第二章

第1話 複雑な乙女心と、ある事件




 女子高生連続暴行事件――その名のとおり女子高生を狙ったそれはニュース等にも取りざたされ、ここ最近この界隈を騒がせている大事件だ。


 犯人は夜遊びをしているものや帰宅途中などの女子高生に背後から忍び寄って金属バットと思われる凶器で数回にわたって殴打し、重傷を負わせている。現在のところ死者は出ていないものの、被害者はいずれも重体だ。

 犯行は通り魔的だが、金品を持ち去ったり性的暴行を加えていない点や被害者に対する過度な暴行から怨恨の可能性が疑われているらしい。警察は被害者たちの接点や関係者を調査しているのかもしれない。


 被害にあった少女たちがかろうじて捉えた犯人の特徴はなにぶん背後から突然襲われていることもあって曖昧だろうが、〝赤いコート姿〟をしていたことが警察から公式に発表されている――


 近隣で起こっていることもあってさすがに他人事とは思えないが、知人が襲われたわけでもなければこれといった実害もなく、大多数の人々同様、束原つかはら諒真りょうまにとっても大した関心事ではなかった。

 ニュースや新聞から入る情報から犯人の特徴は知っていても、凶器などはおおまかに〝鈍器〟としか覚えていなかったし、目立つとはいえ赤いコートを着た人物を見かけてもすぐにはピンときたりしなかったかもしれない。


 あの日までは。


「束原くん、あの……相談があるんだけど」


 あれは悪霊にとり憑かれる数日前のことだった。


 朝からそわそわしていて言いたいことはあるがどうしようか迷っている素振りだった言梨ことりが話しかけてきた。普段は食堂で昼食をとる彼女がわざわざ購買でパンを買ってきて、これから弁当を食べようというところだった諒真の近くの席に陣取り、こちらはうんともすんとも言っていないにもかかわらず勝手にその相談とやらを語り始めたのだ。

 いくら声をかけられようと無視を貫き相手が諦めるのを待つのが諒真のそれまでの基本方針だったのだが、さすがにそうやって完全に相談する態勢をとられてしまえばどうしようもない。一応無視する構えは崩さないものの、言莉は覚悟の上だろうし、少なくとも昼食を終えるまでは退かないつもりのようだった。


「えっと、わたしの知り合いっていうか、中学の時、部活で一緒だった先輩から相談されてね……」


 こういう前置きで始まる場合――テレビなどで見知っただけで経験はないのだが、知人の話とか友達からの相談という体で語られるものは大抵の場合が本人の話だ。今もどうせ言梨自身の相談なのだろうと思っていて――


「通り魔事件って知ってるよね、最近話題の。先輩がその犯人に襲われかけたらしくて」

「…………、」


 おい、ちょっと待て。

 もしもこれがそうであるのなら、だ。


 慌てて例の通り魔事件についての記憶を呼び起こす。だが犯人が赤いコートを着ているらしいこと以外は特に思い出せず、ただ漠然と「通り魔事件」というワードが頭の中で踊っている。大して関心がなかったからとっさに浮かぶのはそれくらいのもので、同じ市内で起こっていてもやっぱりどこか他人事に思っていたのだろう。


 そうもいかなくなってきた。


 これが遠くに住む名前も知らない誰かの話であれば、頭の隅には留めても関知しなかったに違いない。身近な他人であっても、気にはするだろうがやっぱり他人事で、目の前で困ってでもいない限り自分から積極的に関わろうとは思わなかったはずだ。


 しかし今回は生憎とよく見知った相手から直接相談までされてしまった。さすがに無視はできないし、もしも彼女に何かあれば一生後悔するかもしれない。少なくとも拭い去れない罪悪感を抱え生きていくことになるだろう。


