第5話 重生/銃声




               ***




「俺、嫌われてるのか?」


 いくばくかの勇気と覚悟をもってそう問いかけた。

 訊ねられた実咲みさきは当初きょとんとしていたが、


「あぁ、さっきの……」


「……意識を、」


 これには勇気と努力を必要とした。


「意識を失って寝てたせいか、いろいろ……それ以前のことを憶えてない」


 正確には〝その後〟のことの影響が大きいのだが、記憶が定かでなくとも、自分が自覚していないだけで他人から疎まれるような何かがあったのかもしれない。


「さっきの女子もそうだけど、お前と一緒にいた連中も変な反応してただろ」

「まあ……そうだね。別に束原つかはらくん個人を嫌ってるとか、そういうことではないと思うけど……」

「だから、それが知りたい。何があるからみんなして……、」


 言ってるそばからだ。

 実咲と並んで廊下を歩いていると、こちらに気付いたと思しき男子がぎょっとしたような顔で離れていくのが見えた。あからさますぎて反応に困る。


 一方で、レンカの件があるからにしろ、実咲は普通に接してくれている。それに廊下を行き交う生徒も全員が全員いまの男子のように極端な反応はしない。こちらに気付き友人同士ひそひそやったりはしているものの、目が合えば愛想笑いを浮かべる女子もいる。中には単にその〝事情〟を知らないだけかもしれないが……。


「いや……僕も詳しくは知らないっていうか、信じてないんだけど。そういう事実があることもたしかな……噂があって」

「噂? 俺の……?」

「うん、まあ……」


 歯切れが悪い様子から察するに、聞いて気分のよくなる内容ではないのだろう。


「えっと……聞く? 聞いちゃう?」

「知ってるなら、知ってること全部話せ」

「まるで脅迫されてるみたいだ……」


 実咲は苦笑いを浮かべながら、始めに実咲自身が聞いた噂を教えてくれた。


「束原くんに関わると不幸な目に遭う……呪われるっていう噂でさ」


「…………」


 さっきの、美依みいに詰め寄っていたつり目の女子の取り巻きも言っていた。



 ――呪われるから。



 他にも……〝つかりょん〟とかなんとか、あれは愛称のようなものだろうと捉えることにした。


「噂だから真偽のほどは知れないんだけどね、実際……ちょっと束原くんとトラブルがあった先輩がいたんだけど、その人、怪我して数日欠席したらしいんだ。トラブル自体は僕も見てるから事実なんだけど、当時の先輩のことだから欠席云々は定かじゃないんだけどね」


「……トラブルっていうのは」

「大したことじゃないんだ。たまたま相手の機嫌が悪かったんだろうけど、肩がぶつかったとか、後輩のくせにその態度はなんだとか、廊下で揉めてたんだよ」

「…………」


 自分のことだけにちょっと想像できてしまう。ぶつかった程度だからと気にせず通り過ぎた結果そういう目に遭ったのかもしれないし、一応頭は下げたのだが相手はそれが気に喰わなかった……という感じだろうか。なんにせよ、自分にも原因があったのだろう。こういう性格だし態度だからあり得ない話ではない。

 だが、他のケースはどうだろう。


「こっちは人から聞いた……先輩の件があってから聞いた、一年の時の話らしいんだけど。文化祭か何かの行事の準備でクラス一丸になってる時、その時のクラス委員の子が束原くんに注意したそうなんだけど」


「…………」


 何かこう、うっすらと覚えがあるような気もしないでもない。


「束原くんって、やることやったらすぐ帰るっていうか、自分の仕事を終えて他に何もなかったら終わりっていうか……頼めば手伝ってくれるんだけど、束原くんそういう感じだから誰も自分から頼まなくて、それで結局帰っちゃうみたいなところあるよね。集団から浮くところ」


「……まあ、否定はできない」


 言われれば残るし手伝うが、特に必要とされていないならその場に留まろうとは思わない。自分から手伝いを申し出るのは苦手だし、実咲の言うように周りから敬遠されているのもある。早く帰って家のこともしなければいけないし、依頼が来ているなら居候として働かねばならないから……というのは、人付き合いを避ける言い訳になるだろうか。


「なんとなく想像できるんだけど、みんなで一緒に頑張ろうって時に、そういう態度の人がいると注意する女子ってひとりやふたりいるよね。その委員長もそうだったんだろうけど……」


