夕闇のホテル
ロケ現場
顔立ちも綺麗で、スタイルも良い。
頭もいいらしいが、それを何処にも活かしきれていない。
そのお陰で、女子に嫌われることもなく、愛されているが、なんとなく残念感が漂う。
その顔で、にっこり微笑みかけてくれさえすれば、大抵の男は舞い上がると思うのに、晶生は今も、屋上の手すりにすがり、ぼんやりと下を見ている。
いや、今、ぼんやりしてちゃいかんだろうが、と
告白するために、屋上に呼び出したのにっ。
なにも察してないな、この女。
「晶生」
と手すりに手をかけ、呼びかけると、晶生はようやくこちらを振り向いた。
切れ長の目の奥の黒い瞳がこちらを見る。
夕暮れの光を映したその黒い瞳を見ていると、そこに、目の前に居る自分ではなく、違う風景が映っている気がして。
それを見ようと、つい、顔を近づけてしまう。
おっと、近づきすぎた、と慌てて見を引いたのだが、晶生は逃げるでもなく、軽く小首を傾げて言ってくる。
「ああそうだ、真田くん。
なんの用事?」
いや、まず、最初にそれを訊け、と思った。
だが、こんな間近に見られて、改めて、問われると言い出しにくい。
好きなんです。
急に改まるのもなー。
初めて会ったときから好きでした。
……いや、それは嘘だ。
困ったぞ。
昨夜、すっかり覚悟を決めたはずだったのに。
えーと、とらしくもなく視線を、さっき晶生が見ていた下の街に向けたとき、おや? と思った。
「……ロケ?」
ドラマかバラエティのロケをしているようだ。
商店街に人だかりができている。
「ああ、そう。
やってるみたいね」
熱心に見ていたくせに、軽く流すように、晶生は言った。
「あっ。
真田は思わず叫んでいた。
坂本日向はグラビアアイドルだ。
ベビーフェイスなグラビアアイドルが多い中で、彼女は異質に攻撃的な目許をしているので好きだった。
「あれ? 真田くん、日向のファンなの?
じゃあ、サインでも貰ってきたら?」
気の無い様子で、晶生は言う。
まあ、そりゃそうか。
女がグラビアアイドルに興味があるわけもない。
これは困った。
迷うぞ。
滅多に会えないグラビアアイドル様か、晶生か。
迷った末に、真田は晶生の手をつかんだ。
「えっ、ちょっとなにっ?」
「グラビアアイドル様を拝みに行くんだよっ」
「なんで私までっ。
っていうか、手、離してよっ」
男にあれだけ近寄られても、動じない晶生が、何故か、オタオタしている。
どうした? と思いながらも、その手を離さないまま、一気に階段を駆け下りた。
「あー、びっくりした。
こういうときの行動力は凄まじいわね」
と野次馬の中を歩きながら、晶生が文句をたれる。
「階段を引き摺り下ろされてるとき、足をつくのが間に合わなくて、宙に浮いてたわ」
「貴重な経験だったろ」
と笑いながらも、晶生を引きずって、まだまだ前へ行こうとする。
「ねえ。
もう手、離してよ」
「やだね。
はぐれるだろ」
そう言ったとき、気がついた。
野次馬たちの一番前に、
「秋村だ。
あいつ、芸能人に興味なんてあったのか」
いつも淡々としている優等生の凛がこの場に居るのが不思議だった。
丁寧に整えられた長い黒髪に白い肌。
そこまでは晶生とよく似ているが、この二人の醸し出す雰囲気は正反対だった。
凛が正統派の美少女なら、晶生はなんとなく、邪道というか。
今度は晶生が自分の手を引っ張る番だった。
人波をかき分け、晶生は凛のところに行く。
晶生の姿を認めた凛は、にんまり笑って言った。
「晶生。
来ると思ったわ」
その言葉に晶生は何故か、赤くなる。
ふと、凛の視線が下を向いた。
まだ繋がれている手を見ていると気づいた晶生は慌てて振り解こうとする。
なんとなくムカついたので、より強く握ってやった。
そのとき、近くに居たOLらしき集団から、悲鳴が上がった。
「
その名前に思わず、視線を巡らす。
長谷川沐生は若手の実力派俳優だ。
彼が出ているだけで、どのドラマもなんとなく面白い。
だから、ついて見てしまうのだが。
「やだっ、生きて動いてるっ」
と事務服の女が叫び声を上げた。
いや、どんな造形をしていようと、人間なんだから生きて動いてるだろうよ、と斜に構えて思っていたが。
実際のところ、度肝を抜かれていた。
これが同じ人間なのか?
