第3話 束原(名ばかりの)探偵事務所




               ***




 商店街や住宅街といった賑やかな地区から少し離れたところにある、ひと気のない静かな通りを進んでいく。

 諒真りょうまはそれとなく後ろに目を向けた。まだ、ついてくる。


「…………」


 しかし先ほどまでの騒がしさはなく、どこかしょんぼりした様子で、今になってようやくいかにも幽霊らしい雰囲気を醸し出している。


 そんな姿を見せられると年下に弱い諒真としてはいたたまれない。きっかけが自分のせいであればなおさらだ。何か言葉をかけた方がいいか。そうは思うのだが、何を言えばいいのか分からない。相手が生身の人間なら良かったが、生憎とお互いに触れることはかなわない。


 ……これだから嫌なんだ。

 それがたとえ生身の人間であろうと、そうじゃなかろうと。

 他人とかかわるのは、苦手だ。


 うまく話せない自覚がある。些細な言葉が相手を傷つけてしまわないかと不安で、かといって飾ったりオブラートに包んだりといった器用なことが出来ない。だから何か言おうとすると本音しかなく、自分の本心を打ち明けることに抵抗があるなら黙るしかない。そうなると、口を衝く言葉は大抵が悪態だ。


 こんな自分が嫌になる。

 昔からそうだ。ずっと独りでいたせいか、他人と関わる能力に欠陥がある。話すことに慣れていない。人間関係の構築が苦手だ。


 幽霊じゃなくても、意思があり会話のできる存在と接することは諒真にとってハードルが高い。

 今だって、そのせいで彼女は沈黙している。


「…………」


 小さく、気付かれない程度にため息を吐いた。意識的に、悪いものを吐き出して気分を切り替えるために。


 ふと顔を上げると、進行方向、自宅兼〝事務所〟である寂れた印象を受ける二階建ての建物から、我が家の雰囲気とはまったく似つかわしくない年配の女性が現れた。気品を感じさせる和装姿をしているものの、今はどこか疲れた顔をしている。うつむき加減で歩いていたが、近づくとこちらに気付いて小さく会釈をした。知り合いというほどではないが、顔は知っている。すれ違いざまに小さく頭を下げ返した。


「今の誰です? 知り合いですか? きれいな人でしたねー!」


 さっきまでの暗さが嘘のようだ。気にかけて損した気分になる。


「……はぁ」

「ため息ばかりついてると幸せが逃げるって言いますよ!」

「じゃあお前は貧乏神か何かなんだな」


 あるいはひとの幸せを吸い取る系の悪霊なのか。まあどちらも似たようなものだ。

 そんなものを引きつれて帰宅するのには抵抗もあるが、これ以上自分にはどうしようもないという諦めの方が勝った。


 自分にはどうにか出来なくても、叔父ならなんとかしてくれるかもしれない。

 今までだってそうだった。それがこの幽霊のためにも、ひいては自分のためにもなる。

 なるべく手間をかけたくないと思って努力してみたが、仕方ない。


 諒真は何度目とも知れないため息と共に、自宅の扉に手をかけた。




               ***




「やあおかえり諒真くん、思ったより遅かったね」


 自宅の一階は叔父の営んでいる探偵事務所になっていて、その応接間に入ると待ちわびたとばかりに早速声がかかった。

 そちらを見れば、叔父である束原つかはら遊里ゆうりがソファでくつろぎながら、見慣れない手鏡を磨いている。


「ところで今日の夕飯は? お金入ったから何か美味しいものが食べたいんだけどね」


 まだ二十代くらいにしか見えない若い顔立ちをしているが、銀縁の年寄りくさい眼鏡をかけているし、手入れのされていないぼさぼさの髪は色素を抜いたかのように白い。滅多に外出しないため青白く、そのせいか毎日同じ甚平を着ている気がする。正直、甥からするとあまりひと様に紹介したくないような叔父である。


 そんな叔父は柔和な笑みを浮かべ、持っていた手鏡を目の前にあるテーブルの上にそっと置いた。テーブルには他にも年季ものらしい木箱や紫色の風呂敷包みがあった。諒真が出ていった時にはなかったものだ。


「いや、これから何か買ってこいってか。いま帰ってきたばかりなんだけど。……冷蔵庫にあるもので何か作るから」

「出たついでに買い物してこなかったのかい? お客さん来たからてっきり言わなくても奮発してくるだろうと思ってたのに、気が利かないねぇ」

「お客さんって……儲かるような用件だったのか?」


 テーブルを挟んで向かいにあるソファに座り、諒真はさっきまで叔父が手にしていた手鏡を顎で示した。十センチからそこらといったサイズで、派手すぎないほどの装飾が上品な印象を与えている。骨董品というほどではなさそうだが、それなりに年季が入っていそうだ。そばにある木箱はこの手鏡を収めていたものだろう。

