第6話 悪路
***
今朝のことだ。
「学校! 楽しみですけどちょっと緊張します……っ」
「お前は新入生か」
気配はないが後ろをついてきているレンカに辟易としながら、
早期解決のため、叔父の提案を実行するため……と、言い聞かせる。
「それよりお前、何か思い出さないのか」
本音を言えば学校にこんなもの連れていきたくないし、事務所を出た時はなんとかしてこいつを撒こうかと本気で考えていた。しかし朝から走って疲れたくもない。
今日一日の我慢だ。学校に行けば叔父の言う通り何か思い出せるかもしれず、学校の人間が誰かしら彼女について知っているかもしれない。思い出せればあとは叔父に、知っている人物がいればそいつに押し付ける。そう思えば耐えられるはずだ。
だから訊ねてみる。あまり期待はしていないが、学校へと向かうここまでの道中で何か見覚えのあるものはないか、登校途中の生徒たちの中に知っている顔はないか。
「うーん……さっぱり?」
「…………」
ここは我慢だ。
とりあえず、他人の振りをしていよう。無理があるのは自覚しているが、こればかりは気分の問題だ。若干宙に浮きながら辺りをきょろきょろして注目を浴びているやつと知り合いなんて思われたくない。
せめてもの救いは鏡の方が喋らないことか。単に木箱に収めて学生鞄の中に突っ込んであるから聞こえないだけかもしれないが。
「諒真さん諒真さん」
「…………」
「人が海のようです」
「……お前のせいだよ」
一瞬何を言ってるのか分からなかったが、たぶん聖書にあるモーゼが海を割った話のことを指しているのだろう。今も行く先々で通学途中の生徒たちが道を開けていく。どうしてこんなどうでもいい知識はあるのに自身に関する記憶は名前だけなのか。
生霊――なんらかの理由で肉体を離れた、生きている人間の魂。叔父はレンカがそうではないかと言っていた。
あまり詳しくないが、生霊というやつは怨念の類で、強い想いを抱く相手のところに現れたりその写真などに映り込むことこそあるが、一般に想像される幽霊のように意思を持ち動き回ったりなんだりといったことはしないらしい。それは幽体離脱の領分だ。
叔父いわくレンカの場合、本体である肉体が昏睡状態などに陥っていて、魂はそこから幽体離脱するように離れているが、それが完全でないから記憶もないのだろう、とのことだ。そう説明されてもよく分からずにいると、
「つまり……そうだね、たとえば、『友達に会いたい』という想いはあるけど、身体は意識がなく動かない。そこになんらかの要因が働いて、『友達に会いたい』という想いだけが肉体を離れた。不完全ながら本人の意識を伴って、ね」
厳密に言えば魂そのものではなく、その意識の一部と強い想いのみの状態らしい。記憶喪失もこれが原因か、もしくは本体が頭などを打っていて、本体自体に記憶の欠落があるためではないか、と。
しかしそのなんらかの要因というのが厄介で、もともと幽体離脱などがしやすい体質なのか、魂が肉体を離れてしまうほど本体が危うい状態にあるかのいずれかが考えられる。
その推測が正しければ――彼女を衝き動かすなんらかの動機が解決すれば、叔父の例でいうなら『友達に会いたい』という想いが遂げられれば、今のレンカは消失する。肉体に戻るのだ。厄介払い出来るのだ。
ただ、問題なのは――レンカに聞こえないよう、
「もしかすると……今の状態が続けば彼女の本体は衰弱し、そのまま亡くなるということも起こりえる。そうしたら本当に魂だけの存在になってしまう。戻るところがないんだからね」
そんなことを知ってしまったら、さすがに無視も出来ない。目覚めが悪いし、最悪の場合、一生こいつにつきまとわれる。そんなのはご免だ。
本当に、厄介な荷物を抱え込んでしまった。
「それにしても割れますねー」
「……お前が鏡だったら割ってたよ」