周りにも造形の美しい芸能人が立っているのだが、まったく目に入らないくらいのオーラが沐生にはあった。
テレビで見たのでは、此処までではない。
「……本物は迫力すげえな」
ぼそりと呟いたが、側に居る晶生からは返事はなかった。
横を見ると、晶生はただ一点を見つめていた。
時折見せるあの顔で。
晶生はいつもヘラヘラしているか、ぼんやりしているかだ。
だが、時折、ふと、こんな表情を見せる。
透徹としていて、それでいて、何処を見ているのかわからない。
初めて晶生が気になったのも、こんな顔をしていたときだった。
放課後の教室。
忘れ物をして戻った自分は、ひとり窓辺に立つ晶生を見た。
晶生はこの真っ直ぐな瞳で、夕陽に染まったグラウンドを見下ろしていた。
あの顔に惹かれて、なんとなく晶生を目で追うようになったのだ。
その晶生が、今、あのときと同じ瞳で沐生を見ている。
茶髪の多い芸能人の中で、艶やかな黒い髪と透明感のある白い肌をした沐生は彫刻か、別の世界の生き物のようだ。
……しかも、俺より身長あるな。
野次馬たちが近寄れない遠い場所に居るのに、真田は此処へ晶生を連れてきたことを後悔していた。
こんな美しいものを間近で見せるべきではなかったかと。
そのとき、沐生がちら、とこちらを見た気がした。
「今、俺、長谷川沐生と目が合った気がする」
と言うと、晶生は笑い、
「今、あんたの周辺の人間全員がそう思ったわよ」
と言う。
そのとき、沐生の側に居た人間がこちらに向かい、手を振った。
坂本日向だ。
軽い足取りでやってくる。
「晶生!」
と日向は人ごみの中に居た晶生の手を取った。
は?
「なにやってんの、あんた」
と気安い調子で日向が言う。
こちらに人が寄ったので、ガードマンが数人移動してきた。
晶生は少し迷って、
「んー……野次馬?」
と答えてる。
はは、と笑ったあとで、日向は晶生の手を引いた。
「いいから、こっち来なさいよ」
と言ったあとで、横に居た自分を見、
「誰、これ、彼氏?」
と訊いてくる。
まだ手を繋いだままだったからだろう。
「そうです」
「違うよ」
とあっさり晶生は言った。
それじゃ、俺が無理やり手をつないでいる変質者みたいじゃないか。
ちょっと心が折れて、自分で手を離してしまった。
そのやりとりだけで、自分たちの関係性がわかったらしく、坂本日向は笑って言った。
「なるほどね。
じゃあ、こっちおいでよ、お友達も。
わかるでしょ、晶生。
私が此処で話してると、警備の人たちが大変だから。
積もる話もあるし。五年ぶりじゃない。
沐生も居るわよ」
と親指で沐生を示す。
「えっ、お前、沐生とも知り合いだったのか?」
余計なことを、という顔で、晶生は舌打ちをした。
「お友達、知らないの?
私も晶生も沐生も昔、同じブランドでキッズモデルやってたのよ」
晶生がモデル……。
いや、ルックス的には申し分ないが、およそやりそうにないキャラクターなんだが。
神社で巫女さんやってるとは聞いたけどな、と思う。
普段理由もなく覗きに行くのは恥ずかしいので、初詣で行きたかったのだが、両親がいつも通り近所の神社に行くと言うので、結局行けなかった。
他所に行きたいって強く言ったら、なんでだって言われるしなー。
「もう〜。なんでもいいから、入って入って」
日向がずっと此処に居るので、日向のマネージャーまで、焦ったようにやってきて、晶生とともに中へと押し込まれた。
秋村凛はいつの間にか居なくなっていた。
まいったな〜。
晶生は日向に引きずり込まれながら、困惑していた。
こんなことなら、真田の呼び出しなんか受けるんじゃなかったよー。
……さっきから、長谷川沐生がガン飛ばしてきてるしな。
少し迷って、手を振ってみた。
だが、沐生は、ふいと視線をそらし、自動販売機の方に行ってしまう。
こいつ、殺すっ、と思っていると、気づいた日向が言った。
「なあに?
あんた、まだ沐生と喧嘩してんの?
