第二話【新たな日常】

 男二人の船内はいつだってカオスだ。


 破れてスプリングの覗くソファー。足の折れたテーブル。コーヒーのシミが目立つカーペット。洗われていない食器の山。積み上がった雑誌……。


「まあ……」


 船首側居住空間に最初に足を踏み入れた最初の言葉がそれだった。ぐるりと見回して続ける。


「ここは?」


 シャノンの顔を見ずに答える。


「あー。生活空間だな。カウンターキッチンもあるが……まぁあんまり使ってねぇ」


 どうしようもなく洗い物が溜まると仕方なしに片付けるが、再び溜まるまで放置してしまう。雑誌も空港でゴミ出しすれば良いのだが、まとめるのが面倒でつい放置。考えてみると引き籠もりの部屋となんら変わらないのだ。


 なんかだんだん恥ずかしくなってきた……。


「奥が操縦席になっているんですね? 今まで乗った事のある船と全然作りが違っていてなんだか楽しいです」


 確かにこんな奇天烈な作りをしている船が現役で銀河を飛んでるとはとても思えない。


「もともとこの船は強行探査船だったんだよ。当時は11人乗りだったらしい。今いるスペースには8人分のシートがあったらしいが、今は必要無いから全部取っ払ってリビングにしてんだよ」


「改造されたんですか?」


「前の所有者か、もっと前の所有者か。さすがに知らんが俺たちがやった訳じゃねぇさ。そもそもそんな金は無い」


「知らないことばかりです」


「知ってたら怖ぇよ」


「すみません。そういう意味では」


「ああ、わかってる。冗談だ」


 妙な居心地の悪さに無害無臭煙タバコに火をつけた。肺に流れる鎮静物質が気のせいレベルに落ち着きを与えてくれる。実際にはこの船を徹底的に魔改造したのはアルバベルトの父親だがシャノンの質問攻撃に遭いそうだったので話を逸らす。


「ディード。とりあえずドブルー建材だったか? 連絡を入れてくれ」


「うむ」


 横目でシャノンの顔を伺うが特に変化はない。単なる考え過ぎなのだろう。どうもディードに指摘されてから敏感になっている気がする。


 ディードリヒがコパイ席から通信を開始する。最低限の打ち合わせで1時間後に出向することに決まった。シャノンはそのやりとりに目を輝かせていた。どうにも調子が狂う。


「なあシャノン」


「はい」


「お前はこれを見て何とも思わないのか?」


 この部屋の惨状をみて。という意味だが通じているだろうか?


「思います!」


「そうか。それは良かった。今回の仕事だけはつきあってもらうが……」


「お掃除も出来ないほど忙しく大変なお仕事なのだと痛感していたところです」


「げはほふがはっ?!」


 煙にむせた。


「大丈夫ですか?」


「がふっ……けふっ……大丈夫だ」


 背中をさすろうとするシャノンを片手で制してソファーに移った。直立のまま所在に困っていたシャノンにソファーを指すと、飛び出たスプリングを挟んで座る。物珍しそうに首の運動を続ける彼女にため息が出た。


「あの、カイさん、それで私は何をすれば良いのでしょう?」


「ん? ああ、とりあえず座っててくれ」


「しかしお給金をいただく以上、相応の労働が必要だと思うのですが……」


 なるほど今まで働いたことのない人間が引っかかりそうな事だ。


「ああ……、今日は仕事ぶりを見学する……日だ」


「はい! わかりました! 誠心誠意学ばせていただきます!」


 瞳に星を飛ばすほど楽しいものじゃねーぞ。


 興奮しているのか、シャノンの声は少々大きかった。


 カイはテーブルの上に放置されていたリモコンで、壁面モニターを操作。初期画面で船体ステータスが表示されるが気にせず版権フリーの映像ライブラリーをランダム再生する。


 デジタルの自動処理でもまったく画質の上がらない古いウエスタンが流れ出すが、特にそれを観るでもなく、近くの雑誌の山から中古宇宙船とパーツが紹介されている雑誌を読み出した。


