おそらく八月であろう。

 その二十七日、俺は狂気しかけてた。

 今日も補習授業があるってことより、靴箱であるものを見つけたことにだ。

 せめて偶然の一致であってほしい。あの委員長でも誰でもいい、そう言ってほしかった。

 俺の手元にあるのは紛れもなく以前見たことのある代物だ。こればかりはテキトーに片付けられそうにもない。

 手のひらほどのノートの切れ端は、はさみで切ったのではない少々雑な破り方をしてある。お世辞にも綺麗とは言えない丸文字で、四つ折りにたたまれたそれにはある文章が記されていた。

『七月二十七日の放課後、一年七組で待ってる。』

『東高校,一年三組,窓側最後尾の席へ』

 そう、これは紛れもなく例の夢で見たものと瓜二つ。いやそれ以上だ。

 ただ、違う点がある。

 俺が初めに見たものは靴跡で黒ずんでいた、だがこいつには肌の温かさがまだ残ってる。

 いや、ありえない。そんな事あるわけ無いんだ。


 まず、今日の朝から思い出そう。


 .

 ..

 ...

 ....

 .....

 何だか、おかしい。

 またも、何となくそんな気がした。

 それは今日のことだ。時刻は九時二十分ごろだっただろうか、朝のニュース番組はとっくに終わって、バラエティー番組でお茶の間がにぎやかになってくる頃合いだろう。

 そのとき俺は、あの悪夢がまさに夢であったことに呆れつつ自嘲しつつ、自室でダラダラしながら別に面白くもない英語の課題に取り組んでいた。

「ふう」

 疲れから反射的にため息が出る。そしてどういうわけだが机の隅に鎮座している最新型の携帯電話、タッチパネル液晶と一つの小さなプッシュスイッチで構成された手帳サイズのデジタル端末、簡素な作りのそれへとつい――ほんのつい手が伸びたとき、俺が読心術にでもかかったのかと疑うべき事態が発生した。

 電話の着信だ。着信音が蝉の泣き声にも似た周期で、ガタガタと泣き喚きながら必死で電話に出ろと俺に伝えている。

「何だってんだい」

 耳障りな音に急かされながら携帯電話を手に取る。見覚えのない番号に妙な感覚を覚えたが、俺は通話ボタンを押した。

「もしもs……」

『もしもし!隼人』

 俺はまだ何も言ってないのだが。

『どうしたのよ。今日来てないじゃないの』

 女性だ。この電話越しでも透き通るが力強い声、どこかで聞いたぞ。

「なんだ沙也加だったか。って、まず名乗れよ」

『幼馴染なんだから、声でわかるでしょ』

 そう、彼女とは十年来の付き合いだ。やけに長いように聞こえるが、小学生の頃からなので図らずともそういう計算になっちまう。まさに幼馴染だ。

 沙也加。フルネームは一ノ瀬沙也加、クラスメイトにして幼馴染。髪型はたしか、腰まで長い黒髪をポニーテールにしていたっけな。

『とにかく来るの、今すぐよ。場所は一年三組だから、制服で来ること。じゃあね!』

 そう言い残し、俺の返答を封じ込めたうえで理由も告げずに通話を切りやがった。ブツリと音がぶった切られた後に、ただただ電子長音の繰り返しが耳に届く。

 慌ただしい電話だ。いったい何だってんだい。

 気が付けば、すっかり俺の惰眠は消し飛んでいた。

「それにしても」

 思えば俺は、今さっき貴重な体験をしたんじゃないか?真夏の真昼間に女子からの電話ってのは俺も羨んだシチュエーションだ。しかし、この何とも言えない虚無感は何だ。俺が描いてたビジョンはこうだっただろうか、いや違う。

 そう呆れつつ、俺は言われた通り制服に着替えるため勉強机を後にした。


「遅いぞ海崎、お前いったいどこで油売ってたんだ」

 息を切らした俺へ坂田からの第一声がそれだった。

「遅いって、今日何かあったか?」

「何かって、補習授業だろ」

 息を切らしながら後ろドアから入室、時刻はすでに十時半を過ぎたところだった。

 俺は、終わったはずの補習授業に呼び出されていたのだ。

「補習授業なら昨日終わったばかりじゃないか」

 坂田、お前は最終日だとか言って一目散に教室を後にした張本人だろう。

「はあ?言い訳しようたってそうは行かねーぞ海崎」

「何がだ」

 坂田のやつ、頭を掻いて困った顔をしやがる。いったい何が不満なんだ。

「ったく、頭でも打ったか」

「どうせ寝坊でしょ。迷惑な話ね」

 そう言い、腕組みしている美少女もとい身に覚えのある女子生徒、沙也加がやってきた。

「いきなり電話してくるやつに言われたくはない」

 言っておいてなんだが、電話かけるのに前もって教えるやつがいるだろうか。

.....

....

...

..


 そして今に至る。

 そう、今だ。今、それは七月二十七日である。何を言ってるんだと思われるかもしれないが、そういう事らしい。

 クラスメイトも担任の先生も、携帯電話も揃って七月二十七日だとほざきやがった、クラスメイトは待ちに待ったらしい夏休みの計画について熱く語り、担任の先生は休み期間中の諸注意をしつこく話している。

 終わったはずの今日に、戻ってきたのだ。

 ったく、こんなふざけた話ありえるなんてな。

 まあ、正確に理解したのはこれからもう少し後だが。

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