第五話【最速の船に別れのキスを】

「お頭~。獲物は進路変えてませ~ん。どうしやすか~?」


 羊羹型のどこにでもある輸送船を改造した古いブリッジで口の臭そうな男が間延びした声を発した。


「んなもんちょいと脅してから乗り込んで皆殺しだ!」


「殺すのはまずいっすよ~。最近ちっとバウンティーハンターがうざったいですぜ~」


「あー?! 賞金稼ぎが怖くて宇宙海賊なんてやってられっか!」


 船長席で怒鳴り返すひげ面の男に、ナビゲート席のやや細身の男が意見する。


「さすがに殺し過ぎですよ。そろそろ安全局が動くかもしれませんよ」


 ひげ面が細身を睨み付けるが男はやれやれと首を振るだけだった。


「ちっ。皆殺しはやめだ。荷物を根こそぎ奪ってとんずらだ!」


「「「へーい」」」


 クルーたちの声が力なく重なる。別にやる気が無いわけではなくこれが彼らの普通だった。


 ひげ面が必要も無いのにマイクを握って怒鳴る。


「2番機、3番機! 白兵戦よーい!」


『へーい!』


 リーダーがリーダーなら部下も部下だ。あまりにもオーソドックスで古めかしい海賊スタイルであった。よくもまあこの時代まで生き残っていたものだ。だが、天の川銀河の辺境にいけば、いまだこんなオールドスタイルの海賊が跋扈しているのだから油断ならない。


「よーし、そろそろZOIHジェネレイターを切るぞ! てめえら気合いを入れろ!」


「「「へーい!」」」


 部下たちが返事をした直後だった。突然2番機の映像が途切れた。


「なんだ? またモニターの故障かぁ?!」


「違いやす! 2番機轟沈!!」

 光学モニターを覗いていたナビゲーターが悲鳴を上げる。バランが切り替えられた映像を凝視する。確かに2番機は宇宙の塵と化していた。


「んなっ?!」


 驚愕に目を見開いたバランだったが、その後の対応は早かった。


「ZOIHジェネレイターカット! ジャミング全開!」


 だがその指示はほんの少しだけ遅かった。モニターの一つがまたブラックアウトした。


「3番機轟沈!」


 ナビゲーターが泣きそうな声を上げる。慣性の戻った海賊船が激しく踊った。


「敵はどこだ?!」


「予想ポイント出しやす!」


 ブリッジのメインモニターに敵予測ポイントが表示される。と同時に全員が唖然とした。


「……120万kmだと?! なんでそんな距離で当たる?! しかも一撃で轟沈だと?! いったいどうなってやがる!!」


 バランがGで顔を歪めながら叫んだ。


「解析出やした! ……こいつぁ質量兵器……レールガンでやす!」


 バランがコンパネに拳を叩き込んだ。


「どこの馬鹿だ! そんなもん使ってるのは! くそったれ!」


(理解できねぇ! 何で当たるんだ?!)


 レーザーならまだしも足の遅いレールガンが当たる理由が全くわからない。それ以前にどうしてこの距離で感づかれたというのか。


 まさか出現ポイントが個人の「カン」で特定されたとはつゆとも思わずに悪態を吐くバランだった。


「何やってんだ! とっとと撃ち返しやがれ!」


 火器管制担当の部下が悲鳴を上げた。


「やってますよ! でもこの距離で当たるわきゃないじゃないですか!」


「泣き言言うんじゃねぇよ! 死んでも当てろ!」


 じゃなきゃ殺されるのはこっちだ! とは続けられなかった。


 船が激しく揺れ爆音が船内に響き渡った。


「右舷にレーザー着弾! R47,48,52,53装甲吹っ飛びました!」


 バランの動きが一瞬止まる。


「最初にレールガンで近づいてからレーザーだと?! まるっきり順番が逆じゃねぇか! なんでこっちは当たらねぇ?!」


「この距離でジャマー掛けられたらレーダー類は信用できませんぜ!」


「光学系に切り替えりゃいいだろ! いくらなんでも光学迷彩載せてるわきゃねぇんだ!」


「レンズが振られてちゃんと捕らえられねぇっすよ! 予想プログラムの限界超えてんすよ! それに向こうのエージェントの性能が高すぎやす! こっちのコンピューターに侵入されかかってんすよ!」


