第三話 ナンバーツー
「陛下、陛下」
御者に体を揺すられて目を覚ます。
「楠山市で御座います」
ゆっくり目を開き、声の主の姿を捉えると、また閉じてしゃがれ声で苦情をもらす。
「春瀬が出て来たらでいいだろう」
「殿下は既に門のところにいらっしゃいます。あ、今ちょうどこちらへ」
窓の外を覗いて言うと、大王に会釈してから御者座に急いで戻る。それで真仁も意を決し、頭を振って春霞を振り落とすと、姿勢を正して座り直す。
すると、ちょうどその時、左側の扉が開いた。春の陽光がさあっと馬車の中に流れ落ちる。赤い制服を着たドアマンに、ありがとうと礼を言いつつ、一人の美少女がステップに足をかける。静かに馬車が傾く。そして、元に戻ったと思ったら、ドアがぱたんと閉じられた。大王の左には、黒いスカートスーツに青いマントを羽織った、銀髪ツインテールの少女がいた。肌は健康的に白く、目鼻立ちは大変よく整っている。
「どうだった、春瀬内務大臣」
「最悪だ。やはり楠山市の選挙管理委員会は、前回の議会議員選挙で不正を行っていたようだ。細かい処分はさらに調査を進めてから決めた方が良いだろうが、最悪、一部議員は辞職だ。再選挙もあり得るかもしれない」
「そうか。ご苦労であった」
どうっと御者が声をあげ、馬車がゆるゆると進み出す。
この大王の左に掛ける少女こそ、元摂政勤の姪、氷野家一四九代当主春瀬である。現在、伊達派のナンバーツーにある彼女は、勤の所領、西部氷野領を含め氷野家所有の広大な領地全てを治める総領主で、伝統的に統治の中心地となっている首都、氷野市の領主でもある。さらに、内務省大臣、軍部統帥府役員、軍の最高総司令部副総司令官、中央方面陸軍司令部副司令官と政府、軍部の両面においてトップクラスの重役に就任している。もちろん、ほとんどその上に、大王が来るのだが。唯一例外があるとすれば、王都を失っている今、真仁は莫大な大王領総領主であっても、首都領主に相対する形で王都領主にはなり得ない。なお、家を失った彼は、あれ以来、首都の中にある氷野邸にささやかな仮の王宮を設けて暮らしている。
「陛下はどうだった? 森下へ視察に行ったのだろう?」
父亡き後養育した勤が聞いたら泡を吹きそうな乱暴な言葉遣いだが、幼馴染で九年も同棲している彼らの仲は普通よりはるかに深い。大王は特に気にすることなく口を開く。
「ああ。市の農家に昨年の様子を尋ねて回ったが、相当悲惨なものだったそうだ。あまりに深刻な取れ高不足で、食いっぱぐれないためにと納税を逃れようとした者も多かったらしい。何もしてやれなかったのが悔やまれる」
「それで激励に?」
「そうだ。あと、脱税は市長の義務と権限で厳しく取り締まるようにと、一応注意してきた」
「市長は窮状の市民をかばって黙認したのか?」
「そんな勝手な真似をしたら、即逮捕、解任だ。人民に心を砕くのは上に立つ者の当然の責務だが、その前に最低限、国体維持を図らねば救える民も救えぬ。今回は、森下の市長から脱税の報告が財務省と余の統治府まで来たのだ。市の困窮を共有している以上、彼自身の口で無慈悲に納税を勧告することは出来ないという悲痛な訴えとともにね」
「なるほど。原則からは外れるが、優れた判断だ」
「本当に、苦しい状況の中、見事な応対だったと思う。義務の放棄は否めないがね、忠告だけではとても報われないだろうから、これに免じて、昇給を約束したよ」
「ふと聞く限りでは、陛下は寛大な善王だな」
狭い馬車の中の空気が凍る。
「何が言いたい?」
冷たい瞳を左に流す。
「その寛大な処置の代わりに、あれを求めたのだろう?」
春瀬は右に挑戦的な視線を送り返す。真仁は肩をすくめた。
「馬鹿馬鹿しい。昇給は単にそうすべきと考えたからで、何も裏はない。第一、あれは、代償を払わないといけないようなものではない。臣民の安定した生活を約束する政策だぞ? 説明し理解してもらえれば、後は同意があるだけだ」
春瀬は戸惑った表情を浮かべる。
「軍隊潰しの政策の話だ、今しているのは」
「分かってるさ。勘違いなどしていない。余も幸福の大陸パンゲアの創造政策について話してるんだ」
目を丸くして訊き返す。
「あれが代償なしに、言葉を尽くすだけで受け入れられるとでも言うのか!?」
「事実、受け入れられている。これまでの遊説で失敗したケースはない。着実に支持を獲得しているよ」
「あり得ない」
顔を青くして流れ行く窓の外を見やる。
「もはや戦争をする気力がないのか? この国には」
その国の大王が自嘲的にふっと笑う。
「気力は知らん。ただ、金と飯はないな」
親政を開始し実権を手にした真仁は、早速先月から前代未聞の政策の実行を目指して、様々なところに根回しを始めている。すでに、財政危機や景気不安で一番頭を痛めている財務省と経済企業省、近年の深刻な不作で兵糧の確保どころでない農林省などからは全面的な同意と協力を取り付け、また、遊説した都市でも熱烈な歓迎を受けた。パンゲアこそ繁栄への明るい道だと、様々な負の遺産を背負って暗く鬱屈とした社会を生きる臣民たちは諸手を挙げているのだ。
その一方で、統一事業における反戦平和を訴える急進的な改革に、強固に反対を唱える者たちも一定数存在する。勤や春瀬のような愛国軍事主義的な保守派の人間と軍部である。彼らは戦争や紛争の停止を謳うパンゲアを「軍隊潰し」と批判して統一戦争の続行を求めている。もしこの政策が実現すれば、軍部関係者は失業者となる危険もあるのだ。そして、この点は、雇用問題を扱う経済企業省の関係者からも指摘が絶えない。では、大量失業者の問題さえクリアすれば良いのかと言うと、それはちょっと違う。保守派の文人らは、統一戦争に愛国心を見出している場合が多いので、廃止に対する抵抗感が尋常でないのだ。
「陛下。ちなみに問うが、最新の世論調査での支持率はどうなっているのだ?」
途端表情を暗くし、腕を組み、深くため息をついて目を閉じる。
「パンゲア賛成一五%。反対七九%。統一戦争はやって当たり前という認識が、未だかなり根深い」
まあ、両派が友好的だった時代が一秒もないのだから、やむを得まいか……。
春の明るくも気だるい日和の中、大王はもう一つため息をくゆらせる。
どうにも霞が濃い春先の空だった。
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