第五話 悲劇の大王と悲劇の皇女
「この
春瀬が、北条派の人間を侮蔑する言葉を敵国皇女に吐き掛け、罵倒する。
「見覚えがある顔だと思えば、あの王都を焼いた女の妹か!」
「春瀬! 無礼が過ぎる!」
一喝し睨みつけると、不服そうながら口を閉じる。それを見届けてから、視線を戻す。敵国第二皇女に。
「はるばる内陸までのご足労、労わりたい。して、何が目的で?」
「伊達派の大王は、赤き善王と聞きます。独裁で虐げられた民を救済する、善き父と聞き及んでおります。それ故、こうして参ったので御座います、陛下」
本当は善王とかは口実で、途中からは完全に人口増加による経済発展及び、税収増と、過去には大王の目が届かないところでの領土略奪による“不可抗力的な”国土の拡大を狙っている訳だが、この際それは良かろう。それより、ツッコミどころがある。
「第二皇女よ。帝室の人間であるお前でさえも、黄帝に虐げられていると言うのか?」
はっきり言って、考え難い。むしろ皇族である以上、一緒に虐げる側に回るのが自然というものだ。
幸薄そうな皇女は、力なく首を横に揺らした。
「そのようなものでは御座いません。亡命を切望するほど、非人道的な酷い目にあったのは確かですが」
「一体何があったと言うのだ?」
苦しそうに歯を食い縛り、顔を落とす。
「姉様と兄様の、帝位を巡る権力闘争の犠牲となったのです」
「ほう?」
北条派では、先代の名帝、
一番初めの契機となったのは、伊達派一五三代大王真吾による北条派の都、
皇族で唯一の捕虜となった沙織は既に次期黄帝候補として父に目をかけられていた。とは言え、当時はただの物心もつかぬ幼児である。これを殺すのはさすがに胸が痛んだのか、現地の指揮官はこの子を大王のもとに連れ帰って、判断を直接仰いだ。
不幸な幼子に同情的になってしまった真吾は、一命を取り留めた第一皇女を殺さず、自身の王宮にて使用人として奉仕させることにした。幼い少女本人は自分の出自を知らない。そこにつけこみ、伊達派の誇り高い王宮使用人として洗脳してしまおうと考えたのだ。四年後の冬に待望の王子、真仁が生まれると、乳母とともに、年の最も近いお姉さんとして面倒を見させるようになり、最終的には、王子専属使用人という地位を正式に賜った。主従の仲はすこぶる良かった。いつも難しい顔をしている政治家や軍人でも、王宮を訪れて仲良しな二人を見ると、誰もが破顔したと言われているほど、可愛らしい主従だった。
だが、次第に雲行きは怪しくなって行く。
同時期に北条派では、都市焼き討ちで負った戦傷が悪化し、かの名帝正風がこの世を去った。次代黄帝にやはり沙織を希望して――。けれど、沙織は伊達派の王宮に囚われている。正風に尽くした忠臣たちは何としてでも陛下の御意志を実現させようと言って沙織姫奪還の挙兵を訴えるが、先代の時代、黄帝からの覚えが悪く、憂き目にあっていた家臣たちは、やっと死んだとばかりに正風帝の遺言を無視して弟の周を即位させ、幼帝を補佐する官僚となって絶大な権力を掌握、沙織奪還を主張する一派を「骨董品」と呼んでその要求を却下した。これに対して、沙織即位支持派は強硬手段に出る。本来黄帝がただ一人で握っているはずの軍権を侵して陸軍を勝手に出動させ、不落の山間の城塞都市、王都を襲撃したのだ。
予想だにしなかった奇襲に、王都内は大混乱となるが、沙織には予め本当の出自とともに、作戦の詳細が潜伏していた北条派の工作員より伝えられており、その指示に従って、王子は取り逃がすも、大王と大王妃を殺害。王宮に火をかけ、内から難攻の城を落とすと、護衛の兵を引き連れて北条派の都へ颯爽舞い戻ったのである。この一件で、沙織派は劇的に増長し、周と彼の在位を支持する家臣と、なお一層ひどい権力抗争を繰り広げるようになったのだ。
帝国の挙動は全て軍事省下の外部査察委員会というスパイ機関を通じて細かにもたらされている。そして、さらに一ヶ月ほど前、新たな展開について報告がなされていた。
「確か、周陛下が成人したそなたを黄帝妃に迎えると、先月、発表していたな?」
「……はい」
声が一層沈む。時期的にも、どうやらこれ絡みの話のようだ。
周陛下がそう宣言した背景には、沙織派のこれ以上の拡大を阻止する目的があると考えられている。北条派は初代黄帝以来の純血主義で、兄弟姉妹間の結婚が原則とされている。現在の帝室は双子の姉弟と末の妹の三人からなっており、故に、周陛下は、帝室存続のためには、姉の沙織か妹の七海、いずれかと結婚することとなる。だが、ここで政敵の沙織を選べば、彼女を支持する家臣団の発言力の巨大化を招き、いよいよ完全に帝位をのっとられる危険が大きくなってしまう。その一方、帝位争いから上手に身を引いていた七海ならば、自身の立場は安泰。その上、それで世継きの息子と娘ができれば、後は何の躊躇いもなしに沙織を黄帝への反逆で処刑できる。