 電子戦担当の男が泣きながら悲鳴を上げる。こんな短時間にファイアウォールを突破された経験などなかったのだ。


 再び爆音が響き、船が揺れた。


「また着弾しやした! R09,10,11,12,13……光学レンズも3つ持ってかれやした!」


 最後の方は鳴き声になっていた。


 バランは手元の被害状況モニターを拳でぶち抜いた。


 自慢のダイアモンドナックルも今は何の役にも立たない。


「じゃあなんで向こうの攻撃だけ当たる?! この間抜けども!」


「それはもちろん……」


 ナビゲート席に座っていたやや細身の冷静だった男が振り向きながら言った。


「腕が違いすぎるからですよ」



 その日小さな海賊団が銀河から永久に消えることになった。


 ■


「ふう……ZOIHジェネレイター起動してくれ」


「了解。……シャノン君大丈夫かね?」


 ディードリヒがさっと必要な処理を終えると、ぐったりしているシャノンのエアバッグとハーネスを外した。


「はい……平気……です」


「まったく平気ではないな。まさか3隻もいるとは思わなかった。あれだけ振られれば内蔵にダメージが出ているだろう」


「ディード。シャノンを寝かせてそばについててやってくれ」


「お前は?」


「念のためしばらく警戒しながら輸送船に追いつく」


「わかった。――さあ行きましょうシャノン君」


 シャノンは口を開きかけたがそのまま閉じた。ディードリヒに肩を借りてブリッジダイニングを出て行こうとする。現在操縦席とリビングの間にはシャッターが降りている。カイの操作でがらがらとシャッターが開いていつもの光景に戻る。するとせっかくシャノンが整理してくれていた雑誌類がまたそこら中に散乱していた。


 ディードリヒは頭を抱えた。二人がエアロックに差し掛かったところでカイが頭を掻きながら振り向いた。


「頑張ったな。ゆっくり休め」


 シャノンが振り返ったときにはすでにカイはシートを前に向けていた。彼女の頬が少しだけ緩んだ。


「こちらwicked brothers号だ。海賊は撃破したぞ」


 レーザー通信でalbatross号を呼び出す。


『そうか、さすがだな。それでミス・クロフォードは?』


「少し調子を崩した。俺たちはこのまま月に行って医者に診せたいんだが構わないか?」


 しばらく間が空く。


『了解した。だがイオにも医療施設はあるが?』


「いや気持ちだけ受け取っておく。あんな劣悪な環境に降ろせねえよ。この船の足なら月まで1日で到着する」


 また少し間があく。光の遅延だ。


『そうか。随分と足が速いんだな。こちらも直に木星の防衛圏に入る。そちらも小惑星などで事故を起こさないようにな。地球は太陽の反対側だぞ』


「ここらはホームグラウンドだ。それじゃな」


 通信を切りながら、月への最速ルートに進路を切り替える。燃費は無視した。


 ■


 エアロックの開く音にカイはシートを回転させた。ディードリヒは無言のカイから「彼女の調子はどうだ?」とはっきり空耳した。


「熱があるな。うなされている。治癒ポットに入れるか悩むところだな」


「なんだ、入れなかったのか?」


「チェックはした。幸い内臓破裂などは無さそうだが、鎮静剤を飲ませた方が良いかもしれない」


「飲ませなかったのかよ」


「今気がついたのだ。今度はカイの番だ。行ってこい」


 ディードリヒは無表情にコパイ席に着座した。カイはしばらく黙ってディードを睨み付けていたが、ふんと鼻を鳴らして立ち上がった。


「片付けとけよ」


 ディードリヒの肩を叩いてカイは出て行った。


 ディードはため息交じりに肩をすくめた。


 ■


「入るぞ」


 一応ノックしてから中に入る。カイは自分の部屋にノックしたのは初めてだった。さして広くない個室を埋め尽くしていたゴミと服がどこにもない。どうやらシャノンが片付けてしまったようだ。考えてみたらシャワーを浴びた後に畳まれた服が用意されていた。


「カイさん……」


 上半身を起こしたシャノンは真っ青な顔をしていた。


「薬を持ってきた。飲めばよく眠れる」


 カイが水とカプセル薬を渡そうとして気がついた。


(あの野郎……)


