい場面を一度もみせていないぞ。やられ役ばっかりじゃないか。

 拳をぎゅっと握りしめる。


「真依……今行くからな……」

 咳き込みながら、煙から逃げるように広間を後にする。

 外から見た感じ、この洋館は三階建てだ。ラスボスが最上階にいるのがお決まりならば、夜那とかいう男も三階で待ち構えているに違いなかった。


『結婚をしたら、真依ちゃんの名前は夜那真依やなまいになるわけですが、どうにも語呂が悪いんですよねぇ。むしろ僕が夕緋の姓を貰って夕緋博己ゆうびひろきになった方が素敵ですかね』

 夜那が何やらほざいている。


 最初はどこから声が聞こえてくるものかと首を傾げたが、何のことはない。家の至るところに監視カメラとスピーカーが設置されているのが見て取れた。


 廊下を折れたところで、ようやく上階へと続く階段を見つける。白い絨毯が敷かれてある。

 ふと振り向けば、背後からは蚊取り線香の白霧が意思を持った生き物のようにこちらを追ってきていた。急がなければ。


 階段に足を踏み込んだ瞬間、ザクッと鈍い音がして、今度は足に激痛が走った。慌てて足を飛び退かすと、白い砂のようなものが細い針となって足に纏わり付いてくる。


『これもまぁベタなんですが、塩の結界です。ナメクジには塩が効きますし、やはり虫退治には日用品を使った方が良いんですよねぇ。呪術でやたらと高価なアイテムを買い揃えるのは三流がやることです』


 白い絨毯だと思われたそれは、塩であった。

 階段を登ろうとすればするほど、全身に塩が張り付いてくる。鋭い針と化した塩が皮膚を食い破って、暴れ出す。もがけばもがくほどに痛みが増す針の牢獄だ。


 苦痛に耐えきれず、階段の途中でへたりこんでしまう。下からは龍を象った蚊取り線香の白霧が昇ってきて、やがて俺を一呑みにした。


「ぐ……ああ」

 全身が張り裂けそうに痛い。息ができない。指先をひとつ動かすのにも痛みが走り、一呼吸ごとに喉が焼けてゆくのが分かる。


 俺は昨日からずっと痛い目にばかり遭っている。それがすべて、夜那のせいなのだとしたら。


『ふふふ、僕が憎いですか』

 憎い。おまえが憎い。


『僕が恨めしいですか』

 恨めしい。幽霊になったら背後霊になって纏わり付いてやる。


『……僕を、殺したいですか』

 殺したい。殺してやる。


 殺意をはっきりと自覚する。俺はまだをこの手で殺そうとしている。


 胸の内側からドロドロとした熱いものが溢れ出し、全身のエネルギーを満たしていくのを感じる。


「こんなところで負けてたまるかあああああ!!!!!」

 跳躍する。塩の絨毯を飛び越えて、蚊取り線香の霧を振り切って、跳ぶ。

 たったのひとっ跳びで二階の廊下へと転がり込んだ。


『ふふふ、そう来なくては。蠱毒の名が折れます』


 それから俺は、二階に待ち受けていた数々のトラップ(魔法陣やカボチャの提灯や骸骨の蝋燭、その他諸々)をぶっ飛ばし、三階へと駆け上がった。最初の困難に比べればあまりにもあっけなく突破できてしまったので、拍子抜けしてしまった。


「呪術師だとか言ってたが大したことないな。待ち受ける《痛み》を恐れなければ、どうってことはない。呪術なんて子供だましだ」

 心のなかの台詞のつもりだったが、思わず口に出して言っていた。


『ええ、そのとおりですよ。子供だましで、大したことはありません。そんなのために、お兄さんは愚かにも自分の人生を捨てようとしたのですよ』


「何が言いたい?」

『おっと、今のは無駄口でしたね。そろそろ僕も本気を出すとしましょうか。南無東方降三世明王、南無南方軍荼利明王、南無西方大威徳明王……』


 夜那が突然、お経のような文言を唱え始める。ポカーンとして聞いていたが、やがて思い至る。

(あ、これは威力が強力な代わりに、詠唱にめちゃくちゃ時間がかかる系の魔法だ……)


 そうと決まれば全速力だ。詠唱が終わる前に夜那を見つけ出し、仕留める。大きな家で、なにせ部屋の数が多い。三階の片っ端から、ドアを開けて夜那の姿を探す。


 わたわたとドアを蹴飛ばしているうちにも、詠唱はよどみなく進んでいく。

『オン・カラカラ・ラビシク・ソワカ、オン・カラカラ・ラビシク・ソワカ……』


 廊下の最奥に、ひとつだけ藍色に塗られたドアがある。明らかに怪しげなオーラを放っていた。まだ開けてないドアもあったが、そこに賭けよう。脚に力を込めると、床板がミシミシと軋み割れる音が聞こえる。


