第十五話 合一の儀
日がそろそろ傾いてきて、朱雀大路に大きな統治府の影が落ち始める。ささあっと風が桜の花びらを運ぶと、少し肌寒い。人々は服の襟をかき合わせ、けれども、まだまだ祭典を楽しみ続ける。
「ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
財務省の横にあるセイリュウ製酒から、一人の少年がおぼつかない足取りで出てくる。と言うか、七雄、もとい七海だ。変装した大王秘書はふらふらと歩み、すぐそばのガス灯に両手をついて喘ぐ。再び日陰に風が吹き込むと、ぶるるっと震え上がって朱に染まりつつある空をぼうっと見上げる。
「……私がお店に入ったのはいつだったでしょう」
今朝の九時過ぎだ。
「そして、今は何時でしょうか……?」
同じ日の夕方、十七時四十分だ。
七海はそのまましばらく呆然とすると、一つ嘆息する。
「眠れない夜になりそうですね――」
そう言いながら、ふわあっとあくびを漏らす。眠れないとか言いつつも、体はだるく、一歩踏み出すのも面倒に思えてくる。全身を包むのは倦怠感だ。もう何か色々と末期的である。
「しかし、あの一杯でこうとは……二度と飲みません」
本日一番のため息をつくと、ガス灯から手を離し、怪しい足取りで人だかりの出来た広場の方へ歩き出す。
その時、群集がわっと沸く。目を上げると、統治府の三階にあるテラスの右端に、氷野市の広報官が姿を現し、お辞儀している。頭を上げると、朗々とした声で儀式の始まりを告げる――詩を朗読する。
「空の火を
うつして燃ゆる山奥に
二匹ふたひきの虫
二匹のただよう羽虫
飛び入りて
火炎や上がる
喜びの
火炎や上がる
幸せの
火炎や上がる
我らに続く」
広報官がお辞儀すると、大きな拍手が起こる。
――陛下の作でしょうか。なかなか独創的です。毎阿大王妃殿下と氷野樹殿下の再会のご様子が、よく伝わってきます。
七海もほうっと感心しながら手を叩く。
テラス上では、広報官が定型の挨拶を済ませ、式を進行させる。
「始祖両家の合一を祝し、多数、祝電が届いております。合一の儀に先立ちまして、紹介をさせて頂きます」
始まった……と群集の何人かが音を立てずに苦笑いする。まあ、ここで興味津々になる者もなかなか珍しい。しかし、今年に限っては、その表情もあまり長続きしない。
「『始祖両家をお祝いする当市の祝祭を主催し、儀式に協賛させていただける名誉を噛み締めながら、大王陛下と領主殿下にお慶び申し上げます。氷野市代表同市市長渡わたり賢也』『伊達派最大の祝祭に際し、心より慶び申し上げます。政府代表財務省大臣渡広重』『始祖両家の合一をお祝いすると同時に、ますますのご多幸をお祈りします。統治府、及び、他省庁関係者一同』『始祖両家の祝祭に最大の慶びを表明するとともに、今後の栄光を祈念します。司法局局員一同』『始祖両家のますますのご健勝をお祈り申し上げます。軍部代表統帥本部副長両名一同』『始祖両家の祝典に際し、大なる慶びを申し上げます。北海島伯渡智彦』」
進むにつれて広場に不穏な風が吹き出す。七海の酔いもさあっと引いていく。
――議会はまだでしょうか? 立法権代表として、行政権の各省庁と司法権の司法局の間に来るはずですのに……。 まさか読み落としでしょうか? 言いがかりをつけられて予算の問題が一層こじれてしまうかもしれません! それとも――まさか祝電を送っていないのでしょうか……?
「議会、祝電送ってないのか?」
「さすがにないだろ。いかに議会が民意を無視してるとは言え、愛国心や忠誠心まで捨てはしないって」
「まじにするな。冗談だよ」
「それな。あ~あ、あの広報官、首飛んだな」
大学生くらいの青年がすぐ横でそんなやり取りをしている。他の者もだいたいそんな感じのことを言っている。
――で、ですよね。良かったです。……いえ、問題はどのみち複雑になってしまったので、全然良くないです。
はあっと額を押さえてため息をつく。別に外務庁設立の時のように自分がどうこうする訳ではないが、色々気を使うのだ。
「まだ多数御座いますが、時間の関係上、割愛させて頂きます」
結局もちろん議会は読まれぬまま、お決まりの台詞が聞こえると、急に空気が引き締まる。広場に集まった全員が、三階のテラスに熱い視線を注ぐ。
「それでは、ただいまより、合一の儀を執り行います。一五四代真仁大父たいふ大王陛下と、一四九代春瀬大母たいぼ殿下のご入場です」
すっと後ろの扉が開き、まずは赤い軍服に身を包んだ二人の近衛兵が、そして、それに先導される形で赤と青のマントを揺らしながら陛下と殿下が揃って姿を表す。
おおっという驚きとも安堵ともつかないどよめきの後、一斉に晴れ晴れしい歓呼の声が響き渡る。
『大父大王陛下万歳! 大母殿下万歳! 大父大王陛下万歳! 大母殿下万歳!』
群集は皆、熱狂していた。陛下と殿下に。再び仲むつまじく並ばれたお姿に。涙さえしていた。
「良かったなあ」
「ああ、ほんと良かった。喧嘩するお二人なんか、見たきゃなかったからな」
「やはりあああるべきですよね、あの方たちは」
「仲の悪い陛下と殿下なんていなかったのよ!」
「いいこと言うなあ、お譲ちゃん! ともかく、仲良しのお二人を見れておりゃあ満足だ!」
集まった人たちが隣の人の肩を叩いて、笑い合って、喜んでいる。このお二人は本当に臣民から愛されているのですね、と七海は感激して胸を押さえる。
――美しいです。これが家族の愛の輝きというものなのですね!