「……あぁ、」


 なんとなく思い出してきた。怒られて気まずい想いをしたような覚えがある。そこで仲裁に入ってくれたのが――玖純愛架くすみまなかだった。

 愛架はそのクラス委員の友人か何かだったのだろう。別に庇ってくれたというわけではなく、友人をなだめようとしていたのだ。


 しかしそれが縁になって、彼女はよく話しかけてくるようになった。といっても伝言係のようなもので、その文化祭だかなんだかの準備の間、手の足りていないグループの助っ人として諒真りょうまを呼んだり働かせたりといった具合だ。ただ、そのお陰でクラスメイトとの軋轢あつれきも多少軽減され、諒真としても気が楽になったのはたしかだ。


 それで味をしめたのか、二年になった彼女はクラス委員に立候補した。

 あの束原諒真に言うことを聞かせられる……とかなんとか、かつてそんな嫌な噂を聞いたことが脳裏をよぎり、思わず苦笑がこぼれた。


 だが、その表情の変化は実咲に悟られる前に失われる。


「――その子も事故か何かでしばらく欠席したらしいんだよね」


「…………、」


 ふと、思った。

 そういうことを憶えていないのはもしかすると、〝自分にとって嫌な思い出〟だけを頭や心の奥底に封じ込めてしまったからではないか。


 意識不明の期間にそれこそ無意識に記憶を整理したのかもしれないし、言梨ことりと出逢うきっかけとなったあの〝現象〟にはそうした性質でもあったのかもしれない。

 いずれにしろ、本当に実咲の言うようなことがあったのなら、出来れば憶えていたくない……そう思わないと言えば嘘になる。


「一年の時から束原くんには関わらない方がいいみたいな噂っていうか空気はあったようだよ。僕がこの噂を知るきっかけになったのは例の先輩の件があったからなんだけど……。以前にもなんか、束原くんのことを悪く言ってた人が事故に遭ったとか怪我をしたとか、いろいろ積み重なって、今みたいな〝呪われる〟って噂が出来上がってるのかな」


 少し、通り魔の話に似ている。

 無関係な事故で怪我を負ったとしても、自分について悪く言っていたからそうなったのだという風に尾ひれがついたと推測できる。


 最初にクラス委員との目立つ一件があって、他にも……少なくとも周りがこうした噂を話すくらいには何かあったのかもしれないが、それらに積み重なるように様々な不幸が自分のせいにされていったのだろう。

 そうして噂は、関われば呪われるというレベルまで熟成されていった。


(……例のクラス委員が怪我をしたのは俺が何かしたからじゃないか……そういう風に周りが受け取って、誰かがそれで俺を責めるなり悪く言うなりして……またその誰かが不幸に見舞われでもしたら)


 たとえ積み重なったそれがただの偶然だとしても、事実は事実、結果は結果だ。


(周りからすれば、俺がそいつに裏で危害を加えたからそうなったともとれるわけだしな。呪いなんて信じてなくても、俺を避けたり愛想笑いを浮かべて機嫌を損ねないようにするのも仕方ないか)


 原点は付き合いが悪い、話しかけづらいといったありふれたものだったのが、次第に大きく膨らんでいったわけだ。


「…………」


 ただ、これを単なる〝偶然〟の不幸と納得して仕方ないと受け入れるには、まだ少し時間がかかりそうだ――と、その時は思ったのだが。




               ***




 ――本当にただの〝偶然〟なのか?


 あのあと実咲と病院に向かい……そして蓮延はすのべ憐果れんかの病室で彼から玖純花恋かれんがお見舞いに来ていたかもしれないと聞かされてから、そんな疑念が心の中で渦巻いている。


 偶然の一言で片づけるには、無関係に思えた出来事の一つ一つが不自然なまでに繋がっている。重なりあいすぎているように思うのは気のせいか。


「…………」


 黙考しながら歩いていると、


「今日の諒真さんはいつにも増して私のこと眼中にないですね」


 斜め後ろからレンカの声。


「……後ろに目はないんだよ」

「…………」

「…………っ」


 辺りはすっかり薄闇に沈んで、街灯も点いている。夕飯時を過ぎているからひと気もなく、一方で後にしてきた住宅街は和やかな気配に満ちていた。


 病院からの帰りに商店街へ立ち寄って、いったん事務所に帰宅して夕飯を終えたあと、諒真は家を出た。

 部屋にこもって思考を巡らせるより外に出て運動しながら考えた方が何かしら浮かぶのではないか……というのは言い訳で、レンカと自室にいるのがなんとなく気まずかったからそうしたのだが、結局、なぜかレンカはついてきた。


