第5話 君に重ねる




               ***




「僕に提案があるんだよ。そこの彼女と鏡野きょうのさん、二人の問題を一度に解決しうる我ながらグッドなアイディアだ」


 柔和な笑みを浮かべる叔父を直視できず、思わず目を逸らしてしまった。そのまま現実からも顔を背けたかったが――どう足掻こうと、その提案とやらには自分が不可欠なのだろう。考えるまでもない。だってこの人、探偵は探偵でも、自分では動かない。いわゆる安楽椅子探偵というやつなのだから。


「簡単なことだよ。諒真りょうまくん、明日学校だろう? ならついでに、鏡野さんとその子を一緒に連れて行ってあげなよ」

「……はぁ?」


「見たところ、彼女は十代、中学生か高校生といった年代だ。なら、歳の近い子がいる学校で聞き込みでもすれば手っ取り早いと思わないかい? こちらで調べるにしても確実に見つかるとは限らないし、選択肢は多いに越したことはないからね」


 それに、と遊里ゆうりは微笑みを湛えながら、


「鏡野さんに関していうなら、学生たちの若い頭なら何か良い案を考え出すかもしれないしね。単純に新しい貰い手が現れてくれるだけでも解決するんじゃないかな。モノはやはり使われてこそ、だからね。話を聞く限りだと、どうやら鏡野さんはここ数年、美術品のように飾られ、鏡本来の役割を果たせずにいたそうだし……」


 つまり鏡野がこうもひねくれてしまったのには、鏡として使われずにいたことも影響している。だから彼女を鏡として扱ってくれる人間が現れてくれるだけでも彼女の心は満たされるのではないか――と、言いたいのだろうか。


 でも、それは……少なからず、自分が学校で同級生と接し、話さなければならない。レンカは放っておけばいいとしても、鏡野についてはもらってくれる人間を探し、一応その誰かが迷惑をこうむらないように事情も説明しておいた方がいいだろう。あとで返品されても困る。


 しかしそういうのは――


「面倒に思ってるかもしれないけど、楽がしたいなら、何もせずとも勝手に情報が入ってくる人脈づくりも一つの手だよ。警察のように地道で手間のかかる捜査をせずとも済むようになると思えば、クラスメイトと親交を深めるくらい大した手間じゃないだろう?」


 まるで心を見透かされたかのようで、なんだかとても気まずくて、こちらを不思議そうに見つめる悪霊と妖怪からさえも目を逸らしていた。


 分かるからこそ。

 叔父が自分を気遣ってくれているのが分かるからこそ、堪えがたい。

 その気持ちにうまく応えられない自分が歯がゆかった。




               ***




「――ふう」


 昨日のことを思い出していたからか、意識せず漏らした吐息は重たかった。


「……なんとかしたいんだけどな」


 しかし、具体的にどうしよう。


 自分の席に座り、机の上に置いた手鏡を覗き込む。中では着物姿の少女――鏡野がどこか落ち着かなげにしている。わざわざこっちから話しかけてやっているというのに、この妖怪はさっきから応えようとしない。気まずそうに視線を逸らすばかりで、たまに返す声も小さくて聞き取りづらい。昨日の威勢というか遠慮のなさはいったいどこへいったのか。


「……お前、まさか緊張してるのか?」


 ここが事務所でも諒真の私室でもなく、登校してくる学生たちでにぎわう朝の教室だからか。諒真の席がちょうどその教室の真ん中に位置しているせいか。


「…………、」


 ぼそぼそしていて聞き取れない。


「たく……。俺はお前のためにどうしようかっていろいろ考えてるっていうのに、お前も少しは何か考えたらどうだ。無駄に百年以上生きてないんだろ」

「ひ、百年とはいっても……それだけの時を経たから〝わたくしという意識〟が生まれたという意味であって、別にわたくし自体はそれほど長くは……」

「でも鏡自体は百年以上の時を経てて、お前はその鏡なんだから、つまり……中身は幼いが、身体の方は年寄りってことか」

「あの……その言い方、なんとかなりません?」

「老朽化してるとでもいえばいいか」


 しかし百年以上も使われ続け、もち続けたというのは少しだけ感心する。さぞ大事に扱われてきたのだろう。だからこそこうして意思が宿ったわけだが。百年というからには戦争も乗り切った、中身はどうあれ、とても貴重な代物だと思う。


「そ、そんなことよりですね……」


 鏡の中の鏡野が周囲の様子を窺うような仕草を見せる。思えば先ほどから何やらこそこそ囁き合っている連中が目につく。まだあまり登校してきていないから教室はがらがらで、だからこそ真ん中の席にいる諒真は目立っているのだろう。そして鏡野はこれでも周囲の視線を感じて緊張しているのかもしれない。昨夜はあんなだったが、こうも大人しいと可愛げもある。


