敵か味方か3

 日中はレグルノーラへ飛ぶこともなく、休んでいた分を取り戻そうと必死に授業に食らいついた。夏休みの補習は確実で、そうなると2週間ほど平時と同じように学校に通うことになる。頭のいい美桜や芝山、陣は免除だろうから、レグルノーラに関わっているヤツの中では俺が只一人、補習対象ってわけだ。

 得意科目があるわけでもなく、まんべんなく苦手な俺にとって、数日前芝山と取り付けた約束はいちるの望みでもあった。勉強を教えてくれるという、アレのことだ。

 もし愛好会設置が許可されたら、活動と称してそこで勉強教わるのも悪くない。なにせ、補習後の理解度テストにパスしなかったら、再補習があると既にいろんな先生に脅されてしまっているのだから。

 全ての日程が終わる頃には神経がすり減って、もうレグルノーラに飛ぶとか飛ばないとか、そういう状態じゃなかった。頭の中で数式や年号、文法が踊っている。早く帰って休みたい。休んで心に余裕が出たらあっちに行こう。そんな感じだった。

 そんなんだから、俺はうっかり放課後のことを忘れていて、荷物を背負ってそのまま帰ろうとしてしまったのだ。廊下に出ようとしたところで美桜が腕を掴んで、


「様子、見なくていい?」


 と言われるまで、何のことだか思い出すこともできなかった。

 先に授業を終えた2-Aの教室から陣が足早にやってきて、芝山のところで何やら打合せを始めていた。コソコソと二人、何か話し合い、須川怜依奈がまだ教室から去っていないのを確認してうなずき合っていた。


「あまり堂々と見てるのは……ちょっと」


 俺はせめて廊下に出ようと美桜を誘った。が、美桜は立ち止まったまま、二人と須川の様子を凝視している。


「私は気になるわ。彼らがどういう方法をとるのか」


 そう言われると、俺だって気にならないわけじゃない。渋々教室の片隅で美桜と様子を覗うことにした。

 教室にはまだ半数ほど生徒が残っていて、とてもじゃないがこれから“レグルノーラ”について言い出せるような雰囲気には思えない。芝山と陣は決意したような顔で窓際の須川のところに歩いて行く。その最中でも、女子への挨拶は欠かさない辺り、陣は変なところに抜け目ない。


「珍しいね、陣君がC組に来てるなんて」


「何の用事?」


 女子が寄ってくるのはどうやらイケメンの宿命というヤツらしい。


「野暮用。君たち、日が落ちる前にちゃんとお家に帰るんだよ。暗くなったら危険だからね」


 同じセリフを俺や芝山が言ったら多分嫌味にしか聞こえないだろうに、陣に言われた女子どもは揃って「はぁ~い」と語尾にハートマークをくっつけて頬を緩めながら手を振って教室から出て行くのだ。やはり顔がいいというのはある種の才能のようだ。

 須川怜依奈は教室の入り口付近で立ち止まったままの俺と美桜をギロリと睨み、面白くなさそうな顔をして荷物を片付けていた。余計な荷物は置いておく性分らしく、時間割とバッグの中身を交互に見ては、机の中に教科書やノートを入れている。合皮のバッグは小さめで、確かに何でも詰め込んで持ち歩くのは難しそうだ。何より、細くて小さな須川には、そんなに重い荷物は持てないんじゃないかと、そう思えてしまうほど、か弱く見えた。


「須川さん、ちょっと、いい?」


 先に声をかけたのは芝山だった。

 須川は顔を上げ、手を止めた。


「話があるんだけど。えっと、彼は……」


 芝山が後ろを振り向いて陣に身体を向けると、紹介されるより先に、


「A組の陣郁馬です。須川さんとは図書室で何度か会ったよね。覚えてる?」


 陣はホントか嘘か、自分との接点を強調してきた。

 須川は首を傾げ、イマイチ思い出せないとアピールしている。


「でも、君は本に夢中で、僕のことなんか見えてなかったみたいだし。知らなくても無理ないよ。僕は君のショートボブが可愛くて、何となく覚えてたんだ。で、少し話したいことがあるんだけど、いいかな」


「……何」


 やっと聞き取れるかどうかという声で、須川が答えた。


「場所、変える?」


 気を利かせて陣が聞く。


「ここでいいよ。忙しいんだから、手短にしてよね」


 授業以外で須川の声をまともに聞いたのは初めてのような気がした。少し低めの、トゲトゲしい声だ。


「これ、もし良かったら、入らない?」


 昼間俺に見せたあの紙を、芝山はクリアファイルに入れたまま、須川の前に差し出した。

 須川は驚いたように一度身体を反らしたが、渋々クリアファイルを受け取り、無言で読んだ。


「覚え、あるよね」


 陣が言うと、


「……ふざけてるの?」


 須川はファイルを突き返す。


「馬鹿みたい。私、急いでるから」


 帰ろうとスクールバッグを肩にかける須川。


「待って」


 陣が手を伸ばし、須川の腕を掴む。咄嗟に須川は手を振り払い、陣を睨み付けた。

 しかし、そんなことで怯む陣と芝山ではなかった。

 芝山がスッと須川の前に歩み出て前を塞ぐ。

 須川は芝山の行動にうろたえ、顔を歪めた。


「話、聞いて。――『並行世界』ってのはつまり、同じような時間の流れがありながら、全く別の次元に存在するもう一つの世界ってこと。それは現実に存在していて、人によっては夢だったり幻覚だったり、そういう意識のまどろみの中で偶々接触できることがあるんだ。思念体と言ったらいいのか、意識だけがその世界に飛んで、まるで夢の中にいるような感覚に陥るけど、そうじゃない。現実に存在してる。知ってるんだろ。“あの世界”の存在を。ボクも、来澄も、“向こう”に行く途中で君を見たんだ。知らないなんて、言わないよな」


 “来澄”と俺の名前が出たところで須川は明らかに動揺した。数歩後退って、顔を真っ赤にした。俺の顔を見て、唇を噛みしめてそっぽを向く。

 まだ何人か無関係のクラスメイトの残る教室で、芝山の熱弁は浮いていた。芝山をチラチラと見ながら、どうしたんだろうといぶかしげな顔で見つめる男子や、目立たぬ須川にクラス委員とA組のイケメンという妙な組み合わせの男二人が迫っているのを怪訝そうに見つめる女子が数人居る中で、彼らなど目に入らないとばかりに芝山は言いきったのだ。

 あちこち半開きの窓から入る生温い風が教室の中を撫でるように通り抜け、校庭を抜けて帰路に就こうとする生徒たちの声を一緒に運んでくる。ジリジリと鳴く蝉の声も、廊下を駆けていくたくさんの足音も、耳には入るが、頭には入ってこない。

 俺たち四人は、ただ須川の反応だけに注目していた。


「その中に、どうして芳野さんの名前があるの」


 沈黙を破った言葉に、よからぬものを感じた。


「芳野さんはどうして、いつも来澄君と一緒なの」


 視界が徐々に黒く染まり始めた。

 空気の中に墨汁のような黒いものが、広がってきていた。

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