第6話 ホーンの過去

ホーンは昔、北の街で暮らす、老夫婦の下で飼われていた。

毎日おじいさんと散歩に出かけ、おばあさんのおいしいごはんをもらい、大事に育てられていた。

しかい、おばあさんが病に倒れ、おじいさんは、一人でおばあさんの面倒を必死に看ていた。

そのかいもなく、おばあさんは帰らぬ人となってしまい、ホーンとおじいさんは途方に暮れる日々を送っていた。


そんなある日、おじいさんと、ホーンの元へ、北の街の金持ちがやってきた。


「今日からこの土地は私のものだ!」


おどろくおじいさんに、金持ちの男は一枚の紙きれを突き出した。

―そこには、多額の資金を街に支払う事と引き換えに、おじいさんの土地を、この男のものにするという残酷な署名しょめいが記してあった。


「ワシはこんな話聞いとらんぞ!この家はばあさんとホーンと過ごした全てじゃ!渡すわけにはいかん!」


おじいさんが声を上げると、金持ちの男は眉間にしわを寄せ、懐から拳銃を出した。

ホーンは唸り声をあげて、じりじりと男に近づいた。


「フン。このうるさい犬が、先だ!」


ホーンに拳銃を向け男は引き金を引いた。


「ホーン!!!!!!」


―バァン!!