 なになに、10年落ちのマルチエージェント999エピオン……本当は一刻もはやく換装したいがプライオリティーがな……。アルの野郎がエージェントを安売りしねえのが悪い。


 しばらく買えもしない中古部品やプログラムに思いをはせていたが、妙な違和感に顔を上げると鼻先の距離にシャノンの顔があった。


「おわっ?! 何やってんだ?!」


 思わず身体をのけぞらせるが、シャノンはさらにのしかかるように接近してきた。


「カイさんが何を読んでらっしゃるのかと思いまして。私も勉強のために……」


「本ならその辺にいくらでもあるだろう! 読みたきゃ勝手に読め!」


「その……失礼とは思ったのですが、浅学な私ではどれを読んでいいのかまったくわからなかったもので……」


 そこでこいつが何をしたいのかようやく気づく。


「これは仕事じゃねぇよ! ただの暇つぶしだ! 機体チェックも全部終わってる! 今は待つのが仕事なんだよ! だから好きにしろ!」


 カイはソファーから転がるように離れるとキッチンカウンターまで後ずさりし、無害無臭煙タバコに火をつけた。


「それは大変失礼いたしました」


「念のため言っとくが、航行中なんぞ似たようなもんでやる事なんて何にもねぇぞ。だから好きにしてろ。わかったな!」


「……はい」


 カイは壁に体重を預けて、天井に水蒸気雲を思いっきりはき出した。


「お前らしくないな、カイ」


 いつの間に横に来たのかディードリヒがコーヒーメーカーを立ち上げていた。


「あ……ああ。なんだか上手くいかねぇ……俺がやる」


 後半はコーヒーの事だ。今は賭に負けているカイの仕事だ。文句を言うのではなく直接自分が煎れに来たあたりはディードの人徳といえる。まぁには容赦無いやつなのだが。


「客に茶くらいだせ」


「まったくだ」


 安物の豆をミルに放り込むと、またしても違和感。ディードリヒの逆側にシャノンのどアップ。


「おわっ?!」


「あ、また驚かせてしまいましたか? 申し訳ありません。ですが良ければ私がお茶を入れますので、先輩方はご自分のお仕事を進めてください!」


 また瞳に星。


 っていうか、どうしてさっきからこいつの気配に気づけないんだ?


 職業柄人の気配には敏感なつもりだ。地面に降りればヒリつくような街がいくつもある。特にJOATに仕事を回そうなんてやつは悪党か、悪党の敵だけだ。悪党の敵が正義なんて話は映画の中だけだ。敵の敵はやっかいな敵でしかないのだ。もちろんカイの中では安全局もその部類に区分されている。


 頭一つ分背の低い彼女は大きく首をあげて真っ直ぐにこちらを見ている。万感の期待をもって。


 普通はそんなの社員の……シャノンはバイトだが、従業員の仕事ではないと拒否されると思うのだが、どうも彼女の考えは違うらしい。


「……豆はそのスプーンで山盛り3杯。水はポットいっぱいでな」


「はい! わかりました! お任せください!」


 手にしていた瓶を渡すと、鼻息でも聞こえてきそうな勢いでシャノンはコーヒーメーカーに立ち向かった。カイはソファーに戻って3本目の無臭無害タバコに火をつけた。


「吸い過ぎだな」


 定位置である正面の一人がけソファーに身を沈めたディードリヒがつぶやいた。


「ああ、そうだな」


 気にせず肺に煙を送り込むと、わずかにイラツキが収まった気がする。ほとんどプラシーボだろう。


「カイ」


 静かに名前を呼ばれる。


「なんだ?」


「お前、おもしろいぞ」


 カイは雑誌を投げつけた。


 ■


 出航5分前。


 本来であれば宇宙航行法に則った交信が必要なのだが、今時そんなことをする奴は滅多にいない。ほぼオートでエージェント……つまりコンピューターのAIが自動で手続きを済ませるからだ。


