第十七話 平和・幸福の風景

「さっぱりだったな」

 放課後、小夜子に従って生徒会室へ向かう道すがら、授業はどうでしたか? という留学提案者の質問に即答する。

「で、ですよね……」

 どうやら七海も同じだったようだ。それで安心したのか、真仁はするりと続けて言う。

「これは続けて意味があるのか?」

 一国を治め、五千万人を支配する大王には日々膨大な仕事がある。そんな中、少しでも無駄と思えるものは、余暇以外、徹底的に排除するのが彼のやり方である。一方、七海はもう少し柔軟な思考の持ち主だ。

「そこで諦める軟弱さが、戦争を招くのではありませんか? もう少し辛抱する。これが異文化理解には肝要なことかと」

「はあ……それもそうか」

 指摘を素直に受け入れ反省していると、小夜子がぴたりと足を止めた。ふと見れば、オレンジ色のドアが前をふさいでいる。その上方に目を移せば、生徒会室と書かれた表札がこちらに飛び出している。

「ここか」

「ひゃ、ひゃい! そそうです!」

 いきなり話し掛けられ、声を裏返す。背中で二つの苦笑いが浮かぶ中、白いうなじを朱に染めて、ぷるぷる震える手でドアの取っ手を横に引く。だが、ドアはガタンといっただけで開かない。