 何か話したいことでもあるのかもしれないが、レンカはたまに適当なことをつぶやくばかりで会話は途切れがちだ。こちらから聞き出すなんて器用な真似が出来るわけもなく、気まずさを引きずるように夜を歩く。


「こんな時間に出歩くなんて、諒真さんもついに不良化ですか?」


 レンカもその気まずさを気にしてか努めて明るい口調にしているようだが、それがまた空気を微妙なものにする。


 別に、何か気まずくなる理由があるわけでもないのに。


 気分を切り替えよう。


「通り魔さがしてるんだよ」


 なるべくなら出くわしたくはないしそう都合よく出遭えるとも思わないが、万が一にも犯行現場に居合わせることがあればそれを止めてこの問題を終わらせたい。


(俺みたいに出歩いてる人間がいるってだけでも、ちょっとは犯人に行動を躊躇わせられるかもしれないしな。狙ってるのは女子だけみたいだから、俺が襲われることもないはず――、)


 学校で出くわした赤コートには酷い目に遭わされかけたが。


 とはいえ、警察が必死になって探している通り魔がそう簡単に見つかる訳もなし。不毛な捜索よりも思索に時間を使った方がいいに決まってる。


 そうだ、いろいろ考えるべきことはある。

 遊里ゆうりから任されているのもあるが、他人事それだけでなくなってきた以上、レンカの〝事情〟に首を突っ込む前に少しは整理をつけておきたい。


(……通り魔、だ)


 自分を取り巻く不可解な繋がりの連鎖の中、こいつはいったいどう話に絡んでくるのか。


 あのつり目女子を筆頭にした三人組。彼女たちがやたらと怯えている様子だったのにはどうやら通り魔の存在も影響しているようだ。


 実咲から聞いた話によれば――


(……俺に関わると呪われるっていう噂の延長もあるだろうが――俺が通り魔じゃないかって思われてるのが大きい)


 言梨に相談してきた先輩もそう思っていたようだし、一部の間ではそういう認識で固まっているのかもしれない。たしかに意識を取り戻し目覚めた時期と通り魔の犯行時期は重なっているが、


(俺はやってないし、そもそも目覚めてすぐはリハビリのために入院してたんだ)


 知らぬ間に別人格が覚醒して犯行に及んでいた……というようなサイコホラーじみた展開は否定したい。


(……もう一度、考え直してみるか)


 何度も何度も同じことを考えていると思考がループし凝り固まってしまうこともあるが、新たな情報や視点を交えてそのフィルターを通して考え直せば、また何か違うものが見えてくるかもしれない。


(まずは二十年前の通り魔……。こいつは直接関係ないにしても、現行の通り魔はこいつを模倣してると考えるのが妥当だ。いわば〝オリジナル〟)


 次に、自分の犯行と疑われている、女子高生を狙った〝通り魔〟。金属バットで殴打するらしい。一つ間違えば死者も出かねないほどの重傷を負わせているそうだ。


(怨恨の可能性が高い。となれば、学校の人間が疑わしく、警察もその線で調査している……)


 今日あのつり目と再会したから思い至ったのだが、彼女は……彼女らは何か〝狙われる理由〟に心当たりがあるのではないか。


(だから怯えている、と。でもそれが〝狙われるに足る理由〟だから、警察に打ち明けることも出来ない)


 これは想像だが、あのつり目、もしかすると通り魔から脅迫でもされたのかもしれない。


 そう思う根拠は、彼女が美依のところにやってきたことだ。


(みんながみんな観詰みつめになった中、普段の自分じゃやれないことをここぞとばかりにやらかした連中がいたみたいだしな。通り魔もその中に紛れ込んで、あいつに接触した可能性がある)


 美依の姿でカモフラージュした通り魔から直接何かを――それこそ〝狙われるに足る理由〟を告げられた。こう考えれば彼女が妙に切羽詰っていた理由も頷ける。通り魔は用件だけ言って人混みに紛れ込みさえすれば簡単に逃げおおせるから、一度見失えば容易には探せない。それであとになって教室にやってきたのだろう。