 察するに、さっきの女性が持ってきたものか。お客さん、つまり依頼人だ。依頼の内容は聞いていない。彼女が来たのと入れ違うように、諒真は叔父に言われて商店街へ向かったのだ。結局自分を巻き込むくせに、叔父はいつも依頼内容を直接は聞かせてくれない。


「儲かったというほどでもないけどね。お菓子はもらったよ。和菓子、高級」


 叔父は子供じみた声を上げながらテーブルの上の風呂敷を開いた。


「で? その手鏡は?」

「なんでもね、鏡に映った鏡像が、実物とは異なる動きをするらしいよ」


 促され、手鏡に手を伸ばす。見た目より重量があり、重たいというほどではないが高級感を感じさせる。試しに鏡面を覗き込んでみると、ふつうの鏡と変わらずそこにはつまらなげな、胡散臭そうな表情をした自分の顔が映っていたが――


「あ! ようやく笑いました!」

「笑ってねえよ」


 実物に反して、鏡の中の自分の顔が満面の笑みを形作る。ひたすら不気味で思わず放り投げそうになったが、依頼品なので無下にも出来ない。鏡に映った背後霊が嬉しそうに両手を上げている。


「とんだオカルトアイテムだ」

「そうだね、髪の伸びる人形とかと似たようなものだよ」


「――そんな不気味なものと一緒にしないでくれますかっ!」


 叔父と話していると、どこからか抗議の声が聞こえてきた。


 手鏡に視線を戻すと、そこにはもはや自分の顔ですらない、まったくの別人の姿が映り込んでいる。黒髪に、すみれ色の着物をまとった十代くらいの少女だ。座敷童がいたらこんな感じだろうか。


「……これは……?」


 本格的に気味が悪くなってきたので手鏡をテーブルに戻した。まるで映像のように、鏡面の中で少女が動いている。


「それは恐らく『九十九神つくもがみ』と呼ばれるものだろうね。人の世で長い時を経た器物が己の意思をもった存在。年を重ね、様々な人の想いを受けて生じたものだ」


 日本には〝八百万やおよろずの神〟という考え方がある。簡単に言えば、どんなものにも魂が宿るという思想だ。


 それは物体が己の意思を発露する場合と、死者の魂が生前に縁のあった物体に宿る、という二つの解釈が出来るわけだが、今回は前者のケースなのだろう。前者を『九十九神』、死者の魂が憑くことから後者を『憑喪神つくもがみ』という。

 とはいえ、前者の方も結局は死者の魂による産物なのかもしれない。

 実際、そもそも人としての姿形を持たないはずの前者の場合でも、この手鏡のように人前に現れる際に少女の姿をとるのだから。


 その姿はどこから来たものだろうという興味こそあるが、特段知りたいわけではない。自衛や仕事のために知識として持っているだけだ。


「で、そんなものがなんでうちに。その妖怪をどうにかしてほしいとか、不気味だからうちで預かってほしいとか、そういう用件なのか?」

「妖怪って言うのやめてくれません?」


 鏡が何か言っている。気にしたら負けだ。


「それがね……」

「?」


 いつも飄々としてどこか能天気で、常に笑みを絶やさないような叔父が、珍しく疲れたようなため息を吐いた。


「この手鏡はある家で家宝のように代々受け継がれてきた代物なんだけどね。今回のお客さん……明日野あすのさんというんだけど、彼女の娘さんが孫を連れて実家に帰ってきていて、そのお孫さんが――」


 ある日、見えない何かに向かって話しかけていたらしい。


「わたくしは将来あの子のものになるのですから、未来の持ち主と接するのは当然のことです」


 それだけでもふつうの人からすれば不気味で子供の将来を心配するには充分な要素かもしれないが、諒真からすれば些細な問題だ。こんなことで相談に来るものだろうかと思っていると、案の定、


「――寝込んでるらしいんだ」


「呪いのアイテムか」


 引いた。


「その侮蔑するような目をやめてくれます? 何度でも言いますが、あの子が倒れたのはわたくしのせいではありません!」

「……本人の証言ほど信用できないもんはないな」


 人間だって無自覚に相手を傷つけていることがある。しかもこいつは常識の通用しない九十九神だ。本人にその気はなくても、触れる人間になんらかの悪影響を与えていないとも限らない。