「あ、あれ? 会長、まだなのかなあ?」

「鍵が開いてないのか?」

「は、はいぃ」

 腕を組んでうーんと唸る。

「も、もう少し待てば、来ると思うんですけど……」

「いいよ。待とう」

「ご、ごめんなさい」

「いや、いいさ。むしろ案内してくれてありが「ひゃうっ!?」 どうした七海!?」

 いきなり訳が分からない悲鳴が聞こえて両者とも振り返る。

 と、そこには――


「う~ん? どれどれ~? 新人ちゃんかなあ?」

「は、はい、そうですけれどあひゃあっ!?」

「いい声で鳴くね~、君ぃ~。ほら、もっと聞かせてよ!」

「うふふんっ。やめっ、やめてくださいいいひいぃぃん!」


 高身長黒髪ロングの大和撫子に、巨乳を背中に押し当てられながら脇をくすぐりまくられ身悶える七海という謎の絵があった。

 真仁は唖然とした表情で見詰めるが、そんなもの眼中に入らず、攻めの手、いや、指は休まるところを知らない。

「おりゃおりゃ鳴け~、メス豚のように~!!」

「ふっふひっ、も、もやめっあははは、ひひふふふー←←←」

「さあ、いけ! ごーとぅーへぶ!」

「地獄に落ちろ」

「痛っ!」

 バシッという打撃音が鳴って、大和撫子? が床に崩れ落ちる。

「だだ大丈夫ですか!?」

 小夜子が泡を吹いて駆け寄る。

「ああ、さよさよ……。何かびりっと来たよ」

 うつ伏せに倒れた女性が、顔を上げ右手を宙空に伸ばす。瞬間、真仁は駆け寄ってきた七海を鋭く睨みつけるも、静電気です、と軽く受け流される。

「せ、先輩!」

 小夜子がしゃがんで抱き起こそうとする――と、


 むにっ。


「うーん、やっぱさよさよの慎ましいここは最高だねえ」

 伸ばした右手で可愛い後輩の胸を揉み出した。

「んっ。せ、先輩。あの……こ、こういうのは……」

「なるほどなるほどお。さよさよは人に見られながらは嫌か?」

「そ、そういう問題じゃなくて……」

「恥ずかしがってるけど、本心ではオッケーと!」

「ち、違います! それに、連れて来たんですから、待たせては――」

「じゃ、後でやろっか」

「もう……か、勝手にしてください」

 にいっと悪人面で笑って応えると、スカートの裾を正して立ち上がる。そうして、新入りの二人にやっと、明るく手を挙げる。

「どうも初めまして。私は古手川箏代ふるてがわことよ。この三宿南学園の生徒会会長、つまりい、生徒の中の王様でえす!」

「七海。学校を変えよう。狂人が王などとんでもない」

 本物の大王が素早く踵を返す。

「待って! 私、仮にも先輩だよ!? さすがに失礼じゃないかな?!」

「私も賛成です、真仁。もう一秒たりとてここにいたくはありません」

「ごめん! ごめん! 謝るからあ!」

 涙声で二人の背中にへばりつく。

「ええい、邪魔くさい」

 こんな経験大王にはないだろうが、さすが肝っ玉が座っている。冷静に掴みかかる手を捻り上げ悲鳴を挙げさせる。

「いーたーいー! 離してー!」

「こちらの台詞です。変態」

「がーん! 美少女に変態って言われた!?」

「び、びしょっ」

 素直に赤面して戸惑うと、また悪人相になって笑う。

「ははーん。意外と初心でかわいいところあるじゃん?」

「真仁」

「何だ?」

「手を離してください。一発殴りたいので」

「ちょ、だから私先輩!」

「一発でいいのか? 気が済むまで取り押さえておくが」

「君もさらっと怖いこと言わない!」

「ありがとうございます。さて、血のショーの始まりですね」

「ダメー! 後ろから腕を封じないでー! ここ昇降口だからあ! って、昇降口なんだ!? 随分運ばれたなあ、私」

「いきますよ?」

「許可する」

「君、何様なの!?」

 王様である。

「はあっ」

 早速拳を繰り出す。が、

「おっと待った」

 それは別の男の手にすっぽり包まれた。

 刑吏と化した二人がその男を睨みつける。金髪をツンツンに立て、制服を着崩した不良風の生徒は、慌てて空いた手を振る。

「や、すまねえ。別にあんたらのやってることに不満があるわけじゃねーんだ」

「ないんだ……」

 涙声でがくっとうな垂れると、はあっとため息をつかれる。

「おめー、またどうせ出会い頭でセクハラしたんだろ? そりゃ殺されても文句言えねえよ」

 そして、ふっといいスマイルを浮かべる。

「でも殺るなら、仲を深めてからだろ?」

「よく分かりません……」

 憮然とした様子で七海は男を見上げる。

「それで、何者なのだ?」

 突然の闖入者に厳しく問う。すると男は、うおっ、何かコワッと呟いてから、へらっと笑う。

「オレは、野崎剛だ。よろしくな!」

「そうか。よろしく。僕は伊達真仁だ。それでこっちが北条七海」

「まさくんに、ななちゃんね。よろしく!」

 箏代、もとい危険人物が明るくあだ名で呼ぶと、二人の表情が凍る。

「な、何だその呼び方は……」

「どなたのことでしょう……?」

「へ? いやだからー、真仁くんだからまさくんで、七海ちゃんだからななちゃんでしょ?」

「いきなりあだ名で呼ばれて戸惑ってんだろ?」

 剛が見るに見かねた様子で助け舟を出す。だが、この指摘は不十分だ。

 真仁は大父大王陛下、七海は北条家第二皇女殿下、または、最低でも大王秘書殿と呼称される天上の身分。間違っても、あだ名などで呼ばれるようなことはない雲居の人なのだ。それ故、経験したことがない馴れ馴れしい呼び方に、理解し難さを感じるとともに、どこかむず痒い新鮮な感覚を抱いた。この興奮気味な戸惑いが、彼らの顔面を張ったのである。

 真仁は七海の顔をのぞき見る。七海も見返した。微妙に皺が寄った二人の表情は、同じことを考えている証拠だ。しかし、七海はふっとその眉を弛緩させる。

「良いのではないですか?」

 すると大王は静かに首肯し、咳払いして注意を引く。

「ま、まあ、好きに呼ぶのでいい」

「うんうん。もの分かりがいい後輩は大好きだ!」

「強引な先輩ですまねえ」

 胸を張って得意がる箏代の横で、剛が頭を下げる。

「いえ、構いませんよ。親しく呼んでいただいて、少し嬉しい気持ちもありますので」

「出来た後輩はなおいい!」

「おめー、自分がそうさせてること分かってんの?」

「お? 私、後輩育成に一役買った!?」

「その謎のポジティブさはどっから来んだよ!」

「はっはっはっ! 明るいお二人だな」

 ついに真仁が噴き出し楽しそうに笑う。

「剛さん。あなたも生徒会なのですか?」

 七海が続けて問うと、首を横に振る。

「いやちげーよ。オレは歴史部でこいつと同じなんだ。あと、小夜子もそうだ」

「あ。さよさよ~」

 ちょうど様子を見に来た小夜子を箏代が呼ぶと、ぱたぱたやって来る。

「よ、呼びましたか? 先輩」

「ちょうど歴史部の話してるからさ。グッタイミン!」

 サムズアップしてにかっとする。と、小夜子は真仁たちに向き直る。

「れ、歴史部に興味があるんですか?」

「そういう流れではなかったが、まあ、興味はある」

 真仁がこたえると、七海が見上げる。

「興味がおありだとは、初めて知りましたが」

「統治者が歴史に無関心などありえんことだ」

 周りの一般人には聞こえぬよう小声で返す。

「なになに!? 興味あるのっ!? 歴史にっ?」

「箏代。ちょっとは落ち着け!」

「ふ、二人とも、困ってますからあ」

「何史が好きなの? ちなみに、私は近現代ヨーロッパ史が大好きよ! さよさよは、日本の文化史、剛は軍事史が専門ね!」

「ぐ、軍事史か……」

 嫌な言葉にかすかに顔をゆがめる。暗い気持ちになって押し黙ってしまうと、七海が不審感を抱かせる溝を埋めるべく言葉をつむぐ。

「私は、そうですね、西洋建築や庭園の歴史に興味があります」

「へえ! いいねえ!」

 箏代が明るく笑う。

「どの国が一番好き? イタリア? フランス?」

「イタリアはなかなか捨て難いですが、一番はイギリスですね。特に庭園が素晴らしいです」

「イングリッシュガーデンね! いい趣味してるじゃん、ななちゃん! 私の目に狂いはなかった!!」

「なんの話だよ……」

 剛が呆れてため息をつく。

「真仁はどうなん?」

 続けざまに問われ、しばらく黙考する。第一、彼はこちらの世界の歴史など知らない。ところが、答えることは決定済みらしい。本来いる世界ではあり得ない不快感を胸に覚えつつ、言葉を絞り出す。

