第四話【そして彼らはトラブルを呼ぶ】
「今日の夕方にTTジャンプする」
コイントスに負けたカイがソファーの上で目を覚ました。飛び出したスプリングが忌まわしい。ディードの宣言にカイが軽口で返す。
「
カイはあくび混じりで起き上がった。すでに朝食がテーブルに並べられている。未だにシャノンの気配をまったく感じられない。もし彼女がアサシンだったらカイは100%殺されるところだ。もっともそういう事と無縁だからその気配を感じられないのだろうが。
朝食は茹でたソーセージと目玉焼きだった。ソーセージを買った覚えは全くなかったが、きっと冷凍庫の奥にでも転がっていたのだろう。卵は唯一買う生鮮食品だ。日持ちするしレトルトやカップ麺に載せるだけで味が変わるからな。
トーストされたパンを囓りながらリモコンでモニターに船情報を表示する。
「3時間ほど浦島太郎だな」
鈍足の貨物船に合わせての加速なのでそんな物だ。TTジャンプ地点で光速の30%ほどだ。だが質量の大きい貨物船と同期するためには軽いこちら側がTTMHに余分なエネルギー負荷を掛けて見かけ上同エネルギーにしなければならない。
「貨物船に合わせると燃費が悪いな……」
ディードが眉間にしわを寄せる。もともと燃費の悪いこの船がさらに燃費が悪くなるのだ。そんな顔にもなるだろう。
「まったくだ。そういえばセントラルで新聞を読んだんだがまた戦争が起きそうな事が書いてあったな」
「カイが新聞? 似合わんな。そういえばセントラルを出るときにそのニュースは見た。どこが戦争するかにもよるがまたガス代が上がるかもしれんな」
ディードが深いため息をつく。やってられないと顔に書いてあった。
「ガス? この船はガスが燃料なんですか?」
「ん? いや言い方が古いだけだ。地球周辺だと未だに燃料全般をガスと呼ぶな」
「カイ。地球周辺に限らず割と一般的に使われている。この間の豪華客船の船員も普通に使っていた」
「へえ。てっきりスラングかと思ってたぜ」
カイはリモコンで情報を切り替える。船に残った液体金属水素32%。液体窒素が27%。液体金属酸素が22%だった」
「さすがに三ヶ月無補給はヤバいな」
「
彼女の言っていることはおおむね間違ってはいない。
「安いといえば、まあ安いのだろう。私たちにとっては安くはないな」
ディードの言葉には切実な思いがこもっている。
「個人が買えるって意味では、まあ安価と言えるかもな。だが液体金属酸素の方はかなり高価でな、家計に大打撃だったりする」
「LMOですね」
「詳しいな。大学で習ったのか?」
即答するシャノン。てっきり船乗りでなければわからないと思って使わなかった。
「学校で、です」
彼女の言い方が気になった。しかしその意味にすぐにたどり着いた。
「そうか。高校レベルの話なのか」
シャノンが申し訳なさそうに首を縮めた。すかさずディードが言葉を挟む。
「そうだ。私たちの目的地である木星の衛星イオで固体金属水素を製造しているんだ」
彼女がぱっと顔を上げる。
「SMHの工場ですか?! 見学とか出来ますか?」
「俺たちはイオには降りないって言っただろ? あとSMHはMHでいい。これはスラングじゃなくて広く使われている。むしろSMHなんて丁寧に言ってたら逆に
「わかりました。でもSMH……いけないMHって凄いですよね! 軽くて丈夫で常温超伝導物質で合金も多種多様でその全てがまったく違う特性になるのですから!」
いささか興奮気味に語り出した。
「悪い。俺はそういう話は良くわからない。そんな事は知らなくても飛べる……」
そこで言葉を切ってヌルくなったコーヒーを飲み干すとソファーに深くもたれ掛かった。
「ずっと
最後は自嘲していた。こんな話をしてしまった自分に対してだ。
「そっ! その!」
シャノンが顔を近づけてきた。息が掛かるほどの距離にたじろいでしまう。