銃声と共にドサリ、と倒れたのはホーンではなく、ホーンをかばって撃たれた、おじいさんだった。

ホーンの上に覆いかぶさったまま、動かないおじいさんを見て、金持ちはチッと舌打ちをした。


「死に急いだな、ジジィめ。お前さんにはまだまだ使い道があったのによぉ。」


おじいさんをホーンの上から引きずり下ろし、男はドスッとおじいさんを蹴った。

ホーンはそれを見て、男の足に勢いよく噛みついた。


「うがぁあああ!!」


痛みに耐えきれず、男はその場に転がりのたうちまわった。

再び男に飛びかかろうとしたとき、銃声を聞いて駆け付けた警察と街の人々がやってきた。


「この!この犬が私の大事な足に噛みついたんだ!」


男は道にはいつくばって、ホーンを指さした。

その横には、血を流して横たわるおじいさんも。


「おじいさんを撃ったのは…?」


すでに息絶えたおじいさんを確認した警察官は男をにらんだ。


「そっ、その犬が、いきなり私に噛みついてきたから、自己防衛で犬を撃とうとした!そしたらそのじいさんがそれをかばって撃たれた、それだけのことだろう!」


それよりも早く救急車を!と叫ぶ男に警察官は近づき、一枚の紙をしゃがんで見せた。


「あなたが不正に街と契約したことは報告済みだ。街も、潔く事実を認めたよ。」


連行しろ。後に控えていた数人の警察官が男の両脇をかかえて、パトカーに詰め込んだ。

クソォ!!と男は吐き捨てて、そのままパトカーと共に去っていった。


おじいさんの横でホーンは、アオーン、アオーン、と泣き叫んだ。

大好きなおばあさんも、大切に育ててくれたおじいさんも、いなくなってしまった。

変わり果てたおじいさんを見つめ、ホーンは泣き続けた。

その様子を見ていた警察官は、ホーンに近寄り頭を撫で、優しく言った。


「君は、勇敢なレトリバーだ。おじいさんを守りたかったんだろう?」


そう尋ねる警察官に、ホーンはスンスンと鼻を鳴らした。


「大丈夫だ。おじいさんは私たちがちゃんと埋葬する。約束しよう。」


数人の警察官がおじいさんを運ぼうとしたとき、ホーンは大きく吠えた。

引き離されるのが嫌だった。

吠え続けるホーンを警察官は必死になだめ続けた。


「落ち着くんだ。悲しいだろうが、おじいさんもあの姿のままでは、つらいだろう。」


警察官の言葉にホーンは黙り、大きな車におじいさんが運ばれ、そして去っていくのを、ただ、ただ、見つめることしかできなかった。


天に向かって大きく遠吠えをあげ、ホーンは警察官の手から抜け出し、街の中へと飛び出していった。


ホーンは、何もかもを忘れたい一心でひたすら走った。

どこへ向かうでもなく、ただ、ただ走って、過ぎ去る風景のように、何もかも忘れたかった。


しかし、おじいさんとおばあさんの事、そして最後の日の事だけは忘れることができなかった。

途方に暮れ人々が行きかう街の中で、ホーンは運悪く、ノライヌを収集する役人達につかまってしまった。

ホーンは抵抗する気力もなく、鉄のかごに入れられ、保健所へと連れていかれた。

保健所には、たくさんの身寄りのない犬や猫が収容されていて、そのとき、隣のゲージにいたのが当時は若猫のビオラだった。

毎日二回、ご飯の時間が来ると、動物たちはそれぞれに鳴き叫んだ。

どの動物も、いう事はみな同じ。「殺さないでくれ」と。


役人には動物の言葉なんて届かないことは知っている。

でも、叫ばずにはいられないのだ。

毎日、毎日、次々に消えていく仲間たち。

その先が死であるということも。

いつ自分の番がくるかわからないこと。

動物たちは、みな絶望していた。


ホーンの元へご飯が入れられ、扉が閉まると、ホーンは一口食べてうずくまってしまった。

それを見た隣にいた白猫(ビオラ)は、


「あなた。ガス室に行く前に死んじゃうわよ。」


そういって小さな手でゲージの網越しにエサ入れをホーンに押し当てた。


「おばあさんのご飯以外食べたくないんだ。」


ホーンは白猫に向かって言う。

エサ入れのご飯を食べ終えた白猫が


「私なんて、生まれてすぐここにいるから、いいご飯なんて食べたことないのよ?」


そういいながら毛づくろいをした。


「私はね、待ってるの。」


網越しにドアを見つめながら白猫は語る。


「いつか、私を大事にしてくれる人が、迎えに来てくれるって。出会えるって信じてここにいるの。」


だから、どんなにおいしくないご飯だって耐えて食べるのよ。

ホーンを見て強く言う白猫に、ホーンは「新しい生活」という目標を教えてもらった。


それから少しして白猫は品の良いおばあさんにもらわれていった。


数日間しかその白猫とは一緒に過ごせなかったが、お互いの話、主にホーンの話を若かりしビオラはよく聞いてくれたのだった。

そして、白猫がもらわれていった数日後、若い男がホーンの事を気に入ったらしく面会にやってきた。

とても犬の扱いに慣れた様子で、役人は喜んでホーンを引き渡した。

ホーンは不安と期待で若い男の事を見つめた。


「今日からオレの家族だ。」


その男の声は酒やけたガラガラの声だった。

ホーンはそのとき、嫌な予感がした。

リードをつけられ。ほかの仲間から「元気でな!」「幸せになれよ!」など言葉を送られ、チラチラと振り向きながら、見つめた先の大きな扉を後にした。


役人に挨拶をして、男はホーンを車に乗せた。

その車の中は、空になった酒ビンとたばこの灰だらけで、苦しくなるほどひどいにおいだった。

ホーンは慌てて車のドアを前足でガチャガチャと開けようとした。


「もう、手遅れだよ。ワンちゃん。」


今まで役人の前で笑顔だった男が、とても同じ人物とは思えないほどの悪人面で振り向いた。

ガチャン、とロックのかかる音と同時にホーンを乗せた車は北の街の奥へと向かうのだった。

荒々しい運転が続き、ホーンは気分が悪く、フラフラとした足取りのまま、男の家へ引きずり込まれた。

家の中は暗く、煤やほこりのかぶった食器とごみの山。

ホーンの気分は更に悪くなった。

紙袋の中から酒ビンを取り出し、ゴクゴクと飲み干すと、男はその空ビンをホーンに向かって投げつけた。


―ガチャン!!


間一髪避けて、ビンは床に割れ散らばった。

ホーンは怯えながら部屋を出ようとしたが、それを男が許すわけもなく。


「オイ。お前は今日からオレのオモチャなんだ。勝手な事すると、痛い目みるぞ。」


―こんな風になぁ!


男はホーンの後ろ脚を思い切り蹴り上げた。

あまりの痛さにホーンはキャンキャンと悲鳴をあげた。

その姿を見て、男は機嫌が良くなり笑うのだった。


―早く!早くここから逃げなきゃ…!殺される…!!