あんたが肉まん落としたの、沐生のせいじゃないわよ」
「……そんなことで、何年も揉めてないわよ」
そう言ったとき、スタッフから日向が呼ばれた。
「あ、ちょっと出番。待ってて」
と言い、日向は行ってしまう。
横に居た真田が日向を見送りながら、
「坂本日向って、テレビで見るのと全然違うな。もっと莫迦っぽい感じかと思ってた」
と言い出した。
「莫迦じゃ、この世界、務まらないわよ」
「しかし、お前がモデルやってたとは意外だな」
とまた、マジマジと上から下まで晶生を見ながら言う。
「ルックスはともかく、そういうのやりたがるとは思わなかった」
「そう何回もやってないわよ。
おじさんに頼まれてちょっとやっただけ。
おじさん、私たちがモデルやってたブランドで働いててさ。
沐生もそうなの。
沐生は、あの頃から身長があって、可愛かったから、引っ張ってこられたお偉いさんの息子」
へえ、と真田は改めて、沐生を眺めていた。
「で、お前だけが芸能界をやめたのか」
「やめるもなにも。
私はただのバイトみたいなものだったし。
沐生も無理やり何度か引っ張り出されただけだったわ。
本気で芸能界目指してたのは、日向だけよ。
日向は昔から、プロ意識が高くてさ」
日向のそういうところを尊敬しているし、好きだった。
「なんか、アイドルグループみたいなの作りたいとか言われてやめたのよ。沐生も……俳優になるとは思わなかったな」
そう言いながら、監督と台本を見ながら素知らぬ顔で打ち合わせている沐生を見た。
日向の出番が思いもかけず長引き、マネージャーさんも、こっちには来なかった。一言挨拶して帰ろうと思っていた晶生は帰るに帰れずに居た。
真田は女優さんに話しかけられて、嬉しそうだ。
晶生は真田にロケを見せてしまったことを教えたことを猛烈に後悔しながら、自動販売機の横のベンチに座っていた。
「格好いいよね、タレントさんかと思った」
真田は女優に言われて上機嫌だ。
まあ、格好いいかな。
学校でもかなり人気がある。
バレンタインには、下級生が集団でやってきたし。
でもあれ、中の一人を選ぶと、恐ろしいことが起こるだろうな、と思って眺めていたのだが。
「彼氏か」
ふいにした声に顔を上げると、いつの間にか、横に沐生が立っていた。
「委員会が同じなの。真田くん」
ふうん、と沐生は流す。
そのまま二人で撮影を見ていた。
「日向が、私が肉まん落としたのは、沐生のせいじゃないって」
「……古いこと覚えてんな、あいつも」
そのまま黙っているのかと思ったが、沐生は口を開いた。
「晶生、次のシーンは近くのホテルでなんだが」
うん? と晶生は沐生を仰ぎ見た。
沐生は自動販売機のボタンを押しながら言う。
「来てみろ。
お前なら面白いものが見えると思うぞ」
出て来た冷たい缶を晶生の膝に投げて行った。
ストレートの紅茶だ。
「……よくご存知で」
と呟き、それを開ける。
「どうしたのよ、晶生。
興味ないとか言ってたくせに」
続きの撮影が見たいと日向に言うと、快く承諾してくれたが、少し訝しげだった。一緒にマネージャーの車に乗せてくれる。
「いや、ちょっとね。
あ、そうだ。真田くんは貴女のファンらしいから、握手して、サインでもしてあげて」
「あ、そう?」
と日向は軽く了承する。
真田が、
「ありがとうございますっ」
と学生手帳を差し出すと、
「これにしてもいいの?」
と笑いながらも、快くサインしていた。
日向が右手を出し、真田が左手を出す。
「……サウスポー?」
いや、と真田は笑っている。
少し考え、日向は言った。
「あっ、わかった。
もう握手しないっ」
「そこをなんとかっ」
「なんの話?」
「いや、晶生、あんた、さっき……」
と言った日向に、いや、ちょっと待って、後生だから、と真田はすがりついていた。
「さっき、あんたとつないでた方の手じゃ私とは握手できないっていうのよ、この人っ」
私はあんた以下かっ、と日向は叫ぶ。
「私、滅多に会えないグラビアアイドル様なのにっ」
「……日向、自分で言わない」
と言うと、前でマネージャーが笑っていた。
相変わらず、あっけらかんとした奴だと思った。
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