「学問は後から身につけるのは難しいですけれど、勉強する事と知識を増すことはいつでも出来ますから!」
「……? 違いがよくわからん」
「私は学問とはその道の真実に近づく行為だと思っています。ですから学問とは本来求める人のみが進む道だと思っています。ですが今の教育制度では勉強と学問の区別がついていないんだと思います」
熱く語るシャノンに気づかれないように、ディードリヒに視線をやる。ディードもカイを見ていた。二人はうなずき合って姿勢を正した。
「勉強とは本来自分が必要な事象を理解するための物です。パン屋さんがコロンブスが新大陸を発見した年代を知っている必要はありませんし、銀行員が植物の光合成の仕組みを理解する必要も無いはずです」
もう一度二人は顔を見合わせた。
「だが知らないよりは良いだろう?」
「そういう考え方に行き着いてしまう社会システムに問題があるのだと思うのです。自分の道が決まらない間は学校へ行くことは普通の事だと思います。私は自分の道を見いだせず、だらだらと学生を続けてしまいました。ですから高校生で自分の進むべき道を見つけ、そしてそれを選ばれたお二人の事を羨ましくも尊敬申し上げます。ですからそのように自分の事を卑下しないでください!」
彼女はいつの間にか涙を流していた。彼女の理論は一部正しく、一部は世間知らずの言葉だろう。だが二人の心には十分に響く物だった。
「自分が必要だと思った勉強は、興味のあることを知ることは、必ず身につきますから……だから……」
シャノンはとうとう両手で顔を押さえて泣き出してしまった。
男二人は狼狽える以外何も出来なかった。
■
マグカップに注がれたコーヒーにミルクパウダー。それに砂糖三杯を放り込んで混ぜる。ディードがそれをシャノンの前に置いた。
「ありがとうございます」
シャノンはカップを持ち、息を吹きかけ冷ましている。まだ若干鼻声だった。
「昔な」
カイはついでに差し出されたブラックを受け取りながら話し出していく。
「仕事中にTTジャンプの事をワープって言ってな、えらく馬鹿にされたことがある。それ以来言い方も理屈も関係無い! 遠くに移動してるのは事実なんだからそれでいいじゃねえか! って余計に思うようになっていた」
ディードリヒも定位置に座ると低い声で話出す。
「私たちはいつの間にか馬鹿のフリをして、色んな事から逃げていたのかもしれんな」
ディードはそれでも
「理解出来ないことは耳に入らない。……ダメだな。俺は」
「私もだ」
カイは立ち上がってシャノンの頭を乱暴に撫でた。
「まあ気が向いたら、少し勉強……色々調べてみる事にするよ」
そして壁面モニターのタイムスケジュールを確認する。
「さて、そろそろTTジャンプの時間だ」
少々もったいないが、コーヒーはシンクに捨てて、カップを食洗機に突っ込んでおいた。
それを見た二人も同じように行動する。
船首のパイロットルームに向かおうとして、ディードが話しかけてきた。
「カイ」
「なんだ?」
「シャノン君には通信オペレーターをやってもらったらどうだ?」
「ん? ああ、そりゃいいな。おいシャノン」
「はい!」
今の今まで沈んでいたとは思えない勢いで立ち上がって寄ってきた。
「……近い」
「す、すみません」
彼女が一歩下がったところでパイロットルームを指さす。
「席が3つあるだろ。中央で1席だけ前にあるのがパイロットシートで俺の席」
「はい」
目を皿のようにする人物を初めて目撃した。
「……あー。それで後ろに並ぶ2席の左側がコパイシートでディードの席」
「はい!」
目が輝いている。次に続く言葉を予想したらしい。ここでお前の席はカーゴルームだって言ったらどんな顔をするだろう。
「カイ」
どうやらこの平行四辺形ゲルマンにはいたずら心がお見通しらしい。
「それで、その右側が今使っていない通信航法なんかをするためのサブシートなんだが……」
「はい!!」
もったいつけ過ぎか。
「シャノン・クロフォード。今から君の席だ」