 なんて爆弾を押し付けるんだ。

 思わず言莉を睨んだ。


「……あ、その……食事中にする話じゃなかったよね、ごめん……」


 そういうことじゃない。


「……はぁ」


 食事の手を止め、ため息をついてから片手で頭を抱えた。


「……なんで俺にそんなこと相談するんだ」


 訳が分からない。一応叔父は自称探偵だが、どちらかというとそうした現実の事件は得意分野ではない。少なからず縁のある言梨もそれくらい知っているはずだ。あるいは、藁にもすがりたいというやつか。それほど追いつめられている――ようには見えないが。判らない。あまり人を見る目に自信がない。


 たしか通り魔というやつは女子高生を狙っていたはずだが、そもそも言梨なんかが狙われるものだろうか。この幼児体型をどう見れば高校生だと思うのだろう。いくら制服を着ていてもこいつは良くて中学生だ。別に女子高生限定で狙っているわけではないのか? よく憶えていない。


「先輩に聞いた話ではね、」


 またその前置きか。


「それまで後ろにそんな人いなかったのに、突然背後からバットを引きずる音が聞こえたかと思うと、振り向いたら真っ赤なコートを着た人がいるらしくて」

「…………」

「あ、なんでバットを引きずる音か分かったかっていうとね、振り向いたらバットを持ってるのが見えたらしくて」


 別にそんな重箱の隅をつつくようなことで睨んではいない。


 気になるのは、言梨の口調が完全に人から聞いた話を語っているものである点だ。


 もしかして……いや、もしかしなくても。


 ――どうやら、ただの思い違いだったらしい。


「……はぁ」


 心配して損した気分だ。


「えっと……そのため息はいったい……?」

「……どっか行けよもう」

「ま、待って! まだ話の途中だから……っ」

「…………」


 まあ、別に興味本位というか、言梨には世間話のつもりはないのだろう。相談自体は真面目で、真剣なもののようだ。となると、言莉の先輩という人物が狙われたという話は事実で、通り魔事件の次の被害者になりえるかもしれないのか。

 言梨が狙われてないにしろ、そういう可能性を知ってしまった以上はやっぱり無視できない。その先輩の顔など知らないが明日の朝刊に『通り魔事件、新たな被害者』なんていう記事があれば嫌でも勘繰ってしまい目覚めが悪くなることだろう。


 ……仕方ない。


「さっさと続けろ」

「う、うん……」


 言梨はほっとしたような顔になって頷くと、


「束原くんに相談したのは……なんていうか、その通り魔って急に現れたり消えたりするみたいだから、その……幽霊の類なんじゃないかなぁって……。一部じゃ都市伝説みたいに扱われてるそうだし」


「……なるほどな」


 それなら彼女が相談に来た理由も頷ける。

 言梨との出逢いのきっかけもまたそうしたオカルトの類だった。あの件がなければ今こうして彼女と話している光景は存在しなかっただろうし、自分は今よりもっと両親について記憶していたかもしれない。


 得たものがあるかは分からないが、失ったものは大きかったと思う。

 大きかったのかどうかすら曖昧だが。

 なにせ、記憶を奪われたのだから。

 失ったと気付いていないだけで、ほんとはもっと大事なことすら忘れてしまっているかもしれない。


 そのことで言梨を責めるつもりはないが、何も思わないといえば嘘になる。

 助けたことがきっかけで言梨はこちらに対して恩義めいたものでも感じたのか、恩返しをしようとするように何かと世話を焼くし、ひとの事情に首を突っ込みたがる。それに、積極的に話しかけてくるようになった。非常に迷惑しているのだ。

 今回の通り魔事件の相談もあのとき生じた縁をきっかけとしている。諒真がそういうオカルト方面に強いと思い、何かあればまた助けてくれるとでも勘違いしているのだろう。


 実際に強いのは叔父の方だし、何かあってもまた助けられる保証なんてないにもかかわらず、だ。


「先輩、だいぶ参ってるみたいだったから……。そりゃそうだよね、通り魔に襲われかけたんだし……」

「……その先輩とやらは、どうやって助かったんだ」


 少し、不審な点がある。気にかかるというか、違和感のようなものだ。


「なんとか逃げたんだって。人のいるところに。そしたら追ってこなくなったって」


 妥当な判断だ。さすがに通り魔も人目がある場所では犯行に及ぶまい。時に恐慌状態に陥ってひと気のないところへ逃げ込むものもいるが、それは通り魔の思うつぼだろう。その点、言梨の先輩は通り魔に追われながらも冷静に行動した。


