第2章
1
七月二十八日。
俺にとっては二度目、またかと考えてしまう。またも蒸し暑い早朝だ。
ここ最近セミの勢力が増しており、もう学校中に住み着いてるんじゃなかろうかと思わせるほど鳴き声が一層うるさくなり、カレンダーがなくても夏だというのがわかる。
「あら、隼人。今日は早いじゃない」
なんて沙也加は言った。
「ま、いろいろとな」
何よそれ、と独り言をぼやく沙也加は、リュックサックを机に置いた。
そう、俺は今日、かなり珍しいことに早く登校した。というのも、結論から言ってぐっすりと寝れなかったからだ。仕方ないだろ、ここ最近立て続けに奇怪な事が起きた上に、昨日は舌に釘打ちされるような出来事が起きたんだ。実際打たれてりゃ対策も考えようがあっただろうが、それでもすやすやと寝れる方がおかしいのは自明だ。
早朝、惰眠を払拭しきれず不本意ながら早起きした俺は、ガラ空きの駐輪場に違和感のような新鮮味を感じつつ、早朝練習に励む運動部を大して見ることもせずに校舎へ急ぐ。階段を上る足音が踊り場まで反響し、静かな廊下は放課後とは一味違う寂しさがあった。自然と、教室へ向かう足が早くなる。
そうして教室で、持参したカレーパンの味を楽しむこともせず、今にも沸騰しそうな脳で昨日の話を整理していた。
脳みそはいと不思議なものだと大いに思わせる。昨日まで半信半疑いやそれ未満にしか信じていなかった話も、一晩寝て落ち着いて考えれば合点がいくのだ。あっぱれ。
そして変化したことは――俺にとって変化と感じられたものは。ざっとこんなものだろう。
まず変化その一、制服だ。
俺の着慣れた男子生徒の制服は、深海のような紺色のブレザーで、格子状の模様が特徴の灰色のズボンとバランスが取れていた。ちなみにネクタイは上品で鮮やかな朱色だ。その頃の女子生徒の制服は透き通る空色のセーラー服で、プリーツのスカートとハイソックスだった。女生徒の制服にこだわりがあるわけじゃないが、あれはあれで清楚な雰囲気でいて個人的に気に入っていたんだがな、変わってしまったのは心残りだ。ちなみに、リボンはネクタイと同様に朱色だ。
対して、今はこれ。純白のカッターシャツに黒いズボンという、これまた別の意味で見慣れた制服。中学以来もう着ることもないだろうと思っていた学生服だ。なお、女子生徒の制服がブレザーになったようだ、紺色の。
変化その二。クラスメイトだ。
昨日、帰り際に『一年三組 名簿表』と書いてあるA4サイズの長ったらしいリストを渡された。ご丁寧にも振り仮名まで書き込まれたそれを俺は上から指でなぞってみたが、やはり知った名前は十にも満たなかった。編入学するってのは、こんな気分なんだろうなと、嬉しくもない経験をしてしまったよ。振り仮名、あって良かった。
七瀬たち愉快な未来人たちによれば、入学時から入れ替わりは無く、初めからその名簿だったそうだ。となると、俺のいた世界線とやらと、この世界線とは違うらしい。一応高木に確認してみたが、坂田ほか何名がやはり北高の生徒らしい。
それ以外には猫だ。俺には、良く懐いている野良猫がいる。あまり関係ないかもしれないが、驚くべきは、黒くすらっとしたキャットだったのが貫禄ある三毛猫へ進化してたことだ。ありゃ正直度肝を抜かれたよ、なんたってあの透き通る鳴き声だけは変わっちゃいなかったんだからな。
「何黙ってるのよ。考え事?」
沙也加が横から覗き込んでくる。顔、近いぞ。
「まあそんなとこだ」
俺はそう言い放つ。
そういや、教室には俺と沙也加だけか。
「そう、気持ち悪」
「はい?」
一ノ瀬は吐き捨てるような言葉を、まさに吐き捨てやがった。直球すぎやしないか、おい。
そしてベストタイミングとでもいうべきか、予鈴のチャイムが生徒たちに朝を告げた。どうやら朝練習の時間は終わったらしい。これは変わってないみたいだ。
俺は不意に辺りを見回す。並べられた机や添えてある椅子、腰ほどの高さのある教卓、使い込まれた白っぽく濁ってる黒板、ステンレス製の簡素なロッカー。見たところ、目立った変化はないみたいだ。
「なあ、沙也加」
「なによ」
顔も上げずに返事をした沙也加は、いつの間にか勉強を始めていた。
にしても少々ご機嫌斜めだ、これも前述の変化に入れるようか?
「未来人、って信じるか?」
「信じるわけないでしょ、アニメの見すぎじゃない?」
呆れ顔にため息交じりの口調で言い放つ。
まあ、そりゃそうだよな。
今日も、何事もなく一日が終わるんじゃないかなと、まだ早朝ながらそんな淡い希望を見出していた。
しかし、いやもちろんと言ったほうが良いか、案の定そんなことはなかった。
その日、俺は初めて電子メールを受け取った。ダサい電子音が通知したのは見覚えのないアドレスからのメッセージだ。
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