「わかりました!!!」
浮かぶような足取りでシートの横に立つと、カイとシートを何度も交互に見返す。カイが手で促してやると慎重にシートについた。うん。お前はそういう表情をしていた方がいい。
「……な、なんだか緊張します!」
「通信機の使い方はわかるか?」
電話はモバイルとはかなり勝手が違うから、教えないとダメだろうと考えていたが、予想外の返答が返ってくる。
「これならば、使えると思います。航法側のシステムはまったくわかりませんが、通信方法の選択とバンドの選択でいいんですよね?」
「へぇ……経験あるのか?」
「学校のお友達が船用ではありませんが小型のものをよく使っていました。横で見ているうちになんとなく」
そういえば昔は無意味にごっつい通信機器なんかをいじったりしたなあ。シャノンの彼氏がそういうマニアだったのかもしれない。教える手間が無いならそれ以上考えることはない。
「よし、8番につないで、船名とお前の名前を言ってやれ」
「わ、私がですか?」
「カイ」
このくらいいいじゃねーかと手で制すと、ディードリヒはごく小さくため息をついた。いきなり本番をさせるなと目で訴えていたが、失敗したところで特に罰則があるわけでもなく、そもそもこんなものはエージェントに任せっきりでも構わないレベルなのだ。
「ジャンプの準備が出来たって教えてやるんだ」
「わ、わかりました! がんばります!」
カイがニヤつきながらシャノンを見ていると、ディードリヒが無言の抗議を向けてくる。付き合いの長いカイ以外には彼の表情が変化しているとはわからないだろう。
「それでは通信を始めますね」
「おう」
シャノンの緊張がこちらにも伝わってくる。彼女がゆっくりと通信をオープンにすると、予想外の声が飛び出してきた。
『皆さん! なにトロトロやってんですか! もうジャンプに入るんですよ! とっとと席に……ん? あれ、通信が……』
モニターに顔を赤くして怒鳴る東洋系の男が映し出された。たしか出発するときと同じオペレーターだ。
「おはようございます。こちらはwicked brothers号のシャノン・クロフォードと申します。ジャンプの準備が出来たので連絡を差し上げたのですが何か落ち度がありましたか?」
笑顔のまま小さく首をかしげるシャノンを見て、カイとディードがこっそりと目を合わせた。
(完璧だな)
(女は怖えなぁ)
モニターの向こうで男が慌てて敬礼した。
『しっ失礼しました! こちらドブルー建材のalbatross号です! わたくし通信オペレーターのヤン・ゴールドマンです! こちらもジャンプ可能……です。あの……そちらは本当にwicked brothers号ですか?」
「はい。間違いありません」
『そ、そうですか……。いやぁまさかJOATにこんな美人が……』
男の映像は胸までしか見えないが、片手で何か操作しているのは肩の動きでわかる。おそらくシャノンの映像でも録画しているのだろう。
「おい、こっちは準備出来たんだがな?」
話が進まなそうなのでドスを利かせて割り込む。
『ふあ?! すっすみません! えっと……それでは300秒後にジャンプに入りますので最終同期チェックをお願いします』
シャノンがこちらを見たので、横のモニターを指差してやる。上下に二つの船のジャンプステータスが表示されていて、どちらもグリーンだった。
「はい。確認しました。問題ありません」
『えーと、クロフォードさんはイオに降りる予定とかは……』
「……おい。残り時間を考えろよ?」
『うわ! また男のアップ! い、いえ! それではジャンプ後の規定通信で!』
「わかりました。ありがとうございました。ヤンさん」
ヤンが何か言っていたが問答無用で通信を切った。今時規定通信なんぞ誰がやるんだ。
「緊張しました。ちゃんと出来ていましたか?」
「うむ。とても良かった。才能があるな。シャノン君は」