 シャノンはまだ耐Gスーツを着たままだった。カイはブリッジ方面の壁を睨み付けた。


「……スーツを脱がすぞ。触れるし見るからな」


 カイは返事を待たずにファスナーを下ろした。


 意識しないで淡々とやればいい。


 機械的な動きで彼女の身体を締め付けるスーツを剥いでいった。肩から腕を抜く時に指が彼女の肌を滑る。


 産毛すら無いのではと思わせるほど摩擦が少ない肌のきめの細やかさ、さらに指先から感じる弾力は柔らかく温かかった。


 腰までスーツを下ろすと淡い水色の下着が露わになった。はち切れんばかりの乳房を無理矢理押さえつけるブラがくっきりと谷間を作り出していた。


 一瞬止まった手を無理矢理動かし一気に足から引き抜いた。


(意識しまくりじゃねーか。クソ)


 内心舌打ちしながら毛布を掛けた。


「1日で月に着く。ゆっくり寝てろ」


 カイは立ち上がってその場を去ろうとするが、革ジャンの端を引かれて止まった。


「あの……もう少し……いてください」


 首だけ回してシャノンを見下ろすと、力の無い笑顔を浮かべていた。


 カイは自動で固定されていた椅子のロックを解除してベッドの横に腰を下ろした。


「ふふ……木星が見たかったです」


 薄暗い部屋の中でシャノンの声が小さく響く。いや、響いて聞こえるほどカイが意識を集中しているのだろう。


「知ってるか? 木星の日の出はそりゃあ美しいんだ」


「まあ、見てみたいです」


「そのうちそんな機会もあるだろうよ」


 鎮静剤が効いてきたのか、良い笑顔になってきた。どうやら心配するほどではなかったらしい。


「あの……」


 シャノンは両手でシーツを少し引っ張って鼻まで顔を隠す。


「私って子供っぽいでしょうか?」


 カイは苦笑して足を組み直した。


「好奇心の強いところとかな、そう見える時もある」


 シャノンはさらに数cmシーツを引き上げた。


「そういう意味じゃなかったのに……」


「なんか言ったか?」


 本当は聞こえていたが、カイは質問で返した。


「何でも無いです」


 シャノンは頬を膨らませて口を尖らし横を向いてしまった。カイは肩をすくめて苦笑した。


「思ったより元気そうだ。初めてのことで身体が驚いたんだろう。直に良くなる」


 医者に診せる頃には完治しているかもしれない。


「カイさん……」


 いつの間にかこちらに顔を戻していたシャノンの瞼は半分落ちていた。


「ありがとう」


 そのまま目を閉じて寝息を立て始めた。


 カイは無言で立ち去った。


 ■


 太陽を迂回してそろそろ地球に近づく頃、メールでは無くレーザー通信が入ってきた。


 カイは眉を顰めてモニターを見つめる。


「なんだ? アルか?」


 月に住む悪友の顔を浮かべながら、識別番号を確認するがまったく見覚えのないものだった。


 嫌な予感がする。


「違う……な」


 ディードリヒがコンソールを忙しく動かし始めた。


「俺が出る」


 ディードが頷く。すでにレーザー方向から相手の位置と距離は判明していた。信じられないことに5万kmも離れていなかった。完全にキルゾーンである。


 ディードリヒは自分の失態に己を呪った。それにしてもここまで気がつかせないとはとんでもない手練れだ。


「wicked brothersだ。そちらは?」


 通信をオープンにすると眼光に暗い光を放つ男が映し出された。一見壮年と言える年齢に見えるがカイはその男が見た目よりもかなり若いと直感した。


『もちろん海賊だ……と言いたいところだが違う。こちらはヴォルケイノ・セキュリティー。警備会社だ』


 ヴォルケイノ・セキュリティーと言えば傭兵まがいの荒っぽい仕事専門の警備会社である。JOATとの相性は最悪と言える。


「警備会社が何の用だ? 駐車整理にしちゃ場所を間違えてると思うんだがね」


 カイの投げやりに相手はぴくりともしない。


『そんな平和な仕事で喰っていけるのなら喜んでやるが、あいにくと平和な仕事はとっくにソールドアウトだ』


 内容は冗談のはずだが男の顔は微動だにしていない。


「へえ、なんなら俺たちの護衛に使ってやろうか?」


『君たちの噂は知っている。私のチームに勧誘したいほどだ』


「遠慮しとくぜ」


 カイは両手を広げた。


『本題に入ろう。誘拐された・・・・・シャノン・クロフォードの奪還。それが私たちの任務だ』


 カイが片眉を上げる。


「誘拐、ね」


『もちろんそれは誤解だろう』


 男の冷たい目がモニター越しにカイに突き刺さる。


『君たちは誘拐犯などではない。だからミスクロフォードはこちらに乗船するし、戦闘も発生しない。お互い平和に終了する。もちろんそれが現実になると私は信じているよミスター・カイ・ヨシカ


