第四話 首都への珍客
運命とは不思議なもので、頭痛の種が一つあれば、必ずと言っていいほど二つ目を用意してくれる。
森の街道を馬車に揺られて数刻走り続け、多摩川中流域、一般人世界で言う
外の雰囲気が変わり、書類に目を通していた真仁が顔を上げる。
「ん。もう首都か」
そう独りごちると、黒い鞄に一式を仕舞い込み、服の皺を伸ばして座り直す。下手に家臣にだらけているところを見られては、大王の権威に関わる。それは左に座す春瀬も同じことで、背を真っ直ぐ伸ばすと目線を前に据えた。
次第に、日本能力者世界最古の不落の城塞都市、首都氷野市の巨大な門が見えてくる。普段は門衛の兵士がサーベルを携え直立不動で護っているところなのだが――
「陛下! それに殿下! 一度こちらでお止まりください!」
黒ボタンが五つある赤い詰襟軍服に、スコットランド伝来のキルトを模倣した紅白のチェック柄のスカートという個性的な陸軍歩兵の制服(ドイツ帝国とスコットランドがいたくお気に召した一四六代洋介大王による軍の西洋近代化改革で導入)で(男の)兵士が馬車に駆け寄ってくる。御者は慌てて手綱を引く。
大王が右手の窓を下ろして首を出す。
「何事か」
「不審人物であります、陛下」
衛士がそのすぐ下に走り寄り、門の方を指差す。
「陛下にお会いしたいと女が一人で訪問してきたのですが、我々が尋ねても出自を明かさないのです」
一般人世界や家柄を重視しない実力主義の北条派の世界でも、出身を隠すというのは十分怪しまれることだ。まして君臨する始祖両家を神聖な“血統”と法で規定し、昔から全体的に血族重視の気が濃い伊達派においては、これはもうただ事ではない。
真仁は眉間に幾重もの皺を畳む。
「それに関することを少しでも構わん、報告せよ」
「はっ。能力者の人間で、性別は女性。年は十代半ばと推測されます。身長は一五八センチほど。格好は薄黄色のワンピースに黒いブーツ。明らかに民草のものではなく、王侯の召されるような上等なものですが、相貌は酷くやつれています。そして――」
「どうした? 先があるならば続けよ」
不穏な沈黙に、春瀬もわずかに身を乗り出し、耳を傾ける。
兵は一度深呼吸すると、恐る恐る口を開いた。
「髪が、セミロングで……色はシルクのような白」
「シルクのような白!」
真仁は目をかっ開く。春瀬も銀髪のツインをびくっとさせる。
「陛下。絹のごとき白髪はくはつとは、これは……」
「出自は言わずとも知れたようなものだ。そのような髪は、昔からただあの血筋だけだ」
「会うべきではない、陛下!」
春瀬がすかさず進言する。
「これは罠だ。九年前の悲劇と同じだ!」
言われて、表情を曇らせる。しばらく唇を噛んで考え込む素振りを見せるが、首をゆっくり横に振った。
「陛下……?」
不思議そうに顔色を窺う。大王は伏せた目を上げると、毅然と胸を張った。
「会いたいと言われたのなら、会ってやるのが本来道理だろう。拒否するに足る根拠はないように思う」
「陛下! 何を言うか!? 相手が相手だ。陛下の身に万一のことがあったらっ」
「護衛の兵は無論つける」
「当たり前だ! しかし、それでも――」
「伊達派の兵は、いつからそんなに弱くなってしまったのかね、春瀬。お前は部下を信頼できぬと言うのか?」
「そ、そういうことでは……」
語末がしぼむ。大王は威圧するように背を伸ばし、上から鋭い眼光を浴びせる。
春瀬はそれに耐え切れず、両手を挙げる。
「分かったから、陛下。その目はやめてくれ。あまりに恐ろしい」
「分かれば良い」
一言ぶっきら棒にこたえると、馬車のドアを開け、ステップを下りる。
「護衛の兵をかき集めろ。信頼しているぞ」
報告に来た衛兵に告げると、大王を正面にした兵士は左足を打ち鳴らして揃え、同時に無言で左手を斜め上に高く掲げる。それに、真仁が左肩から左肘までを水平に、その先を垂直に伸ばして返礼すると、兵は手を収め、門の方に走っていった。なお、これが伊達派における軍の挙手礼である。心臓に近い左手を用いることには、臣民は皆、始祖両家の血族であるという血縁共同体意識を助長する狙いがある。