さすがゲルマン紳士。女性を褒めるのに躊躇がねえ。俺には無理な芸当だな。
「ありがとうございます! 私は今日のこの出来事を一生忘れません!」
「大げさだな。さてと、俺らも着座しますか」
カイが三角に配置された天辺のパイロットシートに。ディードが左下のコパイシートに着座する。
「よし、プラズマジェット止めるぞ。全シャッター下ろしてくれ」
「もう終わっている」
光学カメラが全て収納され、正面のガラス窓風の壁面モニターが黒くなり、船体ステータスとリンク情報。座標情報だけが映し出される。
カイがTTMHの電圧を確認する。この負荷データをミスるとジャンプアウト先がずれることになる。ウチのエージェントは計算だけは得意なのでミスることはないはずだが、念のため2船のエネルギー量の同期情報を確認しておく。
「最終チェック。オールグリーン。シャノン君TTジャンプのカウントダウンを読んでくれ」
普段ならあくびをしながら待つだけだが、ディードが気を利かせたらしい。紳士だねぇまったく。
「はい! えっと……これですね。13,12,11……3,2,1,0!」
そのまま沈黙。
「シャノン。続き。ジャンプアウトのカウントだ」
「え? あっはい! えっと、78,77,76……」
今度は少し長い。俺とディードもこの瞬間だけは真剣にモニターの数値を睨んでいた。
現在wicked brothers号はタキオン化されている。昔タキオンは一つの粒子と考えられていたが、TTMHの出す波が共鳴を起こしたときにその効果内の全てのタージオン(ここでは実体的な意味)がタキオンに変換される。TTMHは水素金属の一種であるが特殊な触媒によって不思議な性質を持つ。この金属はエネルギーを加えられるとその金属に囲まれた空間(金属自身を含む)全ての物体をタキオン化してしまう。物質がタキオン化している間は通常の空間からはいかなる方法を使っても観測できなくなり、お互いに一切の影響を与えなくなる。しかしタキオン化した物質はその閉じた空間の中で通常の物理法則で動いている。未だにその現象は解明されていないが結果として「こうなっている」ので皆が使っている。実際TTジャンプによる事故はほぼ無い……と言われている。タキオン状態の宇宙船は最低で光速を
今日のように質量の違う船が正確にリンクする為にはジャンプ直前のエネルギー量を見かけ上同一にしなければならないので、質量の低い方の船が、TTMHに余分なエネルギーを加えることでエネルギー量をコントロールしてからジャンプするのだ。そうすることで同座標へのジャンプアウトを可能にする。
TTジャンプはあくまでジャンプインした瞬間のエネルギーとベクトルで全てが決まる移動方式だ。
「……5,4,3,2,1,0!」
モニターの全ての数値がグリーンに移行する。俺は軽く息を吐く。この瞬間だけだ未だに少し緊張する。
「さてシャノン。通常空間に出て一番最初にやる事はなんだと思う?」
「え? そうですね……先ほどヤンさんがジャンプ後に通信とおっしゃっていたので、連絡ですか?」
「外れだ。一隻の時に成り立たないだろこの問題。答えは……これだ」
カイは立ち上がって三つのシートの真ん中にあるドラム缶をスリムにしたような円筒形の金属を叩いた。
「ギャラクシーマップですね。わかりました。自位置の確認ではないでしょうか?」
「そう。こいつが無きゃ
ギャラクシーマップのパネルを開き、立体投影モードを起動する。近辺10万光年の星の配置図が浮かび上がる。パネルを操作に連動して縮尺率が変わり銀河全体が映し出された。
「これのおかげで一瞬で自位置がわかるのさ」
わざわざ立体投影モードなど起動しなくても、自動的に位置情報は船のコンピューターとリンクしているのだが、わかりやすいと思って一度見せておいた。
「シャノン君。宇宙では位置がわからないことは死ぬよりも恐ろしい事なんだ」
シャノンはディードの真剣な顔を見上げた。