らしくなくぱあっと明るい笑顔を浮かべるも、すぐに暗転してしまう。
――北条派では、あり得ない光景でしょう。そもそも現在の帝室は権力争いばかりと反感を買っているでしょうから……。それも兄様が早く諦めれば、状況も少しは変わるでしょうに。
「おお。来る来る」
「お前なあ、不謹慎だぞ」
「いやしかし、合一の儀とは言え、天下の美男美女が抱き合うんだぜ?」
「まあ、確かに殿下は本当に美人だが――」
「今さりげなく陛下のこと……」
「いや男前でかっこいいとは思うけどさあ、天下一ってほどか?」
「不敬罪になっても知らんぞー?」
男子高校生らしき二人がひそひそ言い出す。
――そう言えば、抱擁するのでしたね、お二人が。
思い出してテラスを見上げると、二人が真剣な面持ちで、若干殿下は上がり気味だが、向き合って立っている。無言の視線を浴びる中、熱く見詰めあう。殿下の頬が朱に染まっていく。それにふっと微笑むと、ついに大王の方から歩み寄り、
互いの体を抱きしめた。
陛下のお顔は殿下の美しい銀髪にうずめられ、殿下の美貌は陛下の首もとに押し当てられる。場の空気は一変した。先ほどの高校生含め群集は、合一を象徴する抱擁を見詰め、遠くはるかな血のつながりを、すぐ隣の人との強い血の繋がりを感じている。まさに血族の聖なる繋がりの意識が広場を包み込んでいる。
だからなのだろうか。七海はその宗教的とも言える空間において、一人場違いに苛立ちを感じた。しかし、感じてからはっとする。
――私は何に腹を立てているのでしょう?
思わず考え込んでしまうが……今この場で、それに答えを出すのは無理そうだ。
日が地平線の彼方に落ち、統治府の赤いドームからうつし火が消える。統治府の脇に準備されていた大砲がごおっと祝砲を撃ち鳴らした。同時に、陛下と殿下は離れ、テラスの奥からバグパイプの気の抜けた通奏低音が響いてくる。
――あ、これは今朝と同じパターンでは。
ぐるぐる悩んでいた七海は思考を打ち切り、ほとんど反射的に身を翻して、南大路の方へ駆け出す。
直後、国家「赤河」の大合唱が背後で始まっていた。
――良かった。二度も雷を落としたくないですからね。
すっかり酔いも冷めたようで、元気に少年らしく氷野邸まで走っていく。この後たった今通り過ぎたあるビルに届け出をしに戻ってくるとは知らないまま――。
大祭の酔いが冷めやらぬ翌日の午後、その衝撃的な事件は起こり、数時間後に撒かれた夕刊によって全臣民の知るところとなった。
「何!?」
いつかのように西部伯勤が食堂で声を荒げる。既に娘は首都へ発ち、メイドだけが腰を抜かしている。
「ぎ、議長、逮捕だと!?」
『議会議長、不敬罪で逮捕。
今日午後、議会議長文屋康行が不敬罪の容疑で検察に身柄を拘束された。検察庁の発表によると、昨日行われた合一の儀において文屋議長は父母陛下及び殿下への祝電を意図的に拒否し、始祖両家への忠誠を欠いた疑いがある。陛下は同庁に対し内乱罪の容疑でも調べを進めるよう要求されている
★不敬罪と内乱罪
不敬罪が適用される対象は、始祖両家、及び、両家の御方々に対する明らかに不適切な態度や言動で、最大で終身刑が課される。内乱罪の適用対象となるのは、国家の既存の体制に対し不当に挑戦するような言動と行動の準備で、基本的に極刑が課される。ある検察官は国家転覆の意図が証明されない限り内乱罪での訴追は難しいと話す。
※注、新制度説明
従来、刑事事件捜査や訴追は保安警察庁が一元的に担っていたが、同庁を従える内務省大臣の法律知識が十分とは限らないこと、また、業務が膨大で冤罪が多いことなどを理由に、今年度から刑事事件は法務省下に新設された検察庁が専門に取り扱うように制度が変更される。陛下の効率的な行政運営を目指した積極的な改革の取り組みが迅速な逮捕に結びついていると司法局最高裁判所裁判長の渡広正は評価している』
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