「もしかして諒真さん、番長か何かなんですか? ビビられてますよ? そんな感じが濃厚です。幽霊の私より怖がられまくりです」
これがいわゆる空気の読めない人種なのか。ある意味では読めているのかもしれないし幽霊だけあって他の人間より敏感なのかもしれないが――ほんとに、人の気も知らないで。
「諒真さんがそうやって恐い顔してるからじゃないですかー? 私も出会った時にそんな顔されてたら絶対近付きませんもん」
「…………」
じゃあなんだ、今のこいつはひとをナメてかかってるのか。
それこそ番長じゃないが、殴れるものなら殴りたい。
「暴力はんたーい」
「……っ」
気配でも察したのか、こいつにはひとの心でも読めるのか。こういうところは察しがいいからよけいに腹が立つ。というかむしろ、この悪霊はひとを怒らせて楽しんでいるんじゃなかろうか。どうせ自分には何も出来ないと思って……。
「ふふっ」
ふと視界に入ったその笑みがあまりに楽しそうで、毒気を抜かれ、つい舌打ちしてしまう。
校門を抜け、足早に校舎へ向かいながら小声で話しかける。
「おい」
「わたしにはレンカっていう名前があるんですよ? はい、りぴーとあふたみー、まいねーむいず、レンカ」
「それはお前の名前だろうが」
あまりこいつと話している姿を他人に見られたくない。
「とにかく、お前はなんだかんだ言うが、俺は……」
少し考える間を置いて、
「〝一年生〟だ」
「……ほえ? てっきり三年生かと思ってました。意外です」
「背がデカいんだよ。それよりだな、俺は少しお腹を壊した。これから男子トイレに向かう」
「それは……」
さすがに訝しむような顔をされる。昨日今日の付き合いだが、諒真がわざわざそんなことを宣言してトイレに向かう人物ではないと思われているのだろう。
「そこで、だ。お前はまず一人で学校の中を回ってこい。俺はたぶん授業始まるぎりぎりまでトイレから出られない。今すぐにでも駆け込みたい。だからこうして話してる。ついてこられても困るからな」
「……とかなんとか言って私を追い払おうと……一応言っておきますけど! 自宅は押さえてるんですからね!」
構わない。せめて学校にいる間だけでもはこいつから離れていたいのだ。さすがに教室で悪霊と妖怪のふたりを相手するのはキツい。
「お前もまずは自分の足で探ってみろ。俺はトイレが終わったら教室にいる。授業中はさすがに相手できないことくらい分かるだろ? 来るなら休み時間だ。かといって、俺は鏡野の件で忙しくしてるからな」
「教室は一年……何組ですか?」
「二……三組だ」
「ほほう、分かりました」
「そういうわけだ」
校舎に入って靴を変え、レンカを追い払ってから実際に近くの男子トイレに入った。個室の中でしばし息を殺す。こういう時、レンカはまったく気配を感じ取れないから厄介だ。後ろにいても喋っていなければまったく存在感がない。
だが……思うに、あいつは単純だし、律儀というか責任感のようなものはある。はずだ。
まずは自分の足で探れ。こっちには
それでしばらくは姿を見せまい。何か収穫があるか、諦めるかしたらじきにやってくるだろうが――我ながら完璧だとほくそ笑みたくなる。
諒真は二年生だ。しかしレンカには一年生だと吹き込んだ。あの様子だ、信じているに違いない。おまけにクラスも二組だと言いかけて三組だというブラフを張った。彼女の反応からして、諒真のクラスが一年二組と思っただろう。
実際には、二年四組だが。
「……これでしばらくは自由だ」
***
――そのはずだったのに。
「やぁっと見つけましたよ諒真さーん!」
想定より早く彼女はやってきた。
「私を騙そうたってそうはいきませんからね!」
「なんで……」
騙されたと気付きこちらの所在を見失っても、幽霊だから壁とかも関係なく短時間で全教室を突っ切って確認することは出来るだろう。それにしても早すぎないか。そもそもこいつ、自分の足で探ろうとすらしていないのか?