「気にするな。中には視えるやつもいるかもしれないが、普通のやつからすればお前はただの鏡だ。依頼主の人もそうだったんだろ? お前が意識的に何かしでかさない限り、鏡の中の変化にだって気付けない」


 生憎とそのお孫さんの方には霊感のようなものがあり、昨夜のように鏡から出ていた鏡野の姿を見つけてしまったらしいが、今はそんなこともしていない。机の上に置いているからわざわざ鏡面を覗き込みでもしなければそもそも鏡の中の彼女を見ることも出来ない。こちらに近付いてまで鏡を気にするクラスメイトもいないし、傍から見れば諒真がただ手鏡に向かって話しかけているだけにすぎない。


「それが問題なんですよ!」

「……何が問題なんだよ」


「あなたが! 男性であるあなたが手鏡を見つめて、あまつさえそれに話しかけていることが! です!」


「…………」


「恥ずかしくないんですか! わたくしは恥ずかしいです! あなたのこともそうですけど、わたくしもまた酷い羞恥に駆られています! こんな恥ずかしい人と一緒にいるなんてとてもじゃないですが耐えられ――」


「割るぞお前」

「ひぃ……っ!」


 さっきまでの感慨が消し飛んだ。


「あ、あのー」


 と、思わず鏡面に拳を叩きつけそうになった、そんな時だった。


束原つかはらくん、ちょっといいかな……?」

「なんだよ」


 両手で頭を庇うようにしている鏡野から視線を上げると、机の前に困惑したような表情を浮かべている人物がいた。


 高校の教室には些か似つかわしくないとさえ思える小柄な体格で、頭身も他の女子と比べると頭一つぶん低い気がする。地味な印象を覚える茶色がかった黒髪に、額を見せるように留めた赤いヘアピンが小さなアクセント。最近髪を伸ばしていて、後ろで少しだけ束ねているようだ。小さな手でその髪をいじりながら、クラス委員の渦野かの言梨ことりは何か言いづらそうな様子でこちらを上目遣いに見つめている。


「絡むな。友達いなくなるぞ」

「大丈夫だよ。それに、こんなことで離れていくような人はそもそも友達じゃなかったんじゃないかな」


 舌打ちしそうになるのを堪えて、諒真は彼女から目を逸らした。こうして座っていると、立っている言梨と同じ目線になってしまう。こちらの機嫌を窺うような曖昧な笑みに居心地の悪さを覚える。


「えっとね……あのさぁ……わたしクラス委員だから、こう、友達いない束原くんのためにね」


 率先して声をかける誰かが必要という話は前にも聞いた。


「クラス委員としての評価がほしいんなら俺じゃなく、ほら、そこの玖純くすみとかに話しかければいい。あいつも一人だろ、いつも」


 手鏡本来の用途を活かし、教室の隅の方の席にいる少女の様子を確認する。今朝も彼女は他者を寄せ付けまいとするかのように突っ伏し、机の上で死んだように眠っていた。ああいう集団行動から外れるタイプこそ気にかけるべきだろう。


「玖純さんはその、ああやって自分から一人になろうとしてるけど……束原くんは事情があるから。いろいろあって……みんな話しかけづらいだろうから」


 それを言うならこちらとて同じだ。一人になりたいのだから話しかけてこなくてもいい。


「余計なお世話だ」


 しっしと手を振って追い払おうとすると、彼女は何か言おうとしてそれを堪え、結果として不満そうに頬を膨らませていた。見た目だけじゃなく中身も子供っぽい。毎日毎日ほんとにうとましい――と思いかけて、今日は彼女の存在に少し感謝しそうになった。


 そうだ、こいつがいる。


 早速思いつきを行動に移そうとしたところで、またもやこちらに近付いてくる人物がいた。あまつさえ、声までかけてくる。


「おはよう、束原くん。今日も相変わらずの仏頂面ね! そんな顔見てて何が楽しいのかしら」


 今朝もまたモテるな、と半ば自嘲的になりながら振り向くと、どこかの誰かと違って背も高く胸もある少女がその見た目によく似合う不敵な笑みを浮かべていた。クラスメイトの観詰みつめ美依みいだ。ふわふわとカールした茶髪を片手で払ったりと、さっきのクラス委員といいやたらと髪をアピールしてくる。