春瀬は不安そうな顔で反対側のドアから降りて来て、馬車の後ろを回り、真仁の左脇に立つ。前で合わさる真っ青なマントが地面近くをひらひらと揺れる。
「あの女だろうか?」
小声で囁かれると、前を向いたまま返す。
「さあ? しかし、彼女が来るとは考えにくかろう」
「なぜだ?」
「なぜって……。捕虜の身分で大逆を謀ったのは事実だ。のこのこ出て来たら、捕まって処刑されるのは目に見えているじゃないか。自ら死の網に飛び込むなど、あまりに常軌を逸しているだろう」
「それもそうかもしれない。しかし、討ち漏らしを悔いてという可能性も――」
「まあ、とにかく、会わないことには始まらんよ。今は待とう」
そう言って少し姿勢を楽にしたタイミングで、ちょうど別の兵が走ってやって来る。
「準備が整いました」
いやはや仕事が早いな。
見えない程度に苦笑すると、ご苦労と一言かけて兵士に案内させる。
開け放たれた市門から少し距離を置いた木立の中に、赤詰襟・キルト風スカート軍服の一団が方形になって集まっていた。中を監視する者、外を監視する者合わせて数は十名ちょっと。陸軍の一個小隊規模だ。少女一人との謁見にしては、過剰な警備に見えなくもない。が、実際は、心許ないと言う方が正しいだろう。
大王と春瀬が兵を伴って近付いてゆくと、正面外を向く兵士数名が左手を斜め上に掲げる。それに二人がさっと挙手して返礼すると、一斉に手を下ろす。
「籠の内の雷鳥は?」
大王が兵の一人に問う。
「はっ。雷鳥は紅蓮の檻の中、両手両足を麻縄で縛って地に転がしております。大王の目をつまんと飛翔することもございません」
「よろしい。だが、万一のことがあったら、容赦なく撃ち落とせ」
「御父みふ言ごとのままに」
そう言って、再び挙手礼をする。なお、“御父言のままに”とは、伊達派の君主、臣民の父である大王から命令を受けた際に使う了解を意味する軍隊用語だ。
「では、檻を開けよ」
突然、言葉に緊張が篭もる。春瀬は斜め後ろで汗に濡れる手を密かに握り締める。兵は機械的に動いて、両者と、危険極まりない恐ろしい客との間の壁を取り払った。
そこには、報告にあった通りの薄幸そうな美少女がいた。
華奢な手首と足首をごつい縄で縛り上げられ、折り畳まれた白い足が薄いワンピース越しに地面の砂利に痛々しく食い込んでいる。うな垂れる顔を簾のように隠す髪は見事な艶めく白髪だが、荒々しく乱れ、吹雪のようになってしまっている。
その絵画のように美しい姿に一瞬気をとられてしまうが、すぐにはっとなると、小さく咳払いをして声を掛ける。
「面を上げよ」
バリトンの美声が威厳をもって響く。
「余はそなたの顔を見に来たのだ。絹のヴェールを払いたまえ」
少女はゆっくりと顔を上げる。折りよく風が一つ吹き、白い髪を背中側に吹き落とした。
瞬間、春瀬がギョッとして後ずさる。
「まるで同じだ! 九年前のあの顔だ!」
そんなはずないと大王は制しようとしたが、彼もまた驚きに喉がひりついてしまった。
――まるで同じだ。あの人の顔だ……。しかし、九年も昔だぞ?
混乱し目を丸くして少女を見つめる。と、
「九年前……?」
白髪の少女は首を傾げる。
「陛下・殿下とお会いするのは、これが初めてですが」
感情を余り表に出さない独特なトーンが、緊迫する中、場違いのように空気に染みを作る。今度はそのマイペースさに意表をつかれるが、当初の目的を思い出して頭を切り替える。
「そなたの出自はどこだ? とは問わぬ。分かりきったことを尋ねるなどという愚は嫌いだ。確認もせぬ。その口が何と名乗ろうが名乗るまいが、“絹のごとき白髪”が事実を語っている。ただ、一つだけこたえよ。そなたの名は何だ? 苗字は明らかでも、名前が分からぬ」
仕事における無駄を憎む真仁らしい問いに、少女は口を開いた。
「最早隠す必要はありません。陛下にお会いする前に明かしては、危険を恐れ、会って下さらないかもしれないと思っていましたが、既に目の前にいらっしゃる以上、秘匿に意味はありません。私は、北条家第二皇女、北条七海です」
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