 ただ、気になったのはそこではない。

 事件について調べた上で改めて今の話を聞けば何か思い当たるのかもしれないが、自分自身、どこに引っかかったのかよく分からない。しかし引っかかったということは何かしらあるのだろう。関心がなかったとはいえ一応事件の情報は新聞等を通して頭に入っている。すぐには思い出せないが、その情報と矛盾する何かがあったのだ。


 今は他に気になる点を追及してみるか。


「その先輩は……三年か?」

「うん、この学校の三年生だけど……?」

「……親しいのか?」

「?」


 中学時代の部活の先輩、という話だった。特別親しい間柄であれば言梨に相談もするかもしれないが、普通は親や警察、もっと他に親しい同学年の友人に打ち明けるのではないだろうか。


「うーん……親しいかどうかっていうと、そうでもないかな……?」


 そうなるとより不思議になってくる。些細な引っ掛かりだが、中学以降も親交があるならまだしも、どうして言梨に相談したのか。

 その三年生の先輩はもしかすると――


「そいつ、俺のこと知ってるのか?」

「…………」


 言梨が黙り込んだ。上目遣いにこちらの顔色を窺っている。これは図星だ。


「おい」

「……えっと、うん。束原くんに話きいてみてほしいと言われました……」


 三年といえば本来なら諒真と同学年であり、昨年は同級生だった。誰だか知らないが一応面識はあるだろう。だからそいつは諒真と同じクラスにいて中学の後輩でもある言梨に相談した。


 しかし、その目的は? いくら元同級生でも実家が探偵事務所をやっていることまでは知らないだろうし――


「そのぉ……言いづらいんだけどね? わたしもそれはどうかなぁって思ってはいるんだけどね……?」

「なんだよ」


「通り魔事件が始まったのって、ちょうどその……束原くんが復学してきた頃と一致するみたいで……詳しくは知らないけど、たぶん束原くんが意識を取り戻してから後なんじゃないかなぁ……なんて……」


 あはは、とごまかすような愛想笑い。諒真が沈黙すると、言梨は気まずそうにうつむいてしまった。


「……お前、俺のこと疑ってんのか?」

「わ、わたしじゃないよっ? その、先輩が……束原くんのこと気にしててね? そういう話をね」

「…………」


 なんということだろう。なぜかは知らないものの、その先輩にはどうやら自分を疑うだけの理由があるように見える。単純に嫌われていただけかもしれないが、なんにしてもあまり気分のいいものではない。

 どうして自分が縁もゆかりもない事件の犯人に疑われねばならないのか――そう思い悩みはしたものの、当然自覚する点などなかったし、他人に悪く思われるのなんて今更だ。犯罪者扱いされるのは気に喰わなかったが、それで何か実害が出た訳でもなく。


 やっぱりとくべつ関心があったわけではなかったためだろう。

 昨日、騒動の中で〝あいつ〟と出くわすまで、この会話のことなんてすっかり忘れていた。




               ***




「諒真さん、私は信じてました……」


 帰り道の途中に突然現れた悪霊がさも残念そうに視線を伏せて首を振る。


「諒真さんは約束を守る人だと……」

「……なんだよ、お前と何か約束した覚えはないが」


鏡野きょうのさんの問題が解決したら私のこと調べてくれるって言ったじゃないですか!」


「……そのような会話をした覚えはないでもないが、これだけは言える。俺はそんなこと一度も口にしていない」

「でも私は働きましたよね! 依頼料代わりにせっせと一生懸命!」

「…………」


 それを言われると弱い。昨日起こった美依みい化現象は正直レンカなしで解決することは難しかったはずだ。こればかりは認めざるを得ない。


「私は期待してました。諒真さんはツンデレだから、きっと私の前じゃ恥ずかしくて積極的に調べることは出来ないだろうと……」

「おい」

「でも根は優しい人です。約束は守ります。私の目がなければ勇気を出してクラスメイトの方々にも話しかけて、ちゃんと私のことを調べてくれるはず。そう思って私、今日はお留守番してたのに……それなのに!」

