魔力の系譜 ~名も無き英雄~

胡麻かるび

第1幕「戦士と女神」

Prologue 勘当

 幼少期―――それは人生を振り返ったときに楽しい思い出が浮かび上がってもいいような響きだけど、俺の場合は真逆だった。

 俺は由緒正しき魔法の名門オルドリッジ家の三男としてこの世に生を受けた。

 この世界において「魔法」は必要不可欠。

 概ね、魔法の優劣がその人物の優劣に置き換わる世界。

 そんな世界で魔法の名門家系出身ともあれば、勝ち組人生確定と言っても過言ではなかった。

 オルドリッジ家からは代々、魔法に関して一目置かれる人材を多く輩出していて、その第一線で活躍する者が多かった。将来的には俺もその一人になってもおかしくなかった。

 そのはずなのに……。



 俺は途方に暮れていた。

 乞食のように、いや乞食なんだけど、国の貿易の中心街バーウィッチの路地裏の片隅にローブ一枚で蹲っていた。


 ―――――ぐぅぅ……。


 腹が減った。

 かれこれ4日間ほど何も食べていない。

 こんな何も成し得ず、俺は人生終了するんだと思ったら悔しくて悔しくて仕方がなかった。


 自分は何のために生まれたんだ。

 走馬灯のように、まだまだ短い人生を思い返してみた。



     ◆



 ぼんやりと、あの屋敷での日々を思い出した。

 印象に残っているのは、オルドリッジ家の朝がやたらと騒々しかったということだ。

 家の使用人たちが毎朝ドタバタと朝食の準備や家族の身支度で奔走していた。

 眠たい目を擦りながら俺が部屋から出ると、決まってその忙しそうな足を止めて使用人から律儀に挨拶されていた。


「サードジュニア様、おはようございます」

「……おはよう、ございます」


 俺は"サードジュニア"と呼ばれていた。

 当主イザイア・オルドリッジの三番目の息子、という意味である。

 世間で偉大と称されるイザイアの名前を継ぐため、名を持つ事が認められるまでは長男がイザイア・オルドリッジ・ジュニア、次男がセカンドジュニア、そして俺はサードジュニアだ。

 厳密に言えば、俺に名前なんて無かったのだ。



 家族揃っての朝食の時間はとても静かだった。

 食べ終わると、紅茶が出されてティータイムに少し会話する。

 そんな日常だった。


「ところで、サードジュニアにもそろそろ家庭教師をつけんとな」


 当主のイザイアが口を開いた。

 そこにすぐさま口を挟んだのは母だった。


「……この子には必要ないですよ」

「なに? 今なんと言った?」

「いえ、失礼しました」


 母も当主イザイアの発言には逆らえない。

 この2人はどう愛を紡いで、夫婦になったのやら。



 俺は父親は嫌いだったけれど、母親は大好きだった。

 屋敷で日頃から周囲に威張り散らす父親よりも、面と向かってこうして愛情を向けてくれる母親を好きにならない理由はない。


「お母様、カテイキョーシというのは?」

「この部屋ではお母様なんて呼ばなくてもいいのよ」


 人前では厳しい親を演じている母も、自室ではその緊張を解いて接してくれた。


「……あなたに魔法を教えてくれる人よ」

「え! 魔法を!?」

「そう」

「じゃあ、僕も魔法が使えるようになるんだ!」

「………」


 当時の俺はカテイ・キョーシ氏の手解きを受ければ魔法が使えると思い込んでいた。さらには、もうすぐ5歳になるのに魔法を使えないという事実がどれほど深刻な事なのか、考えもしなかった。

