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恐怖というのは、時に絶大な力を発揮する起爆剤になる。『火事場の馬鹿力』というのがぴったりだろう、意味は確か「とんでもなく追いつめられたときに、本来無いほどのパワーを発揮する」だったか。
俺の視線の先には七瀬の顔がある。距離は拳一個分。視界に七瀬の顔しか映っていないと言っても過言ではない。首元の隙間から木目がわずかに見える。彼女は睨むような困るような照れるようなよくわからない顔で俺を凝視している。赤らめて見えたのは夕日のせいってことでいいよな?
七瀬の腰辺りを俺の両膝がホールドしており両腕を俺の両手が押さえている。簡潔に述べるなら七瀬の身体にまたがっているのだ。
この場合、『押し倒した』という表現が正しいのだろうが、俺は真っ向から否定したい。不可抗力だ。これは戦闘の末起きた不祥事なんだ。すぐにどいてそう言っていれば事はすぐ済んだだろう。だが、この状況は誰が見ても『押し倒した』であり他にない。
だが、それじゃつまらんと神様がいったのか、この状況にひとつまみのスパイスを加えた。いや加えやがった。
「七瀬さん、かなり手間取ってるますね……って」
ガラリと戸を開けて誰かが入ってきた。
男……か?同級生だろうか、同じ制服を着ている。
「あのーこれはどういう……」
どういうって、これは……
そう、この時分かったんだ。とんでもない状況を作っちまったってな。ちなみにまだ日は高かった。なんて喜劇だ。
「あ、いやその。これは不可抗力でしてね。いうならば……」
理解されるまでどれだけ話しただろう。いつの間にか教室が取調室になってた。かつ丼でもでてきたら落ち着けるんだが。
「なるほど、恐怖心から……ですか」
「だから私もそういってるじゃない。ほら、早く本題に入らないと」
さっきのことですっかり思考は脱線してた。本題ってなんだ、そもそも最初から終点って教えられてたっけな。話をさかのぼりたいが思い出したくない記憶がすぐ目の前にあるもんだからな。
ここから、長ったらしい話があった。時間にして一時間、机を挟んで向かいに座っていよいよ取り調べだ。実際、訊いてたのは俺だが。
要約すればこう、最初からこう話してくれよ。
未来では、時間旅行なんて海外旅行程度にしか考えていなく、手軽も手軽だそうだ。学生共々は歴史の授業の一環として何泊か泊まることもあるんだとか。なにそれテンション上がるな。
まあ、そんなことで未来人は度々現在に時間旅行しにくるらしいが、事件を起きることもしばしばあるそうだ。それを解決すべく捜査したいのは山々だが、未来人が介入すればいたちごっこになりかねん。
そこで俺たちだ。つまり、現在から捜査官を任命してとっ捕まえろってことらしい。ったく厄介なことしてくれるよ。この時代にはこの時代のつごうってもんがある、郷に入っては郷に従えと昔から言われてるだろう。あんたらからしたらどれぐらいの昔なのか知らんが、さすがに消えてはないだろうに。
そして極め付きは、捜査官に選ばれたものは任務を果たすまで一定の時間軸をループするんだと。何でも、機密漏えいを最小限に抑えるためだとか。いい迷惑だ、全く。
「未来人ってことはあれか、時速八十八マイルになると火を噴く車に乗ってくるってことかい」
「うーんと、似てるけどちょっと違うかな」
のぼせて赤らめた顔。襟元のボタンが一つ開いてるシャツは、汗で若干透けている。目のやり場に困るのは言うまでもない。
困った顔は、案外可愛かった。これも吊り橋効果とやらか、それとも彼女の術中にまんまとはまっちまったかな。情けない事よ。
「じゃあ、どこかの勉強机に隠してるんじゃないだろうな」
「いえそれとはちょっと違います。小難しいもので、言葉では説明できませんね」
横から割り込んでくるな。俺は今七瀬に聞いてる、男は引っ込んでろ。
さっき教室に入ってきた男子生徒、高木士郎。
メガネをかけており、その冷徹な表情からは知的な雰囲気がにじみ出てる。だが話してみればそう堅苦しい奴でもないらしい。見かけによらないのはいつの時代も同じか。
先ほどの会話から察するに、どうやら彼女のお仲間らしい。
「じゃあ方法は何だってんだい」
「それは、残念ながらお教えできません。あなたなら、理由はお分かりでしょう?」
いや、そりゃ分かるけどさ。ほらあれだろ、歴史改変とかなんとかってやつ。でも知りたくなるじゃないか?
「とにかく、あなたには任務を遂行してもらいます」
「なぜ俺だ」
「友達少なめ、ネット活動なし、社会から孤立気味、元中二病。これらから、」
おいおい、元中二病は関係ないだろ!?
「つまり陰キャラってことか、異変が起きても誰も気が付かない、と」
「ええ、まあ、そういうことになりますねぇ」
こいつ淡々と述べやがって、グサグサと痛いところをついてきやがる。俺も好きでソロやってるわけじゃないぞ。
「そして、まず最初にやっていただく任務は」
.....
....
...
..
.
「ふう」
長い一日だとよく言ったものだが、これほど長い一日があっただろうか。いやない。
「それにしても」
このけったいな事態に巻き込まれてるにもかかわらず、俺は楽しんでいた。教室で起きた不本意な事故のことではなく、不本意ながら任命された仕事にだ。
取り柄と言えば数学しかなかったクラスでも大して目立たぬ普遍的な男子高校生である俺、海崎隼人は、高校一年生の夏休みにして時給千円の仕事を手に入れちまった。
高校生になって初めての夏休みは、どうやら何倍も面白くなりそうだ。
そして何倍も、危険になりそうだ。
寝床についた俺は、ふと呟いた。
「明日は、二度目の七月二十八日だな」
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