勘のいい男




 翌日、珍しく事務所でデスクワークをしていた堺は、自分のすぐ後ろを通っていた汀が、立ち止まり、経理の女と話しているのに気がついた。


 さりげなく、キャスターのついたおのれの椅子を滑らせ、後ろに下がってみる。


 ちょっとスマホなどいじるフリをしながら。


 すると、ガッ、と後ろから肩をつかまれた。


 振り返ると、汀が自分を見下ろしていた。


「……なにやってんだ?」


 ええー? 別にー? と堺は嘘くさい笑顔を浮かべてみせる。


「嘘だ。

 今、なにかしようとしただろう」


 なんて勘のいい男、と思う。


 あの土下座の霊を汀の上に被せてみようと思ったのだ。


「ちょっと伸びでもしようかなーと思って」

と笑顔で両手を上げながら、少し椅子を後ろに下げてみる。


 やったっ。

 汀の上に重なったっ、と思ったのだが、汀はなにも言わない。


 ただ、自分の肩をつかんだまま、睨んでいる。


「なにも後ろ暗いところもないの? 面白くない男ね」

と社長であることを失念したような口調で言ってましう。


「あっても、お前には教えるか」

とゴツッと小突いて、そのまま汀は行ってしまった。


 なにもないのか。


 ないと思い込んでいるのか。


 それとも、やたら意志が強い人間なのか。


 人は誰にでもなにか後ろ暗いところはあると思うのだが。


 ないと思っているのは、余程おめでたい人間だけだ。


 まだ後ろで土下座している男を見ながら、

「……一体、なにをやったのよ、あんたは」

と堺は呟く。


 そして、思い出していた。


『あの霊……

 彼女にもっと近づけてみるべきだったかもしれませんね』


 明るい夜道を見ながら、そう呟いた晶生の顔を。


「やっぱり好きっ。

 ゾクゾクするくらい好きっ」

と思わず、叫んでしまい、後ろから硬いもので殴られる。


 いつの間に戻ってきたのか、汀が居た。


 その手には分厚い年鑑がある。


「あんた、今、角で殴ったわねーっ」

「仕事しろっ、堺ーっ」


 前の席の古参のマネージャーが、やれやれ、という顔をして、またデスクに視線を落としていた。


 そういえば、この男もあのとき居たな、と思う。


 沐生の両親が消えたとき。


「堺ーっ。

 なんで此処に居るんだっ。


 沐生、鎌倉までロケに行ってるじゃないかーっ」

とスケジュールを確認したらしい汀が叫ぶ声が聞こえてきたので、はいはい、と手にしていたスマホをポケットに入れ、立ち上がる。


『すみません。

 ……私がやりました……』

という声は、まだ後ろから聞こえていた。





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