 それでも慣例的に通信をするのは挨拶の意味合いが強い。カイはパイロットシートに座ると、相手の船を呼び出した。


「wicked brothers号のカイだ。何か問題はあるか?」


『こちらalbatross号のヤン・ゴールドマン。予定通りです』


「出発してから1時間後に距離10kmで並走する。あとは同軸」


『了解しました。……規定通りですねぇ』


「おひねりもらえんなら、曲芸飛行くらいしてやんぜ?」


『うちの船長は堅物なんですよ』


 わざとらしく両肩をあげてみせる東洋系のalbatross号オペレーター。


「んじゃ何かあったら連絡くれ」


『了解しました』


 通信を切ろうとしたとき、オペレーターが言葉を続けた。


『ところで、そちらのエージェントなんですが……』


「言うな。事情がある」


『……わかりました。それではジャンプ前に連絡します』


「了解」


 くだらない冗談で通信を終える。席を立とうとしたら、真横にシャノンが立っていた。


「うぉわっ!」


 殺気が無いせいか、どうにも彼女の気配が掴めない。


「な、なんだ?」


「はい。お仕事を見ていました!」


「そ、そうか」


「質問をよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


「先ほどのエージェントというのはAIの事ですよね?」


「……忘れろ」


「……はい?」


「この船にエージェントは無い。わかったか?」


「え? ……その、しかし……」


「……」


「わ、わかりました」


 納得いかない顔で、リビング側に戻るシャノンの姿を追って思う。


 ばれるのは時間の問題。


 だなぁと……。


 ■


 ソファーでコーヒーメーカーの説明書を液晶タブレットで熱心に読んでいたシャノンがふと顔を上げた。


「そういえば、出航はまだなのですか?」


 部屋を見回す彼女の姿に、時計を探しているのだと気づいた。


「とっくに出てるぞ?」


「え?!」


 シャノンは立ち上がって部屋をぐるぐると回って、操縦席側のモニターまでのぞきに行く。


「よく考えましたら、どこにも外が映っていませんね」


「ああ……パイロットシートの右上の映像を外部に切り替えてみろ」


「はい……これですか?」


 一見ガラスに見える局面モニターが灯り、宇宙空間が肉眼で見るかのように映し出される。


「左手のスティックでカメラ位置を変えられるぞ」


「はい……わ、難しいですね、動きが速くて……よ、酔いそうです」


「ああ、かなりピーキーに設定してあるからな、まぁ適当にやってくれ」


 しばらくの試行錯誤のうえ、ようやく離れていくセントラルを画面に持ってこれたらしく、満足したらしい。


「私が今までに乗った船は出航の時には鐘がなっていました。それでガラス越しに見送りの人たちと手を振り合うのです」


「大型の客船はそうだな。ビジネス船は船内放送だけだぞ」


「そうなんですか?」


「ステーションの展望スペース前を全ての船が横切ってたらえらいことになる」


「言われてみればそうですね。ふふ……」


「……なにかおかしな事を言ったか? 俺?」


「いえ、知らないことが多い自分に笑ってしまったのです」


「ふーん? そんなもんかね?」


「はい。そんなものです」


 心から楽しそうに外の景色を眺め、航法データを閲覧し、エアハッチの隙間を覗き込む彼女の姿が、とうとうこの船を手に入れた時の自分に重なって、少しだけ照れくさくなり、カイはタバコに火をつけた。