 今の俺はスパイダーマンもびっくりな虫人間なのである。

(飛べる!!)思考した刹那に、背中から翅が突き出し、気がつけば俺はコンコルドのような超音速でドアに突進していた。


「あはははは、これが俺の圧倒的パワー!!」

りんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん


 頭突きでドアを突き飛ばす。暗くてよく見えないが、広間の奥に人影があった。椅子に座って、こちらを見ている。鋭い眼光。人影が、にやりと口を歪めた。


 夜那に違いない。

 俺は勢いそのままに、頭に生えたツノで刺し殺すつもりで、突撃する。


「不動金縛の法」

 夜那が印を結ぶ。突如として現れた白銀の壁に、俺はツノを打ち付ける。気がつけば左、右、後ろ、上にも壁が出現し、まるで虫かごに閉じ込められたかのようになった。


 白銀の壁は、鏡となって、俺自身の姿を映し出す。醜く、弱く、愚かな自分の姿を。

「嫌だ、やめろ」

 自分から逃げようとしても、四方を鏡の結界で取り囲まれている。抜け出せない。

《お前は誰だ》《お前は何になりたいんだ》《お前はどこに進むのか》《お前は何を欲するのか》四方から鏡が問いかける。

「やめろ、やめろ、やめろおお」


 それは例えるならば、就職活動時における《自己分析》の牢獄。進もうとすればするほどに、自分の進むべき道が分からなくなり、途方に暮れる。動けなくなる。


「ふふふ、お兄さんにはお似合いの虫かごですよ。そこからは一生抜け出せませんから、お兄さんは安心して自分の殻に引き籠っていてください」

 夜那の声が聞こえる。姿をはっきりと見ていないが、きっと顔も憎たらしい奴に違いない。俺は白銀の結界のなかで、ギリリと歯ぎしりをする。


「ところで、カフカの『変身』の主人公、グレーゴル・ザムザにひとつだけあやまちがあったとすれば、それは家を出て行く決断をしなかったことにあると、僕は考えますね」

 なんだ、なぜここでカフカが出てくる。


「グレーゴル・ザムザは、結局のところ妹離れができていない、自分を介抱してくれる妹に甘えっきりの、ろくでもないシスコン野郎だったんですよ。あなたと同じくね」

 流暢に話す夜那に、怒りが込み上げてくる。お前にグレーゴル・ザムザの何が分かる。カフカの『変身』は美しき兄妹愛を描いた素晴らしい不条理文学なんだぞ。


「所詮、あなたでは真依ちゃんを幸せにできない。代わりに僕が貰ってあげますよ。ふふふ、僕の呪術を使えば、人の恋愛感情を操って相手を意のままに支配することなんて、簡単にできるのです。真依ちゃんは僕専用の《可愛いお嫁さん人形第一号》として、たっぷり可愛がってあげますよ」


 そうだ、俺は真依のためにここに来たのだった。夜那の言葉を聞いているだけで、全身に虫唾が走り、血が沸々と煮えくり返る。絶対に許さない。殺してやる、殺してやる。


「がああああああああああ」

 咆哮が空間を揺らがせ、白銀の結界が一瞬だけ揺らいだ。鏡には、もはや人間ではない、バケモノの姿が映っていた。


「俺は、化物ウンゲツィーファーだ!!!」

 白銀の壁が割れる。

 夜那が、目と鼻の先にいる。殺ってやる、殺ってやる、殺ってやる。

 背の翅が大きく開かれ、周囲にあった結界を粉々に砕く。頭のツノは長く伸びて、クジラでも串刺しにできそうな程に鋭く尖っていった。


 飛翔し、夜那の心臓を目掛けて、一直線に飛ぶ。仕留めるのに、ゼロコンマ一秒もかからないと思われた。


 だからこのときの俺には、思考する余裕もない。

 夜那はどうして、椅子に座ったまま逃げようともしないのだろうか、とか。どうして彼は化物に殺される間際になっても、静かな笑みを湛えているのだろうか、とか。


 殺意の衝動に囚われた俺には、心底どうでも良かった。

 だから、気づかなかった。


 飛びかかろうとする夜那と俺とのあいだに、もうひとつの人影が入り込もうとしていたことに。


 グシャッと潰れる音と同時に、顔いっぱいに返り血を浴びる。

 やった、仕留めた!と思って頭をあげた俺は、絶句する。


「真依……どうして……」



 血まみれの妹が、凄惨な笑みを浮かべながら俺の前に立っていた。

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