決意3
アパートから荷物を運び出すのは全て魔法で行うと、美幸は言った。いつだったか、美桜が自宅マンションから武器類を転送させたのと同じ方法で行うらしい。正確な魔法陣を描き、一つ一つ、荷物を運び出すにはかなりの精神力を要する。とりあえずのところ、必要最低限のものだけ転送させ、あとは後日ということになった。
キッチンの棚にはあらかじめディアナが用意していた食材がいくつか陳列してあった。日持ちのする根菜や葉物野菜が少し。ハム、ベーコンは塊で置いてある。数日は何とかなりそうな量だ。
勝手口から外に出ると、かまどと暖炉用の薪がうずたかく積んであった。綺麗に切りそろえられた薪で、断面が真新しいところを見ると、コレもつい最近用意したばかりのようだ。
だんだんと日が傾き、夕暮れ時が近づいてきていた。
レグルノーラは相変わらず白い雲に覆われていて、直射日光は拝めないが、このくらいの時間になると、夕日に染まった雲の色が美しい。濁ったオレンジ色、そこに少しずつ赤色の絵の具を垂らしたように色が変化していく。時間経過と共に黄色からオレンジ、赤、紫、それから黒へと変わっていく空の色は、幻想的で、どこか懐かしい。
美幸は手元の食材で夕食を作ろうと、エプロン姿に変わって台所へ引っ込んでいた。カフェカーテンの向こうで包丁の音が軽快に鳴るのを聞きながら、俺とテラは木製テーブルの真ん中に置いた燭台の炎を見つめ、今後について話し合った。
「いつまで人間の姿でいるつもり?」
俺が聞くと、テラは長い銀髪の先っぽを指でくるんくるんさせながら、「そうさね」と呟いた。
「美幸がこっちにいる間は、なるべく一緒にいようと思う。案外、この姿を保つのは体力が要る。彼女が“向こう”に戻ったら、或いは夜休んだら、竜の姿に戻ってもいいとは思っているんだが。寂しいだろうから、少しでも長い間居てやった方がいいだろうな」
「さっきから見てると、美幸は俺と違って、だいぶ長い間“こっち”に居られるようだけど」
「“向こう”での生活の合間に“こっち”に飛んで来てるお前とは根本的に違うからな」
「というと?」
「彼女は二つの世界で同時並行的に生きているんだ。どちらかの意識を強くしているだけで、どちらの世界でも意識がある状態を保っていける……らしい」
「え? どういうこと?」
「さぁ。私に聞かれても」
そんなこと本人に聞けよとばかりに、テラはフンと鼻で息した。
ディアナが美桜のことを、『息をするのと同じ感覚で、簡単に“こっち”に飛んでこられる』のだと言っていた。美幸も同じように、自在に行き来していると、そう解釈していいのだろうか。
イマイチ、“向こう”と“こっち”の時間関係がよく分からない。“向こう”で意識を失っている間“こっち”へ意識を飛ばしてる――身体も同時に、というところが意味不明だが――という解釈だったが、今の話だと、二つの世界にそれぞれ身体があって、意識だけ“あっち”に行ったり“こっち”に来たりしていると読み取れなくもない。痛みを感じたり、怪我をしたりすることも考えると、思念体のようなものが“こちら”側にいるってわけでもなさそうだし、どうもこの曖昧さが、心地悪さを生んでいると言っても過言ではないような。
俺は頭をモシャモシャと掻きむしり、天井を仰ぎ見て唸った。
「わからん」
「何が」
「“表”と“裏”の関係だよ。俺たちが二つの世界を行き来してる、その方法もだけど、並行世界なら身体を“表”に残しっぱなしで“こっち”に来れるわけないし、夢やゲームの中みたいな仮想空間なら、美幸が竜の子を身籠もるわけないだろ」
「そんな細かいこと、考えてばかりじゃ先に進めない。気にするなと言ったら乱暴かもしれないが、気にかけても解決なんてできないと思うぞ」
「そりゃ、そうなんだろうけど」
分からず屋だなと、口からは辛うじて出てこなかったが、何度も考えた。
頭の固い竜には何を言っても無駄だった。
俺の中で、この不可思議な世界が占める割合は日に日に大きくなってきている。こうして“向こう”に戻れず何日も何日も経過するようになると、頭の殆どがレグルノーラに支配されてしまって、“向こう”での孤独や寂しさなんて、どうでもよくなっていく。
それより、レグルノーラとは何なのか。
砂漠の果てに何があるのか探し続ける帆船の
「そういう君こそ、早く戻りたいんじゃなかったのか。どんどん足を突っ込んで、このままだと永遠に戻れなくなってしまうのじゃないか」
長い前髪を掻き上げ、テラがニヤニヤしながら尋ねてくる。
強面のテラもいけ好かなかったが、深紅として美幸に仕えているこっちの姿も、全身モテオーラを放っていて、何だかいけ好かない。
「そのときが来たら、戻るよ。ディアナに頼んで、だけど」
俺は言いながらそっぽを向いた。
ベーコンの焼けるいい匂いが、鼻を突いた。それから、野菜の煮える柔らかな匂いも。
すっかり腹ぺこになったお腹は正直で、びっくりするくらい大きな音でグウと言った。
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