「死ぬよりも、ですか?」
「宇宙で死ぬときはいつだって一瞬だ。だが宇宙で迷子になってしまったら?」
子供に言い聞かすような口調だ。そういえばこいつたまに教会で孤児に読み聞かせとかやってるな。
「SOSを発信して救助を待ちます」
「レーザー通信は光の速さしか出ない上に、それをどこに向かって通信するんだい?」
「あ、そうですね、相手の位置もわからないんですものね……」
そう。地上に住んでいる人間には通信は四方八方に向かっていくイメージだろうが、宇宙では違う。1auを超える距離と通信しようと思えば、もうピンポイントで電波を集約するしかない。宇宙で角度が1°違えば通信など不可能なのだ。自位置と通信相手の位置をリアルタイムで確実に把握していなければ同じ恒星圏内ですら通信はむずかしいのだ。
「そういう事だ。タキオン通信機はまだ巨大で、惑星などにしか設置されていないから、光速を超える通信は事実上不可能だ」
「水も食料もガスもある。だがもう終わりだ。どこにも行けないしどことも連絡が取れない。想像してみな」
俺の言葉にシャノンが自分の口に指を当てて黙考する。
「……ふふっ」
突然笑みを浮かべるシャノンに、俺とディードが目を丸くして顔を合わせた。
「初めは客船でイメージしてみたのですが、それは確かに死よりも恐ろしい事になってしまうかもしれません。でも」
シャノンがクスクスと口に手をやる。
「この船でならきっと笑顔でいられます。カイさんとディードさんと一緒なら怖くありません。全ての可能性がなくなってもその時は運命を受け入れられます」
カイは豆鉄砲喰らった鳩になり、ディードもサンドイッチを頼んだのに特大のステーキを持ってこられた表情をしていた。
「……あの?」
絶句してしまった二人にシャノンが心配気に声を掛けてくる。
「なんでもない。再リンクは?」
「もう終わった。シャッターを開ける」
「プラズマジェット起動。プラズマ流動を前面ノズルへ。あとは完全リンクへ移行だ」
「了解。リンク確認」
「OKだ。よしシャノン、向こうに通信をつなげてやれ」
「はい! 何を言えば良いのでしょう?」
「問題無いって伝えれば十分だ」
「わかりました! 通信オープンにしますね」
ちゃちゃっと通信機を操作する。物覚えは良い様だ。
カイがシャノンの横に立ってモニターをチラ見する。
「こちらwicked brothers号です。通信よろしいですか?」
10秒ほど待たされた後に向こうのモニターがオンになった。てっきりヤンが出ると思ったのだが30代後半の白人系男性が映っていた。
『船長のレオナルドだ。何の用だ?』
ヤンと同じ制服だが色が違った。白い制服を身につけていた。
「はじめまして、私はシャノン・クロフォードと申します。こちらの船の状況を……」
『そんなものはリンクデータを見ればわかる。いちいち通信してこなくて良い。ヤンにも無駄な通信を繰り返すなと厳命していたところだ。わかったかね? ミス・クロフォード』
「はい。大変失礼いたしました。それではこれで通信を終わります」
『……待て』
レオナルド船長がアゴに手を当てて考え込む。
『シャノン・クロフォード? もしかして君は本家の娘さんじゃないのかね?』
「本家……というのがどのような意味で使われているか良くわかりませんが、私の父の名はニコラス・クロフォードです」
船長が呆れ顔になる。
『やはり本家の……。ミス・クロフォードはいったいそこで何をしているのです? 木星周辺に急用でも?』
「違います。私はこちらのイェーデス社に入社いたしました。もっともまだ試用期間中ですけれど」
はじける笑顔に船長は絶句した。暫く唇を震わせていたがようやく声を発した。
『本家のお嬢さんがJOATに入社?! いや! いくらなんでも冗談が過ぎますよ!』
声を荒らげるレオナルド。動揺は手に取るように理解出来るが、カイたちとて大声をあげたいほど動揺していた。