「……記憶は」
「ぱっと見てきましたけどビビッとくるものがなかったので早々に諦めました!」
突っ込むまい。己が馬鹿だったのだ。
「……なんでここが分かった」
「一年生の教室見てきましたけどいなかったので、職員室できいてきました!」
「……授業までトイレって言っただろ」
「諒真さんが自分で作ったご飯でお腹壊すとは思えなかったので」
「……お前らのせいで胃に穴が開いたんだよ」
それなら学校でなく病院に行くべきだと突っ込まれる覚悟は出来ているが、これだけはちゃんと主張しておきたい。はっきり言ってストレスだ。
今だって、
「レンカさまー」
「鏡野さんご無事でしたか!」
「はいっ、もう聞いてくれますか、この人ってば――」
鏡が調子づく始末だ。
予期していた事態だが、周囲の視線も当然レンカに集まる。声が聞こえてなんとなく顔を上げたのだろう、さっきまで居眠りしていたのに注意もされなかった
教室に入る時こそ普通にやってきたが、レンカは机や椅子など構わず真っ直ぐこちらに近付いてきている。彼女には障害物など関係ない。みんな、その身体が物体をすり抜けている様を愕然として見つめていた。
中には我に返って携帯を取り出し、写真に収めたり動画を撮ろうとするものも現れて一瞬どうしてくれようかと思ったが、その件に関しては遊里から大丈夫だと言われていた。現に今も撮影した画像を確認して首をかしげている連中がいる。もう一度、とでもいうように再び携帯をかざした際に目が合ったので、一応睨みをきかしておいた。不本意ながらこれが効果的だという助言も受けていた。
どうやらレンカは霊感の類のないものでも視覚に捉えることができ、レンズ越しに確認することも出来る。しかし機械類に記録されることはないようだ。それは昨日実証済みで、写真にも動画にも彼女の姿は映っていなかったし、声も残っていなかった。
だから問題はないのだが――本人も今はあまり気にしていないようでもあるが、まるで彼女が見世物にされているかのようで不愉快だし、こちらにもその視線が向けられることに苛立ちが募る。
それに昨日、彼女は言っていた。
――なんかこういうの嫌ですね。
じゃあ目立つようなことをするな、という話だが。
「……あ、あのー、
「なんだお前、まだいたのか」
声がすると思ったら
「いたよ、最初からずっといたよ!」
「小さすぎて気付かなかった」
言梨はまた何か言い返そうとしてそれを堪えるように頬を膨らませた。
「それより……」
「あっ、すごい! 諒真さんにも話しかけてくれるお友達がいたんですね!」
「……お前ほんと失礼だな」
「と、友達じゃないよ……っ」
「ほえ……?」
意外だった。いや別に友達だと思っていたつもりはないのだが、てっきり言梨の方は勝手にそう思ってるものだとばっかり。地味にショックだった。
言梨は「あ」と、こちらの様子を窺う。
一方で、
「え? 友だちじゃないって……もしかして、こ、恋人? 彼女さんなんですかっ?」
「……へ? えっ、あっ、ちがっ……」
うろたえる言梨である。なぜかレンカがしゅんと暗い顔になった。
「……諒真さん、なんかその……ごめんなさい」
「うるせえよ」
「友達も恋人もいるわけないですよね……」
「お前いいかげん黙れ」
頭が痛くなってきた。
しかしこれも予期していた事態。耐えられるかはまた別の話だが。
「おい」
「何? 束原く――」「だから私にはレンカという名前が……」
二人の声がかぶる。顔を見合わせた。
「お前じゃない悪霊、こっちだ。まだ何か用があるのか」
用があるのだろう。言梨はレンカの方も気になるようだが、さっきから手鏡にもちらちらと視線を向けている。何か気付いたらしい。都合がいい。
プランBだ。
「考えたんだけどね、束原くんが意味もなく呪われた鏡とか学校に持ってくるわけがないと思って。何か……理由があるんじゃないかなぁ、と」
さすがクラス委員。察しが良くて助かる。鏡野だけでなく、ついでにレンカの方も気にかけているし、レンカの存在もまたこちらの抱える問題だと気付いてくれたようだ。
「もし事情があるんだったら……その、それ、わたしにも教えてほしい。何か、えっと、助けられるかもしれないし」
