地下牢の孤独4

 俺はハッと息を飲んだ。


「芳野美幸……」


「そう。美幸。彼女は無垢で清廉だった。眠りから覚めたかの竜は美幸に興味を持った。人間の姿に化け、巧みに取り入った。レグルノーラに衝撃が走り、混乱が起きた。あとはお前も知るところだろうが、そうして一度砂漠の果てへと逃れたかのように見えたかの竜は、最近になって頻繁に現れるようになってしまった。しかし今度は、美幸のときとは全く違う方法でアプローチしてきている。何を考えてそんな行動に出ているのか、私たちにはさっぱり想像が付かない。言えるのは、新たなる破壊が直ぐそこまで迫っているということ。それを阻止するためには、かつてかの竜を追い詰めたという伝説の干渉者と同等か、それ以上の存在となり得る人物を探し出すこと。つまりは凌、お前こそが、我々の探していた干渉者そのものだったということだ」


 ディアナは力強く結論を口にした。

 が……、到底受け入れられるものではない。

 俺は目を左右に振って、精一杯の拒絶反応を示した。


「じょ……冗談じゃない。俺はただ、テラと引き剥がして欲しいって頼んだだけだ。そんな突拍子もないことを言って欲しくて頼んだわけじゃない。どうにかしてる。それより、引き剥がす方法を見つけてくれたんだろ」


 ディアナは首を横に振る。


「残念なことに、どんなに文献を漁っても、同化した干渉者と竜を引き剥がす方法など載ってはいなかった。引き剥がす必要がないのでは、と考えたらどうだ。引き剥がす必要がないから方法がないのだとしたら? お前には秘めた力がある。美幸に初めて紹介されたあの日、私は自分の胸が異様に高鳴るのを感じていた。それはこれまで経験したどの感情よりも激しく、印象的なものだった。過去の私はお前の力を感じて未来に託した。そして今の私は、あのときの感覚を信じてお前に全てを託す。あの竜の卵を託したのはきっと偶然ではない。お前が美幸の竜を引き継ぎ、その竜がお前の中に入ることで最強の力を得るのだとしたら、これほど素晴らしいことはないではないか。かの竜に立ち向かう光明が差してきた。これは喜ばしいことなのだぞ」


 迷惑な話だと、少し前の俺なら完全に突っぱねていた。救世主だの何だの、妙なことばかり言いやがってって思い切り反抗していた。

 けど、けど今は――。

 言われている意味がわからなくはない。つまりは、期せずして俺はそういう力を身につけていたということらしい。

 レグルノーラに命を捧げる覚悟をし、美桜を守り抜く覚悟をし、それから自分の意思で竜化したまま“こっち”に飛んだ。

 受動的だった過去の自分と比べれば幾分も成長しているに違いない。――それは、自分では殆どわからないし、評価しがたいものではあるが、だとしたら、そろそろこの受け入れ難い運命とやらを受け入れなければならないのではないかとさえ思い始めている。

 なぜテラが出会って直ぐ同化という方法を選んだのかはわからない。彼にとってはそういう戦い方が普通なのではと思っていたのに、美幸のときはやらなかったという。

 実際、深紅だったとき、ヤツはただただ美幸の側に寄り添っていた。俺と彼女、絶対的な差は性別だと信じて疑わなかったのに、テラは何か感じていたのだろうか。感じていたからこそ、あるじに成り立ての俺と同化したのだろうか。

 あるじが亡くなる度に卵に還り、新たなあるじの出現を待つ。テラは俺にそう言った。

 俺が考えるよりもきっと、ずっとずっと昔からアイツはそれを繰り返してきた。その中でまさか、かの竜を――。

 いや。

 考えすぎかもしれない。

 まさか、この文献の挿絵にある竜がテラとそっくり、瓜二つだなんて。

 金色のプテラノドン型の竜なんて、きっとこの世界にはたくさん居る。だからきっと、気のせいなのだとは思うんだけど。もし仮に――……なんてことが万が一にも。

 額に手を当て、歯を食いしばった。

 どうなってんだ。何がどうしてこんなことに。

 混乱する。


「引……き、剥がせないのは、確定? って、ことだな」


 顔が引きつる。


「代わりに、竜化を押さえる方法は見つけた。必要なときだけ竜化して戦うのが理想だろう」


「わ……かった。頼む」


 じゃらんと、金属のかち合うような音がした。男の一人が持っていた鍵束を使い、牢の扉を開ける。背の低い入り口を潜り、ディアナがゆっくりと牢の中へと足を踏み入れてきた。

 決して清潔とは言えない牢の床にドレスの裾を引きずって、ディアナは俺の真ん前までやってきた。そうして、俺の額にそっと手をかざす。


「痛いが少し我慢するように」


 赤い魔法陣が目の前に浮かんだ。鮮烈な赤に目がくらみ、ギュッと目をつむる。

 コツッと、額に何かが当たった。と同時に、激痛。まるで額にドリルで穴を開けられているような――。ディアナの手を無意識に両手で掴んで引き剥がそうとしている自分に気が付く。しかし、ディアナは止めない。


「我慢しろ」


 男たちが数人、俺の手を振り解いた。動かないよう身体も腕も無理やり固定される。本能から逃れようとする俺に負けまいと、必死で止めてくる。


「もう少し」


 あまりの痛みに、俺は獣のような声で叫んでいた。


「堪えろ」


 わかってる。わかってるけどこの痛み、どう考えても普通じゃない。

 パキッと、何かが噛み合う音がして、俺はハッと目を開けた。

 息が、苦しい。身体が、痛む。


「終わったぞ」


 ディアナはそう言って、胸元から小さな手鏡を取り出し、俺に投げて寄越した。

 なんだよと拾い上げ、サッと自分の顔を見る。男の一人がスッと向けたランタンの光で、俺はようやく自分の姿を確認する。

 肌色だ。久方ぶりの肌色。牙も角もない。

 身体全体が軽い。背中の羽の感触も、尾の感触もない。戦い始めてから少しだけ筋肉の付いた胸板がチラッと鏡に映った。


「よかった……ありがとう」


 言ってからふと気になった。額に何かある。

 縦長の赤いもの。

 触ろうと手を伸ばすと、ビクッと額が反応して、慌てて手を離した。


「竜石だ。お前の竜の瞳と同じ赤い石。お前の脳と繋がっているから、第三の目として役に立つはず」


「は……?」


 アーモンド大の縦長の石はピッタリと張り付いて、とても自力で取れる状態ではなくなっていた。それどころか、あたかもも最初からそこにあったかのように、しっくりと額の真ん中に収まっていた。

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