「……おはよう」


 見れば、先週より髪が若干短くなっているような気もするが、大した変化でもない。だから挨拶に挨拶を返しただけで特に何も加えず、向こうもそれだけで去っていったので視線を切った。するとどうか。目の前の委員長がいっそうむくれていた。


「……観詰さんには挨拶するのにわたしには何もない……むしろ邪険にされてる……」

「そりゃあ、お前からは挨拶されてないから」

「あっ、じゃ、じゃあ挨拶するっ、しますっ、させてください! おはよう束原くん!」


「……ああやって目立ちたいがために挨拶してくるヤツもいる」

「? あれ? 返事がないよ?」


 観詰美依は単なる目立ちたがり屋だ。こちらに気があるわけでも、当然親しいわけでもない。クラスでも浮いていてほとんど腫れ物扱いされている諒真に声をかけてくるのも、どんな形であれ目立ちたいがためだ。それが悪目立ちとなっていることに本人が気づいているのかどうか。あるいはそれでも注目さえ集まればなんでもいいのか。


 毎朝声をかけられ嫌味を言われるこちらとしてはいい迷惑だが、先週は不思議と静かだった。てっきりもうやめてくれたのかと思っていたのだが、そういえば風邪か何かで休んでいたような気もする。正直どうでもよかった。


「わたしに挨拶……」

「お前に挨拶しなきゃ学校にいちゃいけないのかよ。なんだよお前、番長かよ」

「え、ちがっ、ていうかどちらかというと束原くんの方が番長っぽいよね」


 このクラス委員はどうだろう。背が低いから目立つことに固執しているのだとしたら同情もするが、まさかそういうわけでもあるまい。


 こちらは美依と違って厄介だ。

 一度でも餌をやると野良猫が家に寄り付くようになるのと同じ理屈だと諒真は捉えている。

 なつかれた……とは、あまり思いたくない。餌をもらえるから寄ってきているだけだろう。とはいえ特に何もあげていないのだが、むしろ押し付けられているのだが、いずれにしても面倒臭い。


 とりあえず適当に相手していればいつもしゅんとなって去っていく。そのたびに嫌な想いをするのだが、時にはホームルームまで粘るしつこさもあるから、レンカみたいにあまり堪えてはいないのだろうとも思う。

 普段なら本人が言うように邪険にしてやるのだが、今日はそうもいかない。むしろ本日ばかりは歓迎したい心持ちだった。


 その前にまず、さっきから何か言いたそうにしている彼女の用件から消化してしまおう。何か用かと訊ねると、言梨は気まずそうにしながら、


「用っていうか……その、束原くんがさっきから鏡に向かって何かぶつぶつ言ってるからさ……みんな気にしてるよ……?」


 言われて教室を見渡すと、何やらこちらを見てひそひそ話していたクラスメイトたちが途端に静かになった。目が合うと何事もなかった風を装うとするが失敗し、ロボットじみたぎこちない足取りで逃げていく生徒もいる。あまりに露骨な彼らの反応に思わず苦笑してしまった。どれだけ怖がられているんだか。


「……少しは周りを意識してください……」


 鏡野がつぶやく。別に周りからどう見られようと構わないのだが、それで鏡野が黙り込み仕事に支障をきたすというのなら、少しくらいは注意した方がいいのかもしれない。だが、これも余計なお世話だ。


「……わたくしのせいで諒真さまの世間的な評価に傷がつくというのは、その……少し、いただけません」

「鏡の分際で人間さまを気遣うなよ。本当に気遣うつもりがあるんなら、お前は自分のことだけ考えてろ。そしてさっさと俺の前から消えてくれ」


「ね、ねえ束原くん……? それでまた、どうして言ったそばから鏡に話しかけてるのかな……? わたしの印象が間違ってなければ、束原くんはそういうキャラじゃなかったと思うんだけど……」


 愛想笑いが引きつっている。それに構わず、諒真は彼女に手鏡を押し付けた。


「渦野、たしかお前の誕生日って今日だったよな。奇遇だな。プレゼントやるから受け取ってくれ」

「え? え? プレゼントは嬉しいんだけど、わたしの誕生日まだまだ先……」


「ちょっ、ちょっと……! 適当にわたくしを押し付けないでくれますか……!」


「あ、あれ……? 今どこからか声が……」

「……やっぱりこいつには聞こえるか」


 ならちょうどいい。事情は鏡野自身から説明させよう。だいぶ手間が省ける。諒真はこのとき初めて、自分に絡んでくるクラス委員の存在に感謝した。出逢えた記念に何かプレゼントを贈りたい。