願ってもない申し出だ。というか、彼女ならそう言ってくれると思っていた。その好意のようなものを利用することには少し後ろめたさもあるが、結果的にはそれが悪霊と手鏡の問題解決につながり、自分に対して恩を感じているらしい言梨の気も済むはずだ。
ただ、今になって彼女を巻き込んでしまっていいものかという躊躇いも覚えた。
鏡野が有害でなくとも、自分が言梨とこれ以上関わりを持てば、周りの彼女を見る目も変わるかもしれない。
……いや、そんなもの今更か。
「これを見ろ」
言梨に手鏡を渡した。今度は鏡野も自分の役割を把握しているようだ。妙な悪戯などせず、鏡面に自らの姿を映して見せた。
「お前ら、あとは自分たちで説明しろ」
「ちょっ、そんな投げやりな……!」
鏡野の抗議など知ったことか。意思をもって喋ることが出来るのなら、自分の口で説明しろという話だ。
「俺はもう寝る。あとは任せた」
「束原くーん……」
机に突っ伏して完全に無視の構えをとる。「しょうがないですね……」と言いながら、レンカが言梨に鏡野のことを話し始めた。大人しく言うことをきくかだけが心配だったがなんとかなったようだ。
これで安心して眠れ――
「……うん、分かったよ束原くん。わたしみんなに聞いてみるね!」
何をだ、と思って顔を上げてみれば、言梨が手鏡片手に行動を開始した。
黒板の前に移動すると、レンカを見てひそひそと囁き合っていたクラスメイトたちに注目を促し『ものを映す以外の新しい用途』を募集し始めた。しかも単なる手鏡ではなく、鏡像に変化を見せる呪われた手鏡であることもそれとなく説明しているあたり、恐れ知らずというかなんというか。
これがクラス委員効果なのか。手鏡は言梨を離れてクラスメイトたちの手に渡っていく。興味本位で受け取ったものもいるだろうが、一応みんなして何かしら考えてくれているようだ。
不思議とこのクラスの生徒――いや、クラスというより街全体か。この街の住人は妙にオカルトに耐性があるようだ。視える、感じるという人間は多い。みんながみんなそうではないだろうし、半信半疑なものも当然いるだろうが、オカルト関係の噂は後を絶たない。だからこそ叔父はこの街に事務所を構えているらしい。
敏感過ぎる人間が多いせいで些細な異変に気付いて噂が生まれるのか、この街自体がそうしたオカルトを呼び寄せる、呼び起こすようないわくつきの土地なのか。分からないものの、とにかくこの街の住人は怪奇現象の類に寛容な傾向があり、今もこうして呪われた鏡に歓声を上げたりしながらも付き合ってくれている。
ただ、自分が説明してもこうはならなかっただろう。そもそも説明すら出来なかった。
これはひとえに、クラス委員である渦野言梨の人望だ。
その言梨は現在レンカと話している。ついでに彼女の問題も解決してくれればいい。レンカの相手をしている間は自分にも構うまい。昨日漠然と考えていた一石二鳥が実現されつつある。
鏡野は順調に教室内を回されていく。
が、なぜかこちらに戻ってきた。
「……回されてしまいました……」
「不気味なオーラでも感じ取ったのか……」
耐性があるとはいえ人それぞれ。鏡像の変化に驚いた誰かが元の持ち主である諒真のところに突き返したらしい。
「なんだかわたくしを見世物にして商売しようという話で盛り上がっています……」
当人は飾られたりといった観賞用にされるより、モノとして使ってくれることを望んでいるようなのでそういう扱いは不本意なのだろう。
「人気者だな」
適当に言って人の流れに戻し、その経過を見守ることにした。
「あ~れ~……」
それにしても、だ。
さっきからレンカを見つめる周囲の視線に気になるものがある。幽霊を見て驚いている向きもあるようだが――
(……こいつら、なんか知ってそうだな)
このぶんだと案外あっさり解決するかもしれない。さすがは叔父だ。
「どんなアイディアが出てくるんでしょうね? 諒真さん」
別にどう思われようと構わないのだが、レンカのような幽霊に名前で呼ばれていることで周りから好奇の視線を向けられ悪目立ちすることには抵抗があった。
悪目立ちといえば、さっきから例の目立ちたがり屋がこっちを睨んでいる。
「もうすぐ教師が来る。とっとと出てけ」
「えー、私とっても活躍したのにその態度って……」
