第十八話 足元のつむじ風

 大王と秘書が、暇を見つけては“所用”で首都を外すようになって来た頃、すでに一週間以上昔の話となっていた議長逮捕を巡って、一つの騒動が巻き起こった。

 そもそもこの一件は、司法でなく支持という意味において、春瀬や勤以外の保守派政治家や軍部を除き、大多数の臣民が好意的に捉えていた。議会の不敬は、大王が民意を考慮してせっかく保守派筆頭の春瀬に歩み寄りを見せたのに、その寛大な心を足蹴にして侮辱したと捉えられ、激しい反感を買った。それが逮捕されたのだ。喜ばれて当然だろう。第一、議会のそれまでのしつこさが既に大いに不評だったのは言うまでもない。

 かくしてほとんどの臣民の溜飲が下がり、穏やかな中道派で知られる議員が急遽議長ポストに就いて、事態は一件落着と相成ったかのように思われた。

 ところが、四月十一日、誰も予想していなかったところから、つむじ風が起こった。――大王政府閣僚による行政府の最高意思決定会議、すなわち、閣議である。

 統治府内の閣議場に鎮座する円卓に全閣僚が集まる中、一通り予定されていた協議が終わると、黒いスーツを着た統治府長官、行政の最高責任者たる真仁は背後に控える秘書の七海を呼び寄せ、時間を確認しようとしていた。良い時間なら、お開きにしようと思ったのである。七海が側に寄り銀の懐中時計を胸ポケットから取り出して時刻を見ようとする。が、その時、大王のすぐ左に座る財務相がおずおずと手を挙げ、発言の許可を求めた。

「何だ?」

 七海を慌てて下げさせ尋ねる。

「ひ、一つ、どうしても申し上げたいことがありまして」

「よろしい。言ってみよ」

 父王の時代から政府要職を歴任してきた年配の熟練大臣が、密かに深呼吸してから口を開く。

「先日、陛下は合一の儀における不敬を咎められて、議会議長閣下を逮捕なさいました」

 一拍遅れて、ああ、そうだったな、と相槌を打つ。その背後で大人しく控える七海も内心不審に思う。先日と言ったが、九日も前のことなのだ。今更何を言い出すのかといぶかしむ。

「この逮捕は、厳正なる法の執行として当然のもので御座います。しかしながら、今一つ、陛下の議会に対する態度に関し物申し上げたく存じる次第であります。今から進言致しますのは、私個人の見解ではなく、陛下を除いた全閣僚の総意で御座います」

 大王は無言無表情で見詰め、続きを待つ。

「簡潔に申しますと、三月に異例の政府予算案議決を促す演説を行われて以来、案の議会通過のために必要な努力を、陛下は十分になさっていないと思われるのです。事実、あれ以来、陛下は予算の必要性を説くことをなさっていません。予算案の議決は議会の領分であるため関わりが過ぎるのも良くは御座いませんが、最早昨今の態度は無関心とも言えるほどになっておいでです。陛下、その御心は、議会を蔑ろにせんとするようなお考えは、独裁への第一歩で御座いましょう。無礼多き議会にご立腹なのは承知の上、どうか健全な国家運営を実現せんと、改めてお考え直しください」

 財務相が頭を下げてからもしばらくは無表情のまま微動だにしない。その後、ゆっくりと体を動かし背を正す。

「何も言っていないのは何も聞かないからだ。馬鹿げた時間の無駄は趣味ではない。それにしても、まるで余が祖父に憧れているかのような物言いだが、では、合一の儀で政治的信念や対立にも関わらず、春瀬と抱擁を交わしたことは、どう説明してくれるのだ? あれはかの独裁者とは真逆の行動だが?」

「あ、あれは、臣下への当然の配慮だ」

 議会に侮辱されてもなお保守派でい続ける春瀬がしどろもどろに反論する。が、

「勝手に暴走するどころか、臣民に気を配り、譲歩したのだぞ? どうしてこれが独裁になる?」

 素質なしの事務員の言葉などひょろひょろ過ぎてお話にならない。むしろ無能者からいたずらに反論を受けたことで、ますます苛立ち饒舌に捲くし立てる。

「そのような暴走のそしりを受けるべきは議会であろう。大王による一方的な不利益の強制から臣民と彼らの尊厳及び権利を守るため民意を代弁し、国を正しく導く補佐をなして大王に仕える。これが法に定められた議会の成すべきことであるにも関わらず、現在どうだ!? 大王による利益の供給から軍部の権益を確保するため軍部の意見を代弁し、国を正しく導く邪魔をして大王に仇なしている! これでどうして余が責められる!? 罪の所在も分からんのか、この愚か者め!! それとも知ってのことか? だとしたら、とんだ恥知らずだ!!」

 普段滅多に聞くことのない真仁の剣幕に、大臣たちは凍り付く。本来非常に温厚な大王で、この建物の最上階にある執政室を訪ねて来た議長を追い返した際も、大声は出せど怒鳴りはしなかった。ところが現在、能力が体内で暴れ周囲の温度が急激に上昇していく。

 額に汗をびっしりかきながら、ついに軍部の名門一族の出であるでぶっとした軍事相がもっともらしいことを並べ出す。

「我々が問題にしているのは、議会への無関心な態度で御座います、陛下。合一の儀におけるお振る舞いや、臣民の支持ではありません。議会への態度に問題があり、それを改善するよう申し上げているのであります」

