第1場 ―冒険者―
Episode1 ジャック
気づくと毛布でくるめられ、暖炉が灯るどこかの一室にいた。
椅子の上で膝を抱える俺。
ぼやけた視界の焦点が徐々に合っていく。
目の前のテーブルの上には美味しそうなスープが誘惑の匂いを漂わせていた。
「あ、目が覚めたかな?」
「……?」
少し背の高いお姉さんが、横から俺を覗き込んでいた。
「こ、こ……どこ?」
「ここ? ここは私の家。君を誘拐して連れてきたの」
誘拐か。
身代金が支払われることは決してないだろうな。
「体がだいぶ冷たかったから温めてたんだけど、目が覚めて良かった~。これで死なれたらどうしようかと思ったよ」
「……あ、ありが……」
「いいからいいから。これ、いる?」
そう言ってお姉さんはテーブルのスープを木製スプーンで取って、俺の口元へ運んでくれようとした。
それを黙って口に入れてしまった。
毒が入っている可能性も考えたけど、どうせ死ぬ寸前だった身だ。
それに空腹には耐えられない。
久々に温かいものを口に入れたことで、食べ物ってこんなに温かいものだったかと驚いた。
「よしよし。ご飯が食べられれば大丈夫でしょう」
うんうんと頷いてお姉さんは機嫌よさそうにしていた。
意識もはっきりしてきて、この人がけっこうな美人であることに気がついた。
栗色の髪を後ろで二つに束ねて、服装は簡素な作業服のようなものを着ている。
部屋は本棚にびっしりと並ぶ書籍。
床にも分厚い本が散乱していた。
「ところで、君、名前は? おうちの人は?」
「………」
それには答えようがない。
名前も無ければ家も無い。
そうなった事情を今からすべて語る気力もなかった。この世界で魔力無しというのは怏々と人に語れるべきものじゃない。
「そういえば自己紹介がまだだった。私はリンジーよ」
よろしくね、と右手を差し出される。
しかしそれを握り返そうとは思わなかった。
というか、この人の狙いはなんだ?
誘拐とか言ってたけど、乞食の俺を誘拐する価値はないだろうし、もしかしたら何か別の目的が?
人体実験に利用するか、あるいは人身売買が目的?
「もしかして、警戒してる?」
黙って頷いた。
「まぁそれもそうだよね」
この人の狙いが分かるまでは警戒心が解けそうもない。
おそらくこの後、ありとあらゆる誘惑の魔の手をかけて信頼を得ようとするだろう。
だが俺はその手には乗らない。
絶対に他人を信用してはいけない。
「とにかく私の事を信用してくれるまでは好きにしてていいよ」
「え……」
「部屋を出てっておうちに帰ってもいいし、何か質問があるなら答えるし、好きにして」
「………はい」
「ただし! あそこの箪笥とテーブルには絶対手を触れないようにね」
そう言ってリンジーと名乗る女性は、ベッドサイドの箪笥やテーブルを指差した。
思っていた展開とはちょっと違う。
○
それから3日間はリンジーの部屋でお世話になった。
とてもじゃないが、監禁とは言えない。
リンジーは最初に言った、好きにしてていいという文言通り、俺に必要最低限の面倒だけ見て、あとは放置。
俺はそれに甘えて引きこもり続けた。
提供される食事をひたすら食べて、本棚にある本をたまに拝借して読んだりしていた。
それ以外はひたすら暖炉前の椅子に深々と座り、ここだけは自分のスペースと言わんばかりでふんぞり返った。
寝るときは、異性のお姉さんと同室で寝るというのに少しドキドキしたが、かといって警戒は緩めなかった。
「ねえ、そろそろ心開いてくれてもいいんじゃないかな」
「……そっちの目的は?」
「いや、目的って。怪しい目的があったらこんな3日間も至れり尽くせりご飯なんか持ってこないよ!」
運んできてくれた食事を平然と食べ続ける俺に、リンジーは突っ込んだ。
確かにここ3日間、特に怪しいこともない。
この人、信用してもいいんじゃないか?