「これはなんですか?」


 パイロットエリアの真ん中にある円柱状の黒い物体。


「そりゃギャラクシーマップ……ああ! しまった! ディード、ちょと船員規定を調べてくれ」


「わかった」


 カイの言いたいことをすぐに理解したディードが検索を開始する。すぐに調べ終わる。


「カイ。パーソナルタイムの登録が必要だ」


「間に合うか?」


「まだ惑星空域だ。急げ」


「わかった。シャノン、こっち来い」


「は、はい」


「上の半球体に手を乗せてろ」


 返事を待たずに円柱からキーボードを引き出してセッティングを開始する。


「つながった」


「こっちもOKだ。……よしディード。登録してくれ」


「……無事登録を確認した。リンク切断」


「ふう……無駄な通信費を使っちまったな」


「私たちの手落ちだ。しかたあるまい」


「だなぁ……まぁデータ量はたいしたこと無いのが救いか」


「あの……」


 シャノンが質問してくるのを遮る。


「宇宙ではグローバルタイムとパーソナルタイムの2つがあるのを知っているか?」


「聞いたことがあります。でも使ったことがありません」


「客船なんかだと免除されるからな。だが商用船は違うSUNとPUGの両方の国際法でパーソナルタイムの登録が義務化されている。シャノンは宇宙に出たとき時間のズレを実感したことがあるか?」


「いいえ、今まで意識した事はありません。しかしそんなに変わるものなのですか?」


「俺も学がないからよくは知らないが、宇宙船に乗って速度を出せば出すほど時間の流れが遅くなるらしい。このwicked brothers号は普通の船よりも最高速がかなり速い。最大巡航速度が光速の40%程度なんだがこの速度で三日間進むとだいたい6時間半ほど標準時間とズレが生じる」


「思っていたよりも差が出るものなんですね」


「1年の大半を宇宙で過ごす俺達にしてみれば、差で済まされるレベルじゃない。SUN加盟の惑星は免許の取得条件や飲酒の条件にパーソナルタイムを導入しているところが多いはずだ。お前の母星のセントラルナディアもそのはずだぞ、しっかり登録してないとちゃんと高校に入学できないぞ?」


「大学を卒業してます!」


「小学校だったか?」


「冗談にしても限度があると思います!」


「すまんすまん、ちょいと調子に乗った。とにかく登録したからシャノンはこれから2つの時間を生きることになる」


「2つの時間ですか……なんだかかっこいいですね」


「最初はそうかもな。すぐに面倒になるんだがな」


「そうなんですか?」


「考えてみろよ、場所や状況によって必要な年齢が違うんだぜ? たいていはDNA判定があるから問題ないんだが、いまだに紙の書類を提出させられる場所も多い。そういう書類に限って何度も書き直させられるんだ。たまらんだろう? シャノンは免許を持っているのか?」


「いいえ、恥ずかしながら公共の資格は何ひとつ持っていません。手に職がないのでこちらに就職できて本当にありがたく思っています」


「あー……、まぁそれはいい、これからは一生パーソナルタイムがついて回ることになるぞ」


(たとえ、数週間で辞めることになったとしてもな)


 高い勉強代だと思ってもらうしかないと、内心同情していた。


「なんだか自分が宇宙の人になった気分です。それで、この真っ黒な筒はなんなのでしょう?」


「ああ、そりゃギャラクシーマップだ。宇宙船で最も大事な装置と言ってもいいだろうな。要は銀河の羅針盤だ。クロフォード社製だな……」


 カイが何気なくシャノンの表情を伺うが彼女の笑顔に変化はなかった。


「仕組みは公表されていないが発見されているすべての恒星惑星が登録されていて、常にリアルタイムで銀河の動きを再現しているんだ。宇宙港に寄港する度に常に最新の情報に更新されるから誤差も常時修正される。宇宙で迷子になったときに観測した星の位置から計算して正確な自位置が分かったりする便利な装置だから蹴飛ばして壊すなよ?」


「気をつけます」


 その程度で壊れる機械じゃないんだが、面白いから黙ってよう。


「カイ、航行に問題はなさそうだ、そろそろ食事にしよう」


「ああそうだな……しかし」


 よく考えると買い置きはカップ麺ばかりだったりする。


「レトルトプレートを買ってある」


「さすがゲルマン紳士、抜かりがないな」


 カイの冗談には付き合わず、ディードリヒはシャノンを戸棚まで連れて行く。


「シャノン君、あまり種類はないが食べたいものはあるかな?」


「拝見いたします……区分けされたプラスチックのプレートの上におかずが並べられているのですね、コンパクトでとても機能的です。このような食べ物は初めて見ました。これは、焼き魚でこちらは豚肉の生姜焼きですね」