「改善という文字を知っているか? あれはどう書く? 善く改めると書くのだぞ?」

「はい。承知しておりますが」

「ふざけるな!!!!」

 軍事相の語尾を叩き切り大きな両手で机を殴りつける。同時に開いた手が真っ赤に燃え出し、書類を貫いて円卓に火が移る。一同顔面蒼白となり、七海が水を取りに駆け出す中、その燃え盛る右手を上下左右に激しく振って張り叫ぶ。

「何だ、そのいい方は!? 承知しておりますだとっ!? 貴様は余に改善の余地があるとでも言いたいのか!!!! ふざけるな!! 恥を知れ、糞がっっ!! 耳が付いてないのか、このど阿呆っ!! 議会が悪いとわざわざ説明してやった後に! よくもそんなことが言えたなっっ!!!!」

 その時、七海が他の統治府職員とともにバケツを両手に持って飛び込んでくる。慌てて付近の諸相が書類を拾い上げると、直後一斉に水がかけられ卓上の火の手が収まっていく。

「陛下。失礼します」

 未だ赤々と燃える両手を七海は濡れ雑巾でぱっと包む。と、その白い手の内で、じゅっと火種も消えた。

 火が全て消え応援の職員たちがぞろぞろ出て行くと、下半身に水をかぶって少し冴えたのか、真仁は一転冷静になる。軽く火傷した手をむず痒そうにさすりつつ、しばらく目を伏せ気味に中空を見詰めて黙考する。しかし、すぐに手をすり合わせるのを止め、視線を全体へ注ぐ。

「だが、閣僚一同が団結して要請してくるのでは無下にも出来ん。あくまで余に責任はないが、確かに父たるものもう少し寛大な心で子を見守ってもバチは当たるまい」

 グレードアップという意味での“改善”だが、改善は改善だろう。柔軟な対応にとりあえず閣僚たちはほっと胸を撫で下ろしつつ、背筋を正して本音の言葉を待つ。もちろんこの態度の豹変は腹に一物あってのことに違いない。

 大王は続ける。

「だが、そなたらの要請通りに余がここで突然議会への態度を軟化させたら、軍部はどう思うかな?」

 ちらとその政治的代表たる軍事相を見やると、脂汗を流しながら慌てて言い繕う。

「ぐ、軍部といたしましては、軍権の唯一にして最高の責任者たる大王陛下の御意は絶対のものでありますから……」

「御託は結構。時間の無駄は嫌いだ」

 睨み付けて黙らせる。

「事実はきっとこうなる。余が対立していた議会に対する態度を突然軟柔なものに変えれば、その背後にいる軍部に恐れをなしたと捉えるだろう。反乱を危惧したなどと考えるかもしれん。こうなると、軍部は自信を抱いてしまう。自分たちは大王を動かせると。考えてもみたまえ。そうなったら、我々文人の政府は最早何も出来なくなるぞ? 余と世は軍部に支配される。常に銃口に怯えながら政治をしたいか、諸君?」

 ほとんど全ての閣僚が青ざめ、口々に否と呟く。保守派の文人、つまり、保守派の政治家でも軍部に支配権を認める人物はまずいない。あくまで伊達派は文人統制――非軍属の文人が支配者なのである。

「さて、それではどうするか、という話だが……」

 ゆったりと腰を落ち着けて言葉をつむぐ。

「従来の対議会強硬路線から不用意に踏み外さず、しかし、予算で揉めている議会に対しアプローチするとなると――例えば、政府一同の署名入りで大王政府予算案議決催促状を作成し、余の名の下に突き付ける、というのはどうだろう? これならば、そなたらの求めるように議会に適切に関わっていくことが出来るし、政府を取りまとめて合意を叩き付けることで強硬路線からあまり外れることなく指導力を維持出来る。軍部が付け入る隙はない。どうだ? 悪くないと思うのだが?」

 見事な発想である。見事すぎて、してやられたと、今回の動議を働きかけた保守派の大臣たちは心の中で舌打ちした。完全に王手である。政府全員署名で議決を催促するのはパンゲア予算。彼らが今まで反対してきたものだ。ここで首肯すれば、これまでの抵抗もむなしく、半強制的に同意させられることになってしまう。では、反対すればよいかと言えば、そう単純にはいかない。そもそもこの選択は彼らの要請に対する回答である。しかもなお悪いことに――

「それがよう御座いましょう!」

「これで太平の世がなるならば、経済も安定です」

 政府の真の実力者――財務相・経済企業相は、根っからのパンゲア賛成派なのだ。政策に財政再建や経済回復が盛り込まれていれば協力しないわけがない。

 鋭く政策反対派の動揺を察知して同意の流れを作ると、熟練の大臣は反対の声を上げられる前に保守派諸大臣を一睨みして牽制する。

「反論もありませんね」

 軍事相が半開きになった口を悔しそうに閉じる。ここで余計な反対を述べれば、来年度こそ軍部の予算をゼロにされかねない。金を握るものが権力を握るのである。武器ではない。武器は所詮、経済の波間に浮く数ある商品の一つに過ぎないのだ。

「決まりだな。後で催促状を回すから、全員明日までに署名を終えるように」

 大王は最後にそう言うと席を立った。閣議は定刻を少し過ぎて終了し、大臣たちはそれぞれの表情で議場を後にした。

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