いや、そんな理由だったんですか?

 


「まず、服の上からでいいですから、患部をハンカチかなにかで押さえてください」


 そんな篠塚の声が聞こえてきた。


 篠塚は少し身を乗り出すと、汀を見下ろし、

「それほど深い傷じゃないですね」

と言う。


「汀……社長、お医者様の霊もたいした傷じゃないって言ってるわ」

と伝えると、汀は渋い顔をし、


「たいした傷かどうか決めるのは俺だ」

と言ってきた。


 まあ、痛いのに、たいした傷じゃないと連呼されたら、腹も立つかもしれないが。


 篠塚のその言葉に、汀も少し安堵しているようにも見えた。


 だが、篠塚は、

「僕は医者ではありません」

と冷静に言ってくる。


「……せっかく医学を学んだのに、結局、誰も助けられないまま終わってしまいました」


 そんな風に語る篠塚に、まあ、そこのところは無念だったろうと思い、

「やはり、人を助けたくて、お医者様の道を?」

と晶生が問うと、


「いえ。

 お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか? と言われたとき、はい、と言いたかったからです」


 格好いいじゃないですか、なんだか、と篠塚は言ってきた。


 ……そんな理由か、とは思ったのだが、まあ、人がなにかを志す理由って、子どもの頃のそういうちょっとした思いからっていうの、あるんだろうな、とは思っていた。


 勉強熱心だったようだし。

 いいお医者様になったかもしれないのに、残念だな、と思いながら、

「そうだ。

 店の方に凛が居るんですが」

と言ってみたのだが。


 篠塚は、ちょっとの間のあと、……ああ、と言う。


「今、思い出すのに時間がかかりましたね……」


 お医者様としては、どうだかわからないが、男としては、やっぱり問題あるな、と思ったそのとき、タイミング良くか悪くか、凛たちがやってきた。


 篠塚は黙って、生きて動いている凛の方を見ていた。


「どうなった? 晶生」

と訊いてくる凛に、いや、どうもこうも、と晶生は答える。


「刺された社長が、今、聞こえてきたサイレンの救急車にこれから乗せられるとこ。


 林田さんは、堀田さんを追いかけて行ったみたい。


 ところで、此処に篠塚さんが居るんだけど」


 えっ? それ、言うっ? という顔で、やましいところのある篠塚がこちらを向いた。


「殴っていいわよ、凛」

と篠塚が居る位置を手で示しながら、晶生が言うと、


「何故、貴女が言いますか」

と篠塚が文句をつけてくる。


 まあ、本来、彼本人が言うべきセリフだろうが、聞こえないだろうから、代弁してあげたまでだ。


 此処は男として、言うべきところだろう、と思ったのだが、凛は、

「いや、さすがに霊は殴れないわ」

と言ってきた。


 物理的な意味ではなく、そう言っているようだった。


 まあ、一応、仏様だからな、と思う。


 篠塚の家が仏教かは知らないが。


 だが、そこで、俯いた凛は、

「でも、殴れなくても、触りたい……」

と言ってきた。


 これには、さすがの篠塚も少し辛そうな顔をした。


 篠塚は黙って立つ凛の頬に手を触れ、そっと口づける。


 そのまま、ふっと消えてしまった。


 消えた篠塚の居た場所を見ながら、晶生が、

「今、キスしてったけど」

と教えたが、凛は、


「そんなことされても、見えないしっ」

と叫んでいた。


 カラ元気だろうが、怒鳴ってくれてよかった、となんとなく思ったとき、ちょうど、救急車が晶生たちの居る狭い道へと乗り入れてきた。






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