(この考え通りなら、犯人は連中に恨みを持っている学校内の人物……)


 しかし、ここで問題が出てくる。

 厄介なものを目撃してしまったのだ。


(〝赤コート〟……通り魔と同じ格好の、霊体)


 通り魔と赤コートとを切り離して考えれば、それぞれ別件、通り魔は学校内の人物の犯行として解決できるのだが、この赤コートの存在が諒真の頭の中をややこしくしているのだ。


 問題の赤コートは制服を着た少女……スカートを穿いていたから少女だろう、霊体だった。

 その正体を探るため校内で亡くなった人間がいないか調べた結果、玖純愛架の名前が挙がったのだ。

 彼女は昨年、自殺とも考えられる状況で死亡していた。


(そんな証拠はないが、普通はいじめを苦に自殺……っていう見方になるよな)


 他にも個人的な問題があったのかもしれないし、最近いろいろ耳にする家庭の事情が原因かもしれない。ただ彼女の場合、屋上から転落する直前に自身の教室を荒らしていたようなのだ。これがいじめの存在を匂わせる。


(おまけに、通り魔……あいつが女子を狙ってるっていう情報が事前にあったから)


 いじめを苦に自殺した玖純愛架の霊が通り魔となって、自分をいじめていた相手への復讐に及んでいる――

 そういう仮説が立てられてしまう。櫛無くしななどは一笑に付すだろうし諒真自身としても笑えない推理だが、そう考えられるだけの情報が集まってしまっているのだ。


 ただ、途中で抜けた諒真と違って、その当時ちゃんとあのクラスに在籍していた実咲が言うには――


「うちのクラス……〝二年四組〟はいじめとかそういうのはなかったと思う。少なくとも表面上、僕の知る限りは……男子にはそんな気配はなかった。女子はどうだか知らないけどね。ほら、ドラマとか漫画で見るけど、女子のいじめって陰湿らしいし。でも、あからさまに無視したり悪口言ってるってことはなかったと思うよ」


 特に親しくもなかった自分のことをちゃんと見ていた実咲が言うのだ。実咲には観察眼というか、人を見る目、場の空気に敏感なところがあるのだろう。


「それでも仲良しのグループとかで分かれてたけど、それぞれ好きにやってる感じで別に空気が悪かったようなこともなかったし……やっぱり玖純さんかな。なんか〝みんなのお姉ちゃん〟ってイメージで、玖純さんが委員長やってたから特に何事もなく――まあその玖純さんが屋上から……、事故に遭っちゃったわけだけど――」


「…………」


 事故。その前まで関わると呪われるなんて話をしていたものだから、当の諒真自身でさえ、自分のせいではないかと苦い思いに駆られた。


「とはいえ、束原くんみたいに自分からひとりになる人も居はしたよ。けど、特にハブられたりってこともなかったし、それこそ何かあれば玖純さんがいたからね、なんとなく一人余っちゃったりすることがあっても対応してたから」


 逆に、というか、愛架がいなくなった後のクラスの様子はどうだったのだろう。


「それはさすがに……みんな暗くなってたし、ほら、束原くんと立て続けに二人いなくなったから――教室も、荒らされてたし。しばらく空気も悪かったけど、僕の知る限り特にこれといった問題はなかったと思う。だいぶ参ってたみたいで休んでた子もいたけどね……。それくらい、玖純さんの存在は大きくて……あと、ね、ほら」


「俺が呪われてるって?」


「そうだね……。たぶん、あの噂の一番の火付け役は玖純さんの件になるのかな。みんな玖純さんが束原くんに構ってたのは知ってたから……。それまでは、うん、クラスメイトとか内々の噂って感じだったのが、一気に周知の事実みたいになっちゃったね、あれ以降。束原くん個人の顔とかは分からなくても、少なくとも名前くらいは同級生ならみんな知ってるんじゃないかな。……あの火事もあったしね」


「…………、」


 噂の火付け役と、火事。別に実咲もわざとではないだろうし、前後関係でいえば逆になるが、なんだか皮肉な言葉だった。


(――そもそもあの霊体が玖純だっていうこれといった根拠はない。いっそ、あの赤コートが通り魔と同一人物なら話も早いんだが……それなら警察にも捕まらずに犯行を続けられるのも納得がいく。被害者に目撃されているのはそいつに対する強い恨みを持ってたから、各所的な怪奇現象が起こって云々で……)


 そういう可能性があるから遊里はこの件の調査に乗り出したのだろう。


(言わなければよかった。何かの見間違い……なんて今更言っても仕方ないし、というかいろいろあれだしな……)


 あのとき、美依を追っているさなかに出くわした一回きりで、目撃したのは自分だが……もっとこう、何か特徴のようなものはなかったのかと過去の自分を問いただしたくなる。


 というか、あれは本当に霊体だったのだろうか?