「活躍したのは渦野であってお前じゃない。いいから失せろ」
「え? わたし活躍したかな……? えへへ……」
ふたり揃ってめんどくさいが――無視する。
「そんなことより、あのさ、束原くん……レンカちゃんって……」
言梨がレンカについて何か知っているような素振りを見せたが、どうでもいい。本人が自分で聞くだろう。ならもう自分が手出しするのは余計なお世話というやつだ。そういうことにする。
どっか行けと適当に手を振って机に突っ伏した。今は少しでも休みたい。
今は――少しだけ、落ち込みたかった。
***
周りの声を聞きながら、思う。
――自分ではこうもいかなかった。
それは単に人と話すことが苦手というのもあるが、それ以上に、束原諒真と、言梨を含めたクラスメイトたちとの間には大きな隔たりがあるためだ。
年齢という名の、どうあっても埋められない溝だ。
諒真は今年で十八になる。本来なら言梨たちより一つ上、先輩に当たる三年生のはずだった。
昨年のことだ。諒真はある事故――事件に巻き込まれ、半年以上ものあいだ意識不明の状態にあった。幸いこうして日常生活を送れる程度には回復し、今年度から復学することも出来た。しかし当然ながら諒真が入院している間も時間は進み、授業なんて受けられるはずもないから――復学した諒真は同じ学年をやり直す羽目になっている。
いわゆるダブりというやつで、周りはみんな年下なのだ。
ゆえに、隔たりがある。クラスメイトたちは復学してきた年上の同級生にどう接していいか分からず、それはこちらも同様で……周りからすれば諒真は年齢上、先輩にあたる相手であり、諒真にもその自覚があるから厄介だ。
社会に出ればそんなこと大したものでもない。だが、つい考えてしまう。自分が中学一年の時、言梨たち周りの同級生はまだ小学生――まだランドセルを背負っていたのだ。この差は微妙かもしれないが、小学生の中に混じって授業を受ける中学生の図を想像すればそのおかしさは嫌でも分かる。
恥ずかしいと思う。
どうして自分はこうなのだろう、と。
こうなってしまったのか、と。
気付けば自然とクラスの中でも浮いていて、もともと人相というか目つきが悪いらしく、寄ってくるものも言梨くらいだ。美依だって言梨が率先して話しかけてこなければ毎朝挨拶しにくることもなかっただろう。クラスの連中はまだしも、よく事情を知らない他のクラスの生徒たちや一年生などの間ではこの見た目のせいか、事件を起こして進学できなかったらしいという噂がまことしやかに囁かれ、不良扱いされている。だから今朝のようなモーゼ現象が起こったのだ。
まあ対人関係だけなら、誰のせいでもない、自分の努力不足。心情的に言いたくはないが自業自得というものだ。お互いの間にある溝を埋めることが億劫で、なすがまま、むしろ自分から人を遠ざけているのだから仕方ない。
しかし――霊感のようなものがあることはこの街では特別でないにしても、その上、親がいないことはどうか。両親ともに行方不明。それぞれ単品だけで見ればありふれた、自分でなくてもありえる状況だが――こうも重なってしまうと。
この複雑な事情を理解しろというのは難しい話で、それはきっと怪奇現象の存在を説明することと近しいものがあるように思う。
普通じゃない。
そんな自分がとても嫌いだった。
***
授業になるとさすがに教室も静まり返る。
結局レンカがうるさくて休むに休めなかったのだが、無視を続けていたからさすがに諦めたのか。今やすっかり大人しい。
……大人しすぎるくらいだ。
ちなみに、当のレンカは未だ教室に居座っている。
その弊害を誰より被ったのは、授業を担当している男性教師だった。
「あ、あー……」
「誰か、その……後ろにいる地縛霊っぽいものをどうにかしてくれないか!」
気になって授業に集中できないと訴える教師である。それはふつう生徒の台詞だろうに、思わずそう叫んでしまうくらいに精神を乱されてしまったのだろう。
振り返れば教室の隅、膝を抱えて周囲一帯に負のオーラを撒き散らしている正真正銘の悪霊がいる。恨みがましい視線がずっと自分に注がれていた。彼女に背を向けて授業を受けていたクラスメイトたちは何も感じてないようだったが、授業をしている方の教師は気になって仕方ないらしい。
