はい、こちら、うっかり探偵です


 撤収のあと、汀がみんなにご馳走してくれて、解散になった。


「私、タクシーで帰るから」

とまだ仕事の話をしていた沐生たちに言い、晶生は外に出る。


 タクシーはすぐに降り、遠藤のホテルに行った。

 中に入ると、タナカ イチロウはもう先に来ていた。


 解体が進んで月の光が入り放題になっているホールの真ん中で、イチロウは開口一番、


「お前に坂本日向のあのポーズは無理だな」

と言ってきた。


「……なんでそれ聞いてるのよ」


 外に居たくせに、と眉をひそめて晶生は言う。


「そうだ。

 あの人、やっぱり、お亡くなりになってたみたいなの。


 話し相手に篠塚さんだけ置いてきたわ」


「あの男を置いてくるのは、どちらかと言えば、嫌がらせじゃないか?


 死んだ直後だろ。

 心静かに考え事でもしたいんじゃないのか?」

と言うイチロウに、


「うるさいから、上がろうかなとか思うかもしれないじゃない」

と言うと、遠藤が、雑だな~、という顔で階段から見ていた。


 周りの鉄骨は剥き出しになり、床には割れたコンクリート片が落ちている中、孤高を貫くように月に向かいそびえる階段を見て、晶生は呟く。


「……なんか、終わりかけのジェンガみたい」


「ま、幾らなんでも更地になっても残ってるってことはないだろうよ」

とイチロウが言い、遠藤が笑う。


「でも、率先して、これ、崩したくない気持ちはわかるわ。

 なんて言うか、これ倒したら、ビルごと降ってきそうな感じあるもんね。


 此処の屋台骨っていうか、大黒柱みたいな感じ」


 とは言うものの、二階部分はすでにない。


「誰もやらなかったら、俺がやるよ。

 遠藤が何処か行ったあとにな」

とその終わりかけのジェンガを見上げて言うイチロウに、


「……行きそうにないけど、この人」

と晶生が言うと、遠藤は、


「何度も言うようだが、私は自分の意志で此処から動かないんじゃなくて。

 動けないんだ」

と言ってくる。


 うーん、と悩んだ晶生は、


「……この階段、家に持って帰ろうかなあ」


 そんなで中庭に飾るの、と言ったが、イチロウは、

「ダムに沈めたらいいんじゃないか」

と言ってくる。


 ……あのダムにか。


「誰か話し相手についてくるのなら、それもいいかもな」

と遠藤は笑っている。


「それなら大丈夫よ、遠藤。

 誰もついてかなくても、ダムの底にはきっと、いっぱいオトモダチが居るから」

と言ったが、


「……気の合わない奴が大量に居るのは嫌だな」

と遠藤は贅沢を言う。


「でも、ダムじゃ、干上がったら、また現れることになるけどね、この階段と遠藤」


 ははは、と笑う遠藤は、そんなに寂しそうには見えなかったが。


 このホテルがなくなって、遠藤の退廃的な雰囲気が増しているのには気がついていた。


 きっと二度死ぬ感じなのだろう、と晶生は思う。


 長い年月此処に居て。


 此処があるからこそ、魂がこの世に留まり続けた遠藤にとって、このホテルは第二の自分のようなものなのだろう。


 此処が崩されていくのは、もう一度、ゆっくり死んでいっている感じなのではないかと思う。


 絶対、精神衛生上よくないよな~と思った晶生は、本気で遠藤を此処から連れ出したいと思っていた。


 階段を持ち出す、が無理なら、やはり、あのナイフを抜いてみるか。


 遠藤を此処に繋ぎ止めているナイフを。


 いやまあ、最近は刺されたの忘れてることも多いみたいで、消えてるときも多いんだけど。


 きっと、此処から立ち上がろうとしたら、また刺さるんだろうな。


 このホテルに遠藤を縫い止めるみたいに、と思って、天へと続く階段の途中でしゃがみ込んでいるような遠藤を見上げる。


「あの人さ……」

と晶生は口を開いた。


「刺したり刺されたり、人生の最後に大変だったけど。


 満足だったみたい。


 淡々と生きてきて、最後の最後で、大きく心を動かされる人に出会えたことが」


 去り際、スツールの男がちょっとだけ笑って見せたときの顔を晶生は思い出していた。


「そんなの俺も同じだ」

とイチロウが言い出す。


「お前に殺されて、最後は、いい人生だったな、と思ったのに。

 なんだ、このオマケの時間」


 腰に手をやり、眉をひそめるイチロウに笑い、晶生は言った。


「きっとオマケの方がうんと長いよ」


 廃墟にれ入る月光を背に、イチロウは晶生を見下ろし言った。


「あのスツールの男は、誰かを本気で好きになるのが夢だったのかもしれないな。


 俺の夢は……。


 そうだな。

 お前とあの食堂に堂々と行くことかな」


「なにそれ?

 死亡フラグ?」

と晶生は言って、


「……今、お前が言ったんだろ。

 オマケの人生の方が長いって」


 なんで、いきなり死亡フラグを立たせる……と文句を言われた。


 遠藤に別れを告げ、二人で廃墟を出て帰る。


 振り返ると、いつものように遠藤は階段に座り、笑って手を振っていた。


 上の階がなくなり、青い養生シートの位置も低くなったので、遠藤の頭上に大きな丸い月がよく見えた。





「そろそろ真剣に考えないとな~」


 次の日の夜、縁側で沐生と母親が剥いてくれた梨を食べながら晶生は言った。


「なにを?」

と問う沐生に、


「遠藤の階段の置き場所」

と晶生は言う。


「……遠藤を動かせばいいんだろうが」


「だって、魂があそこから動かないって言うんだもん」

と言いながら、まあ、それはわかる気がする、と晶生は思っていた。


 私の心もあのダムから動けない。


 タナカ イチロウは生きていても――。


 ダムからなにかが這い出してくる幻。


 その顔が生きているイチロウになっても、やっぱり私にかかった呪いは解けなかった。


 そんなことを思っていたとき、晶生の携帯が鳴った。


「はい?」

と夜風にざわめく中庭の小さな竹林を見ながら出る。


 『長谷川沐生さんがサインを頼んでくれた笹井さんのサイン』と『うっかり探偵のサイン』の入ったカップ麺が飾ってあるスイーツ店の店員、松木恵利まつき えりだった。


「うっかり探偵さんっ、事件ですっ」


 ……事件、もうしばらくいいです、と思って、晶生は携帯を切ったが、また鳴り出す。


「諦めて、さっさと出ろ、うっかり探偵」

と呼び出し音がうるさいのか、沐生が電話に出ることを促してくる。


「……そうだ。

 私、ほんとに探偵になろう。

 そんで、有名になって、うっかり探偵博物館とか作ってもらって、その中に遠藤の階段設置してもらうんだ……」

と呟きながら、晶生は、


「もしもし?」

と電話に出た。


「それ、何十年先になるんだ?」

と呟きながら、沐生は目の前の竹林を見上げている。


「はい。

 うっかり探偵事務所です。


 うっかりして、事件解決するのを忘れてもよかったら、ご依頼を……」


 こちらがなにを言っても聞いていない恵利が、

「もう~っ。

 聞いてくださいよ~っ、うっかり探偵さん~っ」

と騒ぐ声に被せるように、晶生は、ぼそりぼそりとそう言ってみた。


 ちょっとだけ、無駄な抵抗をしている自分の横で、まだ竹林を見ながら、沐生が、


「これ切って、此処置くか……」

と自分と大差ない発想をし、呟いていた。




                       『縁切りのハサミ』完



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