 ついには自分の目とか記憶まで疑ってしまう。


 おまけに思い出そうとすると、別の人物の後ろ姿が浮かぶからまた困りものだ。


(あいつも、同じ格好してた……)


 ――束原緋景ひかげ


 あれはあれでいったい何なのだろうか。


 これに玖純妹と蓮延憐果の関係なんかを加えるともっとややこしくなる。さすがにそれは通り魔との接点が薄いように思えるから割愛するが――


「……はあ」


 病院からの帰り道に思いついたつり目の件も加え、改めてまとめてみたが、結局また堂々巡り、答えは遠い。


 それでも一応、今後の調査の方向性くらいは見えてきた。


(つり目から話を聞くのは実咲に任せるとして……)


 自分が行っても態度は変わらないだろうし、せっかく協力を申し出ているのだから手伝ってもらおう。特にこちらの事情を説明したわけではないが、何かしら察してくれたのだろう。「恩返しがしたい」と言われては無下にも出来ないし、一度こういうのを断ったせいで今でも付きまとってくるクラス委員がいるから慎重に対応しなければならなかった。


(あいつ……緋景。いろいろ……何か知ってるはずだ。鏡野きょうのも使えないし、こうなったら直接きいた方がいいかもしれない……)


 直接きけないから鏡野を使おうとしたのだが……。


(それから……玖純の妹)


 学校に復帰してから同じクラスになって驚きはしたが、これまで自分から関わるような真似はしなかった。愛架に妹がいるらしいと知ってはいたものの、それだけだ。向こうは諒真が姉の元クラスメイトだとすら知らないかもしれない。

 そうでなくても自殺したかもしれない姉の話だから訊ねづらいのだが、愛架について知るには妹の花恋に聞くのが手っ取り早い。

 ただ、それが出来れば苦労しない。


(……かといって)


 言梨に任せるわけにもいかないだろう、こればかりは。

 ああいうなんでも抱え込むやつにこれ以上負わせられないと思う。


(……頑張らざるを得ない)


 そうと決まればどう話しかけ、どんな理由をつけて姉のことを聞き出そう――


(いや……そういえば……)


 蓮延憐果は玖純妹と親しかったらしい。レンカを使えばいろいろと良い方向に転ぶのではないだろうか……?


「諒真さん諒真さん」

「なんだよ」


 ちょうどタイミングよく。そのレンカがひとの顔の前でぱたぱた手を振っている。


「通り魔さがしてるんですよね。私なんか今それっぽいものを……」

「んだよ、コンビニから出てきたのか?」

「コンビニじゃないんですけど……」


 レンカが指差す先に視線を向け――


「な……っ」


 いた。


 まるで自らの存在を誇示するかのように――赤いコートを着た人物が堂々と夜道を歩いていたのだ。




               ***




「――くそっ、あの野郎どこ行きやがった……!」


 すぐに追いかけたのだが、追いかければ当然逃げるもので、諒真はすぐに赤いコートの人物を見失ってしまった。というか忽然と姿が消えたのだ。


(あいつがただ徘徊してたとは思えない。もしかすると誰かを追って? だとしたらここで止められなかったら最悪だぞ……!)


 もしも明日、新たな被害者が出たと報道なんてされたら一生後悔する。


「諒真さんこっちっ、こっちです!」


 どうやらレンカは見失わなかったようだ。


「よくやった……!」

「えへへへ……。いやぁ、私は優秀ですから、」

「ふざけたこと言ってないで、どこだ!」

「もう! こっちですよ!」


 キレ気味なレンカの案内に従って、街灯の光も届かないどころか明るいうちでもすぐには気付けなさそうな路地の入口に突入する。


(こんな人目につかないところに……!)


 平時であれば人の多い方へと逃げるだろうが、それこそ通り魔事件の影響でまだ深夜とはいえないこの時間帯には出歩く人も少ない。追われている人間がいるとすれば赤いコートの人物を撒くためにこうした路地を利用してやり過ごそうとするのかもしれない。


(それで逃げられたならいいが、追いつかれたら終わりだぞ……!)