最初こそ自分は無関係だと無視を決め込む方針でいたのだが、教師がこうなってしまうと周りから責任を追及するかのような視線がちらほらと。
席を立つ。
「……おい、ちょっとこい」
「はぁ……やっとお呼びですかー」
根負けしたようでひたすら不愉快だが、周りに迷惑をかけるのはいただけない。出来るなら引きずっていきたいくらいだったが、大人しくついてくるのでそのまま教室を出た。その間際、教師に頭を下げておいた。ほっと息をつく気配を背に感じた。
「…………」
自分もまた、この悪霊のように厄介者扱いされているのかもしれない。
ついそんな風に思ってしまって、遣る瀬無かった。
「諒真さんが私のこと邪険に扱うのがいけないんですよ」
廊下に出ると、不貞腐れた幽霊がこちらを睨んできた。
「諒真さん、私のことなんにも調べる気配ないじゃないですか」
「それはお前、先着順だ」
「同時進行可能だと思いますけどっ」
「……昨日も言ったよな。あっちは仕事で、お前はプライベートだ。俺は養ってもらってる身だから、与えられた仕事をこなさなければならない。調べてほしければ俺に依頼料を払え。そうしたらその金でお前のこと祓ってもらいにいくから」
「むう~……そんなんだから諒真さんクラスでも一人ぼっちなんですよ」
「うるせえよ。俺はこういう性格なんだ、嫌ならお前が消えろ」
そもそも自分が何かしなくても、言梨や他のクラスメイトに話を聞けばいい。
まあ、レンカがやたらとこっちに絡んでくる理由も分からなくもない。記憶喪失であるにもかかわらず、よく知らない学校にいきなり放り出されてはさすがに不安にもなるだろう。だから早々にやってきて、人の周りをうろうろしているのだ。馴れ馴れしく見えても案外人見知りなのかもしれない。
だが、
「諒真さんがそういう態度なら仕方ありません。私、放課後までずっと教室にいますからね! 諒真さんが言うこと聞くまでずっと居座りますから! 私、幽霊ですから? 何をどうやったって人の手では追い払えませんよ? いいんですか? 授業進みませんよ?」
こんな風に脅迫などしてくるやつのことなど知ったことか。
「勝手にしろ」
教師には我慢してもらおう。どうせいるだけでこいつには何も出来ないのだから。
「ちょっ、待っ……! 分かりましたから! 私、依頼料の代わりに働きますからそれでどうにか!」
「はあ……?」
「任せてください。コミュ障気味の諒真さんに代わり、この私が立派に鏡野さんの問題を解決します! そしたらちゃんと先着順、守ってくださいよ?」
***
そして授業が終わり休み時間になると、レンカは宣言通り働いていた。
「みなさんどうですか? 何か浮かびましたか?」
「浮かんでるのはそっちの方だと思うけど……」
「自分が鏡になったと思って必死に考えてくださいよ!」
とはいえ、やってることはアイディアの催促でしかない。その調子で自分のことも聞き出せばいいのに、どうしてわざわざ人を使おうとするのか理解できない。
「束原くん、あのさ……」
「……なんだよ今日は。まだ何か用があるのか」
「え、えっと……授業中ぼんやりしてたから、勉強とか大丈夫かなって……」
「俺を誰だと思ってる、ダブりだぞ」
「反応に困るよ……」
用件は何かと睨んだら、言梨はびくりと肩を揺らして小さくなり、上目遣いにこちらの顔色を窺うような素振りを見せた。
「その……あの子のことなんだけど――」
「何か知ってるなら本人に言え。俺は保護者じゃない」
眠気のせいだろうか、今日はやけに気が立っている自覚がある。お陰か口数も多く、さっきもレンカ相手に説明めいたことをしてみせた。ただ、自分の場合、口を開けばストレートな物言いというか、用件をそのまま告げるか悪態をつくかだ。これ以上言梨と話してはお互いにとってよくない結果を招くのは目に見えていた。
「……束原くん――」
次の授業まで間もないが、一時間くらいサボっても学業に差しさわりないだろう。注意されたら起きるが、それまでは少しでも休みたい。まだ何か言おうとする言梨に話しかけるなと視線で訴えてから、諒真は机に突っ伏した。
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