 名乗ってもいないフルネームを呼ぶ男。


「ヨシカゲだ」


「それは失礼。ミスター・カイ・ヨシカゲ。……それで返答は?」


 カイはぎしりと手を握りしめた。


 ■


 ドッキングゲートが開くと即座に銃を構えた男たちが5人素早く通路を確保する。


「何もしねえよ」


 カイは肩をすくめて見せた。男たちの後ろからモニターで話していた男も現れた。


「ミス・クロフォードは?」


「着替え中だ。すぐに来る。それと……」


「医者には診せる」


 全てお見通し。情報の差はそのまま戦力の差でもある。男たちの練度もかなり高い。カイたちはすでに負けているのだ。


「名前くらい名乗れよ」


 男は視線だけをカイに動かした。


「ロバート・ブラウン」


「ふん。本名を名乗るつもりは無いって訳か」


「本名だ」


 今度はカイが男を見る。ロバートの表情は1ナノメートルすら動いていなかった。カイはいけ好かないと鼻を鳴らした。


「カイさん……」


 奥からシャノンとディードがやってくる。ディードは彼女の荷物を引いてきた。


「カイさん、私……」


 シャノンが目の前に立つ。何を言いたいのかはわかりやすいほどに理解していたがカイはそれを無視した。


「今度は親父さんが納得する仕事を選ぶんだな」


 誰の差し金かなど考えるまでも無い。母親の可能性もあるが同じようなもんだろう。


 シャノンの表情が驚愕に固まる。カイはシャノンの肩を叩いた。


「縁が無かったな」


 それが二人の躱した最後の言葉となった。


 ■


 月は人類最初の地球外活動拠点となった地である。また宇宙開拓の黎明期を支え続けた星でもあった。だが今ではあらゆる宇宙ゴミが集められ積み上げられた無法地帯と化していた。


 人はこの地をジャンクキャッスルと呼ぶ。


 相変わらず電気代をケチって暗い町中に、古いネオンが幾百も浮かぶ。重力コイル上に無造作に積み上げられた居住ブロックが迷宮を作り出し、よそ者を受け付けない。湿った金属の床の上をディャコタラメデュスが22本の足を駆使してゴミの陰から陰へと身を隠す。


 安定水素金属の一種でシースルー化された物質。通称ガラス。実際には金属としての特性は無くなり絶縁体になっている。なおこの素材は中性子をブロックするので宇宙船や宇宙服など幅広い場所で使われている。実質的にはガラスと完全に置き換わっていると思って良い。


 所々大型のガラスで外が見えるようになっている。積み上がった大量のジャンク山から覗くように濁った地球が浮かんでいた。既に核汚染でまともに人が住めるような場所では無いのに、未だに何兆人という人間がへばりついてる人類誕生の地だ。


 カイとディードリヒは薄暗く湿り入り組んだ路地を進んだ先にある酒場へ足を踏み入れた。この店はいつだって猥雑に満ちている。二人はいつものカウンター席に座ると注文するまでも無く、ふた指分のウィスキーが目の前に注がれた。カイはいつも通りちびちびと酒を舐めていると、いつも通りバーテンのジャワハラルが声を掛けてきた。


「暗いねぇお二人さん。その顔は女がらみと見るね」


 立派な口ひげを蓄えたジャワハラルが真っ白い歯を剥き出しにした。


「私は違うが、カイはそうだな」


「ほほう。カイが? 珍しいな! それでさっそく振られた訳だ!」


 何が面白いのかジャワハラルは歯茎まで見せていた。


「そんなんじゃねーよ」


 カイが残っていた液体を一気に飲み干すと、胃がカッと熱くなった。そのまま空のグラスを2~3度振ってから、ジャワハラルにグラスを突き出す。バーテンはやれやれと手のひらをわざとらしく掲げてからおかわりを注いだ。