「というわけで、これをやろう」

「時期的には中途半端っていうか、普通は一ヶ月とかそういう節目にするものなんじゃないかな……」

「細かいことなんか気にするな。じゃあ……そうだな、いつも話しかけてくれてありがとう、これやるからもうやめてくれ」

「て、手切れ金……?」


 自分にしては珍しく笑顔らしきものを浮かべあの手この手で手鏡を押し付けようとしてみたのだが、そのたびにどこからか上がる抗議の声を聞きつけた言梨の不信感は募り、とうとう押し返されてしまった。


「なんか不気味だからいい」


 やっぱり感じる人は感じるのだろう、この手鏡は呪われてるようだ。


「……使えないやつ」

「今なんかひどいこと言われた気がする……!」


 そこでふと、叔父から言われたことを思い出した。


(人脈づくり、か。作れる気はしないけど……こいつとは多少なりとも縁があるし、せっかくだからそれを有効活用してみるか)


 言梨自身に拒否られても、彼女を通して誰かの手に渡ることも充分ありえる。諒真は端的にこの手鏡をもらってくれる人を探していることをなんとか説明し、言梨に半ば押し付ける形で手鏡を受け取らせた。


「へ、へえ……なんだか高そうな鏡だけど、ほんとに人にあげちゃってもいいの……?」

「うちに置いてても仕方ないからな。知ってるだろ、うちの叔父は身だしなみとかを気にする人じゃない。鏡があってもなくても変わらないんだ。それじゃこの手鏡が可哀想だからな、誰かの手に渡ってきちんと使われてほしいと俺は思ってる」


 厄介事を一つ片付けられるかもしれない期待からか、それとも不本意ながら言梨と話すことに慣れてきたからか、普段の自分よりも饒舌に嘘をまくしたてることが出来た。


 押し付ける時に手を握ったせいなのかなんなのか、言梨は少しぼうっとした顔で話を聞いていた。しかしふと我に返ったように手元の鏡に視線を落とし、


「あれ? え? 今の何? なんか……うわっ、なんか束原くんがいつもより饒舌だと思ったらやっぱりこれ呪われてる鏡とかそういうやつだ! ダメだよこんなもの人に押し付けたりしちゃ!」


 押し返されてしまった。


「この野郎……せっかくの、またとない機会を棒に振りやがって……」

「だってこの人、わたくしのこと不気味だとおっしゃいましたもの」

「実際不気味なんだから事実だろうが。頭の悪い鏡め。こいつを使えば俺がやるよりはるかに効率的にことが運んだかもしれないのに……せっかくひとがお前のためを想ってやってたっていうのに」

「そ、そんな考えがあるとは露知らず……! なんとか弁解してください諒真さま! わたくしの名誉のためにも、わたくしは安全な鏡なのだと……!」

「…………」


 弁解しろ。そう言われた途端にさっきまでの気力が失われていくのはなぜだろう。もはや言梨なんてどうでもよくなってきた。


 そもそも理解させること自体むずかしい。鏡野について説明するにしても、まずは九十九神つくもがみとは何かという話からしなければならないし、果たして自分ですらすぐには受け入れられなかった鏡野の要望を理解してくれるかどうか。そこを納得させるだけの話術があればよかったのだが、生憎と諒真にはハードルが高い。しかも鏡野の馬鹿がやらかしたせいで言梨の警戒も高まっている。到底不可能に思えた。


 さっさと厄介払いしたかったからか今日は言梨に対しても口がきけたが、彼女にも指摘された通り、自分はこんなキャラじゃないし普段はこうも饒舌じゃない。


 ……最初から無理だったのだ。

 諦めよう。なんだかどっと疲れてきた。


 思えば昨夜は結局一睡もできなかった。腹から他人の腕が飛び出していたら嫌でも後ろに誰かいることを意識してしまうのだ。


「……もういい。どっか行け。眠いんだ。学校でくらい休ませてくれ……」


 鏡を覆い隠すように突っ伏した。


「ちょっ、諒真さまっ? 近い、近いです顔がっ」

「うるせえ、叩き割るぞ」

「えげつない……ッ!」


「束原くーん、学校は勉強するところであって居眠りするところじゃないんだよー? ねえ聞い――て、あ、あれ?」


 頭上から聞こえていた言梨の声に戸惑いが混じる。なんだか嫌な予感――というか、誰か来たのだろうと直感した。


 この学校で束原諒真に声をかける人物は三人いる。三人しかいない、ともいう。

 他にも、用があれば話しかけてくる生徒はいるし、教師だっている。だが毎日、特に毎朝決まってやってくるものが三人いるのだ。


 一人は目立ちたいがために挨拶してくる観詰美依。こっちは朝の挨拶だけで以降はあまり絡んでこないが、もう一人の渦野言梨は厄介だ。クラス委員という役職を盾にしてことあるごとに世話を焼こうとする。恩返しか何かのつもりなのだろうが、はっきり言って迷惑だ。