「ふふ、冗談にならないよう頑張っています。まだ見習いですので色々とご指導いただけると嬉しく思います。よろしくお願いしますね。レオナルド船長」
『う……』
シャノンの笑顔攻撃は、カイたちだけで無く男性全員に効果があるようだ。カイはレオナルドを見てそう思った。通信の切れる寸前に船長が発した「私の手に負えない」という呟きを聞き逃さなかった。
「ふう。ヤンさんでなかったので緊張してしまいました」
胸をなで下ろしてこちらに振り返る。
「……あの、どうかしましたか?」
呆然と動きを止めている二人に不安げな表情を浮かべた。
「いや、シャノン君? クロフォード社とは関係無いと言っていたよな?」
「はい。入社したこともアルバイトをしたことも、建物に入ったことすらありませんよ」
やばい。このお嬢様にはまったく通じてなかったらしい。
とはいえ、今さらだ。まさか外に放り出すわけにもいかない。
カイがディードに目配せすると奴は力なく首を振るだけだった。
「よし、コーヒーでも飲むか。また三日間暇になるぜ」
考え込んでも仕方ない。カイは気持ちを切り替えてリビングへ向かう途中、ディードが難しい顔をした。
「どうかな?」
カイは視線だけを彼に動かす。
「来るかね?」
「十中八九」
シャノンの事を抜かしても、護衛一隻の輸送船など美味しい得物だ。安全局に依頼した時点で航路はダダ漏れだ。
「あの、なにか問題でも?」
「……いや、何もないといいな」
カイは彼女の頭を軽く撫でてからコーヒーサーバーへ向かった。
■
『海賊からメールが来た』
レオナルド船長が顔を真っ青にしてモニターに映っていた。シャノンはそれを聞いて目を見開き、両手を口に当てた。
「転送してくれ」
すでに船は海王星軌道を越え、土星軌道上を過ぎた頃だった。
『よーお! 君たち元気に飛んでるねー! でもここはバラン一家のナワバリなんだわ。通行料を受け取りにいくから、進路を指定方向へ変えな! 30分以内だ! ちゃんと言うこと聞いたら通行料の荷物だけで許してやるが、もしも無視するようなら……けっ! 言うまでもねえだろ! 長生きしたけりゃ良い子にしな!』
ひげ面のいかにも海賊という体で、カイとディードリヒはうんざりと天を仰いだ。
「もう少し工夫が欲しい所だな」
「まったくだ。あんなステレオタイプで良くも生き残ってこれたな。俺なら恥ずかしくて死ぬ」
苦笑する二人にレオナルドが怒鳴る。
「ふざけるな! どうするんだいったい!」
「一番安全な方法は相手の言うとおりにする事ですな。荷物は海賊に、保険金があなたたちに。ま、保険料は上がりますがあんたたちには関係無いでしょう? おすすめです」
ディードが懇切丁寧に説明する。実際海賊は相手の命を取ることはまず無い。やりすぎると賞金が跳ね上がって賞金稼ぎに付け狙われるからだ。
「なんの為の護衛だ! それにこの荷物は……ダメだ! 絶対にダメだ! お前たちは自分の仕事をしろ! 敵を殲滅したまえ!」
「へいへい」
カイは肩をすくめて答えた。
『戦闘にあたっては、そちらのお嬢様をこちらで預かろう。すぐにドッキングしたまえ』
「ああ、その方が良いな」
「待ってください! 理由を教えてください!」
カイがドッキングシークエンスに入ろうとしたら、シャノンに遮られた。
「理由って……そりゃ危ないからだ。今から戦闘を始めるんだぜ?」
単機ならともかくせっかく避難場所があるのだ。利用しない手はない。
「それなら心配はありません。入社説明で危険がある職業であることはしっかりとお伺いしています。それに私がそちらに移ったところでこの船がやられてしまったらそちらの船が無事でいられるのでしょうか?」
『それは……』
レオナルドが言葉に詰まる。
「それに私はこの船のクルーです。降りるつもりはありません」
カイはため息を吐きつつも、どこか嬉しかった。
「レオナルド船長はそのまま予定通りに飛んでくれ。俺たちは俺たちの仕事をする」