 3歳頃から魔法を使いこなしていた兄たちと比べて、劣等感を感じていたのは確かだけど。



     …



 俺が5歳になった日から1ヶ月ほど経過したある日、家庭教師が屋敷に来訪した。

 俺は、この日が人生を大きく狂わせる日になろうとは露にも思わず、浮き浮きしてその人物を出迎えた。


「この子には魔力が無いですね。事前に"測って"いなかったのですか?」


 銀髪の女性は残酷にそう言い放った。

 俺の想像していたカテイキョーシとは程遠く、綺麗な女の人だった。


「なに? おい、どういうことだ?」


 イザイアは怒りの表情を母へと向けた。


「も、申し訳ありませんっ」

「お前は、こいつに魔力が無いことを知っていたのか?!」


 イザイアはそれから怪物のように怒り散らした。

 その迫力に衝撃を受け、それ以降どんな事を喋っていたのか覚えていない。

 でもその日を境に俺の部屋は無くなって、陰鬱な書庫に閉じ込められる日々が始まった、という事は覚えている。

 肝心な魔法が俺には使えない、という事実が判明したのも。



 それから俺は屋敷内で腫れ物扱いだった。

 外に出たくても絶対に外出禁止だったし、家中を忙しなく歩き回る使用人からは、今までのように挨拶されなくなった。

 俺の生活はがらりと変わった。


 屋敷内を自由に歩き回りたいし、お気に入りのオモチャで遊びたい。

 一度、我慢できずに兄たちが面白おかしく遊んでいたおもちゃをこっそりと借りて遊んでいた事がある。

 それはすぐに兄たちにバレて、ぼこぼこになるまで殴られ、蹴られ、やられ放題になったのだが。

 その時のことも鮮明に思い返せた。


 兄たちからのリンチに遭う俺だったが、使用人たちは我関せず。

 しかしそこにイザイアが現れ、事を追及した。


「なんだ! 何の騒ぎだ!」


 俺はその時、微かながらに"助かった"と勘違いをした。

 さすがにイザイアと言えど父親。

 ならこの状態、俺に対して好意はなくとも仲裁に入ってはくれるだろう。そう思ったのもつかの間、リンチの対称を俺だと確認した父は途端に態度がころっと変わった。


「そんなに憎ければ殺せ! 殺してしまえ!」


 恐ろしい形相で父親は囃し立て、何を思ったのか壁かけのロングソードを一番上の兄に渡したのである。

 俺はその時、死を覚悟すると同時に、イザイア・オルドリッジはジュニア含めて、他人だったのだと思い知った。

 そのときはさすがにジュニア、セカンドジュニアともに人殺しを躊躇して、事なきを得た。



     …



 書庫には1週間に一度は母が顔を出してくれた。母は決まってノックをしてから書庫に入るからすぐに分かった。

 俺はノックの音が聞こえると嬉しくて嬉しくて、続いて入ってくる母に飛びついたものだ。

 母は黙って俺の頭を撫でてくれた。


「―――――こうしてアザリーグラードの迷宮は、5人の賢者たちによって封印されました」


 母は俺に書庫に保管されている本の中から、子ども向けの英雄譚や冒険活劇の本を読み聞かせてくれていた。

 俺はそれを「もう一回読んで」とせがむのだが、母は寂しそうな顔を向けて「今日はもう時間だから」と言って去ってしまうのだった。



 そんな不遇な日々を5年間ほど耐え続けた。

 書庫に閉じ込められたというのもあって、母が読んでくれた本以外にも退屈凌ぎは山ほどあったし、世間を見聞できなくても本を通してある程度の教養を身に着ける時間はあった。

 そして10歳の誕生日を迎えたその日、俺はオルドリッジの屋敷から追い出された。

 分かっていた事だが、オルドリッジ家には同系統の名門貴族や地主が頻繁に訪れる。

 そんな屋敷内に俺という欠陥品を置いておくわけにもいかなかったのだろう。

 イザイアは世間体を優先し、俺を勘当したのだった。



     ◆



 家族とはなんだ。愛とはなんだ。

 そればかり考えた。


 オルドリッジ書庫で読んだ教本や聖書にも「家族は深い愛で結ばれ――」だの、「人々は慈愛の心に満ちて、弱いものを助け――」だの、上っ面の言葉が書かれていた。

 でも俺はこんな境遇もあってか、そんなものはただの絵空事、善人とは自己満足に満ち溢れた偽善者でしかないと考えた。


 俺の憧れは、母が読み聞かせてくれた"戦場を舞台にした叙述詩"、"ダンジョン迷宮を攻略する冒険活劇"だ。

 祖国のために戦う兵士、己がプライドをかけて戦う傭兵、探究心のままに力を試す冒険者たち。そこに家族や愛など、ありはしなかった。

 歩むべきは自分の信じる道のみ、孤高の戦士たちの姿が描かれ、その生き様やまさに我が歩むべき人生と思った。

 しかしその理想。追いかけるための第一歩すら、俺には踏み出せない。



 やがてバーウィッチに雨が降り始めた。街の雑踏は消え、ただ黙って雨に打たれた。


 ――――冷たい。


 徐々に体を動かす気力もなくなり、視線も動かせなくなった。


 ――――戦士になりたい。 


 本で読んだ冒険者たちの冒険活劇、信条をかけて戦う兵士たち。

 その姿が思い浮かんでは消えていく。

 俺にとって、自身が見据える石畳のタイル数枚程度が世界すべてだった。

 やがて意識は遠のいた。


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