 しかし三人目。こちらは他の二人とはわけが違う。

 意味不明なのだ。


 ――ぱしゃり、と。


 顔を上げた直後、目の前に突き出された携帯電話から眩しいフラッシュが襲ってきて、シャッターを切る音が聞こえた。


「くっそ……なんなんだよッ」


 これはなんだ。いじめか、いじめなのか。


 突然の光に目を奪われ、一瞬何も見えなくなる。不機嫌そう、などと人相が悪いことに定評のある顔がもっと酷いことになっているだろう。

 視界が徐々に回復してくると、自分を見下ろす無表情がそこにはあった。


 何も感じていないかのような無機質さと、何も考えていなさそうな無邪気な天然さが同居した滅多に変化を見せない表情で、彼女は無断で撮影した写真を確認して首をひねっていた。

 見た目だけなら並み以上の容姿をした少女だ。クラスでも珍しく腰まで伸ばした長くてつやのある黒髪の持ち主で、押しのけられて隣で小さくなっている言梨と比べればすらりとして背が高く見えるが、諒真よりも身長はやや低い。


「お前……」


 思わず口を開きかけるも、かけるべき言葉が思い浮かばず言いよどんだ。相手を睨みつける。こういう反応をしてしまうから周りに敬遠されるのだという自覚はあるが、相手がそういう反応をさせるような人物なのだから仕方ない。


 普通にしていればきっと今頃、人気者というほどでなくてもそれなりの交友関係を持っていたはずだ。しかし、なんの前触れもなく突然ひとを写真に撮ったりといった奇行や、その独特な雰囲気から彼女の周りには誰も寄り付かない。クラス委員が相手すべきはむしろこういう生徒ではないかと思う。


 あるいは、普通にしていても彼女には誰も寄り付かなかったかもしれない。

 なぜなら、彼女の名前は――束原つかはら緋景ひかげ、という。


「…………」


 彼女は携帯からこちらに視線を向け、それから……笑みのような、ぎこちない表情の変化を見せた。


「おはよう」

「普通そっちが先だよね!」

「……お前その写真どうする気だよ」


 言梨の突っ込みを無視してそれとなく携帯を仕舞おうとする緋景を見咎めた。

 すると彼女は悪びれた様子も、何か後ろめたいものがあるような素振りもなく、


「経過観察」

「……は?」


 それだけ言って、ちらりと机の上の手鏡に目を向けるも、これ以上絡むでもなく自分の席にいってしまった。


 美依同様、基本的には朝の挨拶以外に接してくることはない。たまにこうした奇行を見せ、ふと気が付くとこちらにジッと視線を注いでこそいるが、言梨のように積極的に絡んではこないから放っておけば問題ない。

 ない、のだが……。


 なぜかとても、いらいらする。

 その理由に心当たりはあるが、本人に直接問い詰められないから余計に気分が悪い。


「ね、ねえ束原くん……? もしかして、その……束原さんにストーカーとか、されてたりしない……? 風の噂に聞いたんだけど、束原くん昨日、女の子と一緒だったって」


 休日に諒真などが女子と一緒にいるなんてありえない、だからそいつはストーカーなんじゃないか……とでも、こいつは言いたいのだろうか。言梨が言ってるのは恐らくレンカのことだろうから、たしかにストーカーのようなものではあるが。


「それにしても、朝から人気ですねぇ。道理で昨夜はわたくしの誘惑に屈しなかったわけです。性格の割に案外遊んでらっしゃ――」

「お前、今度俺の許可なく喋ったら欠片も残さず滅茶苦茶にぶっ壊してやる」

「おっ、おかされる――!」


「え? えっ? わたっ、わたし?」


 自分に向けられた言葉かと勘違いしてうろたえているクラス委員がいたが、それでこいつらが黙るなら一石二鳥だ。


 とにかく、昨夜は一睡もしていないし今朝はやかましい悪霊と妖怪の相手、教室では毎日のこととはいえクラスメイトたちとの関係に悩まされるし――極めつけはあいつだ。束原緋景。言梨の前で暴言を吐いてしまうくらいにはストレスが溜まっている。


「失せろよ。せめて授業までは――」


「やぁっと見つけましたよ諒真さーん!」


「~~~!」

 今度はお前か。


 周りの注目を集めながらとうとう現れた悪霊の声を聞き、諒真は本気で頭を抱えてしまった。



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