「しかし、それでは……」
「理由はどうあれ今のシャノンはウチのクルーだ。お客さんじゃない。そっちとの全リンクを切るぞ。レーザー通信も無しだ。そっちに電子戦の影響が出るかもしれんからな。ギャラクシーマップと光学系をメインに切り替えろ。一分後に離れる」
レオナルドはため息交じりに敬礼した。
「武運を祈る」
「そっちもな」
通信を切ってディードに向く。
「どこから来ると思う?」
「そうだな……普通に考えると小惑星帯からだろう」
ディードが額に指を三度ほど当てて思考する。
「初めからあの輸送船を狙っていたのなら後ろのトロヤ群から上がってくるな」
「決まりだ。プラズマ流動を前方から後方に切り替える。頭を回すぞ。どのくらいの位置にいると思う?」
「1
この手の予想をディードリヒが外したことはない。
「あの……普通船の自位置は近くのセンターに送っているのではないですか? それを参照すれば……」
「海賊が律儀にそんなもん送るわけがないだろ? ちなみに俺たちの船も送ってないぞ」
「え? それって宇宙法違反なのでは?」
「いや、護衛船に限っては護衛中のみ送らなくても良い決まりになっている。ちなみに海賊なんかに襲われた場合は輸送船や商船なんかも識別信号を切っても良いんだがそれは誰もやらない」
「何でですか?」
「一時期保険金詐欺が流行ってな。保険屋が条件として識別信号を切らなかった場合にのみ保険金を支払うように変更したんだ」
「それは……かえって被害が増えるのではないでしょうか?」
「そうでもない。海賊のでる宙域なんてのは限られてるしな。ちなみに海賊はセンターの情報をハックしているから、ターゲットの位置はバレバレだ」
「そんな……」
「だからこそ俺たちがいる。普通に警備会社と契約していれば、いったい何隻の護衛船を引き連れているのかなんてわからないから、なかなか襲えない。ところが今回は別だ」
「どうしてですか?」
「仕事の依頼が普通に安全局の依頼板に流れたからな。普通に考えたらJOAT1隻の護衛とわかる訳だ」
「えっと……それは仕事の依頼内容がすでに依頼板に記入されているから、ですよね?」
「そういうこと。出発地も到着地もわかってるから好きな場所で襲えるしな」
JOATはトラブルを呼び込む。
その理由の一つがこれだ。
「余計な時間は無いぞ」
ディードリヒが二人を促す。
「よしシャノン。これを飲め」
カイに小さなカプセルを渡されて、シャノンが顔を上げた。
「血流をコントロールするナノマシンだ。それとすぐにこれに着替えろ」
カイはシートの下に納められていたスーツを取り出した。シャノンはクスリを飲み込んでからウェットスーツの様な服を受け取った。
「耐Gスーツだ。時間が無い、急げ」
何かを言いかけていたシャノンを強引に部屋から追う出す。カイもカプセルを口に放り込んでシートに着座した。
「カイは着ないのか?」
「俺たちがそんなもん着たら、つい無茶な機動をしちまうだろ」
「それもそうだな」
二人はニヤリと笑った。
「200万kmは近づきたい所だな」
「先に見つけてくれ」
「任せろ」
この自信はどこから来るのか。だがディードリヒは有言実行の男なので安心して任せられる。下準備が済んだところでエアロックが再び開いた。
「お待たせしました……あの……これ身体のラインが……」
戻って来たシャノンがキッチンカウンターに身を隠す。
「早くシートに着……け」
カイが振り返るのとシャノンがキッチンから出てきたのは同時だった。想像以上に発達した胸と、折れそうなほどくびれた腰が耐Gスーツでくっきりとラインを浮かび上がらせていた。
「お、おう」
カイは思わず言葉を詰まらせる。
(こいつ……着やせするタイプだったのか、あれでも)
身長が低めだったのであまり気にしないようにしていたが、想像以上の爆弾ボディーに珍しく狼狽えるカイであった。
「あの……」