「…………」


「全ッ然! これっぽっちも! 私のこと調べるどころか、誰ともほとんど口をきかないで一日過ごしてもう放課後ですか! 昼休みとか暇してたじゃないですか! 諒真さんは食べて寝ることしか能がないんですか! 鏡野さんとばかりいちゃいちゃいちゃいちゃ……!」


「お前、いつから見てた」

「一時間目の授業が終わったあたりからですが何か!?」

「留守番してないじゃねえかよ!」


 つい怒鳴り返してしまって、横からこちらを見つめる視線に気づいて我に返る。


「まあまあ束原くん、落ち着いて……ほら、周りも見てるから……」


 言梨の言う通り、ここはまだ学校からそう離れていない通学路の真ん中で、ちらほら見える下校途中の生徒たちの視線も感じた。


「私のことは調べてくれないのに言梨さんとは放課後デートですかそうですか、別に構いませんけどね」


 あんまりうるさいので無視して歩き出すが、レンカは構わずまくしたてる。


「デートじゃないよ、わたしが勝手についてきてるだけ」

「それはそれでどうなんだか……」


 ついてこいとは言わなかったが、来たければ来いというニュアンスで今日の昼、遊里ゆうりに調べてもらったことの結果が出るだろうと告げた。


「諒真さんはもうちょっと私を意識すべきじゃないですか? 私の有用性は昨日身をもって証明してみせたっていうのに、私みたいに便利で都合のいい女は他にいませんよ……うん? あれ?」

「そうだな、便利で都合のいいやつは他にいないな」


 だから適当にあしらって、必要になったら都合よく言いくるめて便利に使ってやろう。


「言梨さんの依頼は調査するくせに……」

「それこそお前、先着順だ」

「ぶーぶー」

「第一、お前のことはもうケリがついたも同然だろ」


 振り返らないまま言う。


「――蓮延はすのべ憐果れんか。フルネームまで分かったんだ。もう叔父さんが調べたはずだ。うちの方から来たってことはお前も結果知ってんだろ」


 そう、言梨がレンカの本名を知っていたのだ。

 彼女の名は蓮延憐果、言梨たちと同学年らしい。言梨はクラスが違ったので詳しくは知らないというが、噂くらい聞いたことはあるだろうに語ろうとしない。とりあえず昨日帰って遊里にそのことを伝えたから、今頃はもう詳細な情報を得ているに違いない。


「諒真さんにはどうせ分かりません、この複雑な乙女心が……」

「……お前は分かるのか」

「え? わたし? まあわたしも一応乙女だから分からなくもない……かな?」


 だからレンカの意でも汲んでさっさと教えてくれないのか。迷惑な話だ。

 それにしても。


「……乙女、ね」

「いま鼻で笑った!」


 分かるのならその乙女心とやらを説明してほしいところだ。それが理解できるかどうかはまた別の話だが。


「それに、遊里さんにお客さんが来てて、私もまだ結果は聞いてません……。先に諒真さんが調べてくれると期待してたので!」


 いちいちあてつけがましいが、


「客?」


 またいわくつきの代物でも持ち込まれたのだろうか。


 しばらくレンカの文句を聞き流しているとやがて事務所が見えてきた。ちょうど扉が開き、誰かが出てくるところだった。


「あぁ……」


 その人物の姿を捉えて少しほっとする。どうやら依頼ではなかったらしい。


「ん?」


 向こうもこちらに気付いたようだ。赤茶けた黒髪はきっちり切り揃えたショート、細身の身体にレディースのスーツをびしっと決めている。相変わらず蹴飛ばしたくなるほどに完璧を目指した装いだ。その表情以外は。上げた顔は不機嫌そうで、十代の少女じみた童顔はそれこそ拗ねた子供めいている。