「しばらく様子を見てたけど、別に親のもとへ帰ろうとする素振りもないし」
確かに10歳程度の子どもがこんな感じじゃおかしいだろうな。
「そろそろ名前くらい教えてくれてもいいんじゃないかな」
「………実は名前がない」
「え!?」
リンジーはかなり驚いたようで目を丸くしていた。
「名前、ないの? それともショックで覚えてないとか?」
「無い。親にも捨てられた」
「そう、なんだ」
俺の複雑な事情を汲んでくれたのか、そこからは言葉が出てこなかった。
しかし、リンジーはそれでも明るい口調で続けた。
「じゃあさ、私がつけてあげるよ、名前」
それを聞いてちょっと悩む。
変な名前つけられたら堪ったもんじゃない。
「いつまでもキミって呼び続けるのも嫌だし」
確かに呼ばれるときに不便だろうし、呼び名は必要か。
「それなら好きにつけて」
「じゃあさ、うーん………覚えやすいし、ジャックとかでいい?」
「……ありきたりだけど、それがいいならそれで」
「はい、決まり。じゃあジャックね」
俺に初めての名前がついた。
「ジャック」
「なに?」
「ふふふ」
リンジーはまるでペットを呼んで返事がもらえた少女のような無垢な笑顔を浮かべた。
それを見てちょっとイラっとする。
「あ、今明らかに不機嫌そうな顔した」
「俺はペットじゃない」
「そんな風に思ってないよ。じゃあジャック、そろそろ一緒に散歩いこうか」
「やっぱりペットじゃん」
「そんなことないって。いいからいいから。3日間も引きこもりはよくないよ」
そうして部屋から連れ出された。
向かいのトイレまでは何とか探索した。だがそれ以上先に行ったことは無かった。
けっこう歩かされて、この家の意外な広さに驚かされた。広いわりに人気が無いことは不思議だけど。
廊下沿いにはいくつか他の部屋が見受けられた。
階段を下りて、すぐ玄関口。
どうやら2階建ての建物のようでリンジーの部屋も2階にあったようだ。
でも外に出るのも少し怖いな。
何せオルドリッジの屋敷では長年外出禁止で、たまに裏庭に出た事があるくらいだ。
ようやく外出できたと思ったら、ただ捨てられただけだったってわけだ。
リンジーは怯える俺を後目に、遠慮なく玄関扉を明け放った。
外界に広がるのは広い草原と野道。
道沿いには家が点々と散見され、遠目には小さな町が見えた。俺が住んでいたバーウィッチとは似ても似つかなかった。
「ここってバーウィッチじゃないの?」
「なにいってるの? ソルテールだよ」
ソルテール? 聞いたことがない。
「バーウィッチはここから平原を一つ越えたところにあるからそんなに遠くないけどね」
「ほえー……」
こんなに見晴しのいい景色は初めて見た。
「綺麗でしょ」
リンジーも自慢げだった。
「さ、町に買い物に行こうか」
○
中途半端に警戒心を解いてしまったために、結局リンジーの狙いを聞き出せずにいた。
無言で考え込む俺に構わず、リンジーは町でショッピングを楽しんでいる。
「あ、このリンゴが美味しそう」とか「ちょっと魔力ポーションが足りてなかったかな」とか。
魔力ポーションという物があるという事も初めて知ったが、魔法が使えない俺には要らない知識だろう。
「そうだ! ジャック用にアレ買っておかないとっ」
急にリンジーが思い出したように俺の手を引っ張って、雑貨屋へと駆け出した。
「え? なに!?」
「ほら、アレだよ。持ってないみたいだし」
アレってなんだよっ!
雑貨屋に着いた。
店主がリンジーの注文を聞いて、「あぁそれなら」と言って店の奥へ引っ込んでしまった。
次に出てきたときには、青色のガラス材でできた手のひらサイズのプレートのような機械(?)だった。
側面からは
「少し型番が古いですが、これでよければ」
「いいですよ~。とりあえず使い捨てで見てみたいだけなので」
リンジーはお会計を済ませて、それを俺に渡してきた。
確かに古いものなのか、少し埃を被ってる。
「これはマナグラムって言うの。腕に巻いてみて」
「………こう?」
「そうそう」
ベルト部分を巻きつけて、腕にプレートが密着した。
しばらくするとマナグラムが光を帯び始めた。
その光景にギョっとした。
「なにこれ?」
「いいからいいから」
徐々に文字が浮かび上がり始めた。
文字が少し小さいが、何とか読み取れる。
================
種族:人間 年齢:10歳0ヶ月
生命:32/32
魔力: 0/0
筋力 G
敏捷 G
<能力>
直感 E
================
リンジーがその数値を覗き込んで少しした時、
「うそ!?」
素っ頓狂のような声を上げた。
驚いた声に俺も驚く。
そうか、マナグラムって能力値のカウンターみたいなやつか。
「そんな……ジャック、魔法が使えないの?」
ばれてしまっちゃあ、しょうがない。
「まぁね」
「まぁねって……」
「俺はこれが原因で家から追い出された。別に知ってたよ」
リンジーはばつの悪そうな顔をして俺に憐れみの目を向けてきた。
「でも先天的に魔力が無い人は、たいてい他に何か秀でた能力を持ってることが多いよ」
「そうなの?」
あらためて自分の能力を見る。
直感E?
「この横のアルファベットは?」
「これはランクだよ。GからSまであってその能力のランクを表してる。Gが最弱でAに近づけば近づくほど強い。Aを超えたSが最高ランクだよ」
「ふーん……」
ってことは能力でも何か突出して高いものもないのか。
「ジャックは、特に能力も並以下だね……」
ここまでぼろぼろに言われると情けなさを超えて、どうでもよくなってきた。
「どうやって測ってるの?」
「血だよ」
「血?」
「マナグラムに仕組まれた魔術が血液のマーカー量を測って数値化したり、ランク化してるの。……まぁバージョンが古いから上手く測定できていないかもしれないけど」
リンジーはフォローを入れてくれたけど、正直ここまできたらプライドもないので励ましは要らない。
「大丈夫大丈夫! ジャックはまだ若いからこれからいくらでも伸びるよ!」
リンジーは単純に俺を励ます以外にも、何か困惑のような、焦りのような、そんな感情が見え隠れしていた。
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