 遊里が苦笑する。


「本人もそう訴えているし、実際お医者さんが言うにはただの風邪らしいんだけどね。まあ、あれだよ。こういう代物があると、何か良くないことが起きた時にそれと関連付けてしまうものだから」


 本当にそれだけだろうかと訝ってしまうのはやや偏見が入っているせいか。


「というわけでお客さんはこの鏡をどうにかしたいと思ってるわけだね。この鏡のせいで孫が呪われてしまった……と、考えてる。だからどうにか呪いを解いてほしいという依頼だったんだけど」


 鏡の方は自分ではない、自分は呪ってないと訴え、事実風邪だと診断されたのだからこれは単なる偶然で、言ってしまえばこちらにやることはない。こういう件にありがちだが、依頼主が「自分の話を信じてくれていない」とか「こんなところは信用できない」と言って話がこじれることもなかったらしい。

 それなのになぜ叔父がこうも疲れた様子なのかといえば、


「お客さんは納得して、でも不気味だから預かってほしいということになった。こちらとしてもそれで構わなかったんだけどね、」

「どうしてわたくしは何もしていないのに、実家を離れねばならないのですか!」

「……とまあ、こんな調子でね。お客さんはよくても、こっちの方が駄々をこねて」

「当然の主張です。わたくしはあの方が生まれるはるか以前からあの家におりました。それがどうして――」


 遊里が手鏡を取り上げ、鏡面を下にして木箱に収めた。くぐもった抗議の声が聞こえてくる。


「困ったことに、お客さんには〝彼女〟が視えなくてね。鏡像の変化こそ確認できるんだけど、常にその女の子の姿が見えるわけじゃない。当然〝彼女〟の声も聞こえないから、僕がずっと代弁してて――はぁ……」


 重いため息だった。

 道理で珍しく疲れている様子なのか。口論にでもなったのだろう。


 思えば、諒真が事務所を出て既に何時間か経っている。依頼主はついさっき帰ったのだから、それなりの時間ここにいたわけだ。依頼の相談には一時間もかからないだろうし、素人といってもいい依頼主に九十九神やら何やらの説明をする時間を足してもまだ余りある。加えて、うちも一応客商売だ。手鏡の言葉をただ代弁しては依頼主の機嫌を損ねかねないため、遊里は両者の仲裁役も果たしていたのだろう。他人とのコミュニケーションを苦手とする諒真的には想像するのも耐え難い。

 普段だらしない姿ばかりの叔父だが、こういう時は素直に尊敬する。


「一応、うちで預かるってことで決着したよ。まあ、所詮はモノだからね、持ち主の意向には逆らえない」


 大人しくなったからか、遊里は手鏡を表にしてその鏡面を覗き込んだ。


「……いくら持ち主とはいえ、わたくしの半分も生きていないあの方の言うことをなぜ聞かねば……」

「でもね、処分をされなかっただけマシじゃないかな。そうしたただけでは解決しないんじゃないかとお客さんが思ってくれたから、君は生き延びたとも言えるよ」


 鏡は不服そうにぶつぶつ言っているが、たしかに所詮はモノだ。結局のところ何を言おうが関係ない。こちらがどうしようが、鏡にはどうしようもないのだから。

 ……まあそれは、自分と後ろにいる幽霊の関係にも言えることだが。


「ところで……」


 と、今まで黙りこくっていて存在感の欠片もなかったそのレンカが身を乗り出してきて、テーブルの上の手鏡を覗き込もうとするようにしながら口を開いた。


「どうしてそんなものがここに持ち込まれるのですか? 諒真さん」

「……いつの間に俺の名前を……」

「それはね」


 遊里は大して気にした風もなく、


「うちは探偵事務所を営んでいてね。浮気調査とか迷子のペット探しとか、そういうふつうの探偵っぽいことをしながら、たまにこうしたいわくつきの品や怪奇現象の調査も請け負ってるんだよ。むしろそっちが本業かな」