「あら、今お帰り? いいわね学生は。しかも両手に花なんて意外ね。……ふん」

「……どーも。……自分がモテないのを棚に上げて」

「今なにか言った?」

「別に」


 諒真が謎の女性と普通に口をきいていることに驚いたのか、言梨とレンカがぱちぱちと瞬きを繰り返してお互いに顔を見合わせている。


「束原くん、この人は……?」

「私はね、」


 懐から手帳のようなものを取り出してから、彼女は薄い胸を張った。


櫛無くしな冷夏ひなつ、警察よ!」


「……え? 警察? 嘘――、」

「なんだよその目は」


 昨日の今日というほどではないが、あんな話をしたせいだろう。言梨がそういう反応をするのも仕方ないかもしれない。


 櫛無冷夏。県警に出向中のエリート志向が強い女刑事。

 そんな人物がなぜひとの家の前にいるかといえば、不思議なことに探偵を営む遊里には警察との間にパイプがあるのだ。フィクションの中の名探偵のように警察に捜査協力したり情報提供してもらっているのである。

 無論、警察全体ではなく、この市内におけるごくごく一部の刑事たちとのつながりだ。怪奇現象が多発しやすい傾向を持つこの街で起きた事件のひとつを追っていると偶然行き会い、それが縁で情報交換等をするようになったのだという。市民に被害は出ているものの警察の力ではどうしようもない怪異が発生すれば遊里の方にその案件が回ってくるといった具合に、たまに秘密裏の捜査協力を依頼されることがある。


 ただ、このタイミングで櫛無冷夏がやってきたということは、なんらかの怪異に対する捜査協力ではなく、遊里の方から警察に事件の詳細を求めたのだろう。こちらも秘密裏の情報提供だ。


 遊里には昨日、レンカの件だけでなく、美依を追っている中で現れた赤コートの人物についても話した。言梨にあんな話をされたあとにも相談すべきかどうか迷ったが結局打ち明けず今になったのは、あの赤コートが霊体だったことが理由だ。


 あれが美依による〝演出〟であればよかったのだが、本人を問い詰めてみたところどうやらそうではないらしいと分かった以上、放っておくことも出来まい。


「例の事件が怪奇現象? はっ……未解決事件をなんでもオカルトのせいにしてるからうちの県警の評価は低いのよ。地方はこれだから。オカルトの一言で解決できるんなら警察なんていらない」

「…………」


 櫛無冷夏は一応協力者なのだが、かといって彼女がそうしたオカルト話を信じているかといえば話は別だ。


 もともとは別の刑事が遊里と懇意にしていたのだが、最近になって彼女がその跡を引き継ぐ形で遊里と関わるようになっている。しかし彼女は幽霊だの妖怪だのといったオカルト全般に懐疑的で、自身もそうした現象に巻き込まれておきながらそれらをいっさい認めようとしない。


「学生に聞き込みしてたら偶然聞いたんだけど、そういえば昨日はなんだか面白いことになってたそうじゃない。鏡のツクモガミって言ったっけ? そんなものがいるなら見せてほしいものだわ」


 仮に鏡野という物証を見せたとしても櫛無は絶対に信じないだろう。目の錯覚とか集団心理などといって自身をごまかそうとするに違いない。


 なぜなら彼女は〝オカルトなんて信じない〟という信念を貫いているからだ。


 年下の自分が言うのもなんだが小生意気でとても面倒臭い人である。

 犬猿の仲というほどではないが、諒真は彼女との相性がすこぶる悪い。出会った当初はそうでもなく、むしろお互いに遠慮し合っているというか事件被害者と親切な女性刑事といった感じだったのだが、関わるにつれて櫛無の化けの皮が剥がれ諒真の態度がぞんざいになったことで今のような関係になったのだ。