「なんだシャノンは日本食に詳しいのか?」


「学校に日系の友達がいたんです。時々ご自宅にご招待いただいてお夕飯をいただいたりしていました」


「なるほどな。残念なお知らせだが最悪な味だぞ」


「そうなのですか?」


「基本的に保存食だからな」


「生鮮食品は購入しないのですか?」


「買ってもいいんだが……まぁ料理なんぞしないしな。面倒なもんで」


 カイはあくび混じりに鯖の味噌煮プレートを棚から引っこ抜いて、レンジに突っ込む。5秒で暖まったプレートを持ってソファーに戻った。


「まぁ、ただの餌だ」


 それっぽい味付けの鯖を胃に放り込む作業に入った。


「チャ……チャレンジしてみます」


 温めた生姜焼き定食を1口食べた後、食べ終わるまで彼女ずっと無言だった。


 ■


「目的地は太陽系なんですか? 始まりの土地があるところですね」


 食後のコーヒータイムに始めた雑談で、彼女は太陽系という言葉に食いついてきた。


「そんなかっこいいもんじゃねえよ。始まりの土地なんて言ってると幻滅するだけだぞ、宇宙大戦初期に核兵器をバンバン撃ちまくってそこら中、人がまともに住めない汚染地域ばっかりだ。それでも宇宙に逃げられない奴らが地上にへばりついて未だに争ってんだから、救いのない星だよ。ちなみに太陽系第5惑星木星の衛星イオが目的地だ。液体水素金属の一大採掘地であり、安定水素金属の一大生産地でもある。借金持ちが送り込まれる最悪最後の職場だな」


 正確には衛星軌道採掘場が木星軌道で、水素の加工場がイオに集まってるのだが、そこまで細かく教えなくてもいいだろう。そもそも太陽系自体が見捨てられた地域でありこんな場所の雑学など知る必要はない。


「それでは木星に寄るのですね」


「いや、俺たちは輸送船がイオの防衛圏内に入ったのを確認したらそのまま地球の衛星に向かう」


「月は私たちのベースになっているのですよシャノン君」


「それで安全局の支部に書類を提出して金を受け取るんだ」


「振込みではないのですね」


「ああ、所詮お役所仕事だからな非効率な事この上ない。しかも電子マネーじゃなくて現金だぜ?」


「私はあまり紙幣を見たことがありません」


「普通に生きてたらあまり見る機会はないだろうな、だけどな俺たちみたいな職業には何よりも信用できるものなんだ。宇宙に出たら惑星の通信圏外に出ることなんてザラだからな、ネットワークにつながっていない電子マネーほど信用できないものはない。もっとも地上で暮らしている奴らには関係ない話だがな。そもそも電子マネー自体も規格が乱立しているから対応しているマネー用リードライターがあるとは限らない。そうなると基軸通貨であるエピオン札でやりとりするのが1番確実なんだ。まぁ覚えておいて損はないだろう」


 星によっては電子マネーが全く普及していない場所があることは黙っておいてもいいだろう。


「さて飯も食い終わったしやることも特にない。そろそろ寝るか」


「寝る、だと?」


 何百回読み返したか分からないズタボロの聖書から顔を上げるディードリヒ。


「私としたことが忘れていた。空港で言いかけたことを覚えているか? このフロイライン……お嬢さんをどこで寝かせるつもりだったのだ?」


 そういえば前回人を雇った時は今座っているバネの飛び出たソファーに寝かせていた。もともとは11人分の個室が設置されていたが改装に次ぐ改装で現在個室は4つしか残っていない。


 しかもそのうちの2つは物置になっており普段使わない物がぎっしりと詰め込まれている。宇宙船の保守部品なども放り込んでいるので掃除をするにしてもかなりの時間がかかる。


