第2話 幸せの影
***
日が傾き、歩く
同年代の男子の中でもやや高めの身長で、がっしりしているというほどではないが背丈に見合った体格をしている。人からよく不機嫌そうだとか言われる淡白な顔は影の中には表れない。
伸びた影は、ひとり分。
どんなに歩こうと逃れることは出来ない。引き離すことも出来ず、影はどこまでもついてくる。
「ついてくんな」
という言葉はもう何度目か。言っても効果がなく、むしろ言うたびに空しくなる。
もうどれだけ歩いただろう。どれくらい歩いただろう。商店街を離れ街中を歩き回り、ついにはふだん通らないような公園の中を突っ切ったり、その中央にある噴水の周りを無駄にぐるぐる回ったり……いいかげんバテてきたこちらと違って、相手は疲れ知らずだ。その体力は無限なのか。
言うならば、相手は影だ。
「ねえ聞いてますか? 何度でも言います、私の名前はレンカです! あなたの名前はなんていうんですか? まずはお互い名乗るところから始めないと、コミュニケーションがとれません!」
……まあ、影だと思って無視させてくれないほどにやかましく、それでいて影のようにぴったりとついてくる。走ろうと逃げようと、互いの距離には一向に変化が見えない。
「私、どうやら記憶がないみたいなんです。自分の名前以外まったく思い出せないんですよー。あのー、聞いてますー?」
「……はぁ」
自然と、重いため息が漏れた。
たぶん、このため息の理由は――疲れているというより、憑かれているからだ。
今もちょうど、諒真が不意に立ち止まったせいか、しつこく後ろをついてきていた少女が勢い余って諒真の背中にぶつかった。と思ったが、少女の体は諒真と同じ位置にある。
諒真の体に重なるように、同じ座標の上に立っているのだ。
「謎の一体感」
「やめろ、薄気味悪い」
自分が動くとまるで残像のように少女が動きを真似するのもそうだが、自分の体を貫いて他人の腕やら何やらが覗いているのは不気味過ぎてかなわない。自分から少女と距離を置く。
これまでの努力が無駄な悪あがきだと思いたくなくて必死こいて街中を歩き続けていたが、さすがにもう限界だ。我慢も、あと体力も。大人しく現実を受け入れるべき頃合いか。
噴水の前にあるベンチに腰掛け、少女と向かい合う。
長い黒髪に青白い肌、どこかの病院の患者衣めいた服装……改めて観察してみれば一目瞭然だ。身体が透けていたり足が宙に浮いていたりはしないが――こいつは幽霊だ。
ただ、「やっと話を聞いてくれる気になりましたね!」とでも言いたげな明るい表情やら全然死人っぽくない雰囲気から、すぐにはそうだと分からなかったが。
幽霊自体は、さほど驚くものでもない。
諒真は昔からそういうものが視える体質だった。用事がなければ部屋に引きこもっているのもそうした理由からで、困っている人を見過ごせない性分である諒真はたまにそんな感じの人を見つけて声をかけることがあるのだが、それがよりにもよって他のひとには見えない類のものだったりする。何もいないところに話しかけていることから周りには白い目で見られるし、話しかけた幽霊にはとり憑かれるしで、たまったものじゃない。
さすがに何度も同じ失敗を繰り返していれば学習もする。今では人間とそうじゃないものの見分けもつくようになったが、この少女からはそんな人ならざるものの気配、霊気とでも呼べるものが感じられなかった。それどころか、黙って後ろにいられたらまったくといっていいほど存在感がない。
思い返せば、商店街で彼女が謎の勧誘をしていた際、通りがかる人たちは彼女に反応してはいなかったか。見えていたし、声も聞こえていたはずだ。そのせいでふつうの……いやふつうかどうかはさておき、まともな人間だと思って助けに入った。幽霊だと知っていればあんなことはしなかった。まあ今更そんなことをぐだぐだ考えていても仕方ない。
ただ一つ気になるのは、自分が彼女を助けた際、その手を掴んだことだ。あれはいったいなんだったのか。
あのあともそうだが、ここまでの道中でも少女はひとの体に攻撃してきた。諒真を引き留めたかったのだろう。痛くもかゆくもない以前に、その腕は諒真の体をすり抜けるだけだったが。相手は幽霊なのだからそれは当然で、となればどうして自分はあのとき彼女の手を掴めたのかと疑問が残る。
「はぁ~……ようやく話が出来ますねっ」
「寄るな触るな近付くな、とっとと失せろ悪霊退散」
「もう……そんな邪険にしないでくださいよー」
やたら能天気で、人懐っこい笑みを浮かべて近付いてくる。その笑みが諒真の中の猜疑心に拍車をかけた。彼女と距離をとりながら考えを巡らせる。
相手は幽霊。個人的には悪霊の類だと思っている。そうした輩というのは厄介で、人にとり憑くとなかなか離れないどころか、時に人を凶行に走らせたり、気分を陰鬱にして自殺や事故に追いやったりするケースもあるらしい。
幸いにしてこれまでそういう悲劇に見舞われる前に対処することが出来たが、毎回うまくいくとは限らない。
(……さて、まずは常套手段から試そう)
死後もこの世に留まりこうしてひと様に迷惑をかけているということは、何かしらこの世に未練があって成仏できずにいるのだろう。詳しくは知らないが、一般的にはそう解釈されている。
つまり、この幽霊少女の話を聞いてやればまあ解決の糸口くらいは見える……はずだ。