「レンカ」

「ほえ?」


 レンカの背後に移動し、振り返ろうとする彼女を制してから、


「んなっ!?」

「ちょっ、諒真さん!? いきなりそんなっ、破廉恥です! お巡りさんここに痴漢がいます!」


 レンカの背中に腕を刺した。櫛無の位置からだとレンカの胸から諒真の腕が突き出しているように見えるだろう。実際目を剥いて口を開けた格好のまま固まっている。いい気味だ。


「束原くん……悪趣味だよ……というかそんな子供みたいないたずらもするんだ」

「……ふん」


 硬直している櫛無を避けて事務所へ足を踏み入れた。




               ***




「やあやあいらっしゃい。久しぶりだね。紅茶でいいかな」

「あ、お構いなく……」


 叔父なだけあって顔立ちは似てるのに、どうしてこうも人相から受ける印象が異なるのだろうと毎回疑問に思う。よくよく観察してみると、遊里も他人を見る際は諒真同様に目を細める癖のようなものがある。しかし遊里の場合それが相手を睨んでいるようには見えず、口元が微笑むことによって目尻に皺の出来る柔らかい表情になるのだ。それが櫛無にはだらしなく映るようだが、大多数の一般人は遊里に対してその身なりもあって胡散臭さを覚え警戒こそしても、恐がったり悪い人のようには思わないだろう。


 櫛無が飲み残したカップを持って応接間兼リビングから通じるキッチンへ向かい、遊里はがちゃがちゃ音を立てながら紅茶の準備をする。何か割らないかと心配で手伝おうかとも考えたが、


「それ、さっきくっしーに持ってきてもらったやつだよ」


 テーブルの上にある資料の束の方が気になったので、先にそちらへ当たることにした。


 赤コート……通り魔事件の資料だ。


「一般人に捜査資料を渡すなんてあってはいけないとかなんとか言って、公に開示されている程度の情報だけって言ってたけどねー。ツンデレだよねぇ、あの人も」


 まあなんだかんだ言って、櫛無も遊里が有用であることは認めているのだ。

 資料には報道や新聞記事より詳細な捜査情報が載っていた。ソファに座って遊里の声に耳を傾けながら目を通す。両脇に座った言梨とレンカが横から覗き込んできた。


「事件の概要は今更だし説明は省くとして、どうやら警察も一般に公開されてる程度しか捜査に進展はないみたいだね。ただ、被害者が全員同じ高校に通っているという点は大きい。新聞には被害者の氏名やら個人情報は載ってなかったしね」


 くっつくなと言莉を肘で押しのけるものの、レンカの方はそうもいかず、むしろ彼女は嫌がらせのように寄ってくる。


「とはいえ、それもネットを探ればあっさり見つかる程度の情報だ。被害者の個人情報なんて流出の極みだし、そこから同じ高校の学生であるという接点を見つけるのはたやすい。一部の推理好きはとっくにその共通点に気付いてる」


「みんな、うちの学校……」

 言梨が資料を見てつぶやく。


 被害者に関する簡単な略歴こそ載っているが、さすがに現場写真などはなくほっとする。これが殺人ならまた違っただろう。


「……さっきあいつ、聞き込みがどうのって言ってたな……」

「警察は学校関係者……生徒の中に犯人がいる線を疑ってるみたいだね。そうでなくとも、犯人があの高校の生徒を物色している可能性を考慮して、登下校中の生徒に不審者の目撃情報を募ってるようだ」

