救世主現る3

 手前のローテーブルには相変わらず小さな木箱が置いてあった。真面目な話をするときにどうしても手放せないというキセルを、彼女は今日も取り出した。刻みタバコを丸めて火皿に詰め、パチンと指を鳴らして火を付ける。あのときは気付きもしなかったが、よく見ると刻みタバコは一種類ではないらしい。少なくとも四つの区画に分けてあって、それぞれ微妙に色が違う。今詰めたものには青い花びらを乾燥させたものが混じっている。他のタバコにもやはり別の色の花びらが混ぜてあり、容易に区別できるようになっているようだ。

 感心しながら木箱を覗いていたところに、珍しくノック音。失礼しますと入ってきたのは、俺より少しだけ年上に見える若い女性だった。ローテーブルの上にお茶と菓子が運ばれる。ありがとうと礼を言うと、彼女ははにかんで顔を赤くし、そそくさと居なくなった。俺は少し驚いた。今までこんなことはなかったからだ。

 なんだろう、この反応。何がどうなってるんだ。


「この塔で働く人間はみんな、お前のことを知ってるからね。竜の力を抑えるための石を取りに行った話も、赤い竜石が救世主たる者の証であることも、当然、お前が竜化を解かれるまで地下で辛抱強く待っていたことも知っている。だからこそ、額に竜石を持ったお前を見て過剰に反応しているのさ。『間違いない、この人が世界を救ってくれるんだ』とね」


 期待、されてるってことか。

 この世界に初めてやってきた頃は、とにかくその二文字が重かった。俺に何を期待するんだと、期待されてもどうなるのか保障なんてできないと、とにかく後ろ向きにばかり考えていた。

 この世界の抱えている闇は深い。

 その闇を払うのに、よりによって俺なんかの力が必要なのかと今でも思うことはある。けど、現状として、求められる力を備えてしまった。これを破棄するのはまず不可能だ。


「……なんだ。反論しなくなったじゃないか」


 ディアナは口角を上げ、ぱちりとウインクした。


「まぁね。受け入れざるを得ないのだとしたら、あとはどれだけできるかを考えるしかない。逃げ道もないし、逃げ方もわからない。心臓に呪文を刻まれたときより、正直今の方がショックがデカくて――、俺は今“表”との関係を完全に断っている状態なんだと思ったら、いろんなしがらみが馬鹿馬鹿しく思えてきたところ。戻ろうと思えばいつでも戻れるのかな」


「“表”に?」


「“表”に」


「どうだろう。竜と同化し肉体の全てを持ってきてしまったのだから、今までとは違うだろうしね。やってみないことにはわからない」


「古賀は“表”に戻ってった。リザードマンは特別なのかな」


「特別……かどうか断言は難しい。同じ理屈なら戻れるかもしれない。直ぐにでも、戻りたいと思っているのか」


「いや」


 差し出されたお茶に手を伸ばす。ほどよく温かい。ゆっくり喉に流し込むと、茶葉の匂いが鼻を抜けた。


「帰れないよ。そんな無責任な男にはなりたくない」


 カップをローテーブルに戻したところで、ディアナが肩で笑い始めた。


「何だよ」


 口をとがらせる俺に、


「お前は本当に成長したな。運命的なものを感じたのも、ここまで来ると必然ではないかとさえ思えてくる。それだけの覚悟があるのなら、この先何があっても揺るがないだろう」


 ディアナはどこか浮かれているようにも見える。


「ところで、お前にとって残念なお知らせが一つあってね。どうやら“竜石を持つ救世主”の話題がレグルノーラ中に広まっているらしい。ここにも小さいながらメディアは存在するのだが、新聞やらニュースやらがそういう特集を組んでいると耳にした。私自身はメディアに疎くて興味もないのだが、一般人ほどそういうモノに敏感だからね。塔の人間でさえあんな調子だ。塔を出ればそれがより顕著になるだろう。お前という個人ではなく、“表の干渉者”としてでもなく、“救世主”として扱われることになる。これまでとは勝手が違うよ」


「……目立つところに石埋め込んでおいてよく言うよ」


「まぁまぁ、そう怒るな。目立つくらいでなければ意味がないのだから」


 やっぱり。

 ディアナはニヤリと口角を上げた。


「俺は言わばおとりだな」


「そういうこと。最終手段でもあるがおとりでもあると。一般人や市民部隊をこれ以上巻き込まないようにするためには、やはりお前のような存在は必要なのだ。悪く思うな」


「わかってるって。……まぁ、悪い方に考えるのを止めれば何とか道も開けてくるらしいから、どうにかなるんじゃないかな。身体が全部こっちにあるのは時間との戦いからの解放だと思えば良いし、俺を目立たせるってことは余計な犠牲を払う必要がなくなるってことなんだろ。問題は俺の無茶を引き留めてくれてたテラの声が一切聞こえないことくらい。ブレーキ役くらい付けてくれるんだよな?」


「当然、それは考えている。塔きっての能力者を二人、お前の従者として宛がってやろう。衣食住に関してもサポートはキッチリとさせてもらう。大事な“救世主様”に粗相などないようにしなくてはね」


 直前まで牢屋に閉じ込めておきながらよく言うよ。とは思ったが、口には出さなかった。

 ディアナの態度は今までとは確実に違っていたからだ。

 以前、ランクの話をされた。干渉者協会なる場所で、干渉者のランク付けを行っているって話。ディアナは最高ランクSSと格付けられているレグルノーラ最強の魔女だ。そんな彼女と対等に話をしている――これまでは一方的に試練を与えられるだけだった俺が、だ。

 救世主とやらがそれだけ重要な役割だってことが身に染みてわかる。


「説明するより会わせた方が早い。モニカ、ノエル、ここへ」


 パンパンとディアナが高い位置で手を叩く。小さい魔法陣が二つ、扉の前の床に描かれ、そこから大小二つのシルエットが現れた。


「お呼びですか」


 二人、ほぼ同時に声を上げた。

 シルエットから光が消え、色がハッキリとする。背の高い女と、背の低い男……いや、男の子。


「前に話したはずだ。レグルノーラを救う力を持った干渉者のことを。名を来澄凌という。お前たち二人には、彼のサポートをしてもらいたい」


 ディアナはそう言って、凸凹な二人に俺を紹介した。

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