 建物と建物の間にあって暗いため先も見通しづらく、空も曇り気味なせいで前を進むレンカを追いかけるのはいいが足元さえはっきりしない。商店街に近いが、人通りは皆無といっていい。おまけにこんな場所じゃ助けを呼んでも気付かれまい。


 少し進むと開けた場所に出た。周りに建物はあるが明かりはなく、街灯も遠い。視界には困らないものの一瞬〝やつ〟の姿が判別できなかった。


 闇に紛れる黒――否、赤いコート。膝まである裾を翻しながら足を止めた。


 その視線の先に誰かいるようだ。荒い息遣いが聞こえてくる。


「っ、諒真さん、どうします……?」


 少し離れたところから赤いコートの人物の様子を窺う。追いかけたから逃げたのだとばかり思っていたが、赤いコートの人物はこちらの存在に気付いていないのか無防備に背を向けている。


(一度見失ったから、こっちを撒けたものだと思ってるのか?)


 レンカが気配を掴みその居所に案内してくれたから再発見できたのだ。赤いコートの人物の通ってきたルートとは異なる道でここに辿り着いたのだとすれば、向こうはこちらが追いついたとは思っていないだろう。


(いや、でも――?)


 ふとした、些細な疑問が頭をよぎる。


 ――そもそも〝あいつ〟はあそこで何をしていたのか?


 だがそれは本当に些細な引っ掛かりに過ぎず、現状ではあまり重要じゃない。なんにせよ結果として赤いコートの人物の犯行現場に行き着いたのだ。


 とりあえず今は、このまま身を潜めていれば自分たちが気付かれることはないはずだ。


(正直、あいつをどうこうする手段がないからな。霊体なら手出しできないし……レンカをぶつけるのも躊躇われる。実体のある人間だったとしても――)


 ゆらりと取り出されたのは……金属バットか。コートの影に隠れてこれまで目に入らなかったが、〝やつ〟は凶器を持っているのだ。


 嫌でも前に遭遇した時のことが頭をよぎる。

 殺意のようなものは感じなかったが、あいつは無感動に、無慈悲に、容赦なく振り下ろそうとしていた。助けが入らなければ死んでいたかもしれない。あの時はその後にいろいろあって感覚が麻痺でもしていたのか取り乱したりはしなかったものの、今は正直どうしようもない遣る瀬無さや怒り、焦燥や恐怖といった感情に支配されそうになる。


 なんとか冷静でいられるのは相手に気付かれていないことと、隣にレンカがいること――つまりは見栄だ。


(気付かれてないうちに背後から……? いや、その前にまずは相手が〝どっち〟かはっきりさせないと)


 おろおろしているレンカを横目に思考を巡らせていると、


「あ、あんた何なの……?」


 聞き覚えのある声。狙われている側……少女のものだ。


「もっ、もしかして、つかりょ、……束原くんなの……?」


 今のは……、


「あ、あわわわわ……つ、〝つかりょん〟って呼んでたこと気に障ったならあやまるから……! さ、さすがにそれはヤバいって、マズいって! 痛いのはちょっと……と、とりあえず〝それ〟はやめよう!?」


「…………」


 これは間違いない。あいつだ。今、襲われそうになっているのはつり目の取り巻きの一人、くせ毛の方だ。


「あの人、諒真さんの知り合いですかっ?」

「いや……」


 顔見知りなだけに見過ごすのには抵抗がある。そうでなくても目の前で行われる犯行を黙って見逃すつもりはないが。


「ひ……っ!」


 ガン! と叩きつけられる金属バット。気圧されたようにくせ毛が身を竦める。


 ガン! ガン! ゴン!