「……学生」


 顔を上げると、ちょうど遊里がカップの載ったトレイを持ってくるところだった。


「諒真くんに言われたとおり、学校関係で過去にあった事故……特に校内で起こった生徒の死亡事故を調べてみたよ」


 昨日見た赤コートはたしかに女子の制服を着ていた。しかもそれで霊体だったということは、死亡した学生を探れば何か分かるのではないかと思ったのだ。


「すると昨年、女子生徒が一人亡くなっていたね。一応事故ということになってるけど、場所が場所だからね――屋上、なんだけど」

「……自殺なら化けて出てもおかしくない。……何か知ってるか?」


 言梨を小突くと、どうやら何か知ってるらしい、あからさまに表情に陰が差した。

 もしかすると知人なのかもしれないし、話させるのも苦だろう。テーブルにカップを置いて向かいのソファに座る遊里に先を促す。


「亡くなった女の子は生きてたら諒真くんと同い年、三年生。もしかしたら諒真くんも知ってるかもね、クラスメイトだったかもしれないし――」


 事件資料をめくりながら、どうせ知らない名前だろうと思ってなんとなしに聞いていた。


「――玖純くすみ愛架まなかっていうんだけど」


 一瞬、迂闊にも聞き覚えのある名前だな、と思ってしまった。

 知らない名前じゃなかった。


「……くす、み……?」

「うん……玖純さんのお姉さん。去年……自殺したんだって、噂になってて」

「――――、」


 言梨が言ってるのはクラスメイトの玖純くすみ花恋かれんのことだろう。


「噂って?」


「詳しくは知らないんですけど……その日、愛架さんのクラスの教室がすごい荒らされてたらしくて。机とかロッカーとかめちゃくちゃにされてて、窓とかも……それこそバットか何かで叩き割られてたって。だから愛架さんは事故じゃなくて、教室を荒らしてから飛び降りたんじゃないかと……」


「……知らないんだけど、俺」

「昨年の夏休み頃の話だからね。諒真くんはその頃まだ病院だったよ」


 事情を知らないレンカだけきょとんとしていたが、別に説明する義務もなければしたくもない。


 今は少し考える……心に整理をつける時間が欲しかった。


 玖純愛架。


 ――そういうことだったのか。


 道理で。だから。そうか。

 腑に落ちる空しさに、心配そうに呼びかける言莉の声もどこか遠かった。




               ***




「――ところで諒真さん、先着順って言葉ご存知ですか?」

「……お前もいちいちうるさいな……。こっちは人に被害が出てるんだよ。生きてる人間にな。さすがに無視できないだろ。悪いがお前はあとだ、先にこの赤コートの件を調べる。というかこれは渦野かのの依頼の延長だ」


 その後もいろいろ話を聞いて、この件が警察の手には負えない〝こちら側〟の案件である可能性が浮上した以上――遊里が見過ごすはずもなく、当然そうなればフィールドワークは諒真の仕事だ。


 しかしレンカは納得できないようで、


「契約違反! というか『悪いが』なんて枕詞はすまないって思ってる人が口にするものであって微塵も悪びれる様子のない諒真さんが使っていい言葉ではありません! 昨日はいろいろあったし私もさすがに大目に見てあげましたけども! さすがにいい加減ちょっと我慢の限界が! 私だってキレますよ! ぷっちんと! どうせ私には何も出来ないと思って高を括ってるんでしょうけど、やる時はやりますからね私だって!」


「もう充分キレてるじゃねえか。それと、その枕詞はむしろ約束を破る大人がよく使う」


「あぁそうそう、忘れてた。ちゃんとレンカちゃんのことも調べたよ」


 遊里が今思い出したとばかりに、脇に置かれていた数枚のコピー用紙をこちらに寄越す。どうやらネットで調べてそれをプリントしたものらしい。


「くっしーにも少し調べてもらったし、たしかな情報だよ」


 言梨からレンカが聞いた自身のフルネーム。その名前で調べてもらったらしい。わざわざあの自称エリート刑事に恩を作らずとも、レンカが自分で言梨から聞き出せばいいものを。言梨も言梨で詳しく語ろうとしないものだからまたあの女刑事が調子に乗る。


 とりあえず紙をテーブルの上に広げて確認する。

 何枚かはネットの記事だ。見覚えがあるような気のする文章が――


「……『デパートで火災』……」


 それは一年前、諒真自身、身をもって経験したあの事件だ。

 どうしてレンカの話をしているのに、この記事が出てくるのか。


「蓮延憐果。彼女はどうやらあの火事の被害者だったみたいだね」


 遊里の目が諒真に向き、そして苦い笑みとともにレンカに向けられた。


「これで、君が幽霊である理由がハッキリしたわけだ」



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