シャノンが身をよじらせてカイの視線を意識していた。
「す、すまん。早く席につけ」
「は、はい!」
ぱたぱたとナビ席に身を沈めるシャノン。
「そのまま動くな」
「はい」
コンソールに手早く手を走らせると同時に、シャノンの座っていた席がバシュっと空気音を立てた。
「きゃっ?!」
彼女の席は高級マッサージチェアのごとく、エアクッションに包まれていた。
「今からかなりきつい機動になる。しばらく我慢していろ」
「は、はい……ちょっと……苦しいです」
どこが。とは聞かなくても一目瞭然だ。左右のエアバッグに押し上げられた双丘が大変な事になっていた。
カイは無理矢理視線を前に戻して自らも4点ハーネスを身につける。自動的にベルトに空気が注入されて身体をがっちりと固定する。シャノンのように全身ではないが、胴体は完全に固定されていた。もちろんディードリヒも同様である。
「さて、これから相対戦闘モードに入る訳だが」
シートに設置されたミラーをチラ見すると、そこにシャノンが映っていた。
「いいかシャノン。これからZOIHを切る」
「え?!」
――
Zone of the immobilized Higgs field(ヒッグス場固定領域)と呼ばれる特別な力場の事である。これは物質に質量を与えるヒッグス場を閉じ込めて力場の中に固定する作用がある。ヒッグス場の中で物質が進むとヒッグス粒子に邪魔をされる。この邪魔こそが質量だと思ってもらえばいい。もしこのZOIHが無い状態で船を加速させるとしたら基本的に1G加速が一般的となる。それ以上加速するとこのヒッグス粒子に邪魔されて身体が耐えられなくなるからだ。だがこの時代20G加速なんてのは当たり前である。それを可能にしたのがZOIHだ。
ヒッグス場を水と考えて欲しい。まずは水の上を走る船があると想像して欲しい。船の上にはあなたが乗っている。水の上を走っている間は問題無いだろう。ところがその船が突然水中を走り出したらどうだろう? とりあえず水中でも呼吸が出来るとして考えてもらいたい。船がそのまま水中を直進するとして船の上に乗っている貴方はどうなるだろうか? 凄まじい水圧で潰されるか流されるかしていまうだろう。だが、船と貴方が大きな瓶に入れられたらどうなるか? 瓶はまっすぐ水の中を進むが、中の貴方は潰れるようなことはなくなる。この瓶にあたるのがZOIHである。
つまりZOIHを切ると言うことは、今まで気にしなくて良かった質量やら慣性やらが戻ってくるということだ。
「そ、そんな……ZOIHを切ってしまったら……」
「そうだ。今まで無効化されていた慣性重力が働くようになる」
「私たちはぺしゃんこになってしまうんですか?」
「いや、ZOIHを切るタイミングでジェットを切る。加速も減速もしない状況だ。ZOIHを切っても何も起こらない」
シャノンの表情が引きしまる。
「切らなければならない理由があるのですね」
「簡単に言うぞ、こちらの位置を知られない為に、相手のレーダー類を妨害する。色んな電波帯を使うんだが、これがZOIHと同時に使えないものが多数含まれるんだ」
「わかりました」
「それでな……」
カイは一度言葉を区切った。
「今から無茶なGが掛かる。瞬間的には5Gや10Gじゃきかない。ナノマシンに耐Gスーツ。シートも最大耐Gモードにしてあるから死にはしないが……きついぞ」
彼女は一度唾を飲み込んだ。
「大丈夫です。覚悟は出来ています」
「……悲鳴は上げていいからな」
カイが軽口を叩くとシャノンが顔を真っ赤にした。
「そんなはしたない事はしません!」
カイは口元を緩めるとスロットルレバーを握りしめた。
「行くぜ!」
後方ノズルから加熱されたプラズマがwicked brothers号を一気に押し出す。
シャノンの悲鳴が響き渡った。
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