 まるでいたぶるように打ち鳴らす。そのたびに腰を抜かして座り込んだくせ毛は委縮し怯え、肩を震わせた。


 いよいよマズい雰囲気だ。単にどうやらひとのことを本気で犯人扱いしているくせ毛が見当違いなことをのたまっているから黙らせようとしただけかもしれないが、赤いコートの人物がそういう威嚇めいたことをする危険な輩であることははっきりした。


 そして、〝やつ〟が実体を持つ生きた人間だろうということも。


(……必ずしもそうとは限らないが、自分の見たものをいちいち疑ってたら話が進まないよな)


 少なくともくせ毛には見えていて、赤いコートの人物は物理現象を起こしている。この二点だけは確かな事実だ。


「……よし」


 当たって砕けたくはないが、いつまでもこうしてはいられない。

 なるべく足音を立てないようにしながら飛び出した。


「………………、」


「――え? 今、なんて……、」


 くせ毛が赤いコートの人物を見上げて何かをつぶやいたのはその時だ。


「レンカ! 攪乱かくらんしろ……!」

「か、かく……っ? なんだか分からないですけど諒真さんはほんっと私のことなんだと思ってるんですか! まあやりますけどね!」


 突然の大声に赤いコートの人物が振り返る。目深に被ったフードの下の顔は窺えないものの、その目はきっと自身に向かって突っ込んでくるレンカに釘付けのはずだ。


 レンカも前の経験から直接ぶつかったりはしないだろうと踏んで、赤いコートの人物がレンカに気をとられているうちに接近しバットを手放させる――という算段で走っていたのだが、



!?」



 予想外の声に思わず足を止めてしまった。


、)


 横合いから聞こえた声の正体を探し首を巡らせようとした。


「――ッ!」


 気勢を上げるような呼気。

 すぐ我に返るも、目の前にきた赤いコートの人物は既にバットを振り抜いていた。


「つ……っ!」


 とっさに腕で顔を庇おうとしながら後ずさった。本能的、反射的にそれぞれ勝手に動いたせいか、腕は横薙ぎに振るわれたバットに弾かれ、その勢いもあって足が絡まり尻餅をつく。一瞬のことですぐには何が起きたか理解できなかった。

 しかし呆然とはしていられない。


(こい、つ……!)


 ひとの足を踏みつけ、赤いコートの人物がバットを振り下ろした。頭を狙ったそれを今度はちゃんと両腕で防ぐ。思ったより軽かったがそれでも相手はバットだ。鈍痛に襲われる。腕が痺れた。頭の中で火花でも散ったような感覚。すぐに防いだことを後悔した。

 再びバットが振り下ろされる。連続して、やたらめったら、まるで子供が怒ってぽかぽか殴りつけてくるかのように、怒りか何かの感情に身を任せた理性のない暴力に見舞われる。


「……っ」


 腕で頭を抱えるように庇って、雨粒めいた乱打を耐え忍ぶしかなかった。下手に避けようとしたり腕を動かせば頭を殴られる。


(く、そ……!)


 思わず目をつぶってしまいそうになるのを必死にこらえ、顔を守る腕の間から相手の姿を捉える。隙を見て距離をとりたい。レンカがどうにか気を引こうとしてくれているがすり抜けるばかりだし、そもそも赤いコートの人物の眼中にもなかった。雲が晴れていく夜空を背に、重圧すら覚える視線は真っ直ぐこちらに注がれている。


 痛いくらいに、真っ直ぐ。


 その〝目〟が。


「っ――――、」


 ――交錯する。諒真はその名を口にした。声が出ない。力が抜ける。防御に隙が生まれた。叩き割るように振り下ろされる、


 瞬間。



 ――――――――――――!



 空気を引き裂く音がした。赤いコートの人物が殴られたかのように仰け反りたたらを踏む。


「ぁッ、ぐ……ぅっ」


 獣のようなうめきを漏らし、左手で右肩を押さえるようにしながら赤いコートの人物は後ずさった。その目はこちらを、いや、その向こうの何かを捉えている。諒真もとっさに振り返った。


(さっきのは……、)


 暗がりの中、さっきまで身を潜めていた場所に誰かが立っている。


 細いシルエット。

 こちらに向かって伸ばされた手の中にあるそれは、


(まさかさっきの、だったのか……?)


 雲間から射し込んだ月光りを鈍く反射する金属。


 ――拳銃だ。


「…………、」


 息を潜めるように静まり返った闇の中から、一歩。

 姿を現す。


 暗がりに浮き上がり際立つ、白い――月明かりに照らされて、銀色に輝く頭髪。

 きれいに磨いたガラスのような無機質で淡白な表情かお

 肩から吊るした三角巾、華奢な体格にはそぐわない無骨なギプス。


 それは少女のようだった。


 冴え冴えとした青い瞳に一切の感情を映さない、人形めいた――。



 存在感なくひっそりと――――そうして『彼女』は、表舞台に現れた。



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