無論、沙織派はこれに猛反発している。事実、この発表直後、沙織派の家臣が地方で大暴動を発生させ、つい昨日、やっと鎮静化に成功したとのニュースが入っていた。
――この皇女は沙織にやられたのか……。まあ、今の彼女からすれば、邪魔以外の何ものでもないからな。
古き良き日が心にちくりと刺さるが、すぐにさあっと冷める。違和感に気が付いたのだ。
「そなた、黄帝に虐げられたと言ったか?」
「はい。そうです、陛下」
「それはつまり、周陛下ということか?」
おかしなものを見る目で大王の顔を見返す。
「それ以外にありますか?」
真仁は困惑した表情で、春瀬の方を振り向く。
「余が間違っているのか?」
「いや、陛下は正しい」
「どういう意味でしょう、殿下?」
女性の割には強い声が朗々と響く。
「貴様を妬み、国外逃亡させるなど、周陛下の本意だとは考え難いということだ。周陛下は、むしろ貴様を必要としているはずだ。あの女の台頭を防ぐために。……本当に、周陛下から虐げられたのか?」
銀髪の陰から青い瞳に疑念を浮かべて問うと、赤い瞳が白髪の下からかっと燃えて言い返す。
「本当です! 黄帝の名の下に行われていました! 私は黄帝の命を受けた兵士らにより、その……」
急に言葉尻が萎む。大王が怪訝そうに眉をひそめる。
「その、あの――とても言葉にするのは、はばかられるようなことを、されました」
古傷を隠すように股をすり合わせる。それを見て、大王は唖然とする。
「き、后にすると言っておいて、か? 無論、純血主義を保って、そなたとの間に世継ぎを成す気ではいたのだろう?」
「そのはずです。しかし、それにも関わらず、何とも危険な乱暴を、地下牢獄に一ヶ月も監禁されて――。沙織姉様は、そんな私を助け、ここに亡命させたのです」
話は終わったようで、深く頭を垂れ、大王に保護を懇願する。
ところが、そこにいる者は皆、君主から一介の兵に至るまで、この皇女の話はどこかおかしいと思った。真仁や春瀬も、論理的に説明がつかないと懐疑的になり、兵士の間には、こうも筋が通らないと、長話は方便で、実は大王らの御命を狙っているだけなのではないかという警戒心が芽生えてくる。
憐れな姫君ももはやここまでと見えた状況に、それでも、一筋光が差した。
「専制の恐怖を逃れ保護を求めて来た者を門前払いにしては、赤王の名が廃る。事情は若干不明瞭さが否めないが、混乱の中にあって上手く説明できないということもあろう。そこのところは、後日に再び追究するとして、とりあえずは亡命を受け入れる」
兵士たちが呆然と見やる。大王の顔を! 信じ難い大王の口元を!
「陛下! なぜお父上があのような最期を迎え、なぜ王都が落ち、なぜ陛下が苦しまれているのか、そこに考えを巡らせるべきではないか!?」
保守的な春瀬は驚愕して叫ぶが、真仁はつとめて冷静に返す。
「追い返す理由も利点もない。それに対し、受け入れるのは、そう要請されたという十分な理由がある」
「ありがとうございます、陛下」
白髪の皇女が頭を下げる。
「縄を解いてやれ。そして、余の仮住まいの一角に案内しろ」
有無を言わさず兵にそれだけ告げると、春瀬に目配せして馬車へ戻る。御者のどうっという掛け声でゆっくり動き出し、二人で兵が丁寧に縄を解いて立たせてやる様を横目にする。それが見切れると、さっと影が差して、首都氷野市の門をくぐる。そして、市の中央まで真っ直ぐ続く朱雀大路を速度を上げて走り出す。左手南側に新古典主義の名建築、議事堂や裁判所に、比較的高層の各省庁本部、右手北側に陸軍の主力三個軍団の基地と小規模な演習場が広がっている。演習場の喧騒を遠くに聞きながら、春瀬が念を押す。
「陛下。もう受け入れるのは良いが、危険がないと判断した訳ではあるまい? どう対応するつもりなのだ?」
「無論、疑念は晴れていない。警戒は必要だ。余の護衛を増やし、また、あの皇女にも監視を付ける。念のために、護衛用の短刀をしばらくの間は携帯するよ」
「そ、そうか。さすがに考えていたか」
「おいおい、春瀬。嫌だなあ、勘違いしないでくれよ。いくら急進派と言われても、死に急ぐ気まではないさ」
はっはっはっと明るく笑う。一転、真剣な表情になって付け足す。
「そうだ。余の主治医のリョーシェンカに伝えといて欲しい。皇女の膜をすぐ確認するようにとね。もし話通りに破れていたら、今日中に遺伝子検査で交渉相手を割り出し、一応、妊娠の有無も調べさせろ」
「分かった」
その晩、早速主治医から直接報告がなされた。
それにいわく、『非処女と確認。遺伝子:複数男性のものの痕跡を検出。妊娠:なし』
「話は本当だったか……。ますます分からんなあ」
主治医が下がった後、書斎に新たなため息が雲を作った。
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