「強いて言うなら――文化史かな。または、政治史。軍事史も重要性は認めている。反省するための教科書として」

 あまりに真剣なトーンに、一般人の三人は首をひねる。だが、箏代はすぐに何か閃いたように手を打った。

「まさくん、将来の夢は歴史学者か!」

「ま、まあ、たしかに、あ、あの真剣さからは、そんな感じもしますね」

「無理に頷かなくてもいいんだぜ、さよ?」

「そ、そんな、む、無理になんて……」

「要検討。私の扱い。剛くん、ひどくない?」

「ひどくねーよ」

「まあいいや後で。それより、二人とも早く準備!」

 突然言われて、部員の二人はきょとんとする。もちろん真仁たちも眉をしかめた。そんな反応に、どうして分からないの? と言わんばかりの調子でのたまう。

「新人歓迎会よ!」

「待ってください。私たちはまだ入るとは一言も言っておりません」

 秘書らしく素早く制止の言葉を述べるが、燃える部長はけろっとして応える。

「でも、うちの部に興味はあるんでしょ? ね、まさくん?」

 訊かれて控えめに首肯する。

「ななちゃんは?」

「なくはないですが……」

 ちらっと陛下の方を見やれば、壁の時計を気にしている。そう。彼らは多忙の身。無駄な時間を過ごし職務を遅らせれば、五千万人に迷惑がかかる。

「少し事情がありますので、あまり忙しいのは困るのです」

「大丈夫! 活動は自由参加だから!」

 なおも箏代は押してくる。

「えぇっと、そう言われても、困ると言いますか……」

「いいだろう。七海。少しくらいなら」

 壁時計から目を離し、ゆっくり言う。

「良いのですか?」

「自由参加ならばな。得ることも多そうであるし」

「じゃ、決定!」

「ほんと強引ですまねえ」

「ご、ごめんなさい」

 部長以外の二人が揃って頭を下げるが、真仁は笑ってそれを上げさせる。

「いや、いいんだ。僕はやりたいと思わない限りやらないからな」

「よおし。では早速う、パーティーをっ」

「申し訳ないのですが、今日はもう時間がないので、これにてお暇させていただきます」

「えー、帰っちゃうのー? ななちゃんたちい」

「はい……。よろしければ、また日を改めてお願いいたします」

「まあまあ、それでいいだろ?」

 剛が少しがっかりした様子の箏代の肩をたたく。

「ま、そだね。逆に捉えれば、近日中のパーティーが確約された訳だし!」

「か、買出し、行かないとですね」

 ふんっと小夜子も気合を入れる。案外、楽しみにしているようだ。

「それでは、またの機会に」

 真仁は明るく挨拶すると、お辞儀した七海を連れて歩き出す。後ろの方では、おー、まーた今度ねー、と部長の楽しそうな声が響いた。

 二人で靴を履き替え外へ出る。校庭では彼らはよく知らない野球やサッカーなどのスポーツを全力で楽しむ同世代の子供たちがいた。それをしばらく並んで見詰めてから、校門を出る。最寄の駅までは、古い世田谷の入り組んだ小道をふらふらと歩いて行く。主婦がママチャリの籠にどっさり野菜を積んで通りかかり、反対の道をランドセルを背負った小学生たちが他愛もない会話をしながら歩いている。八百屋ではご近所さん同士が和やかに談笑し、隣の家の前では数人の幼子がシャボン玉を飛ばして遊んでいる。夕焼け空にからすの親子が戯れ、家の石垣で三毛猫が大きく伸びをして丸くなる。

 能力者世界の二人は、全てに目を奪われていた。そして、活気のある駅が近付いて来る頃、真仁は興奮気味に言った。

「この世界はあと一万年二万年続くだろう。見たか。争いの“あ”の字もない」

「はい。見ました。陛下」

 やはり上気した頬で秘書は返す。

「この国は奇跡と言うべきでしょう」

「我々の世界も、こうなれればなあ……」

 遥か彼方を見る目で、目の前の平和で幸せそうな景色を見つめる。

 彼は決して意志薄弱ではない。事実、信念を貫き、たったの一年で世論の大勢を黒から白へ塗り替えた。

 彼は意志薄弱ではない。能力者世界があまりに絶望的なのだ。

 故に、夢とも思える世界を前に、ため息をつくのである。

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