「ふーん? それにしちゃペースが速いねぇ。ウチは助かるけどね」


 ディードリヒはビールで喉を鳴らしながらピーナツを摘まんでいる。


「……これでいいのか?」


 ぼそりとディードが呟いた。カイが鋭い視線をそちらに向ける。


「予定通りだろ。お嬢様に続けられる仕事じゃ無い」


 グラスに色とりどりの光が反射している。


「それは、そうなんだがな」


「イレギュラーであったのは確かだが、どの道すぐに辞めたさ」


 カイがピーナツに手を伸ばしたがディードにピシャリと手を叩かれた。


「……カイ。実は問題が一つある」


 カイは眉を顰めて続きを促した。


「うっかりしていたのだがシャノン君にアルバイト代を渡していない。これは大変な労働基準法違反だ」


 カイがディードを睨み付ける。


「彼女が労働局にでも訴えたら事だな。ああ。まったく頭が痛い」


 ジャワハラルがニタニタした視線をカイに向けていた。カイは立ち上がって100エピオン札をカウンターに叩きつけた。ディードとジャワハラルが肩位置まで手のひらを持ち上げて首を振った。


 ディードはお釣りを受け取って乱雑に歩き出したカイの後を追った。


 ■


「どーぞ、お嬢さん」


 若い金髪の男性がシャノンを個室に案内する。


「ヒルトンのスイートとはいかないが、シャワーもトイレもついてるからしばらくは我慢してくれよ」


 警備会社の宇宙船は質実剛健な作りで通路一つとっても面白みがない。


「はい。ありがとうございます」


 シャノンが涼やかな笑顔で一礼すると、男の顔が真っ赤になった。


「う、うろちょろしないでくれよ?」


 男は部屋を出てドアをロックしていった。シャノンはベッドに腰を下ろして息をついた。


 ――なぜでしょう。どんな時でも私は新しい物が楽しくてしょうが無かったはずなのに、今は何を見ても面白いと感じません。


 さっきの笑顔もかなり意識して作り出していた。今までそんな事があったでしょうか?


 この部屋もとても居心地が悪い。大学の友人宅はもっと汚かったし狭い部屋だって沢山あった。でもその時でも普段見られない物を見られる喜びと楽しさに満ちていたはずだ。しかし今は何を見ても心が躍ることは無い。いつからそうなってしまったのだろう? シャノンはゆっくりと刻を遡る。


『縁が無かったな』


 そうだ。あの時からだ。


 カイの最後の一言。


 そんな事は無い。私とカイさんとディードさんには縁がある! 絶対に!


 そこに考えが行き着くと、シャノンは急に元気が戻って来た。


 そうだ。私たちに縁はきっとある。まずはお父様の誤解を解いてからお二人の所に戻ろう。


 シャノンの顔に次第と笑顔が戻ってくる。心が躍り始めて落ち着きが無くなっていく。場違いなほど優雅に立ち上がるとシャワールームやトイレなど部屋の中を隅々まで楽しげに見て回った。


 ■


 食事を運んでくれたのはここへ案内してくれた金髪の青年だった。名前をエルネストというらしい。この退屈な船旅はもう6日目に突入していてさすがのシャノンもうんざりしていた。食事も味気ないものであり、彼女の唯一の楽しみと言えばこのエルネストとの会話だけだった。


「まあ、それは怖かったでしょう」


「そうなんだよシャノン。腕がぶっ飛んだ痛みより、敵の中で孤立した恐怖の方が強かったんだ」


 エルネストとシャノンはベッドに並んで座っていた。この部屋には他に座る場所がなかったからだ。エルネストの腰を下ろす位置は日ごとに近づいていき、今では身体が接触するほどだが、シャノンの笑顔はいつも通り光り輝いていた。


 エルネストの人生は彼女の笑顔のごとく一番輝いていた。


「もう左腕は良いのですか?」


 エルネストは袖をまくって鍛えられた筋肉を見せつける。彼なりのアピールだった。


「一からの再生だったから半年以上掛かったけど、今ではこの通り!」


 二の腕を膨らませて歯を輝かせた。


「まあ! 凄いです! もしかしてコインを曲げたり出来ますか?」


「え? ……み、右手ならなんとか……」


 試したことも無いのにとっさに嘘をついてしまうルネストを誰が責められよう。


「あの……良かったら見せてくださいませんか? エルさん」


 これは試練だ!


