臭い2

 腰を引いて苦笑いしていると、今度は美桜が俺をまじまじと見つめ始める。いぶかしげな目をして、上から下まで舐めるように観察している。


「な……なんだよ。気持ち悪いな」


 と、今までだったらこの時点でビンタの一つくらい飛んでいたかもしれないが。

 美桜は何か腑に落ちないような顔をして、一歩二歩下がり、それからもう一度、念入りに何かを探っている。

 周囲にいた市民部隊の戦闘員たちも、その様子が気になったのか、徐々に集まってきてしまった。

 気まずいな、この空気。そう思ったところで、美桜がまた、妙なことを言い出す。


「あなた……、誰?」


「へ?」


 ちょっと意味がわからない。自分から俺の名を呼んでおいて、突然誰だなんて、具合悪くて気でも狂ったか。


「誰って……、来澄凌、だけど。どうしたんだよ、急に」


「本当に、凌? 嘘でしょ。昨日までとは臭いが違う。別人、じゃないの」


「ハァ?」


 臭い、だなんて、何を言い出す。

 確かに美桜は、臭いで干渉者や悪魔を判別する能力があるようだが。それは、俺が色や歪みで何らかの力を察知するのと同じで、それぞれの個体が持つ独特のものを感じ取れるということに違いはなさそうなんだけど。

 俺自身、何も変わったことはないはずなのに、彼女は一体何を。


「私の知ってる凌と違う。前はもっと……弱くて、辛うじて感じ取れる程度だったのに、今日は急にハッキリして。でもこの臭い、嗅いだことがある。すごく昔……、懐かしい、臭い。嫌な臭いじゃない。優しくて、強い臭い。あれは誰だったかしら」


 考え込む美桜。

 昔って……、どれくらい昔だ。まさか、俺が過去に飛んだときのことを、覚えているのか。あのとき美桜はまだ四つ。そんな前のことを鮮明に覚えているわけ……。それに、もしハッキリ覚えていたとしたら、俺が彼女の秘密を知ってしまったことさえ、バレてしまうんじゃ。

 それは、よくない。

 俺はあくまで、不幸にも彼女に才能を見いだされてしまった頼りない干渉者。

 余計なことは喋らない方がいい。

 砂漠に飛ばされたことも、帆船に乗ったことも、時空嵐に巻き込まれて過去に行ったことも。

 だって、全部知ってると彼女に知れたら、美桜はこの先自分という存在の意義を考え、もっと苦しむことになるかもしれないんだ。彼女自身が自分の秘密をどれだけ知っているかもわからないのに。


「ぐ……具合、悪いからじゃないのか。そう感じるの。風邪?」


「うん。熱と、鼻。夏風邪みたい」


「じゃ、じゃあそれだ。“表”で具合悪いのがこっちまで影響してるんだよきっと。だからいつもと違うような気がする。そういうことなんじゃないのか」


「そうかしら……」


 美桜はまだ納得できない様子で、ジロジロと俺を見つめている。


「戻って寝ろよ。どっちかで起きてどっちかで寝てるとかじゃなくてさ。しっかりと身体休めないと。熱もあるなら、特に激しく身体動かすのはアウトだろ。何度?」


「37.8だけど……、そんなのどうだっていいじゃない。“こっち”ではすこぶる快調よ? 熱なんて全然」


「いんや、そんなことない。二つの世界で命は繋がってるんだ。こじらせたら大変だろ」


 気を遣えば遣うほど、美桜は首を傾げた。

 もし本当に“臭い”とやらが違うとしたら、何が違うのか、俺にはよくわからない。ディアナの荒行で力を操れるようになったことが関係するのか、それとも、今は近くに居ないけれど竜を従えていたからなのか。

 とにかく今は、美桜を“表”に帰すのが先。そうしないと、せっかく合流した市民部隊の面々に、キャンプのことを切り出せない。


「な、戻れよ。ゆっくり休んでから、また来ればいいじゃないか。俺もなるべく、学校から“こっち”に飛ぶようにするからさ」


 無理やり会話を纏めると、美桜はムスッと顔を歪めて、面白くなさそうに口をとがらせ、ため息を吐いた。


「急にお兄さんぶって、変なの。同い年よね」


「あ、当たり前だろ。悪いけど、留年なんかしてないからな」


「絶対、今日の凌はおかしいと思うわ」


 まだ言うか。


「じゃ、ウィル、またね。ライルにもよろしく」


 手を振り、人混みに背を向ける美桜。数歩進んで、それからまた振り向く。


「ホントにホントに、凌、で間違いない? 学校戻ったら、聞くからね」


「はいはい」


 行けよと手で合図すると、犬猫じゃないわとでも言いたげな目で睨まれる。

 美桜の足元にうっすらと魔法陣が浮かび上がったと思った矢先、彼女の姿がスッと消えた。どうやらちゃんと戻ってくれたらしい……。

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