ホーンは傷む後ろ脚を引きずり、ドアノブをカチャカチャとかぎる。

それを見た男は、鎖を手にし、ホーンの首にぐるぐると巻き付けた。

そしてそのままくさりを引っ張り、家の外にある柱にくくりつけた。


「そんなにオレに逆らいたいならやってみろよ。」


―まぁ、無理だろうけどなァ!


そう吐き捨て男は家の中へ入ってしまった。

声を出せないくらいギュウギュウに締め付ける鎖が吠えることさえ許さない。

力いっぱい走ればちぎれるかもしれないが、痛む後ろ足ではそれもできない。

ホーンはスコールの降る中頭を凝らした。


―そしてその夜。

男が寝静まったのを確認したホーンは行動に出た。


―ギリギリ、ガチガチ


自らのきばを使って鎖をかみちぎることにしたホーン。

あごが割れそうなくらい痛くても、牙にひびが入っても、歯ぐきから血がにじんでも、一晩中、鎖にかじりついた。



―次の日、男がホーンを見に行くと、そこには…


かみ砕かれ散らばった鎖と、ホーンの口からこぼれ落ちた犬歯けんしだけが残っていた。



男の元から逃げることができたホーンは、痛む足を引きずり、近くの交番へと向かった。小さな交番のドアを前足でひっかくと中にいた警察官があわてて飛び出て息を止めた。


警察官が見たのは、首に何重にも巻かれた鎖と腫れあがった後ろ脚、そして口から流れ落ちる血。

いかにも誰か人間に虐待を受けたとわかる痛々しい犬の姿だった。

警察官はすぐにホーンを交番の中に入れ、毛布をかけてやった。


「すまない。ここには、こんなものしかないが…」


申し訳なさそうに、若い警察官は自分の弁当をホーンの口元に置いた。

ホーンは痛む口をこらえながらも、弁当を食べた。

その様子を見て安心した若い警察官は、すぐに街の大きな警察署へ連絡した。

その後、数分して駆け付けた警察官はホーンの事を見て驚いた。


「あの時の!レトリバーか!」


聞き覚えのある声にホーンは重い首を上げた。

駆け付けた警察官は、おじいさんと別れた、あの日の警察官だったのだ。

ホーンが目を丸くして立ち上がろうとすると、あの日の警察官は、慌ててしゃがみ、連絡を受けて持ってきたペンチで首に巻かれた鎖を丁寧にすべて取り払ってくれた。

ホーンの首には鎖の痕が皮膚に痛々しく残っている。

あの日の警察官はホーンに言った。


「おじいさんはあの後、おばあさんと同じお墓に一緒に埋葬したよ。安心しておくれ。」


ホーンはその言葉を聞いて大きな目から涙をこぼした。

疲れ果てて、涙を流したまま、ホーンはその場で眠りに落ちた。

その様子を見て、あの日の警察官は言った。


「保健所から次々に動物を引き取る若い男がいるそうだ。どうやら、その男の自宅周辺から動物の死体が見つかっている。すぐに連行して話を聞き出すんだ。」


若いポリスたちはそれぞれパトカーに乗って男の元へ向かった。








―重たい瞼を開けると、温かい犬用ベッドに寝かされ、ふわふわの毛布をかけられていた。

ホーンが目を覚ましたことに気付いたあの日の警察官は、安堵の笑みをみせた。


「やぁ、よく眠ったね。よほど疲れていたんだな。」


二日経っても目覚めないから心配したよ。とあの日の警察官は言った。


「あの男は私たちが逮捕した。無実な動物たちをもてあそぶ酷い男だ。罪は重い。」


―もう君は自由だ。


その言葉と共にホーンは。交番から出ていこうとする。

それをあわてて警察官は止めた。


「まてまて、まだケガが治ってないのに、どこへ向かうんだ。」


その言葉に耳を向けず、ホーンは前へ、前へと進む。

ヨタヨタと歩くホーンを見て、警察官は困ったように頭をかき、駆け寄った。


「これだけは、つけておいてくれ。首輪がないとまた保健所行きだ。」


あの日の警察官は自分の胸ポケットから警察のマークが入ったスカーフを取り出し、ホーンの首に優しく巻いた。


「これは私たちが助けた印になる。どうか、無事でいてくれよ。」


そういってホーンの頭を撫でた。

ホーンは少しだけしっぽを振ると、また、前へ、前へ進むのだった。


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