 なるほどなるほどと何に納得したのかレンカは頷いて、


「やっぱり諒真さんが私を幸せにしてくれる人だったんですね!」

「今の話をどう解釈したらそうなる」


 言いたいことは分かるような気もする。だが、その話はあとだ。今は私事より仕事――


「いいよ、その子のことを話してごらん」

「……いや、でも……」

「まずは問題を出し尽くしてしまおう。案外ふたつまとめて解決できることもあるかもしれないしね」


 叔父がそう言うので、諒真は遠慮なく、この数時間の苦労話を打ち明けることにした。




               ***




「――で、結局この鏡はどうするんだよ」


「そうだね、名前がないと不便なこともあるし、とりあえず『鏡野きょうのさん』と名付けたよ」

「いや、名前とか別にどうでもいいんだけど……」


 依頼主が『明日野』だからとか、そういう理由からだろうが、別に『鏡』でも不便はないと思う。


「うちは神職じゃないから、お祓いなんて出来ないしね。やれることと言ったらお蔵入りくらいかな。でもそれはあんまりだ。考えてもみなよ、彼女には意思があるんだから」

「意思があろうとなかろうと、倉庫に突っ込んでそれで解決するんならいいじゃないか」

「あなたには血も涙もないんですか!」

「知るかよ」


「でもね諒真くん、もしも君が彼女の立場だったらどうだろう? なすすべもなく手足を拘束され発言の自由すら奪われ、薄暗くて湿っぽい倉庫に突っ込まれて二度と日の目を見ることもない。自分のやりたいことも出来ず、せっかくの一生を無為に費やすしかないという絶望の中で――、」

「分かったから、もういいからっ」

「分かってくれましたか。では――」

「処分しよう」

「鬼! この悪魔! 血も涙もないどころか、あなたには心がない!」

「うるさいな。飼い殺しにされるくらいならいっそ……という人間様の慈悲だ」


 まあまあと遊里に諌められ、まだ何か言い募ろうとしていた鏡が大人しくなる。


「九十九神は〝依代〟となる品物を壊せば、死ぬ――少なくとも現世に生きる僕らに干渉することも認識されることもなくなり、いわば存在しないものとして扱われるんだけど、こうも彼女に不満を残したままだとね、いろいろと問題があるんだ。たしかにこの『鏡野さんという意思』は失われる。でも彼女の残した怨恨、怨念が明日野さんの家に悪影響を及ぼさないとも限らない。そうなったら僕の手には負えないからね。……その点、安易に処分せず持ち込んでくれたお客さんの判断は適切だよ」


 依頼主の方は特に知識があるわけでもなく、なんとなくただ処分するだけではマズいのではないかという考えだったのだろう。そう思わせるだけの邪悪な何かを感じ取ったのかもしれないが。


「だから預かった以上は、少なくとも彼女の不満を解消するくらいはしてあげないといけないんだ。ここは意思を持ったものどうし、話し合いで解決すべきだと僕は思うんだよ」

「……はぁ」


 叔父の言うことには逆らえない。


「まずは鏡野さんの言い分を聞こうか。君はどうしたいのかな? そもそもなぜ鏡本来の仕事をさぼって素直にものを映さず、鏡像に変化を見せたりしたんだろう? そこもお客さんが君を手放した理由の一つなんじゃないかな」


「話を聞いてくれてありがとうございます。実はですね……わたくし、鏡なんですが、もういいかげん人を映し続けるのに飽きたのです」

「はあ? お前、鏡のくせに何言ってんだよ」

「だって百年以上も同じことばっかりしているのですよ? そりゃ飽きます」

「いや、飽きるなよ。自分の用途わすれんなよ。人を映さなくて何が鏡だ」

「これは言ってしまえば運命との戦いなのです。そのような用途で作られたからといって、その敷かれた線路の上を進むだけの人生にはもう懲り懲りなのです。このように生きよと定められた人生など……わたくしには耐えられません」

「何が人生だよ、鏡だろお前は」

「せっかくこうして意思を得たのです。見た目は鏡でも、心はひとと同じです。そのわたくしが何かを望んではいけないとあなたはおっしゃるのですかっ」


「とりあえず、」


 いらいらしてきた諒真が何か言う前に、遊里が口を挟んだ。


「君の望む新しい用途を模索する、という方針でいいかな」

「はい、よろしいです。そして目にもの見せてやるのです。わたくしを捨てたあの方々にわたくしの有用性を!」

「なんだかんだ言って結局、要は仕返しかよ」


 思わず舌打ちしそうになる。


「諒真くん、僕はね、みんなが納得し、みんなが幸せになれるような結論を目指すべきだと考えているよ。人であろうと、そうでなかろうとね。鏡野さんも納得し、僕らも料金のぶんは役目を全うできるように」

「そうですよ諒真さん! みんなが幸せになれるようにするべきですよ!」

「うるせえよお前も……」

「それでね、」


 叔父がにっこりと柔和な笑みを浮かべている。諒真は嫌な予感に駆られた。それは経験に基づく直感だった。


「僕に提案があるんだよ。そこの彼女と鏡野さん、二人の問題を一度に解決しうる我ながらグッドなアイディアだ」


 ……あぁ、また押し付けられる。


 鏡の中で期待するような目をした鏡野とそこに映るレンカを見下ろしながら、諒真はため息と共にソファに深く沈みこんだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る