 エルネストは「もちろん!」と答えてポケットから一枚のコインを取り出す。


 信じろ! 自分を信じるんだ!


 一度深呼吸をしてからコインを摘まむ。シャノンの眼には期待が星となっていくつも瞬いていた。


「をおおおおおおお!!」


 神よ! 我に力を!


 全身全霊、極限まで力を込める。


 神よ! とくとご覧あれ! これが俺の愛の力だ!!!


 くしゃりと75デクシア硬貨が折れ曲がった。


「凄いです! びっくりしました! 本当にこんな事が出来るんですね!」


「まあこんくらいは朝飯まえさ」


 この笑顔のためなら、まるで骨にヒビが入ったような痛みだって耐えてみせるさ!


「シャノン……あの」


 エルネストは少しだけ彼女に顔を近づける。


「はい?」


 笑顔のまま返答する彼女の両肩に両手を載せた。


 ――キスしてもいいか?


 その言葉は彼の口から発せられることは無かった。胸のレシーバーが電子音を鳴り響かせたからだ。


『エルネスト、戻ってこい』


 隊長の短い一言に反射的に立ち上がり大声で復唱した。びっくりしているシャノンにバツが悪そうに頭を掻く。


「あー、俺もどるね」


「はい。お仕事頑張ってください」


 落ち着いた笑みに見送られて通路を走る途中、手の中のもう使えない75デクシア硬貨を見つめてナイスアイディアを閃いてしまった。


(そうだ。明日これをプレゼントしよう)


 エルネストの回りだけ、重力が弱くなっているようだった。


 ■


 7日目の朝、幸い服は沢山持っているので衣食住には困らなかったが部屋の扉はロックされ、洗濯も出来ず、窓も無いので星空すら楽しめない状態だった。しかしそろそろ惑星セントラル・ナディアに到着する頃だろう。


 シャノンは頭の中で何度もシミュレーションした<お父様説得計画>を頭の中で繰り返す。もうこんな強引な手段で回りの人々に迷惑を掛けさせる訳にはいかない。それにしても自分の父親がここまで常識を外れた人だったとは思わなかった。シャノンは自分の事を棚に上げ深いため息を吐いた。


 ちょうどそのため息と同時に予告なく扉が開いた。いつもならインターフォンを鳴らしてから入ってくるのにと思いつつ顔を上げると、エルネストではなく隊長と呼ばれていた大柄のロバート・ブラウンが立っていた。その後ろには武装した部下が待機している。


「ミス・クロフォード。こちらへ」


 愛想も何も無い。しかしシャノンは気にせずいつでも出られるように用意していたトランクを押して後に付いていった。


「ようやく到着しましたのね。さすがに息がつまりそうでした。散歩くらいはさせてもらいたかったです。もっともお船の中では行き止まりばかりでしょうけど」


 シャノンは冗談を言ったつもりだったが、誰一人眉すらも動かしてくれなかった。彼女は少々口を尖らせた。


 ウィケッドブラザーズ号に比べるとこの船はかなり大きいようだった。いや、あの船が外洋船としては小型すぎるのかもしれない。シャノンが案内されたのは貨物室カーゴルームだった。


「あの……?」


 てっきりエアハッチに案内されると思っていたので、状況が掴めない。カーゴルームには翼の付いた小型機がセッティングされている途中だった。おそらく大気圏を行き来するための船だ。ほとんどの惑星でこの手の大気圏突入機の使用は禁止されている。もちろんセントラルも例外では無い。シャノンは急に不安になり回りの男たちの顔を見渡した。すると彼らは額から汗をだらだらと流すほど緊張していた。


 鈍いシャノンですら直感出来た。何か、大変な事に巻き込まれていると。


 彼女の身体から急に力が抜けて、その場に腰が落ちてしまう。男たちはただシャノンに視線を移し、無言で立てと伝えていた。


 シャノンが震える身体を起こそうとしたときだった。指先に何かが触れた。初めはネジか何かだと思ったが拾ってみると、それはもう使用できない75デクシア硬貨だった。

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