「つまり……寝る場所がない」


「うむ」


 ディードリヒが大仰に頷いた。


「参ったぜ、まるっきり考えてなかった」


「あの、寝る場所というのはどういう意味でしょうか?」


「ああ、大した話じゃない、ベッドが2つしかないことを忘れていただけだ」


「え?!」


 そりゃあ驚くだろう。仮にも外洋クルーザーに寝室が2つしか無いなど考えられない。


「安心しろ、俺のベッドに寝ればいい」


「あの……それって……」


 シャノンが覿面に狼狽えた。お嬢さまの事だから男が寝ていたベッドに寝るのに抵抗があるのかもしれない。


「消毒くらいはする。気に入らないだろうが我慢しろ。そういう仕事なんだ」


 むしろ我慢できなくって辞めると言い出してくれれば、月の空港に降ろしてさよなら出来るんだが。とはさすがに言えなかった。


「こ、これも、お仕事なんですね?」


「まぁ木星の水素採掘所にあるタコ部屋に比べりゃ天国なんだが、お嬢さまにはきついかな」


「が! がんばります!」


「ま、寝るのも仕事だ。2・3日我慢しろ」


「は、はい。わ、私もまったく興味がないと言ったら嘘になってしまいますし……」


「んあ? ああ、こんなクルーザークラスの船なんぞあんまり乗らないだろうしな」


 130ftクラスの宇宙船の割に、居住区が狭いので、お嬢さまは驚くかもしれない。無駄に機関部がでかい船だからな……。


「窮屈だとは思うが、まぁ宇宙で商売する奴はみんなそんなもんさ」


「み、みなさまそうなのですか……」


「たぶんな」


 さすがにもう少し恵まれた環境だとは思うが、まあ言わなくてもいいだろう。


「な、なるほど……その、私はそういう経験がまったく無いもので……その」


 シャノンが立ったり座ったり顔を朱くしたり、急に落ち着かない動きをみせる。


「何を心配してるのかわからないんだけどよ、小型船だからって無重力になったりする訳じゃねーぞ? いつも通り布団に入ってじっとしてりゃいいんだよ」


「じっとしてれば……いいのですね?」


「あ、ああ」


 なんだろう、このモヤモヤした感覚は。


 ディードリヒが無言で立ち上がったと思ったら壁際に向き合って身体を細かく震わせ始めた。なんのまじないだ?


「そ、それではふ、ふつつか者ですが、よ、よろしくお願いします」


 さらに顔を真っ赤にして俺に頭を下げる。


「あ? ああ……あ?」


 たぶん、いや、絶対に齟齬が発生しているはずだ。


「だ、大丈夫です! 友達に無理矢理持たされたフィルムも持っていますし……はい。カイさんに全てをお任せします!」


 フィルム……任せる……


 頭の中で単語がリフレイン。


「ああああ?!」


 フィルム!


 一般的に流通している事後経口避妊薬がフィルム状であることから、通称フィルムと呼ばれることが多いことを思い出した。


「お、お仕事でこのような事を求められるとは思いませんでした……自身の浅学にあきれてしまいます。お友達も早めに経験しておいた方が良いと……」


 頭から湯気を出しながら、必死でしゃべり続けるシャノンをカイは大声で遮った。


「違う! そういう意味じゃねぇ! 一緒に寝るって事じゃない! 俺はここに寝るからお前は俺のベッドに一人で寝ろって意味だ!」


「え? その……」


「ディーーーーーード! てめぇ気づいてやがったな!」


 壁に向かって激しく身体を揺らすディードリヒ。


 笑いをこらえてやがったんだあの野郎!


 そのケツに思いっきりケリをたたき込んでやったが微動だにしねぇ。この不動要塞が!


「あの……私……その……」


 シャノンが顔を赤色巨星に変化させ、あわあわと口を振るわせて、ゆっくりと顔を上げて俺と目が合うと、今度は身体がピタリと止まる。


「ご、ごめんなさいーーー!」


 両手で顔を隠して部屋から飛び出していった。


「……いつまで笑ってやがる」


 カイは再度ディードリヒのケツを蹴っ飛ばした。

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