「お前はどこの誰だ」
「もう、さっきから言ってるじゃないですか、レンカです」
「そういえばそうだったな。でも俺が知りたいのは名前じゃない。ほら、もっと何かあるだろ。生前の住所とか交友関係とか」
「個人情報です」
「幽霊に個人も何もあるかよ」
「あの……私も出来ればもっと何か教えたいんですけど、生憎と『レンカ』という名前以外に何も思い出せないみたいなんです」
それもまたこの道中に話していた気がするが、完全に無視を決め込んでいたせいで聞いてはいても頭に入っていなかった。
「えっとですね、気が付いたらあそこにいて――あ、そうだ。その前にあなたのお名前はなんですか?」
「お前ちょっと馴れ馴れしすぎないか? たぶん俺はお前より年上だぞ?」
「じゃあ、お名前はなんて言うのでしょうか? 私はたぶんレンカといいます!」
「たぶんて」
いけない、話が堂々巡りしそうだ。
それにしても、今の会話だけでもだいぶ彼女について分かったような気がする。
出会った当初は自身を生きた人間だと思っていたようだが、幽霊だと自覚したからなのか、今の彼女は宙に浮いたり飛んだりすることも出来るようだ。それでも生きていたころの感覚が残っているのか、これまでほとんど地に足をつけてついてきていた。だが、相手は幽霊だ。疲れることはないようだった。
今もわずかに足が地面を離れているが、きっと人間的にも集団から浮くタイプに違いない。
「名乗るつもりはない。どうせこれっきりだ」
「えぇ~」
少女――レンカが不満そうな声をあげる。なんだかイライラしてきた。もともとこうした手合いと話すのは苦手だ。だから相手が諦めるまで粘ったのだが、結局彼女を成仏させて解放されるためには会話以外にないらしい。
「仕方ないですね……。えっと、じゃあ、あなたが私を幸せにしてくれる人ですか? そうですよねやっぱり!」
「何を勝手に納得して話を進めてるんだ。というか、お前の言う幸せってなんだ。もっと具体的に言わないと分からないぞ」
幸せがどうのという話がきっと彼女を成仏させるために必要なことだ。面倒だが、話を聞くだけで勝手に消えてくれる幽霊もいた。まあそのとき幽霊の話し相手になっていたのは自分ではなかったのだが……。
「そうですね……」
レンカは少し考えるような素振りを見せ、
「笑顔……です! 笑顔であること、笑顔になれることが幸せだと思います!」
「まあ幸せを感じれば自然と笑顔になるだろうな。で、既にお前は充分に馬鹿面さらしてるわけだけど、どうしたら消えてくれるんだ?」
「うーん……消えるかどうかはさておき、やっぱり友達に囲まれて、家族の仲も良くて、趣味に打ち込んだり部活で青春したり……恋とかするような! そういう充実した日々が幸せなんじゃないかと!」
「学校いけ」
思わず口走ってしまった暴言がスルーされたことに密かに安堵しながら、思いついたことを言ってみた。彼女の語ることは学校に行けば本人の努力次第でどうにかなる問題だ。家族仲はどうだか知らないが、少なくとも家に引きこもっているよりはいくらかマシだろう。悪い方向にはいかないはずだ。
(……どうにかならなかったから、こうなってるのかもしれないけど)
たとえば、身体が弱く病気がちで、ロクに学校に通うことも出来ずに短い人生を終えてしまった少女の霊――そんな悲哀を感じさせる要素が欠片も見当たらないが、レンカの服装には覚えがある。これはこの街の病院で使われている患者衣だ。諒真自身、入院していた時に着ていた。
しかし、仮にそうだとしたら自分には打つ手がない。死人にどうやって青春させればいいのか。面倒なものに捕まってしまった。こうなったら仕方ない、諦めよう。そもそも、声をかけた相手がハズレだったことは多々あるが、それで憑かれた経験自体は少ない。だから話を聞いてうまくその未練を解消したとしても消えてくれるかどうか、あまり確証がなかった。
絶対に消えてくれるという保証もないし、彼女の未練を解消できる気もしない。
投げやりというか無責任かもしれないが、一応「学校に行けばいい」という解決策を提示したのだ。それで地縛霊のようなものになられたり、翌日学校で出くわすことになったらげんなりするが、必ずしもうちの高校に現れるとは限らない。現れたら現れたで、そのときはそのとき。
(……一石二鳥で厄介払い出来る我ながらグッドなアイディアも浮かんでる……)
ひとつ頷き、諒真はレンカを無視して帰路につこうと結論した。
ベンチから腰をあげようとした、そのとき。
「あなたは……幸せじゃないんですか?」
不意に投げかけられた問いに、諒真は一瞬返す言葉に詰まった。こちらの顔を下から覗き込むようにしながら、レンカが不思議そうに言う。
「思えばさっきから、出会ってからずっと、あなたの笑顔を見てません。そんなつまらなそうな、不機嫌そうなこわい顔してたらひとが離れていきますよ?」
「……余計なお世話だ。俺から人が離れていくのはお前みたいなものが周りをうろついてるからだし、俺が笑顔じゃないのは単にお前の存在に迷惑してるからだ」
笑えるかよ、と吐き捨て、レンカを無視して歩き出す。もう躊躇いも迷いもなかった。ひとの気もしらないくせに、好き勝手言いやがって。
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